「加藤の乱」から学んだ
数々の政変を取材してきた大ベテランの政治ジャーナリスト・野上忠興氏はこう語る。
「今回の岸田のやり方は実に老獪だった。最初に石破倒閣運動の先頭に立ったのは旧安倍派や旧茂木派、それに麻生派だが、岸田は彼らに石破おろしの汚れ役をやらせながら、自分はそれには乗らずにキャスティングボートを握った。そしてタイミングを見て石破にトドメを刺すべく動いた。
旧安倍派を排除した石破政権を支えている旧岸田派が政務3役や党役員を引き揚げれば政権はもたないと最初から計算していた動きだ。加藤の乱の失敗から倒閣運動のやり方を学んだのでしょう」
森喜朗政権当時に自民党で起きた「加藤の乱」では、加藤紘一・元幹事長が派閥議員を率いて倒閣運動の先頭に立ったが、党内から切り崩しにあって失敗、失脚した。
若手議員時代に加藤氏とともに倒閣運動に加わった岸田氏は、今回はあえて石破おろしには参加せず、「総裁リコールに失敗すれば旧安倍派や旧茂木派、麻生派の議員たちの責任、成功すれば岸田氏が手柄を独り占め」という絶妙なポジションに自分を置いていたという指摘だ。
一方で、岸田氏は石破政権の“生みの親”でもある。
「自民党が変わることを示す最もわかりやすい最初の一歩は私が身を引くことだ」
そんな言葉で昨年9月の総裁選に出馬しないことを表明すると、総裁選の決選投票で石破支持に回って逆転勝利をもたらした。それがなぜ、この土壇場で反石破へと転じたのか。
「石破は役割を終えた」と言うのは岸田側近の1人だ。
「岸田さんは総理時代、裏金事件を機に派閥解散方針を決め、岸田派とともに最大派閥の安倍派を解散に追い込んだ。だが、旧安倍派を徹底的に弱体化させるためには派閥解散だけでは不十分で、総選挙で裏金議員を公認せずに落選させる必要があった。それができるのはもともと安倍派だった高市早苗ではなく石破だった。だから石破を総裁にした。
岸田さんの思惑通りに石破は裏金議員を非公認にして落選に追い込み、旧安倍派議員は昨年の衆院解散総選挙と今年の参院選で半減した。もう石破の役目は終わったんだよ」
(後編に続く)
※週刊ポスト2025年9月19・26日号