アーモンドアイは「底知れぬ馬だった」という(国枝栄氏)
1978年に調教助手として競馬界に入り、1989年に調教師免許を取得。以来、アパパネ、アーモンドアイという2頭の牝馬三冠を育てた現役最多勝調教師・国枝栄氏が、2026年2月いっぱいで引退する。国枝調教師が華やかで波乱に満ちた48年の競馬人生を振り返りつつ、サラブレッドという動物の魅力を綴るコラム連載「人間万事塞翁が競馬」から、アーモンドアイについてお届けする。
* * *
今にして思えば、残念だったのは新馬戦。ロードカナロア産駒で気がいい(走ることに前向き)ということもあり、オーナーサイドとも話し合ってデビューは新潟の内回り1400mに。ところが勝ち馬が3キロ減の若手騎手だったこともあって前半で大きく離され、最後はいい脚を使ったけれど届かず2着。1600m(外回り)を使うべきだったなあ。この3年後、デアリングタクトが牝馬として史上初の無敗の三冠馬になったけど、ここを勝っていればアーモンドアイが史上初で、もう一つ勲章がもたらされたはずだった。
最も驚いたのは3歳時のジャパンカップだろうか。前半から折り合いも付いていたし、直線半ばで前に行く馬を捕らえてからは他馬を寄せ付けなかったどころか、2400m2分20秒6という世界レコード。時計が壊れているのではないかと思った。
この時点でデビュー2戦目から6連勝。徐々に相手も強くなってくるから、勝ち方がきわどくなったりすることがあるものだけど、彼女はレースのたびに前よりもっと強い勝ち方をする。3歳牝馬でこんなに圧倒的な強さを発揮して勝ち続けることができる馬がいるのかと感動した。素晴らしい素質、我々人間はそれを邪魔しないことだと自分に言い聞かせたものだ。
今だから言えるけれど、桜花賞を勝った後、次はダービーでも行けると思った。アーモンドアイが出ていたら、今「ダービーを勝てなかった調教師」と言われなくてもすんだかもしれない(笑)。それぐらい底知れぬ馬だった。