”辞めるのやめた”宣言からすでに3ヶ月以上(共同通信)
田久保氏の”放蕩大学時代”
田久保市長は千葉県船橋市生まれ。父親の死去や不動産業を営む母親の仕事の都合で、中学3年生のときに伊東市へ引っ越している。さらにその後、大学進学を機に地元を離れた彼女は、”大学デビュー”を果たし、羽を伸ばすようになった。全国紙政治部記者が語る。
「田久保氏は大学時代、年次が進むにつれてバイクやバンド活動にはまり、勉強はおろそかになっていったようです。これまで自身でも、『最後のほうはバイクでフラフラして、ほとんど(大学に)行っていないような状態だった』などと語っている」
都内で下宿をしながら、悠々自適な時間を過ごしていた田久保氏。当時は、知人らの間でも“放蕩娘”のイメージが強かったようだ。田久保氏の母親と親交のある、伊東市内の飲食店関係者はこう話している。
「お母さんはよく、『言うことを聞かないおてんば娘で困る』とよく言っていました。それでも、2人きりで手を取り合って生きてきたこともあってか、『自由にやらせたい』と常々思っていた、と。眞紀が伊東でカフェを開いたときも、お母さんが金銭的に助けた」
NEWSポストセブンは以前、田久保氏に直撃取材している。その際に記者は「どの程度、大学に行っていなかったのか」という質問をぶつけているが、「バイクでフラフラと……」など、曖昧な回答しか返ってこなかった。学歴詐称疑惑に関しては、「申し訳ないと思っている」と言いつつも、「せんなきことかと思います。ゴシップネタのような」など問題を矮小化するかのような発言もあった。
そんな田久保氏も、百条委員会の厳しい目からは逃れられなかった。
「百条委員会はすでに、田久保氏の『卒業したと“勘違い”』という発言を虚偽と正式に認め、刑事告発している。理由については『勘違いが起こりうる状況でなかった』とし、学歴の記録などについては詳しく明かされませんでした」(同前)
冒頭の場面で、百条委員会のメンバーは一体なにを見たのか。委員会の関係者が明かす。