八千草薫一覧

【八千草薫】に関するニュースを集めたページです。

日本映画のじわりと染み入る「辞世の言葉」を紹介/(C)「痛くない死に方」製作委員会
映画に学ぶ辞世の言葉 『父と暮らせば』『天国までの百マイル』ほか
 死の間際に残す言葉には、その人の人生が凝縮して現われるという。銀幕の世界では、戦争や任侠などの華々しい死ばかりでなく、認知症や闘病生活の末の、一般的な暮らしの中にある死が描かれることも決して少なくはない。 しかし、映画の中で最後の別れの言葉に「名言」とされるセリフはあまり見当たらないと話すのが、映画評論家の寺脇研氏だ。「洋画では『愛している』という言葉がよく使われます。しかし、日本ではどんなに家族や恋人を大切に想っていても『愛している』はめったに使いません。言葉ではなく、まなざしや仕草などで伝える以心伝心のような描写が日本映画には多いのです」(寺脇氏) ストレートではない分、「心にじわりと染み入るセリフが多いのが日本映画なのです」と言う。いずれ誰もが迎える「死」。あなたなら、どんな言葉を残したいと思うだろうか。寺脇氏が、数ある映画の中から心にじわりと染み入る「辞世の言葉」を紹介する。「一度だけ 浮気しました 許せ妻」『痛くない死に方』(2021年、渋谷プロダクション)より監督:高橋伴明 出演:柄本佑、余貴美子、宇崎竜童【あらすじ】在宅医師の河田仁(柄本佑)は、判断ミスから末期がん患者を苦しみながら死なせてしまったことで自分を責める。その2年後、河田は再び末期がん患者の本多彰(宇崎竜童)を担当することになった。「自分の意思を尊重できる最期を在宅医とともに求めていく物語。最期に残した俳句には、口では言えない、飾りっ気のない自分が表現されています。それを『知ってましたよ』と笑って許せる奥さんも素敵です」(寺脇氏)「人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが」『父と暮せば』(2004年、パル企画)より監督:黒木和雄 原作:井上ひさし 出演:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信【あらすじ】昭和23年の広島。図書館で働く美津江(宮沢りえ)は、原爆から生き残ったことに負い目を感じていた。そこへ原爆で死んだはずの父・竹造(原田芳雄)が魂となって現われ、娘を癒やし、前向きに生きさせようと語りかける。「原爆は一瞬で多くの命を奪い去った。最期の言葉を残す時間すらなかった人たちにとって、この言葉は今を生きる人たちに、そして自分の子や孫、ひ孫にまで伝えたい言葉でもあると思います」(寺脇氏)「お母ちゃん、たぶん死ぬだろうけど、息が上がる時に、こうして手を握っててほしいの。救急車の中でも、病室でも、手術室でも」『天国までの百マイル』(2000年、日活)より監督:早川喜貴 出演:時任三郎、八千草薫、大竹しのぶ【あらすじ】バブル崩壊で会社と妻子を失い、さえない日々を送る城所安男(時任三郎)。そこへ、母・きぬ江(八千草薫)が入院したとの知らせが入る。母を救いたい一心で、安男は名医のもとへ母を連れていく決意をする。「主人公は、兄や姉は立派に巣立っているが、自分一人だけ落ちこぼれというコンプレックスを持っています。しかし、息子への母の愛は少しも変わりません。死の恐怖に立ち向かう気持ちと、息子への愛情とが混じった言葉です」(寺脇氏)「ええ一生じゃった」『あの、夏の日 とんでろじいちゃん』(1999年、東映)より監督:大林宣彦 出演:小林桂樹、厚木拓郎、勝野雅奈恵【あらすじ】認知症が始まりかけた祖父(小林桂樹)の面倒を見るために、小学5年生の由太(厚木拓郎)は夏休みの間、尾道を訪れることに。祖父と過ごす日々は不思議なことの連続で、由太は少しずつ変わり始める。「孫に『死ぬとどうなるの?』と聞かれ、『死んだことがないから分からん』と答えた祖父は、生きていた頃のことはよく覚えていると昔を思い出し、いい一生だったと振り返ります。なかなか言える言葉ではありません」(寺脇氏)「そぉかぁ。そーれーぞーれーだぁーなー」『石内尋常高等小学校 花は散れども』(2008年、シネカノン)より監督:新藤兼人 出演:柄本明、豊川悦司、大竹しのぶ【あらすじ】売れない脚本家の山崎良人(豊川悦司)は、かつての恩師である市川義夫(柄本明)の定年祝いを兼ねた同窓会に出席し、30年ぶりに恩師や旧友らとの再会を果たす。その数年後、恩師が脳梗塞で倒れたとの知らせが入る。「市川先生はもう、ろれつがまわっていません。先生はふと『蟹はなぜ横に歩く』と哲学的な問いを投げます。山崎の答えは、『生き物も人間もそれぞれです』。師弟という関係から、もっと距離の近い関係になった瞬間として描かれています」(寺脇氏)取材・文/小野雅彦※週刊ポスト2021年6月11日号
2021.06.03 16:00
週刊ポスト
田中健が俳優を始めたときの思い出を語る
「健ちゃん、大丈夫?」 田中健が振り返る八千草薫さんの思い出
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏による、週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、歌手としてデビューした田中健が俳優を始めたときの思い出について紹介する。 * * * 田中健は高校卒業後に福岡から上京、一九七二年に歌手デビューする。「卒業してすぐ食べられる道が音楽でした。高校時代からグループサウンズをやっていて、ヤマハのライト・ミュージックという九州のコンテストで優勝したりしていたんです。それで、それなりの知名度はありました。 大学に行かず、面接を受けなくても食えるのがバンドだった。当時はバンドを掛け持ちすると、大卒初任給が四万円くらいの時代に十万くらい取れていました。悪い仕事じゃなかった。 そんなことをしているうちにスカウトされました。アイドル歌手で、という話で。二十一歳でデビューして、西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさんの新御三家が同期ですね」 俳優としてのデビューは七四年のテレビドラマ『春のもつれ』(日本テレビ)だった。「デビューから少しして、事務所が倒産してしまったんです。それで行く道がなくなり、博多に帰ろうと荷造りをしていたらコロムビアのディレクターさんから電話があって、凄く心配してくれたんです。その方が斎藤耕一監督を紹介してくださって。斎藤監督は『お前、映画をやったら』と言うんです。そんな道があったのかと思いました。これで博多に帰らないで済む、東京に残れると。一回デビューしておいて戻るというのは、嫌なものですから。 それからは斎藤監督の元の奥様が青山でやっている店で弾き語りをやりました。そこには作家やプロデューサーや監督さんが多く来ていて、それで仕事が入るようになった。 最初にセリフのある芝居をした相手は八千草薫さんでした。あまりに僕が下手なものだから、大変ご迷惑をおかけして。 以来、八千草さんにはずっと頭が上がりません。会う度に『健ちゃん、大丈夫?』という顔をして。いつも温かい目で見ていただきました。 その後の『俺たちの旅』では親子役でしたが、その時の感じを引っ張っているので、本当の親子みたいな感じが出ていたのかもしれません」 同年は映画『サンダカン八番娼館 望郷』(熊井啓監督)にも主要な役柄で出演している。「演技の基礎は何もないし、映画のことは何も知らないのに、オーディションは受かるんです。熊井監督のことすら、よく知りませんでした。 あの時は、高橋洋子ちゃんの演じる娼婦の恋人役でしたが、彼女が何人も客をとって疲れて倒れたのを見て『チクショウ!』と叫ぶ場面があるんです。これが言えなくて。魂が入っていない。それで、二十三回も熊井監督からNGが出ました。あまりにセリフが甘い、と。 仕方ないので、後でオンリー(セリフの音だけを録る)になったんです。それも五十回くらいかかりました。 それなのに、今度はその撮影中に東宝の『青春の門』のオーディションがあって、『サンダカン』の衣装のまま行ったら、受かっちゃった。それで、『こいつを育てて売っていこう』というラインに乗ったわけです」【プロフィール】春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社刊)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。撮影/藤岡雅樹※週刊ポスト2021年4月16・23日号
2021.04.11 15:43
週刊ポスト
木村佳乃と吉田羊
不倫ドラマの歴史 かつて妻の不貞は「よろめき」と呼ばれた
 不倫に溺れていく3人の母たちの姿を描くドラマ『恋する母たち』(TBS系)が初回視聴率10%を超え、放送後に「金妻(『金曜日の妻たちへ』TBS系、1983年)の再来みたい」「次回が待ちきれない」などと主婦たちの熱狂を呼んでいる。 原作は『東京ラブストーリー』などを描いた漫画家・紫門ふみ氏。脚本を『セカンドバージン』(NHK、2010年)の大石静氏が担当する“本格派不倫ドラマ”だけに、期待値が高いようだ。 第1話から、いきなり“道ならぬ恋”の情事の場面が。名門高校に通う息子を持つ木村佳乃(44・石渡杏役)が、夫が駆け落ちした不倫相手の夫・小泉孝太郎(42・斉木巧役)と吸い込まれるようにラブホテルへ。 第2話ではママ友の仲里依紗(31・蒲原まり役)が、人気落語家の今昔亭丸太郎(阿部サダヲ・50)と濃厚なキスを交わしてしまう。同じく2人のママ友である吉田羊(林優子役)は、部下の若い男性に「あなたの欠点は結婚してることです」と告白される。テレビ解説者の木村隆志氏はこう語る。「真面目で清純、不倫と縁遠く見える木村佳乃が、小泉孝太郎とラブホテルで体を重ねるとき、『怒りとか悲しみが性欲に変わる瞬間がある』というセリフに、女性の内に秘めた欲情を垣間見るようでドキッとさせられます。 キャリアウーマンを演じる吉田羊が、年下男に口説かれた後、“女の顔”になっていく様や、夫とのセックスレスに悩まされている仲里依紗がぐいぐい迫る人気落語家に次第にほだされていく様など、今後もそれぞれ趣の違う濃密なラブシーンが期待できそうです」あの“お嫁さんにしたい女優”が これまでにも名だたる女優たちが「背徳の妻」を演じてきた。 先駆けとなったのは後に大河女優(『竜馬がゆく』1968年、『天と地と』1969年)となる川口敦子(87)。1961年に三島由紀夫原作の『美徳のよろめき』(フジテレビ系)で、不倫相手と官能に目覚めていく上流階級の人妻・倉越節子を演じた。 まだ「不倫」という言葉がなかった時代。このドラマをきっかけに妻の不貞は「よろめき」と呼ばれるようになる。「川口さんは整った顔立ちで“清楚で品の良い奥様”そのものだった。そんな彼女が夫以外の男に身を委ねていくなんて……。当時としては“まさかの展開”でしたよ。自分はウブな学生で、毎回、あたふたしながら見てました」(70代男性) 夫の友人との不倫にショックを受け、自らも背徳の関係に陥る妻・槇田むつ子を演じたのは、『さよならの夏』(日本テレビ系、1976年)の岩下志麻(79)だ。夫の不倫相手の子供の家庭教師に恋心を抱かれ、ついに体を許してしまう岩下。そして友人同士の2つの家庭内で、泥沼の関係が展開していくのだ。 岩下といえば、映画『極道の妻たち』(1986年)で見せた凄味のある演技が印象的だが、『さよならの夏』では、夫の浮気に傷つき、いけないと思いながらも、肉体関係を続けてしまう若妻の瑞々しい色香を漂わせていた。 当時はまだ珍しかった不倫ドラマのなかでも、世間に最も大きな衝撃を与えた作品といえば『岸辺のアルバム』(TBS系、1977年)の八千草薫だろう。 洋裁の内職で家計を補い、2人の子供を育ててきた専業主婦の田島則子(八千草)は、一見平穏な日常を送っていた。だが、ある日突然、謎の男・北川徹(竹脇無我)から電話が入り、彼女の心は大きく揺らぐ。男は「あなたの美しさに惹かれた」といい、則子に浮気を“提案”する。「この電話を切ってもいつもと同じ日常があるだけじゃないか」 と言葉巧みに説得され、迷いながらも男に会った八千草。流れにまかせて渋谷のラブホテルに入っていくシーンに、「まさか」と思った男性ファンは少なくない。作家の関川夏央氏もそのひとりだ。「貞淑を絵に描いたような八千草薫さんが、ラブホテルで密会を重ねるという描写は衝撃的だった。さらに、当時のメディアが美や性的な対象として取り上げていたのは20代などの若い女性ばかり。そんな時代に、『岸辺のアルバム』では40代の熟した女性の美と魅力に焦点を当てた。当時の八千草さんの実年齢は46歳。このドラマ以降、40代以上の性愛や不倫を描くのも珍しくないような流れができたように思います」 八千草は後に、雑誌の対談でこう語っている。「いざ演じ始めたら、自分でも不思議なくらい則子の気持ちが理解できるようになっていきました。浮気であろうが、相手を好きになるということに変わりはないんですものね」(『週刊現代』2013年9月21・28日号) 八千草本人のこの言葉も、ファンにとっては衝撃だっただろう。 清純派女優としての活躍に、『クイズダービー』(TBS系)で“三択の女王”と称された知的なイメージが加わって、「お嫁さんにしたい女優No.1」と言われていた竹下景子(67)。『そっとさよなら』(日テレ系、1979年)では、周囲の反対を押し切って妻子ある男性との愛に突き進む小学校教諭・柚木律子を演じ、話題を呼んだ。「あの竹下さんが自ら妻子ある男に抱かれにいくシーンは衝撃的。“やめろ~!”と心の中で叫びましたよ」(60代男性)※週刊ポスト2020年11月20日号
2020.11.12 11:00
週刊ポスト
故八千草薫さん、一周忌前に3億円豪邸が解体 背景に相続税
故八千草薫さん、一周忌前に3億円豪邸が解体 背景に相続税
 自分が死んだ後の不動産について、悩みを抱える人は多い。夫も子供もいないとなれば、なおさらだ。昨年亡くなった女優・八千草薫さん(享年88)もまた亡くなる前に、長年過ごしてきた東京・世田谷の豪邸に考えを巡らせ、遺言書に思いをつづっていた。しかし──。 ミシミシ、バリバリバリ──10月中旬のとある日、東京・世田谷区の閑静な高級住宅街に、轟音が響いた。 重機が住宅の塀を壊して敷地に入り、邸宅を容赦なく破壊していく。ここに建っていたのは、瀟洒な戸建て。150坪もの敷地に広がる庭には桜や金木犀が植えられ、メダカやオタマジャクシなど小さな生き物の生をはぐくむ池もあり、土地だけでも3億円もの資産価値がある。大きな家が多いこのあたりでも、特に目を引く豪邸だった。近隣の住民が残念そうに話す。「この家は、八千草さんが生前お住まいになっていた家なんですよ。亡くなった後、ずっとそのままだったのですが、ついに取り壊しが始まってしまいましたね。まだ一周忌前というのに随分早いな……何か事情があるんでしょうか」 昨年10月24日に88才で亡くなった八千草さん。2018年にすい臓がんと診断され大手術を受けるも、その後は自宅に戻って療養を続けてきた。「一時期は、懇意にしていた脚本家の倉本聰さんの案内で北海道・富良野を訪れるほど回復したのですが、昨年突然体調を崩されて入院。そのまま帰らぬ人となってしまったのです」(八千草さんの知人) 八千草さんの夫で映画監督の谷口千吉さん(享年95)は2007年に他界。子宝には恵まれなかったものの、おしどり夫婦として知られていた。「実は八千草さん、亡くなる直前に遺言書を書いていたんですよ。ひとり身ですし、きょうだいもいないので、自分が亡くなった後のことを気にしていたのでしょう。遺言書には、アクセサリーやバッグなどを知人に形見分けすること、“自宅をそのままの形で残してほしい”といった旨がつづられていたんです」(前出・知人) 愛する伴侶と過ごした思い出がつまった家を残したい──それは、八千草さんの最後の望みだった。この願いをかなえるため、彼女自身も生前からさまざまな方法を思案していたという。「世田谷区に寄贈することも考えたそうですが、“更地なら”という条件だったそうで、断念せざるを得なかったそうです。最終的に、“いちばん迷惑が掛からない方法で”と選択したのが、お世話になったかたたち3人に遺贈することだったんです」(前出・知人)自宅の登記簿を見ると、今年2月、3人に遺贈の手続きが取られていた。そのうち2人は、八千草さんと谷口さん、それぞれの遠戚にあたる人、もう1人は八千草さんの所属事務所社長のAさんだ。「3人とも八千草さんの身の回りのお世話をしたり、一緒に旅行したり、彼女が入院中に愛犬の散歩をするなど、生前かなり親しくしていた間柄のかたがたです。“自宅をこのままの形で残したい”という八千草さんの思いを汲んで、自宅を取り壊さずそのまま売却して現金化し、それを元手にして相続税を払う予定だったと聞きました」(テレビ局関係者) しかし、八千草さんの願いはかなわず、自宅は即解体された。「2500万円? そんなもんじゃない」 八千草さんの一周忌を前に、事態は一変していた。「予想外のことばかり起きてしまい……背に腹は代えられない思いで解体となってしまったのです」 こう話すのは、Aさんだ。「八千草は“できることなら、個人のかたに買っていただきたい”と望んでいました。“リフォームするとしても、何かしらあの家のにおいのようなものが残ればうれしい”と話していたんです。そのため、当初は不動産業者さんではなく、個人のかたの買い手を探していました」 しかし、動き始めた矢先にコロナ禍に見舞われる。先行き不安な中、個人で不動産を買おうとする人は激減。しかも、土地だけで3億円もするような大型物件ゆえ、なかなか買い手が見つからなかったという。「仲介をお願いしていた業者さんにも、“お気持ちはわかりますが、この状況で個人相手に売るのは難しいと思いますよ”と言われてしまいまして……。もう少し粘ることも考えたのですが、私たちには“タイムリミット”が迫っていたんです。仕方なく、路線変更して、業者さんに買い取っていただくことも視野に入れ始めたんです」(前出・Aさん) 今年の9月末、売却が済み、豪邸は不動産販売業者のものとなった。今後は業者がこの豪邸を一般向けに売っていくことになる。都会では、広すぎたり、こだわりのある仕様の家だと買い手がつかないことが多いため、取り壊して更地にし、広い土地を分割して売るのが一般的だ。 おそらく八千草さんの豪邸もそのようなケースに当てはまるのだろう。彼女が愛したこだわりの邸宅は、すでに取り壊され、ほぼ面影を残していない。個人の買い手を探すことを諦めたのは、Aさんが語ったタイムリミットが大きな理由だという。それは、相続税の支払いだ。 法定相続人でない人が遺贈を受ける場合、通常の相続よりも2割加算された額を相続税として支払う必要があり、しかも控除もない。そのため、相続税の支払い額を知って仰天する人も多い。「実は、売却する前に相続税の支払期限が来たんですよ。金額を見たら、“うわー”って、ビックリするぐらいの額で(笑い)。一部の報道では2500万円と書かれていましたが、そんなもんじゃないですよ……」(前出・Aさん) 数千万円という相続税の支払いは、大きな負担だったであろう。自宅は売却しない限り現金化されず、多額の支払いだけがのしかかる。Aさんたちは泣く泣く、不動産業者への売却を決めた。そうすれば相続税を支払っても3人の手元には現金が残る。それを等分したのである。 八千草さんのケースの場合は、自宅の売却にこぎつけるまでの間にも、さまざまな“ハードル”があった。Aさんは、八千草さんが亡くなった後、庭や室内の手入れのため、毎日欠かすことなく自宅に通い続けていたという。「庭は植木屋さんにお願いしたり、池のお魚や生き物を業者さんに引き取ってもらったり。やるべきことは山のようにありました」(前出・Aさん) 自宅に残っていた数々の遺品は、八千草さんが生前決めていた希望に従って知人などに分けるといった作業に没頭してきたという。「膨大な量でしたが、ようやく終わったという感じです。作業の間は、“これ終わらないんじゃないかなぁ”なんて感じて、ヒーヒー言っていたんですが、終わってしまうと、心にぽっかり穴が空いたようで、とても寂しいです」(前出・Aさん) 自宅を整理するまで、なんと10か月もかかったという。「遺品の整理をしている最中に、“こんなものが出てきた!”とか“このとき、あんなことがあったんだよなぁ”と感慨に浸ってしまうものですから余計に時間がかかってしまって……。 たしかに大変な作業ではありましたが、この10か月は、八千草との思い出をかみしめる大切な時間でもあったと思うんですよ。それだけに、家を取り壊さないといけないという結果になってしまい、残念ですし、悔しいんです……」(前出・Aさん) こだわりの自宅をそのままの形で残すことはかなわなかったが、家を愛し、周囲の人を大切にした八千草さんの思いは、目に見えずとも、この地にずっと生き続けることだろう。※女性セブン2020年11月5・12日号
2020.10.22 07:00
女性セブン
渡辺えり 舞台人がTVに出るのは『身を売る』と言われた過去
渡辺えり 舞台人がTVに出るのは『身を売る』と言われた過去
 映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、女優の渡辺えりが朝の連続テレビ小説『おしん』に出演したときの思い出、商業演劇にも出演するようになって気づいたことについて語った言葉をお届けする。 * * * 渡辺えりは一九八三年、NHK朝の連続テレビ小説『おしん』への出演をきっかけに、世間的な知名度を高めることになる。「今では信じられないのですが、当時は舞台人がテレビに出るのは『身を売る』なんて言われて、やってはいけないことでした。 その頃、年に二、三度ずつ芝居をしていたのですが、みんな疲弊しちゃったんです。それで、一緒に舞台をやっていたもたいまさこが『一年休止しよう。続けたら破産する』って。そんな時、『おしん』に出ることになりました。 最初は『一回だけ』という話でしたが、橋田壽賀子さんが凄く気に入ってくれて。それで一年間出ることになりました。ちょうど舞台の公演を休んでいたので出られたんですよね。『おしん』は同録の撮影でしたので、舞台みたいでした。セリフをあらかじめ全て覚えていって、たとえば泉ピン子さんがたっぷりした芝居をすると私と吉岡祐一さんの夫婦が早口で喋って十五分で収めたり。ですから、違和感はありませんでした。 出る人も撮る人も演劇青年ばかりで、飲み会もしょっちゅうでした。夜中の二時まで撮影して、その後みんなで飲みにいっても、翌朝八時にはちゃんと撮っている。五、六人いた演出家も参加しましたし、田中裕子さんや吉岡さんも。テーブルを叩きながら激論をかわしたから、翌朝手が動かないこともありました。今の人は合理的な方が多いので、そういうことをしていたら嫌われちゃいますが」 その後はテレビドラマ、映画でも主役・脇役の双方で数多く出演、舞台公演も合わせて多忙な日々を送ってきた。「安心感を覚えたことはないですね。いつも劇団の公演とマスコミ出演に追われて、自分が遊ぶ時間は全くありませんでした。ホッとしたこともないです。 今はそのことを後悔しています。ただただガムシャラにやってきて、もうちょっと立ち止まって考えればよかったんじゃないのか──みたいな。 一番の後悔は子供を作れなかったことです。仕事を受け続けていると、女の人は大変なんです。でも、周りの乗せている人たちは面倒をみてはくれません。商品としての私を売り出していく──というのがありますから。 当時はあまりに乗せられて、それも嬉しくて。頼む時って、みんな優しいんです。で、断ると凄く嫌な顔をする。ニコニコした顔が見たくて仕事を受けていたんだなと思います。 劇団員にしても、みんなに頼まれたら嬉しいし、やりたいし。それで受け続けてきて、いまだにずっと続いています」 九一年の『楡家の人びと』からは商業演劇にも出演している。「最初は嫌でした。演劇は芸術であり社会の啓蒙運動だから、お金を貰ってはいけない、と。 でも八千草薫さんに誘われて『楡家の人びと』に出たら、やりやすかった。芝居のキャッチボールが上手いんです。全て受けてくれるから、自分だけが頑張る必要がない。劇団の新人は修業途中の不器用な人が多いから、モノローグはうまくても対話が苦手な人が多いんです」*出演舞台「有頂天作家」4月、大阪松竹座で公演予定。●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『すべての道は役者に通ず』(小学館)が発売中。※週刊ポスト2020年4月10日号
2020.04.02 07:00
週刊ポスト
「男はつらいよ」ファンはどのマドンナが好き?
「男はつらいよ」シリーズ 著名人3人が選ぶ最高のマドンナ
 誕生50周年、2019年末に第50作目が後悔される「男はつらいよ」シリーズ。主人公の車寅次郎が故郷の葛飾柴又にもどってきては起こす大騒動の人情喜劇が人気だが、毎回、寅さんが恋する「マドンナ」も負けず劣らず人気の源だ。『「男はつらいよ」を旅する』の著者である評論家の川本三郎氏と、「『男はつらいよ』の幸福論 寅さんが僕らに教えてくれたこと』著者の精神科医・名越康文氏、『いま、幸せかい? 「寅さん」からの言葉』著者の小説家・滝口悠生氏に、シリーズで最も愛するマドンナについて聞いた。◆川本三郎氏(評論家)・光本幸子(御前様の娘・冬子役)第1作『男はつらいよ』(1969年、監督/山田洋次)【あらすじ】20年ぶりに柴又に帰った寅次郎は妹・さくらの見合いを酔ってぶち壊し、おいちゃんと大喧嘩。再び旅に出た先の奈良で御前様と娘・冬子に再会し、その美しさに一目惚れ。柴又に戻り、さくらと夫となる博の仲を取り持つが、肝心の冬子には大学の先生の婚約者がいた。 私の好きなのは第1作で御前様の娘・冬子を演じた光本幸子。寅さんが惚れる女性はお嬢様、水商売系、市井の働く女性に大別できますが、お嬢様の原型が彼女です。新派のトップ女優だった彼女の初出演映画がこの作品で、彼女を初めて知った新鮮さもあり、着物の似合う美人で、品が良いのが印象的でした。 寅さんが冬子を連れてオートレース場や大衆的な焼き鳥屋に行きます。そこで見せる嫌みのない世間知らずがまた魅力的です。寅さんが彼女を寺に送ると、木戸の中から白い腕が伸びてきます。寅さんがドギマギしながら軽く手を握ると、彼女が上下に振る。立ち去る彼女を見つめ、寅さんが思わずお辞儀をする。ここはまさに「王女様と騎士」の関係です。後日、彼女を迎えに寺に行くと、彼女は約束を忘れていて、しかもそこに婚約者がいる。その無邪気な残酷さも彼女なら許せますね(笑い)。【かわもと・さぶろう】評論家。1944年生まれ。著書に『「男はつらいよ」を旅する』(新潮選書)。◆名越康文氏(精神科医)・太地喜和子(芸者・ぼたん役)第17作『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』(1976年、監督/山田洋次)【あらすじ】寅次郎は旅先の兵庫県龍野の宴席で底抜けに明るい芸者ぼたんと意気投合し、「所帯を持とう」と言うまで盛り上がる。ぼたんは悪徳な客に騙し取られた金を取り戻そうと上京し、憤慨した寅次郎はひと肌脱ぐが、金は戻らない。だが、意外な展開が待っていた……。 寅さんと最も相性がよく、僕を含め多くの男にとって夢のようないい女。それが太地喜和子演じるぼたんだと思います。 ぼたんは底抜けに明るく、よく笑い、はしゃぎ、理屈っぽくもありません。しかし、「ちょっとおバカな宴会芸者」ではなく、直感的に人の寂しさを見抜いて心を寄せる知性も、情け深さも併せ持っています。昔はよく、商家など人の出入りの多い環境で育ち、人間関係に揉まれた女性にこういうタイプがいました。自分自身では普段はおくびにも出さないけれど、実は苦労人で、そのぶん寂しさも抱えている。そういうところがフッと見えるので、男は父性をくすぐられるんですね。 寅さんが「いずれそのうち所帯を持とうな」と言います。するとぼたんは「嘘でも嬉しいわぁ」「あてにせんと待っとっからねー」と笑いながら応えます。寅さんの好意を受け入れ、喜ぶ。でも、寅さんの気が変わったとしても責めないからね、と期待なんてしない。大人の距離感です。 が、それだけに2人がもし結婚していたら……と想像してみたくなります。きっと常識はずれの、でも幸せな生活を送っているんじゃないでしょうか。【なこし・やすふみ】精神科医。1960年生まれ。著書に『「男はつらいよ」の幸福論 寅さんが僕らに教えてくれたこと』(日経BP社)。◆滝口悠生氏(小説家)・八千草薫(幼馴染みの美容師・千代役)第10作『男はつらいよ 寅次郎夢枕』(1972年、監督/山田洋次)【あらすじ】寅次郎は柴又で再会した美しい幼馴染みの千代が離婚して独り身だと知り、有頂天に。だが、とらやに下宿中の大学の助教授も千代に惚れたことを知り、その思いを千代に伝える。すると、寅次郎からの告白と勘違いした千代は喜び、受け入れようとするが……。 父親が「男はつらいよ」が好きで、僕も子供の頃から一緒に見ていました。意識的に全作を繰り返し見始めたのは20歳頃から。寅さんに殉じたような渥美清の人生や、各作品が互いに響き合うシリーズ全体のあり方に興味を持ったんです。 魅力的なマドンナはたくさんいますが、特に好きなのは第10作の八千草薫。寅さんに憑依したかのような渥美清の演技が凄くエネルギッシュで、作品全体としてもとても好きな一作です。 八千草薫が演じる千代は寅さんと幼馴染みで、2人は互いに気安い仲です。マドンナには珍しく、さくらとも親しい。そういう関係性と、八千草薫の可愛らしい雰囲気がぴったり合うんですね。それまでのマドンナは高嶺の花というか、相対したときに少し緊張感がある人が多い。 一番好きなのは、千代の美容院で千代とさくらが寅さんの噂話をしているところへ、寅さんがやってくる場面。子供の頃、千代のおでこをラッキョウと呼んでいたことを受け、「何だい、この店は漬け物屋か。ラッキョが2つ揃って何の相談してるんだよ」「髪の毛なんかいじらないで、おでこ削ったらいいじゃねえか。以上」と、小学生みたいにからかい、立ち去ります。寅さんがこんな子供みたいなはしゃぎ方をできるのは、マドンナの中でも千代に対してだけで、からかわれた千代も嬉しそうです。 シリーズ全体を考えたときに大事なのは最後の場面。寅さんが、とらやに下宿し、千代に惚れている大学の先生の代わりにその思いを伝えると、千代は寅さんのプロポーズと勘違いし、受け入れます。しかし、千代の勘違いに気づいた寅さんは驚き、動揺し、逃げ腰になる。結果的に千代は寅さんに振られる形になったのですが、その理由ははっきりしません。 この場面でとにかく寅さんの恋は成立しないのがこの映画なのだ、と山田洋次監督は宣言したのではないでしょうか。シリーズの行方を決定づける重要な役割を果たしたのが、寅さんに振られる形を引き受けた八千草薫なんです。他の女優さんではきっとあの場面は成立しなかったと思います。【たきぐち・ゆうしょう】小説家。1982年生まれ。著書に『男はつらいよ』に材を取った『愛と人生』(講談社)、名台詞を選んだ『いま、幸せかい? 「寅さん」からの言葉』(文春新書)。※週刊ポスト2020年1月3・10日号
2019.12.31 07:00
週刊ポスト
みうらじゅん氏 「寅さんはロックンローラーじゃないか」
みうらじゅん氏 「寅さんはロックンローラーじゃないか」
 イラストレーターのみうらじゅん氏は、『男はつらいよ』シリーズで忘れられないマドンナとして、第10作『男はつらいよ 寅次郎夢枕』(1972年、監督/山田洋次)に幼馴染みの美容師・千代役として出演した故八千草薫さんをあげている。独自の寅さん説を唱えるみうら氏に、忘れられぬマドンナ・千代の思い出と、寅さんと恋について聞いた。【あらすじ】寅次郎は柴又で再会した美しい幼馴染みの千代が離婚して独り身だと知り、有頂天に。だが、とらやに下宿中の大学の助教授も千代に惚れたことを知り、その思いを千代に伝える。すると、寅次郎からの告白と勘違いした千代は喜び、受け入れようとするが……。 * * * 初めて「男はつらいよ」を観たのが1972年、中学2年のときで、たまたま八千草薫さんがマドンナの作品でした。併映はドリフターズの『舞妓はんだよ 全員集合!!』だったこともよく覚えています。初見の寅さんは恋敵である大学の先生にマドンナを譲るところにグッとくる男気を感じましたね。その後、公開のたびに観に行くようになると、寅さんが意外にカッコイイことに気づきました。トラベルでトラブルを起こし、男気あり、哀愁あり、生まれ育ちにハングリーありで、これってロックンローラーじゃないか、とね。 僕にとってほとんどのマドンナは当時、年上の熟女なので、自分も好きになるような対象ではありませんでした。でも、この作品の千代は幼馴染みという設定なので、近しい存在に感じたのでしょう。そもそも僕にとって初マドンナですから、初めての女性みたいなものです。しかも、八千草さんはあの可愛らしさですから。 寅さんは本当はモテるんです。でも、生活が不安定なロックンローラーだから、相手を幸せにしてあげられない。だから、いい関係になりそうになると、自分から身を引く。この作品でも、千代が「寅ちゃんとなら一緒に暮らしてもいいって、今、ふっとそう思ったんだけど」と告白すると、途端に動揺してしまう。でも、千代は優しいですよね。そんな寅さんを見て、「嘘よ、やっぱり冗談よ」と自分の気持ちをしまい込み、寅さんを楽にしてあげるわけですから。切ないシーンですけれどね。 寅さんて、金銭欲も出世欲もなく、恋心はあっても性欲はないように思います。それは御前様がこの世に遣わした天使だからでしょう。マドンナの多くはそのピュアなところを見抜くんですが、八千草さんの千代はその典型だと思いますね。●みうら・じゅん/イラストレーター。1958年生まれ。寅さんの「ロックンローラー説」「素人童貞説」を唱える。※週刊ポスト2020年1月3・10日号
2019.12.29 07:00
週刊ポスト
2019年も多くの芸人が亡くなった(イラスト/佐野文二郎)
高田文夫氏、さんまの師匠ほか今年亡くなった芸人を追悼
 放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、2019年に“あちら”のお座敷に呼ばれた「笑い」に生きた人々についてお送りする。 * * * 今年もお世話になりました。お世話になり過ぎたのかもしれません。年の瀬になって『面白い人のことばっかり!』『画文集 芸人とコメディアンと』、たて続けに2冊出版し、ここで告知までさせていただきすいません。気がつけば今年は文庫本も入れると5冊、本を出したことになります。働く71歳。来年は「桜を見る会」も行けそうにないので己の働き方改革を考えなければと思います。 こうして年末の号ともなるとどこの雑誌もグラビア等で亡くなった人を追悼してますが、八千草薫、萩原健一、梅宮辰夫ら超メジャーな芸能の人々なら偲んでももらえるし、とりあげてももらえますが、芸能の片隅で“笑い”に生きた人々は思い出してももらえません。たくさん笑わせた人はたくさん悲しいし、少し笑わせてくれた人は少しやっぱり悲しいのです。 2019年あちらからお座敷がかかった笑芸の人達、まずは関西篇。2月には吉本新喜劇で大活躍した山田スミ子。そして天下の明石家さんまの師匠としても知られる笑福亭松之助。この師匠自体が芸人として自由な生き方をしてきた。 5月には吉本新喜劇の若き座長としてひっぱった木村進。6月には「すまんのォ」で知られる“横山たかし・ひろし”のたかし。お正月の演芸番組には欠かせない人だった。その他の大阪の演芸界は“闇営業”一色で、すべて闇の中。あとは税金払えっていう話だ。 関東篇となりますと3月、地球の上に朝が来る~~ッの川田晴久(美空ひばりの師匠としても高名)の流れを汲む、灘康次とモダンカンカンのリーダー(親方)灘康次。談志の呑み会などでよく会った。4月、お笑い界の中でも、芸能界の中でも超メジャー、我らが日大芸術学部の大先輩「グラッチェ」ケーシー高峰。これほどどこへ行ってもどんな所でも大きな笑いを確実にとれる漫談家はいなかった。医学ドラマ『ベン・ケーシー』からその名を勝手にもらった。4月の同じ日、新聞の訃報欄に載ったのが「ナンセンス」の原田健二。浅草のポンコツ芸人としてナイツからいつもいじられていた。それが嬉しそうだった。 8月には「ひでや・やすこ」として高座にあがっていた新山ひでや。最後はかつらをカミングアウトしてこれもナイツから絶妙のつっこみをもらって満足そうだった。 覚えておいて欲しい人が、戦後新宿の「ムーラン・ルージュ」で憧れのスターだった明日待子。100歳近かったと思う。野末陳平が早大時代通いつめたと言う。■イラスト/佐野文二郎※週刊ポスト2020年1月3・10日号
2019.12.23 16:00
週刊ポスト
【追悼2019】八千草薫さんなど忘れられない女性たち
【追悼2019】八千草薫さんなど忘れられない女性たち
 令和という新たな時代の始まりとなった2019年。今年も多くの人が永遠の眠りについた。たくさんのファンを魅了し続けた銀幕のスターたち、波瀾万丈の人生を辿った才人──。彼女たちを、われわれは忘れないだろう。(女性編)■八千草薫(女優、享年88) 映画『宮本武蔵』『蝶々夫人』などで人気を博した後、1977年のドラマ『岸辺のアルバム』で演じた不倫妻役で清純派のイメージを覆して話題に。10月24日膵臓がんで没した■京マチ子(女優、享年95) 脚線美と抜群のスタイルで大映の看板女優として活躍。1951年のベネチア映画祭で日本初のグランプリを受賞した映画『羅生門』で好演。5月12日心不全で死去。■木内みどり(女優、享年69) 森田芳光監督の『そろばんずく』、伊丹十三監督の『大病人』などで個性溢れる脇役として活躍。夫は西武百貨店社長、参院議員を務めた水野誠一氏。11月18日急性心臓死で急逝。■市原悦子(女優・声優、享年82) ドラマ『家政婦は見た!』やアニメ『まんが日本昔ばなし』のナレーションなどで独特の存在感を発揮。多くの2時間ドラマに主演し人気を呼んだ。1月12日心不全で死去。■田辺聖子(小説家、享年91) 1964年『感傷旅行』で芥川賞を受賞後、菊池寛賞など多くの文学賞を受賞。2006年NHK朝ドラ『芋たこなんきん』では主人公のモデルにも。6月6日胆管炎で死去。※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.16 07:00
週刊ポスト
安田成美、宮沢りえ、八千草薫 女優の「怒りの降板事件簿」
安田成美、宮沢りえ、八千草薫 女優の「怒りの降板事件簿」
 来春スタートの朝ドラ『エール』の脚本家の降板が11月5日、NHKから発表された。この脚本家は、『離婚弁護士』『コード・ブルー』(いずれもフジテレビ系)、木村拓哉主演の『アイムホーム』(テレビ朝日系)などのヒットドラマを手がけてきた林宏司氏。 NHKは「制作上の都合」としか発表していないが、内情を知るテレビ関係者がこう証言する。「降板の原因は、林氏と演出家の関係がこじれたためだと聞いています。この演出家は、過去に有名映画を複数作監督してきたヒットメーカーで、実績があるだけに林氏の脚本に意見を付けることも多く、納得できない林氏が9月のクランクインを前に降りてしまった。 林氏の降板後、台本はこの演出家に加え、新たに2名の脚本家を迎えて執筆し直しているそうです」(NHK広報局に聞くと「制作過程の詳細は回答を控えさせていただきます」とのこと) 近年は平均視聴率20%超の好調が続き、次作にも期待が高まるなか、クランクイン前にすでに降りていたという。「異例の事態」と報じられているが、芸能史を振り返れば、ドラマで世を騒がせた「降板劇」は多い。 朝ドラをめぐる降板劇も今回が初めてではない。1994年放送の『春よ、来い』では、ヒロイン役の安田成美が撮影途中で降板するという、朝ドラ史上に残る事件が起きた。 同作は橋田壽賀子氏が自身の半生を元に書き下ろした自伝的作品で、安田をヒロインにと強く希望したのも橋田氏だった。「しかし、安田は橋田の脚本に難色を示すシーンが多かったそうです。この作品は第二次大戦中の話が大半を占めますが、主人公・春希やその家族の境遇に安田が共感できず、撮影が止まることもあったといいます」(当時を知るテレビ関係者) 1995年2月、物語が佳境を迎えた最中に安田の降板が発表された。ヒロイン役を引き継いだのは、『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)に出演する“橋田ファミリー”の中田喜子だった。 NHKは安田の降板について、「肉体的、精神的な疲労による体調不良」としたが、安田が沈黙を守り続けたことで、真相はいまだ不明。橋田氏は『女性自身』(1995年3月7日号)のインタビューで、「彼女には拒否反応があったのでしょう。世代の違いなどもあって、そのギャップが埋められなかった」と述べている。 同じ1995年には、映画界でも世間を驚かせる降板事件が起きた。宮尾登美子氏の同名ベストセラー小説を映画化した『藏』で、宮沢りえがキャスト発表後に降りてしまったのである。「主人公の烈を演じたのは当時人気絶頂だった宮沢りえですが、ポスターの名前の並びや台本に掲載された出演者の序列では、烈の叔母役の浅野ゆう子が上だった。これにりえと当時マネジャーを務めていた母親が激怒したのが理由と報じられた。東映側は『主演は浅野、ヒロインはりえ』と説明して説得を図りましたが翻意させられず、代わってヒロイン役を射止めたのは一色紗英でした」(映画関係者) 製作発表会見で、原作の宮尾氏が「ポスターの序列を争うなんて映画界の古い体質です。りえさんがあの若さで映画界の古い体質を受け継いで序列がどうのこうのというのが不思議でした」と、苦言を呈したことも話題を呼んだ。 10月24日に逝去した大女優・八千草薫も、かつて降板騒動を起こしている。山口百恵が主演したドラマ『赤い疑惑』(1975年、TBS系)で山口の母親を演じたが、6話を終えたところで突如降板。「当時、芸能マスコミは“八千草と百恵が揉めた”と書き立てました。その後の共演がなかったこともあり、2人の間には確執があると報じられました」(スポーツ紙デスク) しかし、先日、八千草の所属事務所の社長が、『女性セブン』(11月21日号)で、降板の真相について告白。あまりに多忙な撮影スケジュールから百恵を守ろうとした結果だったとして、こう説明している。「“こんなことをやっていたら、作品だけじゃなくて、百恵ちゃんがダメになる。人間って限度があるからすり減っちゃうよ”って。百恵ちゃんの体を気遣って、制作サイドとけんかになった」※週刊ポスト2019年11月29日号
2019.11.20 16:00
週刊ポスト
先日、悲報が流れた八千草さんだったが
八千草薫さんの秘話をマネジャー告白、百恵さんと確執の真相
 10月24日に膵臓がんのために帰らぬ人となった女優の八千草薫さん(享年88)。その裏話をマネジャーが明かす──。 八千草さんの葬儀に参列した友人はこう話す。「野に咲いている花が好きだったので、祭壇もそのイメージでした。生前に、お墓も新しく作り、ご主人とお母さんとそこに入ると決めていました。戒名も予め用意していたのだと思います。お通夜の時に住職に教えていただいた時は、かっこいい戒名だなと思いましたね。驚いたのは、火葬した時にお骨が太くて大量にあったこと。本当に骨が強くて内臓も丈夫な人でした」  40年間にわたって八千草さんのマネジャーを務め、所属事務所の社長でもある原田純一さんは、亡くなる前日に病院を訪れていたという。「入院中はほぼ毎日、病院に顔を見に行っていました。23日にはお手伝いさんが持ってきたまつたけご飯を“おいしい、おいしい”って言って食べて、“あなたも食べなさいよ。おいしいから”ってぼくにも強引にすすめてくれました。 亡くなった日、八千草さんは一度起床したのですが、その後容体が急変しました。朝6時半くらいに見知らぬ番号から電話がかかってきて、それが病院からだった。前日には元気そうに“明日はひらめのおつくりを一緒に食べましょうね”って言っていたから、ショックでしたね。最期は本当に眠っているようでした。最後まで仕事に戻る気持ちだったと思いますよ」(原田さん) 好きなものを食べ、仕事も趣味もマイペースを貫いた。まさにPPK(ピンピンコロリ)の理想通りの生き方だった。 夫を亡くし、きょうだいも子供もいない八千草さんだが、遺品整理には着手していた。「80才になり、遺品を誰に残すか整理をされていました。宝石類を細かくこれはこの人に、あれはあの人にと…その作業の途中に“私の思い出がなくなっちゃうみたい”とつらそうにしていました。遺言書も作成しています」(前出・友人) 八千草さんの死は中国でも伝えられた。目立ったのは、中国でも大ヒットした山口百恵さん(60才)主演のドラマ『赤い疑惑』(1975年、TBS系)の名前を挙げ、「山口百恵の母親を演じ、中国の視聴者にもよく知られた」という報道だ。 しかし、八千草さんはこの『赤い疑惑』を6話を終えたところで突然の降板。百恵さんが多忙で撮影時間が取れないため、後ろ姿を“影武者”が演じるといった百恵さん最優先の撮影手法に、八千草さんが苦言を呈して降りたと伝えられていた。以後、2人は共演がなかったこともあり、“確執”があったとまで報じられもした。原田さんが真相を語る。「事実を言うと、あれは百恵ちゃんをかばったんです。仕事が忙しすぎて、朝、バーッと百恵ちゃんのシーンだけを撮ると、グラビアや歌番組のために現場を離れて、また夜戻ってきてバーッと撮る。そんなスケジュールや撮影方法について、八千草さんは“百恵ちゃんがかわいそう”“こんなことをやっていたら、作品だけじゃなくて、百恵ちゃんがダメになる。人間って限度があるからすり減っちゃうよ”って。百恵ちゃんの体を気遣って、制作サイドとけんかになった。そうした事情を皆さんにあまり説明しなかったから、間違った情報が出回ってしまって…」(原田さん) 原田さんにとって、八千草さんは実の母親のような存在だったという。「私はすでに母を亡くしているので、八千草さんが母親のようでした。でも八千草さんがどう思っているかはわかりません。本当の親子って、自分たちが親子がどうかなんていちいち確認しないでしょ。それと同じです」(原田さん) 原田さんによれば八千草さんの口癖は「いつも楽しく、ちょっとだけ無理をする」──その思いで天寿をまっとうされたのだろう。※女性セブン2019年11月21日号
2019.11.06 16:00
女性セブン
堰堤の爆破の様子は繰り返し報じられた(共同通信社)
多摩川氾濫、ドラマ『岸辺のアルバム』で描かれた仰天演出
 10月12日に東日本を直撃した台風19号がもたらした大雨によって、多摩川沿いの街は泥水に浸かった。 多摩川の氾濫と聞いて記憶に浮かぶのが、山田太一原作・脚本のドラマ『岸辺のアルバム』(1977年・TBS系)だ。ホームドラマの常識を覆した名作の最終話で視聴者をさらに驚かせたのは、1974年の多摩川水害の実際の報道映像を用いるという演出だった──。 良妻賢母役を演じることが多かった八千草薫(88)が、突如かかってきた電話から不倫にのめりこむ──。1970年代はハッピーエンドのホームドラマの全盛期だったが、多摩川沿いに暮らす一家の関係は八千草の不倫を機に、崩壊していく。 最終話では、“家族の象徴”であった自宅が大雨で流される。この洪水は1974年9月に発生した「多摩川水害」がモチーフで、実際の報道映像が使われている。 別掲した写真は劇中で使用されたシーンの報道写真だ。上智大学文学部教授の碓井広義氏が語る。「もともと脚本の山田氏はこの水害で民家が流されたことをきっかけに作品の着想を得たといいます。ノンフィクションとフィクションを織り交ぜた手法も斬新で印象に残る作品になった」 自宅が濁流に呑まれる寸前、家族が持ち出せたのが、アルバムだった。ラストでは、流された自宅の屋根に崩壊していた1家4人が乗り、笑い合う。そうした希望が持てる様子が描かれながらも、「これは3年前の一家で、いまこの4人がどんな幸せにいるか、どんな不幸せを抱えて生きているかは視聴者に委ねる」という主旨のテロップが入る。「ドラマの放送は水害からちょうど3年後でした。見る側に“考える余地”を残すラストで、それだけに長く印象に残る作品となった」(碓井氏)※週刊ポスト2019年11月8・15日号
2019.10.28 07:00
週刊ポスト
八千草の入院中、シェットランドシープドッグの愛犬は留守番(撮影/平野哲郎)
高齢ひとり暮らしの88才・八千草薫 「隣人介護」を選択
 都内の閑静な高級住宅街にある一戸建て。100坪ほどの庭に欅などの草木が生い茂り、小さな池には、メダカやオタマジャクシなど多様な生物が棲息する。 ここは女優・八千草薫(88才)の自宅だ。彼女はひとり暮らし。周辺地域がひっそりと静まりかえるなか、この一角だけは人の出入りの多さが際立っていた。 8月下旬、この家から出てきた高齢の女性・Aさんに声をかけると、こう答えた。「今、八千草さんは入院されているんです…」 昭和の名女優に何が起こったのか──。 誰からも愛される「かわいい人」である八千草は、大阪府出身。宝塚歌劇団を経て映画デビューし、テレビドラマ『岸辺のアルバム』(1977年・TBS系)などで人気を博した。私生活では1957年に19才年上の映画監督・谷口千吉氏(享年95)と結婚したが、子宝には恵まれなかった。「50年連れ添った谷口さんが2007年に肺炎で他界した際、八千草さんはかなり落ち込んでいました。それでもなんとか吹っ切ったかのように見えました。その後はご主人と暮らした自宅の庭を愛でながら、愛犬と暮らしていました」(テレビ局関係者) 膵臓がんと診断されたのは昨年のこと。6時間を超える大手術を受けた。その後、肝臓への転移がわかり、今年2月にはヒロイン役を務める予定だったドラマ『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)を降板。病気を理由にした降板は、72年間の女優人生で初めてのことだった。「その後は自宅で静養を続けていました。6月には脚本家の倉本聰さん(84才)の案内で北海道富良野を訪れるほど回復していました。それが突然体調を崩されたようで…」(八千草の知人) そんな八千草の世話をしている1人が冒頭のAさんだ。「Aさんは、亡くなったご主人の晩年の介護を担当していたヘルパーさんです。昨年のがん手術後、人の手を借りなければ歩けなくなっていた時期に身の回りのお世話を頼んだようです。高齢でひとり暮らしを続けるのは難しく、施設に入る選択肢も考えたそうですが、八千草さんはかなりの人見知り。ご主人と過ごした自宅や愛犬と離れることもできなかった。 そこで旧知のAさんに頼んだ。ただ、Aさんもかなりの高齢。それで隣人介護の選択をしたそうです」(前出・知人) 現在近所に住むある夫婦も八千草のサポートをしているという。「もともと八千草さんの愛犬仲間のご夫婦、Bさんですよね。八千草さんとBさんの奥さんが一緒にワンちゃんの散歩をしているのを以前よく見かけました。その縁で、体調を崩した八千草さんの身の回りの世話をBさん夫婦も見るようになったとか」(近隣の住民) 近所に住むBさん夫婦に話を聞くと言葉少なにこう話した。「ぼくらはただご近所という縁があっただけで…。知り合いの1人として、八千草さんの回復を心から祈るばかりです」 八千草は『文藝春秋』(2019年8月号)にこう手記を寄せている。《でもね、最近になって改めて決心して、遺言状をちゃんと作成しました。独り身なので、身支度を整えておかないと周りの人に迷惑をかけることになってしまうでしょう。それだけは絶対に避けたかったのです》 信頼できる隣人に世話を委ねつつ、万全の準備を整える。八千草の晩年の過ごし方は、おひとりさま女性にとってのよきモデルになりそうだ。※女性セブン2019年9月12日号
2019.08.31 16:00
女性セブン
人気ドラマが帰ってくる(ドラマ写真提供/テレビ朝日)
倉本聰ドラマ『やすらぎの郷』続編 新入居者8人と見どころ
 2017年4~9月に放送され、幅広い層から熱烈な支持を集めた帯ドラマ劇場『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)の続編が4月8日より始まる。タイトルを『やすらぎの刻~道』と変え、高齢者ホーム「やすらぎの郷」で巻き起こる日々の出来事と、主人公でシナリオライター・菊村栄(石坂浩二)が執筆する山村の夫婦の一代記『道』のストーリーが同時に描かれる。 引き続き脚本を務める倉本聰は制作記者発表で「特別な肉をごちそうになって続編を引き受けてしまい、ハニートラップにかかった気分(笑い)」と想定外だった驚きを明かし、「前作では登場人物をバリバリ殺してしまい、亡くなられた方もいる。そこで困って、郷に新しい入居者を迎えました」と語った。 松原智恵子、橋爪功、笹野高史、ジェリー藤尾、いしだあゆみ、丘みつ子、大空眞弓、水野久美といった個性豊かな新入居者8人に加えて石坂や浅丘ルリ子、加賀まりこらおなじみの面々も顔を揃え、2月にがんを公表した八千草薫も九条摂子役で続投。脚本を修正して5シーン撮影し、倉本は現場での八千草の姿を「一生を終える時の“入舞(いりまい)”を見るようでした」としみじみ振り返った。 放送は1年間。主題歌も前作同様、中島みゆきが担当する。●ドラマ写真提供/テレビ朝日 ●取材・文/渡辺美也※週刊ポスト2019年4月12日号
2019.04.01 07:00
NEWSポストセブン
倉本聰
倉本聰が貫くこだわり 台詞を変えた寺尾聰を二度と起用せず
『北の国から』(フジテレビ系)をはじめとする数々の名作を生み出してきたドラマ界の巨匠・倉本聰氏(84才)。4月から始まる“昼ドラ”『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)の脚本を手がけることでも話題を集めている。倉本氏が約60年も脚本家として活躍を続けられるのはなぜか――。このほど、倉本氏と共著『ドラマへの遺言』(新潮社)を上梓した、元テレビプロデューサーで上智大学文学部教授(メディア文化論)の碓井広義さんが、倉本氏のスゴさを物語る数々のエピソードを明かしてくれた。碓井さんは36年間、倉本氏に師事してきた“愛弟子”だ。◇一字一句へのこだわり ドラマ制作では、撮影の前に出演者を集めて、初めから終わりまで脚本の読み合わせをする“本読み”が行われる。一般的に脚本家はあまり顔を出さないものだが、倉本氏は積極的に参加することで知られる。 「書いた言葉が役者さんに通じているか。表現のニュアンスの違いや要望を、倉本先生は直接役者さんに伝えます。これが世にいう“倉本聰の本読み”。その姿を見て、脚本がドラマの生命線なんだと改めて学びました。制作陣と役者に対する厳しい姿勢の根底にあるのは、いいドラマを作りたいという思いです」(碓井さん・以下同)『優しい時間』(フジテレビ系、2005年)の最終回で、寺尾聰が「よう」という台詞を「やあ」に変えたことがあった。ニュアンスを軽視されたショックから、それ以来、倉本氏は寺尾を起用しなくなったという。倉本氏の一字一句への強いこだわりを感じさせるエピソードだ。 しかし、そのこだわりが騒動に発展したこともあった。1974年放送のNHK大河ドラマ『勝海舟』では、脚本家の演出領域への関与の是非をめぐって問題がこじれ、倉本氏は脚本を途中降板した。大河ドラマ脚本家の降板劇は当時、大きく報じられ、倉本氏も批判された。◇リアルさを追求 倉本氏が北海道・富良野市に移住したのは、この降板劇から3年後、1977年のことだった。倉本氏が住むと決めた場所は荒れた森で、電気はなく、水は自力で沢から引いた。倉本氏の代表作『北の国から』には、こうした体験がふんだんに盛り込まれている。「『北の国から』の主人公・黒板五郎がしたことは、倉本先生自身が実際に行ってみたことが多い。倉本脚本は頭の中だけで組み立てたものを物語にしたわけじゃないから、リアルなんです。 特におもしろいと思ったエピソードは、子供の純と蛍が一輪車に石を積んで運ぶシーンです。制作側は子供に無理をさせず、重そうに運ぶ絵が撮れたらいいと、藁を上げ底にしてテレビに映るところだけに石を積んでいた。でも倉本先生はそれを却下して、山盛りの石を運ばせました。2人は石の重さでバランスが取れずに一輪車を倒し、石が落ちると積み直してまた運んで…。これがリアルなんです。 しかし純役の吉岡秀隆さんはつらかったんでしょうね。台本の裏に、“(監督の)杉田死ね! 倉本死ね!”と書いていました(笑い)。純は東京にいるお母さんのもとに帰りたいわけですが、吉岡さんも演技だけではなく、純と同じ気持ちだったのでしょう。ドラマ全体が、そうやってリアルになっているのです」 本読みだけでなく、撮影現場にも細かく立ち会っていたからこそリアリティあふれる数々の名シーンが生まれたと言えそうだ。◇疑似恋愛の脚本パワー 役者や演出家と真剣勝負をするだけではなく、時に倉本はラブコールも送っている。二宮和也主演の『拝啓、父上様』(フジテレビ系、2007年)は神楽坂の老舗料亭が舞台で、主人公の一平(二宮)はナオミ(黒木メイサ)に一目惚れする。実は、先に黒木に惚れていたのは倉本氏だった。「倉本先生は、デビュー時の黒木さんの鮮烈な美しさに圧倒された思い出があって、“メイサのためにあのドラマを書いたところがある”と話していました。疑似恋愛をしたときは、いいものが書けると(笑い)」倉本氏が誰かに惚れて書くのは女優に限らず、演出家などの男性の場合もある。「倉本先生は高倉健さんに惚れて『あにき』(TBS系、1977年)を書きました。高倉さんはテレビの連続ドラマ主演は『あにき』のみですから、相思相愛だったのでしょう。そういう意味でいうと、倉本先生に“ラブレター”を書かせた黒木さんはすごいですね」◇『やすらぎの刻~道』で新たな挑戦こうして約60年、脚本家として第一線を走り続けている倉本氏は、4月から放送される『やすらぎの刻~道』(2017年に「帯ドラマ劇場」枠の第1弾として放送された『やすらぎの郷』の続編)で、新たな試みをしている。「石坂浩二さん演じる脚本家・菊村が執筆するシナリオが、“脳内ドラマ”として映像化され、本編と並行して進む二重構造になっています。つまり、1本で2つのドラマを同時に楽しめる、斬新な作りですよね。80代の大ベテランの脚本家が、ここにきてもチャレンジをやめないとは、頭が下がります。本来“脳内ドラマ”のヒロインは八千草薫さんの予定でしたが、肝臓にがんが見つかったため降板されました。倉本先生は八千草さんを“別格の女優”と評していましたから、この知らせはしんどかったと思います。脚本は当て書きになっていたので、一部書き直されました」 1年間の帯番組ともなると、放送中に脚本を書き進めるのが一般的だが、『やすらぎの刻~道』の脚本はすでに完成している。「80代の自分に、いつ何があっても不思議ではない。“生きてるうちに書かなきゃ”という思いをモチベーションに、ゴール目指してがむしゃらに書き続けたと振り返っていました。全235話という大作の執筆は、命を削る作業ですよね」 遺言と称して思いを打ち明けたという倉本氏。これは引退宣言なのだろうか。「連ドラとしては『やすらぎの刻~道』で最後だろうと、倉本先生自身が言っていました。でも、単発のドラマは書き続けるでしょう。ぼくらが倉本聰という希代の脚本家と同時代を生きているのは幸せです。1本でも多く、これからも倉本ドラマを生み出してほしいと思います」
2019.03.17 07:00
NEWSポストセブン

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