若い読者はご存じないだろうが、いまから四十年近く前、左翼マスコミや左翼歴史学者が音頭を取って大々的な「差別語」追放が行なわれた。たとえば、「めくら」は差別語で「差別を助長する」から、テレビや新聞でも一切使うな。「視覚障害者と言え」と、彼らは主張した。
私もことさらそういう言葉を使おうとは思わないが、たとえば古い小説や映画で使われている場合、あるいは映画で「座頭市」が悪人に罵られる場合、「この視覚障害者め!」などと言うはずが無いので、それは許容範囲だと思っていた。ところが、彼らはそうした過去の名作まで抹殺しようと一大キャンペーンを張って、谷崎潤一郎の名作まで図書館から廃棄させようとした。
また、歴史用語でも「支那」は差別語だから絶対使うなと各方面に圧力をかけ、その結果NHKの歴史ドラマで「支那事変」と呼ぶべきところを「中国事変」などと言い換えるケースすら発生した。若い人には信じられないかもしれないが、ホントの話である。私が過去の文化遺産まで廃棄するのはおかしいし、教育で差別的な言葉は使わせないようにもできる、などと世界中どこでも通じる意見を言ったら、差別を助長する極悪人のように言われた。もう一度言うが、ホントの話である。
差別は無くすべきだが、「差別語追放」をすればそれで目的を果たせると考えるのは、日本人だけだ。そのことに気がついた私は、当時推理小説作家だったが日本史の研究を始め、それが日本人独特の言霊信仰に基づくということに気がついた。そのことを詳細に分析したのが、私のノンフィクション第一作『言霊』(祥伝社刊)である。
古くからの読者にはお馴染みのことだが、日本は『万葉集』の時代から「言葉イコール実体」であり、逆に言えば「差別という実体」を無くすためには差別語を追放すればよい、という考え方がある。「言葉狩り」は「正義」なのだ。もちろん、これは宗教的信仰であって、現実はそうはならない。しかし日本人は古くからこれを信仰しており、深層心理のなかにはその信仰がいまだに残っているから、なにかをしようとするときにその強い影響を受ける。それが歴史を知るということである。
たとえば、「太平洋戦争」という言葉が一般的になったのはいつからか、ご存じだろうか? じつは、戦後では無い。それどころか、開戦十六年前の一九二五年(大正14)にイギリスの軍事評論家ヘクター・C・バイウォーターが『The Great Pacific War』という日米未来戦記を書き、それが日本で『太平洋大戦争』というタイトルで翻訳出版されてから一般的になったといってよい。なぜならば、この本は当時大ベストセラーになったからである。
その内容は『言霊』にも要約しておいたが、さらに簡単にするとこうなる。「中国における権益問題でアメリカと対立した日本政府は、内政に対する国民の不満をそらす意図もあって対米開戦を決意する。開戦当初、日本はアメリカより海軍力においてやや有利にあり、その優位を維持し戦局を有利に展開しようと海軍は〈フィリピン〉に奇襲攻撃をかけ西太平洋の制海権を握る。
しかし、生産力に勝るアメリカが海上封鎖による持久戦法をとり、中ソ両国も反日に転じ戦局は逆転する。そして艦隊主力を持って行なわれた〈ヤップ島沖海戦〉でも日本は敗北し、アメリカはグアム島など南洋の島々を次々に占領し、アメリカの爆撃機が東京上空に飛来し爆弾を投下する。ここに至って日本はアメリカ側の〈講和勧告〉を受諾し、戦争は終結する」。
念のためもう一度言うが、これは当時大ベストセラーになったのだから、当然山本五十六も石原莞爾も近衛文麿も読んでいただろうし、万一読んでいないとしてもその内容は知っていただろう。たしかに、この予測は十六年後に起きた実際の戦争と違っている部分もある。
〈 〉内がそうで、帝国海軍が奇襲攻撃したのはフィリピンでは無くハワイ真珠湾だったし、日米海軍の一大決戦はヤップ島沖では無くミッドウェーで行なわれた。また、アメリカならぬ連合国が日本に通告したのは講和勧告では無く降伏勧告である。しかし、大筋において的中していると言わざるを得ないだろう。
とくに注目すべきは、この時代に太平洋の島々から飛び立って日本列島に爆弾を落とせるほどの航続距離の長い爆撃機はまだ開発されていないのである。つまりそういうものが必ず作られ、アメリカはそれを利用するだろうというところまで予測しているのである。