内田也哉子一覧

【内田也哉子】に関するニュースを集めたページです。

告別式で飾られた西城さんの特大パネル。歌声はいまもファンを魅了する(撮影/小彼英一)
西城秀樹さん妻が明かす子供達の今と「内田也哉子からの手紙」
 生前、子供たちを「宝物」と言い、深い愛情を注いできた西城秀樹さん(享年63)。それだけに、3人の子供たちも父を亡くした喪失感から立ち直るために時間が必要だった。三回忌を前に妻の美紀さんが明かす「子供たちの成長」の記録──。 人々を熱狂の渦に巻き込み、数々の伝説を築いてきた昭和の大スター・西城秀樹さんが急逝したのは、2018年の5月16日。その三回忌が、目前に迫っている。 ワイルドな彼の“絶唱”をもう一度見たいと願うファンの声は後を絶たない。その声にこたえるように、命日には『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)などでの歌唱シーンや、バラエティー番組のトーク映像などを収録したDVDが発売される。 ほかにも、三回忌にあたり在りし日の西城さんの姿を目に焼き付けることができる、さまざまなイベントが計画されていた。大阪と広島では、若い頃の秘蔵写真や実際に着用した衣装などを展示する写真展が、東京ではコンサートやテレビ局の蔵出し映像などを上映するフィルムコンサートも開催予定だった。しかし、新型コロナウイルスの影響で、DVDは発売されるものの、イベントは延期や中止を余儀なくされてしまったのだ。「1年かけて準備してきたので、本当に残念です。何より楽しみにしてくれていたファンのかたがたに申し訳なくて…三回忌も、お世話になったスタッフのかたをはじめ皆様にお声がけしていたのですが、感染拡大防止のため、大幅に縮小して近親者のみで行うことになりました。秀樹さんが生きていたら、『みなさんの健康を最優先に』って絶対に言うと思うから。私たち家族はこの2年間、『こんなとき、秀樹さんならどう言うかな』と、いつも考え続けてきました」 西城さんの妻・木本美紀さん(48才)は、静かにそう胸の内を明かしてくれた。 西城さんがこの世を去ってから2年が経ち、美紀さんをはじめ残された家族の心境も少しずつ変化してきたという。  2003年を皮切りに、計8回脳梗塞を患い、長年リハビリを続けてきた西城さん。快方に向かっていると思われた矢先、家族団欒の最中に突然倒れて病院に搬送され、家族に見守られて旅立った。「秀樹さんが倒れてからしばらく私の記憶は断片的なんです。寂しくて不安で、でもやらなければならないことはたくさんある。だから必死で、2018年はあっという間に過ぎた感じでした。昨年、一周忌が終わったあたりから落ち着きを取り戻し、ようやく悲しみを実感する余裕が生まれたように思うんです」(美紀さん・以下同) 3人の子供たちは、そんな美紀さんの心中を察していたのだろうか。亡くなって1年ほどは、大好きなパパとの思い出を口にすることはなかったそうだ。「きっと子供たちなりに気を使って、張り詰めていたんでしょうね。“家族みんなで”とか“5人で”という言葉を口にしてはならないかのような雰囲気が生まれていたんです。子供たちが『家族みんなで旅行した石垣島にまた行きたいね』とか『パパが好きだった旅館にまた泊まりたいね』と自然と口にするようになったのは、ここ最近のことです」 特に美紀さんが胸を痛めたのは、4月に高校3年生になった長女の異変だという。お父さんっ子で、脳梗塞の後遺症を抱えていた西城さんの手伝いも率先して行っていたという長女は、亡くなった後も気丈にふるまっていたそうだ。「長女ならではの責任感で、私や弟たちに心配をかけまいと気を張っていたのだと思います。本当は、とても悲しくて寂しくてつらかっただろうに、それを見せなかった。でも、昨年の秋頃から精神的に不安定な様子を見せることがあって。きっと、張り詰めていたものが解けて、一気に喪失感が襲ってきたのでしょう」 西城さんに似て、優しくて純粋だという長女は、進路について考えている真っ最中。「パパのように人を笑顔にする仕事がしたい」と、看護や介護の道に興味を持っているという。◆内田也哉子さんが手紙をくれて… 高校2年生の長男と高校1年生の次男も、それぞれ未来に向かって歩み始めた。サッカーが得意な長男は、昨年4月、プロサッカー選手を多く輩出する強豪校に進学し、寮生活を送っている。「小さい頃から『ぼくはネイマールになるんだ!』なんて言っていて。それを聞いた秀樹さんは、『そうか、がんばれよ!』と励ましていましたね。まだ道半ばですが、まさかここまでがんばれるとは、私も驚いています。 次男はインドア派。絵を描いたり、映画や演劇、音楽に親しんでいます。 面白いことに、2人とも父親の身長を抜くのが目標のようなんです。秀樹さんは長身(181cm)で、息子たちはまだ170cmそこそこですが、たくさん牛乳を飲んで毎日のように身長を測っていますよ(笑い)」 子供たちに西城さんの面影を見ることも増えた。長男は20代後半~30代の日焼けして髪が短かった頃の西城さんに、次男は10代の頃の西城さんによく似ているそうだ。「ぜひ芸能界デビューを」と望むファンからの声もあるが、現状、子供たちはその道は考えていない。「3人とも秀樹さんが40代後半になってから生まれた子ですし、秀樹さんの過去の苦労時代を全く知りません。デビュー当時は、レコードを売るために車で全国を回り、車中で寝泊まりしていたそうですし、大変な世界だというのは私もわかっているつもりです。秀樹さんも“普通に”育ってくれればいいと、いつも言っていました」 しかし、西城さんが生きた芸能界とのつながりはいまも深く、それが家族の支えにもなっている。“新御三家”の1人で親友だった野口五郎とは、いまもつきあいが続いている。「五郎さんは、まるで親戚のおじさんのように子供たちのことを気にかけてくれていて、3~4か月に1度、子供たちも含めた食事会を開いてくださるんです。五郎さんのお子さんたちと、うちの子たちが同じ年代ということもあって、子供同士もLINEで連絡を取り合っているんですよ。 浅田美代子さんもお手紙をくださったり、岩崎宏美さんがクリスマスカードをくださったり。みなさんの温かいお気持ちに支えられていると実感しています」  生前の西城さんが“芸能界の姉”と慕っていた樹木希林さん(享年75)とも不思議な縁で結ばれている。ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)での共演を機に2人は交流を深め、樹木さんは西城さんを弟のようにかわいがっていた。 その樹木さんは、西城さんが亡くなってから4か月後、“弟”の後を追うようにこの世を去った。「昨年、東京で秀樹さんのパネル展を開催したのですが、偶然にも、同じ時期にすぐ下のフロアで希林さんのパネル展をやっていたんです。見に行った際、お菓子と手紙を届けたら、後日、也哉子さん(樹木さんの一人娘の内田也哉子)がお手紙をくださったんですよ。このような接点が生まれるなんて驚きましたが、生前からのご縁が導いてくれたのかもしれません」 晩年は自分のことより家族の今後ばかりを案じていたという西城さん。空の上から降り注ぐ西城さんの温かな眼差しに見守られながら、最愛の妻子は、新たな一歩を踏み出そうとしている。※女性セブン2020年5月21・28日号
2020.05.15 07:00
女性セブン
希林さんの思いとは
読書家・樹木希林さん「本は100冊しか持たない」ルールの理由
 コンクリート打ちっぱなしの壁をランプの灯りがやわらかく照らす。デスクには便せんと万年筆が、手入れが行き届いたチェアには毛皮のコートがいまも掛けられたままだ。振り向くとすぐ手の届く位置に腰高のそのチェストがあり、本の背表紙が規則性なく並んでいる。生前は引き戸が閉められ、そこに本が収められていることを知る人はほとんどいなかったという。 書斎はいまも樹木希林さん(享年75)の空気をまとったままだ。言葉にこだわりを持ち、言葉の力を信じていた樹木さんは大の読書家でも知られた。しかし、自宅に遺されていたのは、100冊だけだったという。 本や雑誌は気づけばたまっていく。読書家の中には一部屋まるごと本棚という人も少なくない。樹木さんと40年以上にわたって親交がある椎根和さん(しいね・やまと 78才)と典子さん(75才)夫妻はふとたずねたことがあるという。「十数年前、希林さんの自宅に遊びに行ったときですね。和風と洋風の部屋、2つも書斎があるのに書棚が見当たらない。大の読書家なのにどうしているのかと不思議だったんです」(椎根さん) すると樹木さんは「長年守っているのだけれどね」と1つのルールを打ち明けた。「100冊以上は家に置かないの。新しく気に入った本、手元に置きたくなった1冊ができたら、100冊のなかの1冊を人にあげてしまうの。だから、いつも100冊」 本だけではない。樹木さんは自宅に余計なものを置かなかった。椎根さんが続ける。「しかも、生前、希林さんはこれまで誰にもこの本棚のことを教えたことも、見せたこともなかったそうです。その100冊を借り受け、夢中で読みました。 引かれた赤線の一本一本、挟まったままの手紙や写真、余白の走り書きに彼女の息づかいを感じさせられた。繰り返し読んだのか水分を吸ったようにふくらんでいるものもありました」(椎根和さん・以下同) 樹木さんが遺した100冊──その中には飄々と淡々とした存在でいながら「自分らしく」「それなりに」軸のぶれない生き方を貫いた樹木さんからのヒントが見え隠れする。そんな椎根さんは、樹木さんの遺した100冊と彼女とのエピソードを『希林のコトダマ』(芸術新聞社)にまとめた。そこには、夫・内田裕也や娘の内田也哉子らの本も含め、厳選した100冊が紹介されている。※女性セブン2020年5月7・14日号
2020.04.27 07:00
女性セブン
ACC賞、香取慎吾&草なぎ剛、リリー・フランキー、寺田心登場
ACC賞、香取慎吾&草なぎ剛、リリー・フランキー、寺田心登場
 広告賞「2019 59th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDS」の贈賞式が行われ、フィルム部門クラフト賞の「演技賞」を富士フイルム「樹木さん2018年末特別篇」に出演した故・樹木希林さんが受賞し、娘の内田也哉子が代理で登場した。 また、同じく「演技賞」はUHA味覚糖の「さけるグミ」のリリー・フランキー、ブックオフコーポレーションの寺田心、アンファーの「スカルプD メディカルミノキ5」草なぎ剛と香取慎吾にも贈られた。撮影/浅野剛
2019.11.11 16:00
NEWSポストセブン
樹木希林さん「一周忌はやらない」 遺族が決断した理由
樹木希林さん「一周忌はやらない」 遺族が決断した理由
 昨年9月15日、全身がんとの長い闘病生活の末、惜しまれながら亡くなった樹木希林さん(享年75)。その一周忌が近づいている。 この1年、生前の樹木さんの言葉を集めた多くの本が出版され、テレビ番組でも特集が幾度となく組まれて、彼女の生きざま、死にざまが注目され続けてきた。 一周忌の5日前となる9月10日には『樹木希林さん特別番組 おもしろうて、やがて不思議の、樹木希林』(テレビ朝日系)と題した追悼番組が放送され、生前親交のあった広瀬すず(21才)、黒柳徹子(86才)、阿部寛(55才)らが、インタビューで樹木さんとの思い出を語るという。 昨年9月30日に営まれた樹木さんの葬儀・告別式の参列者は約1500人。一周忌にも多くの人が集まることが予想されるが、あるテレビ局関係者は「一周忌はやらない予定だと聞いています」と話す。「ロンドンに住んでいる娘の内田也哉子さん(43才)・本木雅弘さん(53才)一家はしばらく日本にいましたが、7月末にロンドンに帰り、命日には日本にいないようです」(テレビ局関係者) 一般的には営むのが“当然のこと”とされている一周忌。それをやらないのは、樹木さんの思いを推し量ってのことだという。「樹木さんは生前、さまざまな出版依頼をすべて断っていました。周囲には“『老い』とか『死』とかそういうテーマの取材依頼がたくさんきて、困っちゃうのよ。何も話すことなんてないのに”と漏らしていたほどです。ところが、亡くなった後になって樹木さんの本が何冊も刊行され、ベストセラーになった。このことを也哉子さんは複雑な思いで受け止めているようで、“こんなことになって、母は本当は喜んでいないのではないか”と考えているそうなんです」(別のテレビ局関係者) そんな経緯があり、也哉子さんは一周忌をやらないことを決めた。「也哉子さんは“もし一周忌をやれば今以上に騒がれてしまい、母の本意とますますかけ離れてしまう”“形にこだわらない方が、母らしい”とも話していました」(也哉子さんの知人) 生前、「死に方は勝手にさせてよ」と話していた樹木さんにとって、「何もしない」ことが何よりの供養なのかもしれない。※女性セブン2019年9月19日号
2019.09.06 07:00
女性セブン
母である希林さんから“バトン”を受け取った也哉子さん(撮影/村上雅裕)
内田也哉子 母・樹木希林から受け継ぐ「9月1日」への思い
 昨年9月15日、惜しまれながら亡くなった樹木希林さん(享年75)の一周忌が近づいている。 この1年間、樹木さんはこれまで以上に存在感を増したといってもいいだろう。死後、3本の映画が公開され、相次いで刊行された関連書籍はどれもベストセラー。生前に樹木さんから発せられた含蓄ある言葉の数々は死後もわれわれを奮い立たせた。 この8月には『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)が刊行された。娘・内田也哉子さん(43才)との共著だ。 9月1日とは、1年間で子供の自殺が最も多くなる日。政府がまとめた「自殺対策白書」(2015年)によると、過去約40年間を集計した18才以下の日別の自殺者は、8月前半には約30~40人程度で推移し、8月後半になるにつれて増加。8月31日には92人となり、9月1日が131人でピークとなる。 数年前にそのことを知った樹木さんは、ひどく心を痛めた。2014年、樹木さんは専門誌『不登校新聞』の取材を受け、それを機に、登校拒否・不登校を考える全国ネットワークが2015年に開催したトークイベントにも参加。9月1日の現実を知ったのはそのときだ。不登校経験者に向けて「ほかの人と比べない」「夢を叶えられなくても、挫折するのはバカバカしいことじゃない。方向を変えればいい」など、自分の言葉で「学校に行きたくない」気持ちをもつ子供たちやその親と向き合った。 昨年の8月には『朝日新聞』に、生きづらさを抱える人たちのために直筆でメッセージを寄せ、話題を呼んだ。 樹木さんの死後、初めて迎える「9月1日」。今年、そのバトンを受け取ったのが也哉子さんだった。 この本の第一部は、樹木さんが不登校の当事者やその親向けに行ったトークイベントの内容とインタビューをまとめたもの。第二部では樹木さんのこうした講演内容とともに、也哉子さんと不登校の当事者や経験者、識者のかたがたとの対話を収録している。 担当編集者の天野潤平さんによると、最初は也哉子さんに出版に対するためらいが見られたという。「当時は、樹木さん関連本の出版が続いており、内田さんのもとにも毎日のようにお母様に関する執筆依頼がきていたようです。心の整理がまだつかないと、率直な思いを語ってくださいました」 しかし、天野さんと電話で話していく中で、「9月1日問題」に対して也哉子さんの考えに変化が生じたという。「内田さんは、“母の心を最期まで捉えていた9月1日の現実を知りたい。こんな現実があることをそれまで知らずにいた自分にある種の悔しさを覚える。3児の母親としても無関心ではいられない。イチからこの問題を学ぶ旅に出たい”と逆提案してくださったのです」 一筋縄ではいかなかった親子。也哉子さんは樹木さんがいなくなってからより一層、樹木さんの存在を考えるようになった。「これは、内田さんが受け取ったバトンであったと同時に、彼女が母・樹木希林に出会い直す旅だったのではないでしょうか」(天野さん) 本の売れ行きは順調。だが、天野さんは也哉子さんと樹木さんの望みは、「本書が売れること以上に、9月1日に自ら命を絶つ子がいなくなることではないでしょうか」と言う。※女性セブン2019年9月12日号
2019.08.29 16:00
女性セブン
夫に相続しなかった樹木希林さん、友人に相続した加藤治子さん
夫に相続しなかった樹木希林さん、友人に相続した加藤治子さん
 複雑な相続のルール。その上、遺産をめぐって家族が仲違いする「争続」も少なくない。そんな中、家族や周囲の人たちと協力し、揉めない相続を実現した有名人の相続秘話を紹介する。 相続はややこしくて難しい。それゆえ素人には判断が難しいが、「さすが」という相続を見せたのが、昨年9月に亡くなった女優の樹木希林さん(享年75)だ。 樹木さんは若い頃から不動産に興味があり、20代前半で東京・大田区に戸建てを購入したことを機に不動産を買い進め、本誌・女性セブンが把握する限りでも都内に総額10億円はくだらない物件を所有していた。 それほどの資産があれば、死後に相続トラブルが起こりそうなものだが、彼女の準備は万全だった。「希林さんの死後、不動産は長女の内田也哉子さん(43才)と娘婿の本木雅弘さん(53才)、孫の伽羅さん(19才)などに速やかに名義変更されました。しかも伽羅さん名義のマンションは希林さんが亡くなる前に手続きされていました。これらは、希林さんが生前に入念な話し合いを行い、計画的に相続先を決めていたことの表れです」(内田家の知人) なかでも専門家が唸るのは、今年3月に樹木さんの後を追うように亡くなった夫の内田裕也さん(享年79)名義の物件を1つも残さなかったことだ。「もし裕也さんが相続したら、裕也さんの死後、子供らに多額の相続税がかかることを心配したのでしょう。希林さんの先見の明には驚くばかりです」(前出・内田家の知人) そんな樹木さんの親友だったのが、『七人の孫』『寺内貫太郎一家』(ともにTBS系)などのホームドラマで人気を博した女優の加藤治子さん(享年92)だ。 加藤さんは最初の夫と死別後に再婚するも離婚し、生涯子供をもうけなかった。母や姉は加藤さんが50代半ばになるまでに逝去し、天涯孤独の「おひとりさま」として世田谷の自宅で暮らしていた。そんな加藤さんの斬新な相続を『週刊現代』が報じ、注目を集めている。「彼女が相続先に選んだのは、5人の友人でした。加藤さんの個人事務所の代表取締役兼マネジャーのAさんと友人のBさん、遠縁のCさん、それにAさんの親友だったDさんと、2度目の夫の再々婚相手でありながら、友情関係で結ばれたEさんの5人です」 加藤さんを知る関係者はそう語っている。87才で乳がんになって「余命5か月」を宣告された加藤さんは、それ以降、遺産を大切な5人に渡すべく相続の準備を始めたという。「加藤さんは世田谷の一等地にある自宅を処分して、そのお金を5人で分割するよう定めた遺言書を作成しました。2015年11月に彼女が他界した後、遺言書に沿って自宅が売却されて5人にそのお金が振り分けられました」(前出・加藤さんを知る関係者) 単なる知人や友人が遺贈を受ける場合は、相続税が2割加算となる。だがそんな負担よりも、人生の最期に大切な人々への贈り物を準備する加藤さんの心遣いが、5人にはうれしかったはずだ。「おひとりさま」の高齢者が増えるこれからの時代に、加藤さんの見せた幸せな相続はひとつのモデルとなる。※女性セブン2019年8月22・29日号
2019.08.16 07:00
マネーポストWEB
本木雅弘夫妻、内田裕也さんの看病申し出るも“内縁妻”却下
本木雅弘夫妻、内田裕也さんの看病申し出るも“内縁妻”却下
 3月17日、肺炎のため内田裕也さん(享年79)が亡くなった。妻である樹木希林さん(享年75)の死から半年、後を追うような最期だったが、晩年の内田さんを公私ともに支えていたのは、女性マネジャーのAさんだった。 内田さんは樹木さんと結婚した1973年の1年半後、別居を始めた。その生活は40年以上にもおよぶが、そこで内田さんを支えたのがAさんだった。 Aさんが内田裕也オフィスの社長になったのは10年ほど前のこと。つねに内田さんのそばに寄り添い、周囲からは“内縁の妻”と見られていたという。 そんなAさんだったが、内田さんの長女である也哉子(43才)とその夫・本木雅弘(53才)との間にすれ違いがあったという。「最初の“事件”は裕也さんの闘病をめぐってのことでした。確かにこの1年、自宅で療養する裕也さんの面倒を見ていたのはAさんと音楽仲間でした。ただ、いよいよ今年に入り、裕也さんが肺炎、誤嚥性肺炎で入退院を繰り返すようになると、本木夫妻は自宅で24時間体制で面倒を見られるようにしてあげたいと申し出た。しかし、その提案をAさんは“私が見るから大丈夫よ”と却下。本木さんたちはそれ以上口をはさむことができなくなってしまった」(本木家の知人) 本木は3月22日の葬儀後に、「也哉子としては裕也さんに対する歯がゆさが残っていて、もっといいようにしてあげられたんじゃないかという後悔がある」と妻の胸中を明かしている。「生前はもめることも多かった父への複雑な感情もあったからこそ、裕也さんを自宅で看取りたいという思いがあった。内縁の妻というAさんの気持ちもわからなくはないが、まずは家族の心情を優先するのが当然のことだったのではないでしょうか…。 結果、裕也さんが亡くなったとき、本木さんは仕事でイギリスに滞在中。也哉子さんは連絡を受けて病院にかけつけたものの、最期には間に合わなかった」(前出・本木家の知人)◆出棺、遺影で起きたひと悶着 内田さんが亡くなった直後も、内田さんの「出棺」をめぐって本木夫妻とAさんはすれ違った。「本木さん夫妻はAさんの社長としての立場もあるだろうからと、初めはマスコミ対応なども含めAさん主導で進めることに同意していました。ただ、22日の葬儀の際に報道陣に出棺の様子を撮影させるかさせないかでひと悶着あった。Aさんは本木さん夫妻の意向とすり合わせないまま、報道陣に『出棺の撮影はできます』と伝えてしまっていたようです。 遺影についても当初は撮影許可が出ていたのですが、急きょNGに。こちらも本木さん夫妻とのコミュニケーションが不充分だったようです。 本木さん夫妻としては『近所迷惑にもなるので』と言葉少なに語るのみでしたが、いくら社長で、もし内縁関係だったとしても、遺族の意向を汲まないままそういったことを決めてしまうのは、Aさんの暴走ととられてしまうのも仕方がないのではないでしょうか」(前出・本木家の知人)※女性セブン2019年4月11日号
2019.03.29 07:00
女性セブン
内田裕也さん“内縁妻”と本木夫婦が「お別れ会」巡り衝突
内田裕也さん“内縁妻”と本木夫婦が「お別れ会」巡り衝突
 亡くなった内田裕也さん(享年79)のマネジャー・Aさんと、内田さんの長女・内田也哉子(43才)本木雅弘(53才)夫妻との間に大きな溝ができているという──。 その日の天候は、彼女の死に悲しみ暮れるかのような雨模様だった。半年前の9月30日。樹木希林さん(享年75)の告別式が東京・光林寺で行われ、多くの有名人が樹木さんに感謝の言葉を述べ、最後の別れを告げていた。そんな中、喪主の内田裕也さんは口を真一文字に閉じたまま、一言も発さなかった。 その内田さんの車椅子を、甲斐甲斐しく押す1人の女性。彼女は内田さんのマネジャーAさん。16年間、公私にわたり内田さんの身の回りの世話をしてきた。特に内田さんの晩年は家族よりも近くで彼を支え続けてきた。そんな彼女を内田さんの周囲は「裕也さんの奥さん」と呼んで──。 3月17日、肺炎のため内田さんが亡くなった。樹木さんの死から半年、後を追うような最期に、報道陣は内田さんの自宅に集まった。「Aさんは内田裕也オフィスの社長でもあります。Aさんは報道陣に、自宅には集まらないでほしいと伝えたうえで『22日に近親者のみで葬儀を行うこと』と『お別れ会は3月30日に大きな会場で行いますから』とアナウンスしました。でも、お別れ会の日程はすぐに取り消されたんです」(スポーツ紙記者) 22日に行われた内田さんの葬儀後、報道陣に対応したのが内田さんの長女・也哉子の夫・本木だった。「本木さんは会見で、Aさんが裕也さんの闘病に付き添い身の回りの世話をしてくれていたことにふれたうえで、お別れ会については『まだ決まっていない』とキッパリ言い切ったのです。そして実際、30日から4月3日に変更になりました。実は、Aさんのアナウンスが急きょ変更になった“事件”はこれだけではありません。今、本木さんら内田さんのご家族とAさんの間には大きな溝ができているようなのです」(前出・スポーツ紙記者)◆最期は自宅で看取りたかった 内田さんは樹木さんと結婚した1973年の1年半後、別居を始めた。その生活は40年以上にもおよぶ。家族がそろうのは年に1回の写真撮影だけで、年々、交流は少なくなった。そこで、内田さんを献身的に支えたのがAさんだった。「4年ほど前に裕也さんが体調を崩したときも家族を頼らず、Aさんのサポートを受けていました。Aさんが内田裕也オフィスの社長になったのは今から10年ほど前のことです。希林さんや本木さん、也哉子さんもAさんの存在は知っていました。Aさんは、今はセレブマダム風ですが、もともとファッション業界で活躍されていて有名なかたでした。いつも裕也さんのそばに寄り添って“内縁の妻”と見られていました」(芸能関係者) そして、「お別れ会」をめぐって事件が起きた。「当初はAさんと歌手の金子マリさん(64才)ら裕也さんの音楽仲間が中心になって『お別れ会』の準備を進めていました。もちろんその気持ちもわかります。裕也さんの交遊関係を把握しているのはAさんですから、本木さんもそこは任せるという気持ちだった。ただ、本木さんサイドや希林さんに近しい関係者のスケジュールなど事前の確認をしないまま会場を押さえて仕切りはじめてしまった。 任せたとはいえ、あまりに遺族を無視した進行にさすがの本木さんと也哉子さんも我慢の限界だったのではないでしょうか。『日程はまだ決まっていない』というのは大人の対応だったと思います」(前出・芸能関係者) 樹木さんが亡くなり、昨年11月に内田さんが体調を崩して以降、本木家と内田さんの交流の機会は増えていた。「也哉子さんは希林さんの遺品整理をしていて、裕也さんが希林さんにあてたラブレターを見つけました。『メシ、この野郎、てめぇ、でも、本当に心から愛しています』というあの有名な手紙です。それから裕也さんへの複雑な感情も関係も少しずつ変わっていった。闘病で後悔を残してしまった分、最後は娘としてきちんと見送りたいという思いもあるでしょう。 一方でAさんにしてみれば、“16年間、内田さんの面倒を見てきたのは自分だ”“自分こそが内田さんの家族だ”という思いもある。 こんなことでもめるのは裕也さんや希林さんの本意ではないだろうと、一度は本木さんサイドも口をつぐんだのでしょうが、なかなか相容れないのも仕方ないでしょうね。なんだか“火宅の父”である裕也さんらしい最後の事件のような気もしますが…」(音楽業界関係者) そんなもめ事を見越していたのか、生前の樹木さんはこんな手続きまで済ませていた。「生前、相続税節税を見込んで8軒の不動産の名義を本木さんや也哉子さん、お孫さんに変更しました。一方で、“私が死んでも、夫には遺産を渡さないわよ”と言っていました。“お金があったら、一晩で全部使っちゃうから”と、希林さんらしい言い方が印象に残っています。 ただ、その本音は夫に遺産を渡したくないというよりも、自分の裁量で財産を分配しておくことで、“内縁妻”のAさんと本木さん夫妻の間での相続争いを防ぎたかったのかもしれません。裕也さんの葬儀を行った自宅も、持ち主は也哉子さんに変更を済ませていました」(本木家の知人) 4月3日のロックンロール葬──。樹木さんなら「バカね」と笑いとばすのだろう。※女性セブン2019年4月11日号
2019.03.27 16:00
女性セブン
樹木希林さん 夫・内田裕也に財産を遺さなかった真意
樹木希林さん 夫・内田裕也に財産を遺さなかった真意
 先日の日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞は、昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)に贈られた。受賞につながった『万引き家族』など数々の作品で個性的な演技を見せた名女優は、同時に芸能界の「不動産女王」でもあった。「20代前半に東京・大田区に戸建てを購入したのをきっかけに、不動産による資産形成を進めていった。“芸能人は収入の保障が無いから、お金があるうちに不動産を買う”というのが持論でした」(芸能関係者) 確認できるだけでも、生前の樹木さんはかつて長女・内田也哉子(43)と一緒に暮らしていた地下1階、地上3階建ての自宅や、個人事務所が入るマンションの一室など、都内に計8つの物件を所有していた。「物件は高級住宅地に多く、土地も含めた不動産の評価額は、合計10億円以上と言われている」(芸能記者) 樹木さんの死後、不動産は、也哉子や娘婿の本木雅弘(53)の名義に書き換えられた。所有不動産の1つは、樹木さんが存命のうちに孫の伽羅(20)の持ち物になっていた。 2004年の乳がん発覚以降、転移と再発を繰り返し、「全身がん」状態だった樹木さんは、「自宅で看取ってほしい」と娘たちに伝えるなど、生前から着々と自らの“旅仕度”を進めていたようだ。不動産の相続についても、事前に入念な話し合いがされていたと見られる。 一般的な相続では、財産評価を経て死後10か月以内に遺産分割協議が行なわれる。登記等を確認する限り、樹木さんの場合、半年ほどですべてが済んでいるので、生前の取り決めに従ってスムーズに手続きが進んだことが窺える。◆「夫に財産は遺さない」 興味深いのは、樹木さんの夫・内田裕也(79)に一切の不動産が相続されていないことだ。50年近い結婚生活の大半が別居状態だった樹木さんと内田の関係は、一般的な夫婦と同じ物差しでは測れない。とはいえ法的には、配偶者の内田は遺産の半分を相続する権利を有する。 相続を考える上で重要なのは「二次相続」の問題をどう考えるかだ。高齢者の場合、遺産を相続した配偶者もそう遠くない将来に寿命を終える可能性が高い。そうなると、配偶者への一次相続時、その後の子への二次相続時と、短期間で2度の相続が発生し、相続税を二重に払わなければならないケースが出てくる。将来的には子から孫への相続時にも税金が発生する。 樹木さんの例では、仮に内田が不動産を相続し、内田の死後、也哉子らに相続するよりも、樹木さんから直接也哉子らに相続したほうが節税になる。「樹木さんは生前“私が死んでも、夫に遺産は遺さない”と宣言していた。樹木さん特有のユーモアと受け取られていましたが、子や孫たちの実利的な面にも配慮していたのではないか」(前出・芸能関係者)※週刊ポスト2019年3月22日号
2019.03.14 16:00
マネーポストWEB
不動産の相続 「共有名義」の放置はこんなトラブルを生む
不動産の相続 「共有名義」の放置はこんなトラブルを生む
 昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)は、都内に少なくとも8軒ものマンションや戸建てを所有する、芸能界屈指の「不動産王」だった。本誌・女性セブンが把握する限りでも、土地・建物合わせて、総額10億円はくだらない。 それほどの資産家だと、子供たちに多額の相続税が降りかかったり、遺産分割を巡って“争続”に陥ることも多い。「樹木さんの家族(内田家)の相続がスムーズに行われたのは、樹木さんが生前から計画的に相続先を決め、遺言書を残し、一部の資産は生前に家族に渡していたからでしょう」と言うのは、内田家の知人だ。 実際、死後半年も経たないうちに、娘の内田也哉子、娘婿の本木雅弘、孫の内田伽羅などに、速やかに不動産の名義を変更。なかでも、伽羅名義になったマンションは、樹木さんが亡くなる前に手続きされていた。「樹木さんは生前、“私が死んでも夫(内田裕也)には遺産を残さないわよ。あの人、お金があったら一晩で使っちゃうから”と、いかにも樹木さんらしい表現で、周囲に話していたそうです。その通りに、裕也さん名義の不動産は1つもないんです。もし裕也さんが相続したら、裕也さんの死後、子供たちに多額の相続税がかかることを心配したのでしょう」(前出・内田家の知人)「相続税なんて、よほどの富裕層だけ。ウチには関係ない」と思ったあなたは間違いだ。税理士の山本和義さんが話す。「2015年の制度改正で相続税の基礎控除額が引き下げられて、課税対象となる人が倍増し、都市部に持ち家がある会社員なども、対象となる可能性が高まりました」 実際、2017年度の課税件数は2014年度と比べて2倍に増えた。税理士の岡野雄志さんが話す。「相続税を回避するのに有効なのは、『生前贈与』しておくこと。なぜなら、相続財産をあらかじめ減らしておくことが何よりの相続税対策になるからです」 相続税対策だけではない。家族が笑顔で遺産を相続するためには、親族間のトラブルを未然に防ぐことが必要だ。生前なら本人の希望を家族に伝えられるし、家族も受け入れやすい。しかし、故人になってからでは親族がそれぞれの権利を主張して、対立するケースも多い。 また、生前に準備しておかないと、亡くなった瞬間に“消えてしまうお金”も存在する。その生前贈与と名義変更、死んでからではもう遅い──。◆不動産「共有名義」の放置は絶対にやってはいけない 現金ならば、何人の相続人がいても分けるのは簡単だ。株式だってそう。でも、不動産は分割できないから厄介だ。東京都在住の58才主婦・高松さんが話す。「埼玉でひとり暮らしをしていた父の死後、空き家になった自宅の相続手続きのため法務局に行くと、父と叔父の共有名義になっていることがわかりました。 持ち分は父が3分の2、叔父が3分の1。叔父は5年前に他界しており、本来は子供である従妹と従兄が手続きをするはずですが、放置していたようです。 家を3つに分けることはできないし、空き家をそのままにもできないので、自宅売却のため2人に話し合いを持ちかけましたが、何十年も連絡を取っていなかった上に、そもそも父と叔父は相性が悪かった。2人は『二束三文にしかならないなら売らない』の一点張り。手続きも面倒なようで名義変更にも応じませんでした」 結局、高松さんの話し合いは平行線のまま頓挫した。自宅は売却も解体もできず、固定資産税を支払って1年経つという。相続コンサルタントの曽根恵子さんが話す。「不動産の相続で最ももめやすいのが『共有名義』です。特に、高松さんのように兄弟間で共有名義にしていた場合はトラブルのもと。分け方が決まらないからと『一時しのぎ』で共有名義にすると、その後、何をするにも兄弟の合意が必要になります。 兄弟2人の間の意見の対立ならまだしも、不幸にも兄弟ともに亡くなってしまうと、その配偶者と子供たちが相続人になり、話し合いの当事者が一気に増え、収拾がつかなくなってしまいます」 共有名義にしがちなのは「きょうだい」だけではない。「もう亡くなっている祖父母や曾祖父母が共有名義のままになっているケースは多い。いざ相続手続きしようと、さかのぼればさかのぼるほど芋づる式に相続人が増え続け、相続人さえ確定できないケースもあります。無用な争いを避けるためにも、生前にどちらか一方の持ち分をもう一方が買い取るなどした上で、妻や子供に『生前贈与』で託しておくのが賢明です」(前出・山本さん) 不動産はどう生前贈与するとよいか。岡野さんが話す。「不動産は資産額が大きいため、贈与を受けるとそれだけ多額の贈与税がかかります。贈与税率は、相続税率よりも高いので、賢く特例や制度を利用した方がいいでしょう。そこで、一生涯で2500万円までなら贈与税がかからない『相続時精算課税制度』を活用するのが有効です。 贈与した人の死後に相続税が課される制度ですが、相続財産が少ない場合は、相続税の基礎控除額(3000万円+相続人×600万円)の枠に収まることが多い。その場合は活用するメリットが大きいのです」 不動産の名義変更をしなかったことで“争続”に発展しやすいのが、夫の前妻との間に子供がいるケースだ。「その場合、前妻の子供も相続人になります。遺産分割協議がまとまらないと、後妻は自宅に住み続けられなくなることもある。 そういう時は、『贈与税の配偶者控除』が有効です。通称『おしどり贈与』と呼ばれる特例で、2000万円までなら無税で自宅を生前贈与できます」(曽根さん) それらの特例が使えない場合は、家族がもめないよう遺言で相続人を明記し確定しておくことも有効だ。※女性セブン2019年3月14日号
2019.03.04 16:00
マネーポストWEB
宮沢りえ、安藤サクラ 希林さん告別式での喪服姿
宮沢りえ、安藤サクラ 希林さん告別式での喪服姿
 9月30日、東京・光林寺で樹木希林さん(享年75)の告別式が開かれ、たくさんの“おくりびと”が訪れた。 娘婿である本木雅弘(52才)は、樹木さんが今春余命宣告を受けていて、「内田家の墓がある寺を下見に訪れていた」と話した。 体調不良の父・内田裕也(78才)の代理で喪主を務めた内田也哉子(42才)は、「母の書庫から一通のエアメールを見つけ、“俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。メシ、この野郎、てめぇ。でも本当に心から愛しています”と書かれていたことに、許しがたい父と母のあり方へのわだかまりがスーッと解けていくのを感じたのです」と涙ながらに明かした。 家族から次々と明かされる秘話に葬儀に駆け付けた錚々たるスターたちも、もらい泣き。天国へ旅立つ樹木さんを盛大におくった。【参列者から一部紹介】・吉永小百合第2次世界大戦で亡くなった画学生の絵画を展示する美術館『無言館』を通して樹木さんとつながりがある吉永小百合。「何気なく、大事な人助けとか、平和に対すること、ヒョイとやれちゃう」とかつて語っていた。・安住紳一郎テレビ番組『ぴったんこカン・カン』(TBS系)で追悼企画を放送したところ話題に。司会者として樹木さんの自宅を訪問したり、市原悦子(82)と一緒に旅行した安住紳一郎も思い出に浸って…。・岸本加世子富士フイルムのCMなどで共演した岸本加世子。「ずっと希林さんにくっついて、毎日怒られて、毎日かわいがられ…。とにかく結婚しろ、貯金しろと…。結婚できませんでしたけど…」と目を伏せた。・浅田美代子「師であり、母であり、姉であり、友達でもあるので、メソメソしていると怒られそう。携帯の留守電メッセージも取っておきます」と、1973年の自身のデビュー作以来の仲の浅田美代子。・萬田久子チュニックスタイルのワンピ、帽子にベールをつけ、フィッシュネットのストッキングをはき、クロコダイルのケリーバッグを持った萬田久子の弔問スタイルは、あくまでもファッショナブル。・宮沢りえV6の森田剛(39)と再婚し、幸せな家庭生活を送っている宮沢りえ。ゆったりしたワンピにローヒールのアンクルブーツを合わせたユニークな喪服ファッションで…。・安藤サクラ映画『万引き家族』で共演し、「こういう役者がたくさん出てくるといい」と絶賛し、以来、娘のように接していた安藤サクラ。40年来の親交があり、2か月前にもNYで会ったジョン・レノン未亡人のオノ・ヨーコさん(85)からの手紙を代読した。※女性セブン2018年10月18日号
2018.10.06 07:00
女性セブン
樹木希林さん告別式で本木雅弘が明かした最期──全文掲載
樹木希林さん告別式で本木雅弘が明かした最期──全文掲載
 樹木希林さん(享年75)の告別式が9月30日、東京・光林寺で開かれた。娘・内田也哉子(42才)の夫である本木雅弘(52才)は、告別式の直前に囲み取材を受け、樹木さんの最期の様子を明らかにした。ここでは、本木雅弘が会見で話した全文を掲載する──。 * * * 家族としては落ち着いて振り返る暇が、心に余裕がまだない状態ですが、報道で皆さんがいろいろな形で取り上げてくださっているので、樹木さんの若かりし時代のことも含め、私たちが知らないエピソードがたくさん出てきて…なんだかまだ生きているような気分でいます。 正直いいますと、実は春のうちに余命宣告がされており、私たち家族もそのことと向き合いながら、また樹木さんご自身の哲学である“自然に朽ちていきたい”という強い思いがあったので、それを受け止めるのに、家族もちょっと時間がかかるところがあったんです。「今年1年もつかもたないか、場合によっては2~3か月ということもある」という話で、ある意味すがすがしくそれを語っておられて、「もうこれはハッキリしたから、いろいろと私も準備を進めるわね」という姿勢でした。(準備とは)樹木さん自身が、自分の体、仕事とどういうふうに向き合って決着をつけていくかということも含め、具体的に、「遺産のこともあなたたちが困らないようにきちんとする」「お葬式が私の好きな光林寺でできるかどうか確かめましょう」と。すぐに、私たちも一緒に下見に行き、確認して。「お葬式の内容は残された人たちのことだから、あなたたちが勝手にやってちょうだい。てゆーかこれ、私が先か裕也が先か、どっちかわからない話よ」とあっけらかんとしながらも、「あぁ、よかった。これでお葬式もできるのね。もうこれはオッケー、はい、次」というような感じで月日が進みまして。回復に向かいつつも、とても考えさせられる場面はありながらの1か月でした。 体が弱っていく中でも、樹木さんは“延命に繋がる治療はしたくない”と決めていたので、基本的には痛みを和らげる緩和ケアを中心に行い、薬の使い方もとてもデリケートに調整していただき、とにかく樹木さん自身が、正常な意識でいられる範囲内で治療していただきました。 もちろん私たちは、樹木さんが入院している1か月の間に早く家に戻してあげたいと思っていたのですが、現実的には繋がれている管の数が多すぎて、状況的にまだ家に帰せる状態ではないということが長く続きました。そういう中、ある日、也哉子が婦長さんに呼ばれて、「樹木さんが毎晩、“裕也さんに会いたい”とおっしゃってますよ」と。「えー、本当ですか!?」みたいな話があり、「もしあれでしたら、お会いになられた方がいいんじゃないですか」と言われまして。「これは複数の看護師が証言しています」ということだったので、樹木さんに確認したところ、「まぁ、そうよ。でもおうちに帰ってから暇になるから、そしたらみんなに会うわ」というふうに言っていたんですね。 そうこうしているうちに時間が過ぎまして、24時間の介護が必要な状況ではあったんですが、「もしかしたらそろそろ家にお帰りになった方が、次のチャンスがあるかわかりません」と言われました。也哉子がそのことを樹木さんに問いかけようと病室に戻ったら、ちょうどそのタイミングで、樹木さんの方から「私、帰るの」と切り出してきまして。そこから嵐のように準備をして、24時間の介護ができる状態を自宅に整えて、迎え入れました。「危険な状態なので、覚悟しながらの移動だと思ってください」と言われる状況の中で、無事に自宅に戻りました。でもそんな心配をよそに、樹木さんはとても穏やかに戻ってきて、準備も速やかに整って、本当にホッとして、「あぁ、帰ってきてよかった」と。 本当にその日は、いつもよりたくさんのブドウを口に含んで、孫の玄兎(次男・8才)が学校の友達と一緒にスマートフォンで「おかえり、ばぁば」とみんなで叫んでいるような動画を撮ってきたのですが、それを嬉しそうに眺めて…。浅田美代子さんも来ていましたし、和やかな時間を過ごしました。それで、也哉子も私も、「これで私たちも、やっと落ち着いて寝られるね」と。いつ病院から電話がかかってくるかという状態ではなくて、樹木さんはもう下の階にいるわけですから。樹木さんも、私たちがみんなでおしゃべりしているのを聞きながら、すぅっと寝入ったという感じだったんですね。 にもかかわらず夜中に、樹木さんのそばに付いているかたから、「ちょっと呼吸がおかしいから、いらしてください」と言われて…。(最期については)雅楽(長男・21才)が手を握って、もう一方の手を私がさすっていて、玄兎が頭をなでて、也哉子がずっと話しかけている。そして也哉子がスマートフォンを持って、まだアメリカにいて間に合わなかった伽羅(長女・19才)の顔をお互い見せながらという感じで。で、私がもう一つ別の電話で、裕也さんの声を聞かせているという、まさにみんなで囲んだ状態で。裕也さんはとにかく、「もしもし、もしもし、おい、しっかりしろ」と言って…。その「しっかりしろ」という声をかけられると、樹木さんは雅楽の手をギュッと握って、もう意識と体の状態が離脱しているという感じはあるんですけども、やはり声は聞こえているようで。そういう反応だということを実況すると、裕也さんが「ありがとう、ありがとう」と。そのうちに、だんだん呼吸の間隔が空いていって、本当に静かにスーッと消えていくという感じで…。 亡くなった翌日、裕也さんには、他のかたがまだいらっしゃっていない昼間のうちに、ゆっくり対面してもらいました。裕也さんはとにかく「きれいだ、きれいだ」と言って、そして、「昔から美人だと思ってたんだよ」と言って、みんなで笑いました。そんな調子で、裕也さんから「ちょっとビールをくれ」と言われたので、樹木さんの使っていた赤いグラスに入れてお渡ししたら、「献杯をさせてくれ」と言って、「天に静かに召されますように」と言って献杯していました。 裕也さんと樹木さんは本当にダイヤモンドの原石のように、ものすごく計り知れない純粋さを持っている。それと同時に、本当にふたりにしかわからない独特の距離感というか、情の通い方というか、認め合い方というのがあって…。そしてとにかく、病室であの樹木さんが、とても素直に、「裕也さんに会いたい」と言った発言と、そして、樹木さんの体が焼かれて骨になって、それを皆さんにお手伝いしていただいて骨壺につめて、いざ蓋を閉めようとした時に、裕也さんが「ちょっと待って」と、そろそろと支えられながら出てきて、顎の部分の骨を箸でひゅっと拾って、ハンカチに包んで、ポケットにしまっていました。 也哉子がこういった状況を見て「私自身は凄まじい環境、親子関係の中で育ってきたから、ある意味、私の存在っていうのが、なんとなく認められていなかったような複雑な気持ちがあった。それがある意味、こんなシンプルな、純粋な思いの間に私は生まれてきたのかなって、初めて安心できた」と言ったのを聞いて、本当に私自身も、「あぁ、こういう夫婦関係、こういう親子関係っていうのもありなんだな」と思いました。 とにかく樹木さんは、すべての人に対して、“常に何かをもたらしてくれる人”だったと思います。いつも率直に感想を述べて、チクリと問題提起して、一緒に考えて、でも相手に答えを急がせず、かつ放置することもせず…常に人間に寄り添っていくのがとても好きなかたでした。日常の中で、食事を一緒にしなくても洗い物をしてくれるとか、ふと見ると、私たちの3階のリビングに来て日向ぼっこをしていたり、読書をしていたり、「いただき物の横流しだけど、私食べられないからどうぞ」とか、「こんな面白い記事載ってたわよ」と切り抜きを持ってきたりとか、とにかくそういった日常が、もう二度とないのかなと思うと、ちょっと押し寄せるものがあるんですが…。ちょっと言葉がまとまりません。 棺桶の中には、浅田さんが「ばぁばが好きだったワインを」と言いながら、みんなで赤ワインで唇を濡らしました。玄兎は「ばぁば、よく生きたね」と言っていました。とにかく樹木さんは「子供に育ってもらいたい。死に様も含めて見てもらいたい。それが私の願いだ」と言っていたので、8才の子供にも、死にゆく姿も含めて見せられたから、きっと満足しているんじゃないかと、思いたいですね。※女性セブン2018年10月18日号
2018.10.05 11:00
女性セブン
樹木希林さん告別式、どのように進んでいったのか
樹木希林さん告別式、どのように進んでいったのか
 9月30日、東京・光林寺で樹木希林さん(享年75)の告別式が開かれた。ミステリアスな魅力を持つ樹木さんだが、この日、娘夫婦によってその純粋さと気高さが明らかにされた。その生き様、心意気、残した言葉は私たちの人生をも変える。 嵐の直前の東京には、午前中から湿気を含んだ重たい空気が立ちこめている。その陰鬱さをかきわけるようにして、多くの芸能人が最後の別れを告げようとしていた。 彼らは、遠巻きに見守るファンの前を通り、一人ひとり、本木雅弘(52才)、内田也哉子(42才)夫妻と3人の子供らと言葉を交わしてから、本堂へと入っていく。その本堂の祭壇には、樹木さんが慈愛に満ちた微笑みを浮かべる遺影が掲げられていた。 告別式が始まり、読経が終わると、橋爪功(77才)がマイクの前に立った。樹木さんの出演した映画『万引き家族』の是枝裕和監督(56才)の弔辞を代読するためだ。是枝氏は『万引き家族』の公開挨拶日のことをこう綴っていた。《私の腕につかまりながら杖をついて壇上にのぼったその日、別れ際にこう言いました。“もうおばあさんのことは忘れて、あなたはあなたの時間を若い人のために使いなさい。私はもう会わないからね”》 すすり泣く声が響く中、参列者はじっと耳を傾ける。 橋爪に続いてマイクの前に進んだのは、その『万引き家族』でも共演していた安藤サクラ(32才)だ。海の向こうで新しい夫婦のあり方を模索してきたオノ・ヨーコ(85才)からの弔電を代読した。《樹木さん、このあいだニューヨークでお目にかかったばかりなのに、あっという間に旅立ってしまわれ、本当に残念です》 こう始まる言葉は途中から、残された内田裕也(78才)に向けられた。《どうせ死んでしまうんだからなんて思わないで》《ほかの人のためにも自分を大事に》。そうした言葉を、車椅子に座った内田は身じろぎもせず聞いていた。 この日、喪主の内田は一言も発していない。結婚後わずか1年で別居し、しかし、死がふたりを分かつまで夫婦であり続けた関係と同じように、どこかつかみどころのない感情が、胸の中を去来しているのだろうか。 内田が自席で焼香を終えると、本木と也哉子、3人の関係者、橋爪と吉永小百合(73才)が順に祭壇で焼香。その後、廻し焼香が始まった。それが終わる頃、喪主に代わり、也哉子が挨拶に立った。 暴れる内田を本木が殴って戒めたなどの“秘話”を明かしながら、母親不在の今後を憂いて、樹木さんに言われたこの言葉を胸に秘める。《おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい》 本木は告別式の直前に囲み取材を受け、樹木さんが孫に囲まれ、電話の向こうから「しっかりしろ」と「ありがとう」を繰り返す内田の声を聞きながら、安らかに亡くなったという「最期の時」を明かした。 也哉子の挨拶が終わると本堂の参列者が帰路につく。1人ずつ、祭壇に手を合わせ、遺族に一礼して帰って行く。 浅田美代子(62才)は誰よりも深く一礼。中居正広(46才)は遺族に一礼すると息を吐き、祭壇の樹木さんをじっと見つめた後、手を合わせた。薬丸裕英(52才)は祭壇に手を合わせた後、去り際に本木と目を合わせ、エールを送るようにうなずいた。 本木夫妻は1000人を超えるファンによる焼香が終わるまで、その場に居続けた。挨拶で也哉子は内田家を“奇妙な家族”と表現していたが、この日、家族の絆はさらに深まった。※女性セブン2018年10月18日号
2018.10.05 07:00
女性セブン
樹木希林さん告別式 内田也哉子の喪主代理挨拶全文掲載
樹木希林さん告別式 内田也哉子の喪主代理挨拶全文掲載
 女優・樹木希林さん(享年75)の告別式が9月30日、東京・光林寺で開かれた。喪主である夫・内田裕也(78才)は、車椅子に乗って参列したが、この日、一言も発することはなかった。そして、喪主に代わって挨拶をしたのが、娘の内田也哉子(42才)だった。ここでは、也哉子の喪主代理挨拶を全文掲載する──。 * * * 本日は足元の悪い中、大変お忙しい中、母・内田啓子の本葬儀にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。私にとって母を語るのに、父・内田裕也をなくしては語れません。本来なら、このような場で語ることではないのかもしれませんが、思えば、内田家は数少ない互いへのメッセージ発信をいつも大勢のかたがたの承認のもとに行っていた“奇妙な家族”でした。また生前母は、恥ずかしいことこそ人前でさらけ出すというやっかいな性分だったので、皆様が困らない程度に少しお話しさせてください。 私が結婚するまでの19年間、うちは母と私の2人きりの家庭でした。そこにまるで、象徴としてのみ君臨する父でしたが、何をするにも私たちにとって大きな存在だったことは確かです。 幼かった私は不在の父の重すぎる存在に、押しつぶされそうになることもありました。ところが困った私が、なぜこういう関係を続けるのかと母を問い詰めると、平然と、“だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるから”と私を黙らせるのです。自分の親とはいえ、人それぞれの選択があると頭ではわかりつつも、やはり私の中では永遠にわかりようもないミステリーでした。 ほんの数日前、母の書庫で探しものをしていると、小さなアルバムを見つけました。母の友人や、私が子供の頃に外国から送った手紙が丁寧に貼られたページをめくると、ロンドンのホテルの色あせた便せんに目が留まりました。それは母がまだ悠木千帆と名乗っていた頃に、父から届いたエアメールです。《今度は千帆と一緒に来たいです。結婚1周年は帰ってから二人きりで。蔵王とロサンゼルスというのも、世界中にあまりない記念日です。この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。突き詰めて考えると、自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです。ロックをビジネスとして考えなければならないときが来たのでしょうか。最近、ことわざが自分に当てはまるような気がしてならないのです。早くジレンマの回答が得られるように祈ってください。落ち着きと、ずるさの共存にならないようにも。 メシ、この野郎、てめぇ、でも、本当に心から愛しています。 1974年10月19日 ロンドンにて 裕也》 今まで想像すらしなかった、勝手だけれど、父から母への感謝と親密な思いが詰まった手紙に、私はしばし絶句してしまいました。普段は手に負えない父の、混沌と、苦悩と、純粋さが妙に腑に落ち、母が誰にも見せることなく、それを大切に自分の本棚にしまってあったことに納得してしまいました。そして、長年、私の心のどこかで許しがたかった父と母のあり方へのわだかまりがすーっと解けていくのを感じたのです。こんな単純なことで、あれほど長年かけて形成された重いかたまりが溶け出すはずがないと自分に呆れつつも、母が時折、自虐的に笑って言いました。私が他所から内田家に嫁いで、本木さんにも内田家をついでもらって、みんなで一生懸命家を支えているけど、肝心の内田さんがいないのよねと。 私が唯一親孝行できたとすれば、本木さんと結婚したことかもしれません。時には本気で母の悪いところをダメ出しし、意を決して、暴れる父を殴ってくれ、そして、私以上に両親を面白がり、大切にしてくれました。何でもあけすけな母とは対照的に、少し体裁のすぎる夫ですが、家長不在だった内田家に、静かにずしりと存在してくれる光景はいまだにシュールすぎて、少し感動的でさえあります。けれども、絶妙なバランスが欠けてしまった今、新たな内田家の均衡を模索するときが来てしまいました。 怖気づいている私はいつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』 まだたくさんすべきことがありますが、ひとまず焦らず家族それぞれの日々を大切に歩めたらと願っております。生前母は密葬でお願いと私に言っておりましたが、結果的に光林寺でこのように親しかった皆さんとお別れができたこと、またそれに際し、たくさんのかたがたのご協力をいただく中で、皆様と母との唯一無二の交流が垣間見えたことは残された者として、大きな心の支えになります。 皆様、お一人おひとりからの生前の厚情に深く感謝しつつ、どうぞ今後とも故人同様、おつきあいいただき、ご指導いただけますことをお願い申し上げます。 本日は誠にありがとうございました。※女性セブン2018年10月18日号
2018.10.04 11:00
女性セブン
樹木希林さん がん発症から14年、生き抜いた秘密
樹木希林さん がん発症から14年、生き抜いた秘密
 家族に見守られながら、9月17日、樹木希林さん(享年75)が出棺の時を迎えた。位牌を持ったひとり娘の内田也哉子(42才)は一点を見つめ、娘婿の本木雅弘(52才)は神妙な面持ちで手を胸の前に当てた。孫の伽羅(19才)が遺影を持ち、UTA(20才)と玄兎くん(8才)も毅然とした態度で最後の別れをした。 妻の最期を看取れなかった内田裕也(78才)も、家族葬に参列。喪服の左胸には、「HOW ABOUT NO?(ありえない)」の缶バッジがつけられていた。約40年別居していた夫婦のカタチがそこに見えた。 樹木さんが亡くなったのは15日の深夜2時45分。前日に入院していた病院から自宅に移り、也哉子と本木に看取られた。 樹木さんは8月13日に左大腿骨を骨折し、手術を受けていた。8月末、本木は「全治6週間」と説明した。 樹木さんは9月4日に行われた、高円宮久子妃殿下(65才)も臨席される映画『日日是好日』のプレミアム試写会への出席を“最後の外出”の覚悟で切望していたが、それも断念せざるを得なかった。「出席できなかった樹木さんは直筆メッセージを寄せました。それに感銘した久子さまは樹木さんのパネルとの撮影をお願いし、その集合写真は樹木さんに届けられました。寝たきり状態で、体の至るところがチューブでつながれている状態だった樹木さんは喜んだそうです」(映画関係者) 樹木さんの闘病生活の始まりは、2004年の10月だった。右乳房にしこりを発見し、医師から乳がんを告知された。翌年1月、右乳房の全摘出手術を受けた。当時、樹木さんは、「(乳房を)残す方法はあったけど、水着を着たいとか恋人のためという気持ちはなかったから。それなら全摘がいちばん手術をやりやすいと言われたの」と、あっけらかんと語っていた。「その後、医師や家族から女性ホルモン剤をのむように言われ、イヤイヤのんでいた。しかし、それをきっぱりやめ、以降は放射線治療を受けていました」(芸能関係者) しかし、2年後の2007年に切除した右乳房の近くに再びがんが見つかる。その頃、樹木さんが出合ったのが、「四次元ピンポイント照射療法」という世界最先端の放射線治療だった。「がんに放射線を立体的に当てる『三次元照射』に、“時間軸”を加えたのが『四次元ピンポイント照射療法』です。体は呼吸などで常に動いており、完全に静止できない。この『四次元~』なら、がん細胞だけを狙い撃ちにするため正常な細胞を傷つけることが少なく、体への負担が軽いといわれています」(医療法人社団進興会理事長の森山紀之医師) 全国で唯一その治療を行っている鹿児島空港から車で40分ほどのところにある『UMSオンコロジークリニック』(以下、UMS)に、樹木さんは通い始めた。 放射線照射は1日10分程度だが、1か月間継続しなければならないため、滞在費用の負担も大きい。治療費も『UMS』のホームページによれば通常1回150万~250万円ほどの自由診療となる。年間300万円を超すと低額で受けられるようになり、500万円を超えるとそれ以降は無料になると説明されている。◆周りを笑わせるユーモアもあった『UMS』と出合った樹木さんは一時、「乳がんが消えた」と公表できる状態にまで回復。しかし、2012年頃に副腎や脊髄への転移が発覚した。2013年3月に行われた日本アカデミー賞授賞式での「私は全身がんですから。来年の仕事は約束できないんですよ」という発言は世間を驚かせた。「当初、照れ隠しのジョークのように受け取られましたが、“がんと生きる”ことの宣言だったのでしょう。樹木さんはがんが大きくなったら、そのつど『UMS』に通って治療を繰り返していました。抗がん剤治療は苦しく、通常の日常生活を営むのは困難ですが、樹木さんは“私の治療法だと、生活の質は全く落ちなかった”と話していました」(樹木さんの知人) その言葉通り、樹木さんはがん闘病をしながら、数々の映画に出演し続けた。時に「死ぬ死ぬ詐欺」と自嘲する姿は“闘病”のイメージとは程遠かった。もちろん治療法が彼女に合っていたことも要因の1つだろうが、そうした樹木さんの姿勢もまた、彼女が長く生きられた理由の1つだという。『医者に宣告されたら知っておきたい がん克服の7カ条』(徳間書店刊)の著者で、精神科医の西脇俊二さんが説明する。「ストレスはがんの原因になるといわれていますが、がんを治療する際にも悪い影響を与えます。がんに対して過剰に不安になってしまったり、“絶対に治すんだ”と気合を入れすぎると、緊張が高まって交感神経が優位になって免疫力が落ちてしまう。 免疫力はリラックスして副交感神経が優位になっている時によく働いてくれるのです。樹木さんは、ご自身が重篤な状態であっても仕事を続け、私たちが見る限りは平常心を保ち、周りを笑わせるようなユーモアを示しておられました。このようなリラックスした状態が、がんの進行を遅らせていたのではないかと思います」 西脇さんによれば、笑うこと自体も、がんに効果があるという。「『笑療法』という治療法もあるように、笑って過ごすことはとても大切です。それでがんが消えたという話もあるほどですから。そんなに笑えないというかたは嘘笑いでもいいし、ニコッとするだけでもかまいません。笑うと免疫のコントロール機能を司っている間脳が作動し、がん細胞を攻撃するNK細胞が活性化するといわれているからです」 樹木さんは2016年12月、本誌のインタビューで、《これからはがんや病気と一緒に生きていく時代ですよ》と答え、自身のがん闘病についてもこう語っていた。《大丈夫じゃないけど、だいたい、これ(がん)をやっつけようとかって思わないのよ。「がんと真剣に向き合って」とかも思わない》 乳がん発症から14年、樹木さんはがんに克ったといっていいだろう。※女性セブン2018年10月4日号
2018.09.21 07:00
女性セブン

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「不倫路チュー」「USBは穴に…」失言・不祥事で落選しても比例復活するゾンビ議員たち
週刊ポスト
注目を集めるNHK吉岡真央アナ
「ポスト和久田麻由子アナ」候補のNHK吉岡真央アナ 替え歌ダンスで“キャラの強さ”際立つ
週刊ポスト
前田敦子と篠田麻里子の女子会姿をキャッチ
前田敦子、篠田麻里子と六本木で4時間半女子会 元夫・勝地涼との関係は良好に
女性セブン
謎めいたバッグを持つ広末涼子
広末涼子、“破壊力強すぎ”コーデは健在「背中に蜘蛛」私服に続き目撃された「謎バッグ」
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
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