国を挙げての「洗脳」
では、私が『言霊』を上梓したいまから三十四年前の一九九一年(平成3)に、この本のなかで読者にした質問をもう一度しよう。「あなたはこの本の存在を知っていましたか?」。もちろん、古くからの読者は「知っていた」と答えるかもしれないが、若い読者はどうだろうか。少なくとも私がこの本を上梓した一九九一年当時には、それを知る人はほとんどいなかった。
ここで読者は、不思議に思うはずである。こんな的確な予測があったのに、なぜそれを回避する方向に日本は向かわなかったのか? じつは、それは日本史を知る上できわめて重大な問いである。簡単に言えば、日本人は言霊信仰があるがゆえに絶対に実現して欲しくないこと(たとえばアメリカに負けるということ)を、なにがなんでも否定しようとする。「言葉狩り」ならぬ、「予測狩り」とでも言おうか。
私は「コトダマ反作用の法則」と呼んでいるのだが、言霊信仰に縛られている日本では、この「アメリカに負ける」という「起こって欲しくないこと」が実現しないよう、国を挙げての「洗脳」が始まるということだ。教育でもマスコミでも、「日本が負けるはずが無い」という形で「的確な予測」を葬ろうとする。
これが「反作用」ということで、普通の国ならば外交を重視したり軍備を充実したりして具体的な手段によって破局を回避しようとする。ところが、日本ではそれ以上に「言葉狩り」「予測狩り」に力を注いでしまうことになる。「差別語狩り」をすれば「差別が無くなる」と、「予測狩り」をすれば「敗戦」が避けられる、とはまったく同じ言霊信仰の作用だということがおわかりだろう。
だから、そういう意味でも「満洲事変」や「支那事変」あるいは「大東亜戦争」という歴史用語は言葉狩りの対象にしてはならないのだ。森名誉教授は、大日本帝国が戦争を「事変」と言い換えたのは「欧米の介入をおそれて日本では一貫して事変と言い続け、戦争という用語を使用しなかった」と説明している。もちろんそういう要素が無かったとは言わないが、一番肝心なことがわかっていない。
軍部がそうしたのは、日本人はそうすると安心するからである。具体的に言えば、「これは日中全面戦争などでは無い。単なる事変(アクシデント)だ。心配無い」ということだ。実質はモンゴル人民共和国とソビエト連邦に対する戦争であった軍事衝突を「ノモンハン事件」と呼んだのも同じだが、日本人の深層心理に言霊信仰があることを理解しないで日本史は語れるものでは無い。
ところが、「あの戦争」を「アジア・太平洋戦争」と言い換えさせることによって「大東亜戦争」という歴史用語を抹殺しようとしている左翼歴史学者たちは、あきらかにそうすることが「正義」だと考えているようだ。そうで無ければ「言い換え」などしないはずだ。
ではここで、前出の『言霊』にも書いたことだが、彼ら左翼歴史学者が批判して非難してやまない大日本帝国陸軍が、日本国民に強制した言葉の言い換えという歴史的事実をお伝えしよう。「敵性語」追放という。ちゃんと辞書にも載っている。
〈てきせい‐ご【敵性語】
敵国の言葉。
[補説]日中戦争・太平洋戦争中の日本では、英語が敵性語とみなされ、タバコの銘柄「チェリー」を「桜」と改称するなどの言い換えが多く行われた。〉
(『デジタル大辞泉』小学館)
これは「狂気の沙汰」という言葉がふさわしいもので、たとえば美容室のパーマネントを「電髪」と言わせたり、大学野球で審判が「ストライク・ワン」と言うべきところを「良し一本!」と言い換えさせた。英語を使ったからといってアメリカを支持するわけでも無いし、実際に敵としてのアメリカを分析するために英語を使わざるを得ない場合もあるだろう。だが、それらすべてを帝国陸軍は否定したのである(海軍は反対だった)。
これと同じで、「大東亜戦争」という言葉を使ったからといって、それだけで戦前の軍部の方針を支持したことにはならない。しかし、そう思うのは言霊信仰があるからだ。だから、この言葉を抹殺しようとする。それにも気づかず、自分たちが批判してやまない組織の愚行と同じことをやり、自分たちの「正義」に酔いしれている人間たち。こういう人々をなんと呼ぶべきか?
あらためて書くまでも無いだろう。
(第1464回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年8月29日・9月5日号