また、木村政彦と言えば格闘技の歴史に関心のある人ならば知らない人はいないと言っていいほどの著名人である。「鬼の木村」の異名を持ち、「史上最高の柔道家」という定評もある。いわばアマチュアの世界では金字塔を打ち立てたとも言える人なのだが、ご存じのように彼はプロレスの世界に入り、力道山との試合に敗北して晩節を汚してしまった。要するに「話し合い」ができていたのに、力道山が約束を破り一方的に攻撃してきたと木村は主張している。
彼はアマチュアで最高の地位を得たのだから、そもそもそんな世界にかかわらなければよかったのだが、かかわった理由について一説として伝えられているのが、「愛妻の結核治療のためストマイを入手したい。そのためにはカネがいる」である。あくまで一説だが、じゅうぶんに考えられる理由である。
昭和二十四年ぐらいを境にして、ストマイが「間に合った人間」と「間に合わなかった人間」がいる。この差はじつに大きい。星野哲郎も「間に合った人間」に分類されるだろう。つまり、彼の主観から言えば「二度も死神の手から逃れた」のであり、とくに『あけぼの丸』を降りるきっかけになった結核が、結果的に彼を救った。まさに「人間万事塞翁が馬」であり、このことわざを星野ほど強く実感した人間はいないだろう。
人間というものはじつはそういうもので、こうした時代の常識を無視しては、人間もその人間の行動の集大成である歴史も語れないのである。しかし、いまの歴史学者はほとんどが史料絶対主義である。この場合で言えば、「愛する彼にあと二年生きてもらえばストマイが間に合ったのに」と妻が日記に書けば、「この時代の人間はストマイを切望していた」と認識するが、そういうものが無ければ時代背景に気がつかない。つまり「井沢元彦はこの時代の日本人はストマイを熱望していた」と言うが、「そんな史料は無い(だから、そんな事実は無い)」と言い出しかねない。
人間は複雑な存在である。仮に心のなかに「ストマイに対する切望」があったとしても、人間はそれを必ず文章にして残すとは限らない。嫌なたとえだが、「死んだ子の歳を数える(そんなことをしても意味が無い)」ということわざもある。愚痴を漏らしても死んだ人間が生きて帰ってくるわけでは無いと前向きに考える人は、そういうことをあえて書き残さない。人間界にはそういう人もいるということが、若いうえに書斎のなかで紙の史料しか読んでいない人間にはわからない。
それにしても、仮に「ストマイに対する切望」を実際に書き残した日記や手紙がまったく残されていなかったとしても、それを根拠に歴史学者が「ストマイ切望という事実がない」と断定するとは、あまりにも極端なたとえだと思った読者はいないだろうか? そう思った人は、残念ながら史料絶対主義の悪弊がまったくわかっていない。
いまから四百年以上前、豊臣秀吉は朝鮮半島に出兵した。彼は当時これを「唐入り」と呼んだが、実質的には中国(当時は明)を攻略することが目的だった。さて、あなたはこの侵攻作戦をどう思うか? 秀吉もせっかく天下を統一したのに調子に乗って大陸侵攻をするなんてバカだな、と思っていないだろうか。そして秀吉は国内の大反対を押し切って侵攻に踏み切った、と思っていないだろうか?
そうでは無い。なぜなら当時の武士たちには「領地獲得に対する切望」があったからだ。
(第1473回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『真・日本の歴史』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2025年11月28日・12月5日号