チームを優勝へと導いた阪神・藤川球児監督(時事通信フォト)
就任1年目ながらチームを驚異の独走劇へと導き、9月7日にNPB史上最速優勝を果たした阪神・藤川球児監督。開幕前は「コーチ未経験」のまま指揮官となったことを不安視する声もあったが、フタを開けてみれば“いきなり名将”とも言うべき盤石の戦いぶりだった。その勝負強さは、いかにして育まれたのか──。その原点を辿った【前後編の前編】
ブレない、動じない
今季の阪神は「歴代最強」との呼び声高い。先発陣には防御率1点台が居並び、“サトテル”こと佐藤輝明の爆発や若手の森下翔太の台頭など投打がガッチリと噛み合った。
チームを率いるのが就任1年目の藤川監督だ。
現役時代は“火の玉ストレート”を武器にクローザーとして活躍。2020年の引退後は理論派の解説者として人気を博す一方、「本部付スペシャルアシスタント」として阪神のフロントに入った。
リーグ連覇を逃した岡田彰布前監督の後任に決まった際は、二軍監督やコーチとしての指導経験がないことから、“解説者は理論でいいが、それを実践できるのか”と疑問の声もあったが、結果は独走優勝へとひた走った。
シーズンを通して評価されたのは、新人監督らしからぬ、“ブレない、動じない姿勢”だった。交流戦で悪夢の7連敗を喫した際も「とにかく普通にやる」と冷静にコメントし、独走状態となってからの真夏の連戦では、一部から批判を受けながらも主力を思い切って休ませる采配を貫いた。
現役時代の藤川監督を一軍投手コーチとして指導し、盤石の救援陣「JFK」を誕生させた阪神OB・中西清起氏は、平常心で闘う姿をこう評す。
「藤川は高知商の後輩でもありますが、ベンチで平然としているのは『試合が終わって整列するまで喜怒哀楽を出すな』という高知商の教えがあるからでしょう。高校時代に叩きこまれたことが今もしっかり活きているのだと思います」
藤川監督にとっての“原点”の教えとは──。
高知出身の藤川監督は高知城北中から高知商へ進んだ。メジャー挑戦から帰国後の2015年には、NPBではなく四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団するなど、郷里との縁は深い。
藤川監督が在籍した当時の高知商監督で、今も連絡を取り合うのが正木陽氏だ。高校時代の恩師は、今季の戦いぶりをこう評す。
「引退後にフロントに入りながら解説者をするという立場に置いてもらえたことで、選手を細かく見られたのが大きいのだと思います。球児はとにかく野球が好きで、それも新しいことにチャレンジしたいという気持ちが強い。今もまだ試行錯誤の途上だと考えているのではないか」