樋口可南子一覧

【樋口可南子】に関するニュースを集めたページです。

主人公・北条義時を演じる小栗旬(時事通信フォト)
有名人の隣人トラブル 小栗旬は町内会費未払いで住民からクレーム受けたことも
 困った人を見ると放っておけない主人公・中越チカラ(松本潤)が、引っ越し先のマンションの住民たちの悩みやトラブルを解決する──ドラマ『となりのチカラ』(テレビ朝日系)が話題を呼んでいる。ドラマほどではないにしても、誰もが近隣トラブルの当事者になりうる。被害者になることもあれば、加害者になってしまうこともあるだろう。それは有名人でも同じこと。実際に、近隣トラブルで苦情を受けた有名人は少なくない。豊川悦司、萬田久子 近隣からの申し立てで、豪邸建設中断 2011年、高級住宅地として知られる東京・自由が丘に、萬田久子がパートナーの故・佐々木力さん(享年60)との終の住処を建築する予定だったが、基礎工事の段階で近隣住民の猛反対を浴びた。というのも、地中熱システムを導入するために地下100mも掘り進める計画があったのだが、すさまじい騒音を伴ううえ、もともと沼地で地盤から水が出ないとも限らないためだ。その後住民側が区に直訴したため、工事は一度中断。それでも佐々木さんの存命中に完成させようと工事を断行した萬田だったが、佐々木さんが亡くなったことで中止となった。 またサーフィン好きが高じて、神奈川県鎌倉市に1億5000万円の豪邸を建設した豊川悦司もまた、建築中の2014年に近隣住民のクレームを受け、再三の中断を余儀なくされている。 騒音がうるさいこと、振動がひどいこと、基礎が浅いこと、工事のやり方がおかしいことなど、クレームの内容は多岐にわたり、施工業者も変更に。紆余曲折を経たが、その後、豪邸は無事に完成した。小栗旬、SEKAI NO OWARI……騒音問題で出ていけという声も「俳優の労働組合を作りたい」と公言するほど、俳優仲間との絆を大切にする小栗旬。そんな彼の自宅は、稽古場としても使えるよう地上3階、地下1階という広さを誇り、2億5000万円ともいわれる大豪邸。2014年の新築当初からエアコンの室外機の排気音や小栗邸のせいで水脈が変わったこと、町内会の会費の未払いなど、近隣住民からのクレームが噴出。たまり場のようになっていたことから彼らの話し声も槍玉にあがった。 またSEKAI NO OWARIも、メンバー4人とスタッフなどが“セカオワハウス”と呼ばれる一戸建てで共同生活を送っていた2014年当時、近隣住民からの騒音苦情が寄せられていると報じられた。家の前にはペットボトルやたばこの吸い殻などゴミが散乱していることも、住民の反感を買っていたという。 夫婦げんかの絶叫や罵声で近隣住民から苦情が寄せられたのが、2013年に離婚した鈴木紗理奈。けんかに怯えた息子が泣き出すなど、鈴木邸の騒音はカオス状態。近隣は迷惑していたとも報じられた。樋口可南子、糸井重里 歴史あるマンションで住人同士がいがみ合い 高級ブランド店が立ち並ぶ東京・港区の表参道の交差点から程近くに、「南青山第一マンションズ」がある。1970年に建てられたヴィンテージマンションは茶色で落ち着いた雰囲気で、作家の向田邦子さんや財界人の平岩外四さんら、各界の有名人たちに愛されてきた。いまもコピーライターの糸井重里と女優の樋口可南子夫妻、CMディレクターの川崎徹などが居を構えている。そんな歴史あるマンションで、建て替えを推進する賛成派と、その建て替え計画ややり方に不満があるとする反対派の住人とで対立が起こっているという。賛成派の住人には脅迫状が送られるといった物騒な事態にも。 前出の川崎は、賛成派。その川崎と懇意にしている糸井は、積極的な賛成派としないとしながらも、川崎を応援する立場を表明している。 マンションの寿命は50年ともいわれるが、資産価値が上がる建て替えを選ぶか、住み慣れたいまの建物にこのまま住み続けるか、居住者がよりよい条件でぶつかり合うのは芸能人だろうと同じなのかも。※女性セブン2022年4月7・14日号
2022.03.29 07:00
女性セブン
ヘアヌード写真集『遠藤正 白熱写真集 日時計 SUNDIAL』はどう生まれた?
元祖ヘアヌード写真集の仕掛け人「隠れた写真を出す、つまりゲリラ」
 1990年代前半、樋口可南子を皮切りに、宮沢りえ、島田陽子、石田えり、川島なお美、高岡早紀など、大女優たちが次々とヘアヌード写真集を発売した。「解禁第1号」となった樋口可南子の『water fruit』(1991年)は、篠山紀信氏によれば「モノクロでアートとして撮る分にはかまわないだろう」(朝日新聞2019年4月16日付)と、あくまでもアート写真集の文脈で作られた。 その8か月後、対照的に「ヘアを露出する」ことを意図して作られた写真集が発売された。それが『遠藤正 白熱写真集 日時計 SUNDIAL』だ。『日時計』は写真家・遠藤正氏が1970~80年代に撮りためたヌード写真をまとめた作りになっている。それは竹書房の出版プロデューサー・二見曉氏の発想から生まれた。 二見氏の著書『僕は「ヘア」ヌードの仕掛人』(洋泉社)には『日時計』の制作秘話が綴られている。「『プレイボーイ』だとか『パンチ』だとか『GORO』だとか、そういうところには『ヘア』が写っているという理由で使えなかった写真がいっぱいあるはずだから、写真家に頼んでそれを拝借してしまおう、と提案したんだ。『隠れた』写真を出してしまうという発想。『ヘア』を出すということはそういうことだったんだよ。つまりゲリラ」 樋口可南子や宮沢りえの写真集とは違い、敢然とヘアを出す、確信犯だった。 逮捕されることも覚悟して発売された『日時計』は、35万部という大ヒットを記録し、当局の動きも警告のみに留まった。アダルトメディア研究家の安田理央氏によれば、「その後のヘアヌード写真集の流れから見れば、『日時計』は元祖的存在」と言えるそうだ。※週刊ポスト2021年7月2日号
2021.06.27 16:00
週刊ポスト
高岡早紀の写真集も大きく世間を賑わせた(写真/共同通信社)
高岡早紀の伝説的写真集 清純派から脱却で47万部の大ヒット
 樋口可南子が扉を開き、宮沢りえが社会に普及させたと言われるヘアヌード写真集。樋口可南子の『water fruit』が発売された1991年から、30年を迎える。その間、数多の大物女優たちがカメラの前で裸体を晒し、大衆やメディアはそのたびに狂喜乱舞し、写真集は飛ぶように売れた。まさに日本社会を動かし、形づくってきた衝撃の問題作を、時代とともに振り返る。●『小柳ルミ子写真集』(撮影/立木義浩、集英社、1991年) 1991年7月に芸能生活20周年を記念した写真集の発売予定だったが、発売前から「ヘアが写っている写真がある」と噂されていた。樋口可南子に続く大物のヘアの噂は過熱し、論争に巻き込まれることを避けるように、出版社は発売を延期。のちに発売されたが、噂とはまったく異なる内容だった。ヘアで一喜一憂した騒動となった。●荻野目慶子『SURRENDER』(撮影/写楽、講談社、1992年) 荻野目慶子は14歳のとき舞台『奇跡の人』のヘレン・ケラー役でデビューし、映画、ドラマでも活躍する若手女優に成長した時にヘアヌードになった。撮影者の謎の「写楽」を巡って騒然となり、かつての不倫相手だったことが週刊誌報道で明らかになった。後には出演映画の監督深作欣二氏とも不倫関係になり、「魔性の女」と呼ばれた。●高岡早紀『one,two,three』(撮影/篠山紀信、ぶんか社、1995年) 清純派イメージだったが、22歳になる直前に公開された映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』で初ヌード、直後に発売されたこの写真集ではヘアヌードを披露した。「可愛らしい顔立ちと裏腹の重量感タップリのオッパイで、映画の試写会ではあちこちからため息が漏れました。この写真集も期待通り」(映画評論家・秋本鉄次氏)。肉体の存在感で読者を圧倒した。 1994年はヘアヌード写真集がおよそ200冊刊行され、点数的にはピークを迎えたが、1冊ごとの部数は下降。その中でこの写真集は47万部が売れ、久しぶりの大ヒットになった。※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2020.12.31 19:00
週刊ポスト
有名女優がヌード写真集を立て続けに発売する時代があった(イメージ)
樋口可南子の伝説写真集 朝日の文芸時評にも取り上げられた
 1990年代に一大ブームとなった「ヘアヌード」。この時代の扉を開いたのは樋口可南子の写真集『water fruit』だった。ヘアヌード「元年」とも言える1991年以前は、ヘア写真を見るには書店の芸術書コーナーでアート系の写真集を買うか、街の書店の成人向け本コーナーや自販機でビニ本を手に入れるほかなかった。 そこに1991年の年明けに初めて有名女優がモデルとなってヘアを晒し、書店の一般書コーナーで売られるヌード写真集が登場したのだ。 この写真集に収録された写真54点中15点にヘアが写っている。前例がなかったが、「モノクロでアートとして撮る分には構わないだろうって」と篠山紀信氏は2019年の朝日新聞のインタビューで当時を述懐している。 大々的に宣伝しなかったにもかかわらず、アートとしての評価に加え、「ヘアが写っている」との口コミが広まり、発売3か月後には作家の高橋源一郎氏によって朝日新聞の文芸時評にも取り上げられた。最終的には55万部を売り上げた。 この写真集の発売直後に荒木経惟氏によるヘアが写ったヌード写真が芸術系の月刊誌に掲載され、警視庁は2つのケースが刑法のわいせつ罪に当たるかどうかを検討したものの、摘発は見送られた。 これが事実上のヘア解禁となった。以後、有名女優によるヌード写真集発売が噂されると「ヘア付き」か否かが関心の的になった。「ヘアヌード」という言葉が登場し、定着するのは2年後のことだ。※週刊ポスト2021年1月1・8日号
2020.12.24 19:00
週刊ポスト
時代劇研究家が厳選 いま、家で観られる名作時代劇10の魅力
時代劇研究家が厳選 いま、家で観られる名作時代劇10の魅力
 新型コロナウイルス蔓延による外出自粛令が出ているが、自宅で過ごす今は、これまで手を出せなかった映画・ドラマに挑戦する絶好の機会だ。なかでも注目を集めているのが「時代劇」。新著『時代劇入門』がベストセラーになり、往年の名作を知り尽くす時代劇研究家・春日太一氏が、時代劇の魅力を存分に味わえる10作品を紹介する。 * * * 時代劇というと『水戸黄門』『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』といった、ワンパターンの勧善懲悪ものばかり―と思っている方は少なくないかもしれません。 でも、それは大きな誤解。アクションの多彩さ、感情描写の豊かさ、ストーリーの多様さ……時代劇は様々な魅力に富んだ奥深いジャンルです。 そしてなにより、そこに映し出されるのは現代と全く異なる空想の世界。外出自粛で気づまりな毎日、時代劇を観ながら一時だけでも現実を忘れてみてはいかがでしょうか。 今回は、配信や再放送でご自宅でも気軽に楽しめる時代劇作品を、幅広く集めてみました。まずはスケールの大きなアクションを堪能できる作品から紹介していきましょう。◆『隠し砦の三悪人』 黒澤明監督によるエンターテインメント大作です。『スター・ウォーズ』の原点になった作品でもあり、とにかく息をつかせない。 時は戦国時代。城を攻め落とされた姫を守って、敵の包囲網の中を同盟国まで送り届けようとする侍を三船敏郎が演じます。次々と襲い掛かるピンチを切り抜けていくサスペンス、馬を駆使したチェイスシーンと馬上での斬り合い―壮大なアクションに引き込まれます。◆『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』 小池一夫の人気劇画の映画化第6作。毎回、趣向を凝らしたアクションやバイオレンスが展開されていくシリーズですが、中でも本作は凄まじい。 特にラストは雪山での死闘。スキーを駆使して襲い掛かる柳生の忍者軍団に対して、主人公の拝一刀(若山富三郎)は乳母車をソリにして迎え撃つ。乳母車の上に仁王立ちになっての殺陣など、若山の身体を張ったアクションに注目です。◆『魔界転生』 天草の乱の絶望から魔界と手を結んだ天草四郎(沢田研二)が、その妖術により宮本武蔵(緒形拳)、宝蔵院胤舜(室田日出男)、柳生但馬守(若山富三郎)といった名だたる剣豪たちを仲間に引き入れ、幕府を滅ぼさんとする。そこに千葉真一演じる柳生十兵衛がたったひとりで立ち向かいます。 剣豪版アベンジャーズともいえる面々が勢ぞろいし、壮絶な死闘が展開される。千葉の躍動感あふれる殺陣に対し、若山、緒形は非常に重厚。その激突は手に汗握ります。◆『座頭市物語』 登場人物に感情移入できるのも、時代劇の大きな魅力です。 映画『座頭市物語』は、勝新太郎がその代名詞となるヒーロー・座頭市を演じたシリーズの第一作。盲目の按摩でありながら、居合の腕が凄まじい座頭市がやくざの抗争に巻き込まれていく。 釣りを通じて心を通わせるようになった肺病の浪人は、敵対する組織の用心棒だった―。組織から爪弾きにされた者同士の育む友情と、やがて斬り合わなければならない哀しい宿命が、詩情感あふれる映像の中で表現されていきます。◆『風の中のあいつ』 ショーケンこと萩原健一主演の青春時代劇です。清水次郎長を主人公にした時代劇では悪役として描かれる「黒駒の勝蔵」が主役に据えられ、その若き日のドラマが描かれます。当時の若者のアイコンだった萩原の演じる勝蔵は、決してヒロイックではありません。薄汚い身なり、猫背、うつむきがちな表情。現代劇と同じく、挫折感を背負った青年として演じていました。世間と折り合いをつけて生きられない若者の苛立ちと悲しみが心に響きます。◆『鬼平犯科帳』 盗賊たちを取り締まる火付盗賊改方長官・長谷川平蔵(中村吉右衛門)やその配下の同心や密偵たちの活躍が描かれます。 ハードボイルドな物語展開も大きな魅力ですが、なんといっても江戸情緒あふれる映像が素晴らしい。特に、エンディングロール。江戸の四季の模様がジプシー・キングスによる哀切なメロディに乗って映し出され、最高の余韻を与えてくれます。厳しさだけでなく、優しさや温かさに包み込まれる作品ですね。◆『女殺油地獄』 元禄時代の大阪が舞台。近松門左衛門の戯曲を原作にした男女の愛欲のドラマで、五社英雄監督の遺作です。 魔性の女・小菊(藤谷美和子)にはまり込んで身を崩していく油屋の若旦那・与兵衛(堤真一)と、その二人に嫉妬して与兵衛を誘惑する年増の人妻・お吉(樋口可南子)の織り成すエロティックな三角関係が、儚い映像美の中で描かれていきます。情欲に囚われた男女による、理屈を超えた心情の機微を樋口、堤、藤谷が見事に演じました。◆『闇の狩人』 江戸の裏社会に生きる人々の人間模様を、哀感とともに描いた池波正太郎原作のドラマです。 記憶喪失の剣客・弥太郎(村上弘明)と、なにかと彼の世話を焼く盗賊・弥平次(蟹江敬三)、弥太郎を殺し屋として使う香具師の元締め・清右衛門(田村高廣)、そして彼らに寄り添う女たち。 陰謀渦巻く殺し屋たちの非情な組織というハードボイルドな乾いた世界が、優しく温かい触れ合いとともに描かれ、孤独な心を抱いた者たちのドラマを際立たせています。◆『黄金の日日』 最後に、大河ドラマの中でも、特に歴史のロマンに浸れる2作品を紹介します。『黄金の日日』は、戦国時代の堺を舞台に、商人を主人公に据えた珍しい作品。堺の若者・助左衛門(六代目市川染五郎、現・二代目松本白鸚)が持ち前のバイタリティでのし上がっていく。実際にフィリピンでロケをした南蛮貿易や海賊との交流など、描かれる世界観の大きさも見どころです。 助左衛門の庇護者からやがて権力の亡者となり立ちはだかる秀吉(緒形拳)や、両者の間で葛藤する石田三成(近藤正臣)、助左衛門に協力しながら秀吉に対抗する石川五右衛門(根津甚八)など、脇のキャラクターも魅力的ですね。◆『武田信玄』 戦国最強の騎馬軍団を率いた甲斐の大名・武田信玄の生涯を描いた名作です。理想に燃える若者、頼りがいのある領主、老練な策略家―と年齢に応じて変わっていく信玄像を20代の若さで演じきった中井貴一が見事。 大河にありがちな気を緩めるようなホームドラマ要素は一切なく、ひたすら合戦と策略、人間の心の闇が描かれる。菅原文太、杉良太郎、西田敏行、平幹二朗ら豪華キャストの配役も完璧です。「時代劇だから」と構えることなく、興味のあるジャンルや好きな俳優の作品から挑戦してください。きっと心に残るシーンに出会えるはずです。※週刊ポスト2020年5月1日号
2020.04.22 16:00
週刊ポスト
左から元木昌彦氏、鈴木紀夫氏、石川次郎氏
宮沢りえの伝説写真集「Santa Fe」 極秘撮影の舞台裏
 昭和の女優ヌードや平成で開花したヘアヌードまで、戦後の出版文化の賑わいの中にはヌードがあった。外国の通信社から買った外国人女性のヌードから始まり、1970年代に平凡パンチが“自前のヌード”という分野を開拓。それが大きく花開いたのが1980年代だ。時代ごとのヌードを第一線で見てきた石川次郎、鈴木紀夫、元木昌彦の3氏が、当時の熱気を振り返る。元木:1980年代になると次々とヌード写真集が出てきますね。原田美枝子、大谷直子、高田美和、五月みどり、風吹ジュン、関根恵子、浅野ゆう子、小柳ルミ子、秋吉久美子、坂口良子、かたせ梨乃、名取裕子……。鈴木:私もその時代、1988(昭和63)年に初めてヌード写真集を手掛けました。コリアンエロスものです。韓国のフォトエージェンシーから「韓国のタレント、女優、モデルのヌードを撮っているカメラマンがいる」と聞いたんですが、当時の韓国はヌードに対する規制が厳しくて向こうでは出せないという。ならば、とこっちで出しました。モデルの了解も取っていないんですが(笑い)。大使館あたりから抗議が来ると困るから、タイトルは過激なものはやめて、中の文章も格調の高いものにしましたね。石川:『韓国美女・夢幻』ですか。サブタイトルに「恨と忍のエロティシズム」とありますね。(中を見て)色っぽいじゃないですか。売れたでしょう。鈴木:ええ、おかげさまで。石川:麻田奈美がいい例ですけど、ヌード写真集は雑誌のグラビアの副産物として定着しました。そのうち撮り下ろしで独自に出版されるようになり、逆に写真集のプロモーションとして雑誌のグラビアが使われるようになりました。元木:その傾向は1990年代に入ってヘアヌード写真集がブームになるとより顕著になりましたね。ヘアと言えば、1980年代でも写真集の中にはチラッとぐらいヘアが写っていたものもありましたよ。でも、週刊現代や週刊ポストのような一般の雑誌に載せるのは無理でした。桜田門(警視庁)に呼び出され、下手すると回収させられかねませんから。石川:その頃僕は平凡パンチを離れ、1980年代のヌード写真集ブームを横目で見ていたんですが、編集長だったBRUTUSでヌード特集をやったら何ができるのかと思い、あえてヘアが写った写真も載せました(1985年9月15日号の「裸の絶対温度」)。 カメラマンもモデルもヘアなんか気にせず撮っていたのを知っていましたから、そういう写真を提供してもらったんです。中には男性器がはっきり写っている写真もありましたよ。ただし、ヘアを出すための、よく言えば「切り口」、有り体に言えば「言い訳」が必要だと思い、「アート」を掲げた。発売の翌日、警視庁に呼び出され、始末書を書かされましたけれどね。元木:女優やタレントのヌード写真集で初めてヘアが写っていたとされるのが篠山(紀信)さんが撮った1991年の樋口可南子『water fruit』で、同じ年に出た宮沢りえ『Santa Fe』が最終的に155万部という大ベストセラーになりました。鈴木:実は『Santa Fe』には非常に苦い思い出がありまして。当時、私はFLASHの編集長で、篠山さんが表紙の写真を撮っていました。そこで、あるとき宮沢りえさんが1週間休みを取れるというので、篠山さんのチームとFLASHのチームで彼女をハワイに連れて行き、表紙やグラビアの写真を撮ったんです。 そして帰国して4日後だったか、朝日新聞に『Santa Fe』の全面広告が出たんです。何かの間違いじゃないかと思うくらい驚きましたよ。篠山さんのチームも、りえさんもりえママも口が硬くて、1週間一緒にいたのにおくびにもださない。おかげでスクープのチャンスを逃した私は社内で立場がありませんでした。石川:宮沢りえがきっかけになって、次々と有名女優がヘアヌード写真集を出す時代に突入していきましたね。【プロフィール】◆いしかわ・じろう/1941年生まれ。1966年平凡出版(現マガジンハウス)入社。POPEYE、BRUTUS、Tarzan、GULLIVER、平凡パンチ各誌編集長を歴任。1993年に退職し編集プロダクション「JI inc.」を設立。1994~2002年、テレビ朝日系『トゥナイト2』の司会を務めた。◆すずき・のりお/1940年生まれ。1962年光文社入社。女性自身を経て、週刊宝石、FLASH創刊に携わり、1988年からFLASH編集長、1996年から週刊宝石編集長。女性自身の発行人も務めた。2004年に光文社常務を退任。◆もとき・まさひこ/1945年生まれ。1970年講談社入社。1990年からFRIDAY編集長、1992年から週刊現代編集長、1999年からWeb現代編集長。2006年退職し、その後オーマイニュース日本版編集長&社長を務めた。●取材・構成/鈴木洋史 撮影/榎本壯三※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.20 16:00
週刊ポスト
『時効警察はじめました』の撮影の様子
役者も演出家もこなす『時効警察』岩松了氏、劇作家への思い
 劇作家であり演出家、そして役者でもある岩松了。取材に訪れたこの日は、役者に徹する1日だった。早朝から金曜ナイトドラマ『時効警察はじめました』(テレビ朝日系)のロケ現場に入った時効管理課熊本課長役の岩松は、他の役者たちとともに細かいカット割りを次々とこなしていく。 前回の「時効警察」シリーズが終了したのは、2007年。実に12年ぶりの復活ということになる。オダギリジョー、麻生久美子をはじめ、ふせえり、江口のりこら出演メンバーは今回もほぼ同じ。役者たちの掛け合いの小気味よさ、ウィットなど、一級のコメディタッチも不変だ。12年もの歳月を経て、ドラマの新シリーズが放送されるのも珍しい。それほどこのコメディミステリーは、多くのファンをつかんできたということでもあるのだろう。岩松も「時効警察」の認知度の高さには驚かされてきたという。「ニューヨークで鮨屋に入ったら、日本人の職人さんから帰り際に、『ありがとうございました、熊本課長』って言われたことがあったぐらい(笑い)。他にもちょこちょこドラマに出演してきたけど、この役が特に印象的なんでしょう」 前回ドラマが始まったときに55歳だった岩松も、67歳になった。「出演者みんなで久しぶりに会ったとき、最初のうちは、『変わらないね』なんて言い合ってたけど、収録が進むにつれて、『やっぱり年をとったね』と言うようになった(笑い)。そりゃそうですよね、今回から入った吉岡里帆は、前シリーズのとき、中学生だったと言ってましたから」 東京外国語大学ロシア語学科を中退した岩松が初めての戯曲『お茶と説教』を書き上げ、34歳で劇作家としてデビューしたのは1986年。劇団「東京乾電池」に参加してはいたものの、「10年近い無自覚な演劇生活を振り返り、一本好き勝手に書いて演劇は辞める」とまで思いつめて書いた作品だった。デビュー作は高い評価を受け、4作目の『蒲団と達磨』で岸田國士戯曲賞を受賞。だが、苦しい壮年期でもあった。「子どもができた時期とも重なってたし、食わさなきゃいけないという意識も強くて、いろんな意味でイライラしていました。30代、40代の頃は、とにかく舞台を成立させることに腐心していた。劇作家としてちゃんとしなきゃ、いい加減な仕事はできない、と強く思っていたんです」 1990年代以降、作家としての仕事量は増え、岸田今日子、樋口可南子、原田美枝子、小泉今日子、麻生久美子といったヒロインに向けて戯曲を書くことが多くなっていった。「女優さんには損をさせちゃいけないという思いがあって、いい本を書いてあげるということを自分に課して、追い込んでいくような感じでした。女優さんと向き合って、刺激をもらって書くものに広がりをつけていきたいという気持ちも強かったのかもしれない。自分の中の訓練でもあったなという気がします」 50代になると、岩松の仕事の質と量はさらに変化していく。劇作家、演出家に加え、それまではさほどでもなかった役者としての仕事が急激に増え出すのだ。剽軽さも重厚さも自在に表現する岩松には、ありとあらゆる役が降ってきた。同時に知名度も急速に上がっていく。しかし岩松は、自身のスタイルをこう規定する。「仕事はなんですか、と訊かれたら、やっぱり劇作家と答えるんです。なぜかと言ったら、それがいちばん自分がエネルギーを注いでいるものだから。自分の表現の形としては、最も幅と深みを与えられるものだから。誰も助けてくれないし、人と喋らない日が何日も続くような仕事ですけどね。でも、それとバランスをとるように、役者の仕事をやると、自分としては非常にいいんですね。役者は対人関係で動いていくし、作家とは使う神経が違うので」 役者としての実力は、是枝裕和、園子温、三池崇史、宮藤官九郎らそうそうたる映画監督に起用されていることからもわかる。2013年には、61歳にして『ペコロスの母に会いに行く』(森﨑東監督)で映画初主演。老いた認知症の母を看る禿頭の息子を好演し、高い評価を受けた。 岩松がこれまで戯曲の大きなテーマとしてきたのは、「日常的な生活の中にある人間の問題を掘り下げること」だ。家庭や夫婦を扱った作品も少なくない。「喜劇とかあまりジャンルを区別したくないんですけど、喜劇にはあまり悪い人が出てこない。たとえ犯罪者であっても。でも、僕が戯曲を書くときは、日常生活の中で、普通に振る舞っている人にもいかに悪意があるかというのを探ろうとする。飯を食っているだけで悪意がある、みたいなシーンを面白がったりするわけです」 岩松が描くのは、人間が抱く善意、悪意、偽善性といった感情や関係性だ。細やかな言葉のやりとりや動きから、人間の本質を浮き彫りにする。 劇作家、役者に加えもうひとつの顔である演出家を引き合いに岩松はこう言った。「世の中、どれだけウソがまかり通っているか、人は何で動かされているのか、人のいかさまぶりがいかほどか、といった仕組みがわかっているのが演出家。そういう意味で自分はそれに近づいてきている気がするし、もっとちゃんとした演出家になりたいという願望も強いんです」【PROFILE】いわまつ・りょう/1952年生まれ、長崎県出身。劇団「自由劇場」「東京乾電池」を経て、劇作家・演出家・俳優と多岐にわたる才能で活躍。1989年に『蒲団と達磨』で岸田國士戯曲賞、2018年に『薄い桃色のかたまり』で鶴屋南北戯曲賞を受賞。●撮影/矢西誠二 取材・文/一志治夫※週刊ポスト2019年11月1日号
2019.10.25 07:00
週刊ポスト
斉藤慶子ほか、50周年『週刊ポスト』表紙女性 80年代編
斉藤慶子ほか、50周年『週刊ポスト』表紙女性 80年代編
『週刊ポスト』がこの8月で創刊50周年を迎える。1969年に創刊された同誌は、表紙に各時代で活躍した女優や女性タレントたちを起用して話題となった。中でも1980年代はアイドル隆盛の10年だった。松田聖子は1980年11月14日号に初登場。1月発売の迎春特大号などを飾る機会が多かった。1986年には“美少女”の先駆け、後藤久美子が12歳で表紙デビュー。本誌カバーガール史上の最年少を記録する。 こうして10代アイドルの占める割合が増えていく一方、樋口可南子や坂口良子、古手川祐子、賀来千香子という正統派美人女優も合併号などで数多く顔を出してくれた。 1986年7月の鈴木保奈美、1987年7月の森高千里など、デビューしたばかりの美女をいち早く起用することも。1988年の創刊1000号は、大人気の“バラドル”だった井森美幸が飾っている。 ここでは、1980年代に『週刊ポスト』の表紙を飾った女性たちを紹介しよう。◆斉藤慶子(1984年4月20日号) 熊本大学在学中の1982年、「JAL沖縄キャンペンガール」に選ばれて芸能界入り。◆多岐川裕美(1980年9月12日号)『柳生一族の陰謀』『俺たちは天使だ!』などのドラマで人気に。◆浅野温子(1981年4月24日号) 1981年の映画『スローなブギにしてくれ』で、小悪魔的な女性を熱演し話題に。◆田中好子(1980年10月10日号) 1978年のキャンディーズ解散で引退したが、1980年に女優として復帰。◆河合奈保子(1982年2月12日号) 1980年に歌手デビュー。1981年の『スマイル・フォー・ミー』で紅白初出場。◆賀来千香子(1983年7月1日号) モデルを経て、1982年に女優デビュー。1986年には『男女7人夏物語』に出演。◆古手川祐子(1984年5月4日号) 清純派女優として人気を博し、1983年の市川崑監督『細雪』では四女を好演。◆後藤久美子(1986年4月11日号) 1986年、NHK『テレビの国のアリス』で女優デビューし、翌年にはNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』に出演。今年12月27日公開の新作映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』で山田洋次監督からの熱烈なオファーを受け、23年ぶりに女優復帰する。◆鈴木保奈美(1986年7月25日号) 1986年にドラマ『おんな風林火山』に主演し、数多くのトレンディドラマに出演。◆菊池桃子(1986年8月15日号) 1984年より清純派アイドルとして人気に。1986年には25万人握手会実施。◆酒井法子(1987年5月22日号) 1986~1987年のテレビ番組『モモコクラブ』で人気を博し、1987年に歌手デビュー。●撮影/秋山庄太郎 文/岡野誠※週刊ポスト2019年8月16・23日号
2019.08.07 16:00
週刊ポスト
『元気が出るテレビ』は2人の「天才」が組んで実現した
『あぶない刑事』の浅野温子が刑事ドラマで画期的だった理由
 その時代ごとに名作が生まれた刑事ドラマでは、常に女性刑事が物語の大事なカギを握ってきた。同僚刑事との恋愛や結婚の話が絡む関根恵子や長谷直美(いずれも『太陽にほえろ!』)のような“庶民派”、一瞬で場を明るくする浅野ゆう子(『太陽にほえろ!』)や関谷ますみ(『特捜最前線』)のような“マスコット派”、本格的な捜査をする藤田美保子(『Gメン’75』)や江波杏子(『非情のライセンス』)のような“ハードボイルド派”──。 映画監督の樋口尚文氏によれば、1970年代の刑事ドラマにおける女性の役割は主に3つに分類できる。1980年代もその傾向が続く中、1982年の『女捜査官』(テレビ朝日系)はタイトル通り、女性が主人公となる。フリーピストルの五輪代表候補だった女性警官の樋口可南子と教官の樹木希林が刑事に抜擢されるという設定で、樋口がホステスに扮したりもした。翌年には『新・女捜査官』(テレビ朝日系)で25歳の名取裕子が抜擢される。大ヒットまでには至らなかったが、歴史を振り返る上で欠かせないシリーズだ。 従来の女性刑事のイメージを覆したのは、1986年開始『あぶない刑事』(日本テレビ系)の浅野温子だ。社会学者の太田省一氏が話す。「署内で、馴れ馴れしく柴田恭平や舘ひろしに接していた。つまり、女性が“紅一点”から“同僚”に格上げされたんです。折しも、この年に男女雇用機会均等法が施行。そんな社会情勢も反映されているのでは」 浅野はそれまでの女性刑事と一線を画した。橋の上で機動隊が数十人向かってくる中、1人で止めに入るシーンを演じた時には、踏み倒されて顔に大きな靴跡がついていた。企画に携わった岡田氏が振り返る。「浅野君は、コミカルな演技も平気でやるんですよ。脚本に描かれているシーンをどう演じるかは俳優さんにかなり任せていました。署内の場面はふざけないでくれと何回か言ったのですが、全然効き目がなくて大騒ぎしていましたね(笑い)」 バブル景気に沸く1988年1月、フジテレビで異色の刑事ドラマ『君の瞳をタイホする!』が始まる。キャッチコピーは“アフター5は恋が事件(ヤマ)”。捜査シーンはほとんどなく、浅野ゆう子や三田寛子など“刑事の恋愛模様”がテーマだった。「それまでのドラマは人物や職業を描いていましたが、80年代後半から90年代にかけて恋愛が中心になる。そのキッカケとなった作品です」(樋口氏) 従来の形式では視聴率が取りづらくなっていく中で、女性刑事の役割も徐々に変化していく。◆取材・文/岡野誠※週刊ポスト2018年10月26日号
2018.10.20 07:00
週刊ポスト
女優写真集座談会 解禁前後でどういう変化があった?
女優写真集座談会 解禁前後でどういう変化があった?
 1990年代、世間を騒がせたのがヘアヌードブーム。1991年に発売された樋口可南子の写真集『water fruit』(篠山紀信撮影)の発売でヘアヌードが事実上解禁され、熱狂的なブームを巻き起こしたが、日本のヌード写真集の歴史はその20年以上前から始まっていた。芸能や出版、アートの分野に精通する小澤忠恭、亀和田武、伴田良輔の3氏が「昭和のヌード写真集」を180分語り尽くした座談会。前半では関根恵子、森下愛子、川上麻衣子、手塚さとみ、秋吉久美子らが俎上に上がったが、後半は「ヌード写真集のあり方」でトークは盛り上がる──。小澤:原因は男なのか金なのかわかりませんが、追い詰められた自分の状態を、ヌードになって気持ちを高揚させて乗り越えようとする人もいる。そのとき、カメラマンに「抱いてくれ」と迫ってくる人もいます。自分だけリスクを冒すのは嫌だって。亀和田:共犯関係になってくれ、と?小澤:そう。脱ぐということは、「異界」に行くことなんですね。そして、女優というのは異界に行くことに慣れている。伴田:僕も女優のヘアヌード写真集を撮ったとき、相手がガンガン迫ってくる真剣勝負に緊張したし、汗もダラダラでした。小澤:セックスより疲れると思いますよ、ヌードを撮るのは。伴田:究極的には「お前は何者なんだ」と問われますし。亀和田:僕は昔、自販機本と言われた雑誌のヌード撮影の現場に立ち会いましたけど、今のお話に比べると、脱ぐことを職業にしている人たちはあっさりしていましたね。気持ちの高揚はありませんから。今回取り上げる写真集の中で1人だけ女優ではないのが、1972年から1977年まで『平凡パンチ』のグラビアで一世を風靡した麻田奈美です。小澤:りんごで股間を隠した「りんごヌード」で有名になった彼女は、ヌードグラビアの先駆者で、童顔巨乳のハシリです。伴田:彼女は逸材ですよね。あの「りんごヌード」は彼女だから成り立った。亀和田:顔も体も健康的だな。小澤:篠山さんもあの写真は意識したし、影響を受けたと思います。一時期よく、ヌードを撮るときに望遠レンズを使っていました。肉体で画面を埋め、肉感を強調した写真を撮るためです。この写真集は技術的には大したことはないけど、彼女の存在感が凄くて、エポックメイキングな写真でした。日本のヌードグラビア史の金字塔ですね。亀和田:逆にそれ以前、1960年代、70年代、日本のヌード写真集の状況は──。伴田:1960年代はヌード写真集と言えるものはほとんどなかったですね。ヌードを撮る有名カメラマンも秋山庄太郎、大竹省二ら数人しかいませんでした。亀和田:「婦人科カメラマン」と呼ばれていた人たちですね。伴田:1960年代によく見られていたのは『100万人のよる』という雑誌のグラビアで、ストリップダンサーやヌードダンサーを起用した明るいヌードを載せていました。あれがヌードグラビアのハシリじゃないですか。亀和田:1965年に『話の特集』が創刊され、やがて篠山さん、立木義浩さんたちがヌードグラビアを撮り始めるんですよ。小澤:当時のトップモデルを起用して、アートとエンタテインメントの中間ぐらいのヌードを撮っていましたね。僕のように写真を目指す青年の憧れのページでした。あそこにこういうもの(1980年代のヌード写真集)の原型があるかもしれない。亀和田:その後、1970年代、1980年代を経て1991年にヘアヌードが解禁され、時代を席巻します。ヘア解禁以前と以後ではどういう変化があったと思いますか。小澤:ヌードになる、ヌードを撮るということの本質は変わらないけど、表現の仕方が変わったことは確かです。ヘアが出せなかった時代は手で隠す。ということは、手の使い方ひとつで色っぽくも、楚々とした感じにもできる。 つまり、隠すことによって表情が出る。でも、ヘアヌードでは股間に手を置けない。下手をすると、ただヘアを見せるだけの生体写真のようになりかねないんですね。ちなみに、アメリカのヌード写真はひたすら肉体美を強調したものが多いのですが、日本の特徴は情感で見せようとすることにあります。特に解禁以前はそうです。亀和田:ヘアが見えていなくても、凄くエロティックな写真がありますよ。伴田:ヘアヌード解禁以前は見せちゃいけないものがある前提で撮っていた。ヘア解禁を経て今はフェチの時代ですよね。撮影対象が広がった分、写真家は何を撮るのかを問われる。◆モデルがアクメ顔になる小澤 もうひとつ、ヘアを見せると、悶えなくちゃいけないという発想になって、モデルがアクメ顔になっていくんです。ヘアは性器ではないのに、写真がセックスのイメージになっていくんです。でも、それ以前はモデルが悶えてなくて、多くが体のポージングで見せている。亀和田:何でも見られるこのネット時代に紙のヌード写真集が生き残っていくためには、新しいアイデアが必要でしょうね。【プロフィール】◆おざわ・ちゅうきょう/1951年生まれ。写真家。篠山紀信氏のアシスタントを経て独立。石原真理子のヘアヌード『Marie!──石原真理子写真集』など多くの女優、アイドルの写真集を撮影。他に人物、旅、料理などの写真も撮り続ける。◆かめわだ・たけし/1949年生まれ。作家、コラムニスト、編集者、キャスターとして活躍。かつて自販機エロ雑誌『劇画アリス』編集長を務める。著書多数。10月末に『雑誌に育てられた少年』(左右社)を刊行予定。◆はんだ・りょうすけ/1954年生まれ。写真評論から写真家に転じ、濱田のり子のヘアヌード『エロティッシモ』、真梨邑ケイ写真集『PANDORA』などアートとエロスの融合した写真集を刊行。作家、翻訳家、版画家としても活躍。取材・構成■鈴木洋史※週刊ポスト2018年10月12・19日号
2018.10.11 16:00
週刊ポスト
昭和の女優写真集座談会 80年代の女優はなぜ脱いだのか
昭和の女優写真集座談会 80年代の女優はなぜ脱いだのか
 1991年に樋口可南子の写真集『water fruit』(篠山紀信撮影)の発売でヘアヌードが事実上解禁され、熱狂的なブームを巻き起こした。しかし、日本のヌード写真集の歴史はその20年以上前から始まっていた。有名女優はなぜヌードになったのか。芸能や出版、アートの分野に精通する小澤忠恭、亀和田武、伴田良輔の3氏が、「昭和のヌード写真集」を180分語り尽くした。亀和田:こうして1990年代のヘアヌード解禁前の、昭和のヌード写真集をずらりと並べると、メジャーな映画やテレビドラマに出ていたお茶の間で馴染みの女優さんが、実にたくさんいることにあらためて驚きますね。 当時、“えっ、この人まで脱いだの!?”と驚いたのは、まず関根恵子。15歳でデビューした頃、ほんとに綺麗な子でね。最初の主演映画でスケスケのネグリジェになったりしてましたけど、写真集でなんでここまで脱ぐ必要があるのかと思いました。森下愛子もそうですね。小澤:清純なイメージでしたからね。亀和田:僕が一緒にテレビ番組に出ていた子が17歳でヌードになったときも驚いた。川上麻衣子です。高田美和、畑中葉子、奈美悦子あたりは脱いだのを知っても驚きませんが。伴田:僕にとって衝撃だったのは手塚さとみ(理美)です。大好きだったので。小澤:デビューのときから篠山(紀信)さん、沢渡(朔)さんに可愛がられていたから、脱ぐことに問題なかったんじゃないですか(笑い)。亀和田:秋吉久美子にもちょっとびっくりした。この風吹ジュンにも驚いたけど、撮ったのは(ソフトフォーカスによる綺麗なヌードで有名な)デビッド・ハミルトンか。だとしたら、ちゃんと自分のイメージを考えていたのかな。浅野ゆう子も綺麗に撮ってもらってる。伴田:当時、僕は海外の写真集にハマっていたので、日本のヌード写真集はリアルタイムでは見ていないものが多いんですが、それだけに新鮮で、この吉沢京子なんか今初めて見てドキドキしますよ。同い年の憧れの同級生が脱いでいたことを知ってドキドキするみたいな。小澤:彼女は『ドラえもん』に出てくるしずかちゃんみたいなイメージだったからね。亀和田:しずかちゃんを脱がせた大人はひどい(笑い)。伴田:早乙女愛もいい。亀和田:かたせ梨乃は今見ても凄い。おっぱいの形が迫力あるし、体が何とも言えずエロい。小澤:彼女は逸材でしょう。伴田:奔放な感じがほとばしっていますね。原田美枝子のは勝新太郎さんが撮っているんだ。亀和田:勝さんのアート性も凄いんですよ、これ。伴田:ほんとだ、映画のような写真だね、全部。◆小悪魔女優として断トツの加賀まりこ小澤:こうして見ると、やっぱり錚々たるメンバーだな。こりゃ、昔のヌード写真集をたくさん揃えたバーをやったら中高年男性に流行りそうだ(笑い)。伴田:今気づいたけど、五月みどりなんか僕よりずっと年上のお姉さんという感じだったけど、写真集を出した当時は42歳か。今の僕よりずっと若いのにびっくりで、当時と今の自分が行き来するような、倒錯した気分になりますね。小澤:熟女ヌードのハシリですよね、五月みどりは。伴田:このラインアップの中で加賀まりこは別格ですね。亀和田:ほんとに可愛くて、小悪魔女優としては断トツ。今でも彼女の映画の代表作『乾いた花』や『月曜日のユカ』のポスターが貼ってあるカフェやバーがあって、パリの一角かと錯覚させる雰囲気が漂ってきますから。伴田:加賀まりこのは、写真だけじゃなく、デザイン、アートディレクションなど本の作り自体が素晴らしい。他の写真集がほとんど1980年代に出たのに対し、これは1971年ですか。あの頃のカルチャーが色濃く反映されていますね。その前の年に出た鰐淵晴子のも同じようにアート性が高いですね。亀和田:1980年代、多くの女優たちはなぜ脱いだのでしょうか。小澤:僕よりひと回りぐらい上の世代は、カメラマンにしろ編集者にしろ、世間や権力に対して反逆的であることに生きがいを感じる人が多かったんです。だから、飲むと「てやんでえ、馬鹿野郎」と気勢を上げる。 そういう場に一緒にいた女優さんたちも「てやんでえ、馬鹿野郎」風に吹かれていたんですよ。男と別れたとか、金に困っていたとか、個人的な事情もあったかもしれないけど、当時の女優さんが脱ぐ理由としては反骨精神も大きかったですね。亀和田:芸術か猥褻かが争われた「日活ロマンポルノ裁判」で反権力の象徴になった女優さんもいましたね。この中の人で言うと、(非商業的な作品を作り続けた独立系映画会社)ATGの映画にも出ていた大谷直子なんか、そんなイメージがありますね。小澤:大谷さんは、会うとごく普通の人ですけど、ときどき目が据わり、底知れぬ恐さを感じますよ。伴田:この写真集もただのヌードではなく、妊娠の過程を撮りづけた「受胎ヌード」ですから。【プロフィール】◆おざわ・ちゅうきょう/1951年生まれ。写真家。篠山紀信氏のアシスタントを経て独立。石原真理子のヘアヌード『Marie!──石原真理子写真集』など多くの女優、アイドルの写真集を撮影。他に人物、旅、料理などの写真も撮り続ける。◆かめわだ・たけし/1949年生まれ。作家、コラムニスト、編集者、キャスターとして活躍。かつて自販機エロ雑誌『劇画アリス』編集長を務める。著書多数。10月末に『雑誌に育てられた少年』(左右社)を刊行予定。◆はんだ・りょうすけ/1954年生まれ。写真評論から写真家に転じ、濱田のり子のヘアヌード『エロティッシモ』、真梨邑ケイ写真集『PANDORA』などアートとエロスの融合した写真集を刊行。作家、翻訳家、版画家としても活躍。取材・構成■鈴木洋史※週刊ポスト2018年10月12・19日号
2018.10.08 16:00
週刊ポスト
宮沢りえ写真集『Santa Fe』が提示したタブー破りの快感
宮沢りえ写真集『Santa Fe』が提示したタブー破りの快感
 平成の芸能史を振り返る上で、避けて通ることができないのが1990年代のヘアヌードブームだ。樋口可南子、島田陽子、石田えり、杉本彩、川島なお美ら、当代きっての女優たちがヘアヌード写真集を発表したが、一番話題になった作品は、宮沢りえの『Santa Fe』だ。発売日にはNHKまでもがニュースで取り上げた『Santa Fe』について、宗教学者の島田裕巳氏が語る。 * * *『Santa Fe』が発売された1991年は激動の年として記憶しています。この年は9月に『朝まで生テレビ』でオウム真理教と幸福の科学が直接討論し話題になりました。私自身も宗教学者として急に脚光を浴び、いろんな雑誌に書き、テレビ出演も激増していました。 今では、バブルの崩壊は1990年初めからとも言われますが、当時はまだ景気の良い時代だったと思います。人が浮かれ、欲求も高かった時代でした。当時この写真集について思ったのは「宮沢りえという人気のある女性がヌードになったんだ」という衝撃のみで、それ以外の女性性を感じることはなかったですね。 今あらためて『Santa Fe』を見返すと、やはりとても健全さを感じます。話題をさらったヘア写真も、花咲く草原に座る裸の宮沢りえを遠くから撮ったものくらい。当時宮沢りえは18歳。決してグラマラスでもなく、日本人的な体型の少女のヌード写真です。美しい写真ですが、ヘアとヌードだけの観点ではどうということのない写真です。 この時代はJK(女子高生)という言葉もまだありません。1991年まで女子大生ブームの立役者だった番組『オールナイトフジ』が放送されていましたし、世の男性の性対象は女子大生からでした。 また、深夜テレビでは、女性の裸を放送していましたね。『トゥナイト2』(テレビ朝日系)という番組では、性風俗店なども扱い、雑誌よりテレビの方が過激な性表現をしていました。ただ、陰毛は映せなかった。だからこそ陰毛の価値が高まっていたのでしょう。◆「色」もヒットの要因 日本のお上は、常にわいせつなものを規制しようとします。代表例は1951年から裁判で争われたD.H.ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』。翻訳は人気小説家の伊藤整でした。発禁になった部分を復刻版で読んでみると驚くほど稚拙な訳で、性的なものを感じる人はまずいない。なぜ取り締まったのかがわからないほどです。 国家の強権による過度な性規制は、むしろ憧れと商品価値を生むんです。出版はそんなタブーに挑戦し犯していきます。宗教にまつわるタブーもメディアが暴いていく。ヘア解禁の瞬間もタブー破りの快感が確実にあったのです。 日本では、古来から髪の毛を含め、毛には霊的な力が宿ると考えられています。その神秘性があったからこそ、「ヘアヌード」は人々を熱狂させたのかもしれません。『Santa Fe』は、モノクロもありながら色彩豊かな自然と美しい裸体がある豪華な写真集です。カラー写真というのは、現代を象徴する産物です。たとえば近著(『京都がなぜいちばんなのか』ちくま新書)でも触れていますが、京都は色で観光客を集めました。そこにはカラー写真の普及によるところが大きかった。1991年当時、樋口可南子の『water fruit』のようにモノクロームでなく、コストのかかるカラーで出したこともヒットの大きな一因だと思えます。 当時はあまり意識しませんでしたが、この時の宮沢りえは僕の娘と同年代なんですね。そう思うと、当時にはなかった複雑な気持ちが生まれました(笑い)。【プロフィール】しまだ・ひろみ/1953年、東京都生まれ。宗教学者、作家。東京女子大学非常勤講師。宗教から美術、映画など幅広く論じる。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)は30万部のベストセラー。取材・文■松本祐貴※週刊ポスト2018年8月17・24日号
2018.08.17 16:00
週刊ポスト
井上章一氏 島田陽子の写真集に感じた「脱ぐ」という決意
井上章一氏 島田陽子の写真集に感じた「脱ぐ」という決意
 宮沢りえの『Santa Fe』を筆頭に、1990年代前半に世間を大いに騒がせたのがヘアヌードブーム。女優の島田陽子も1992年に『KirRoyal』を発表し、55万部を売り上げた。風俗史研究家の井上章一氏が、同作について振り返る。 * * * 1990年代初頭、私は自分に与えられた個人研究費の枠のなかで、アイドルや女優による写真集を購入し、研究を続けていましたが、島田陽子さんの『KirRoyal』が出版された1992年の辺りで、購入し続けるのを断念しています。あまりの発行点数の多さに、とても追い切れなくなったからです。勢いに拍車をかけたのが、一連のヘアヌード写真集であることは間違いありません。 私はこの「ヘア」という言葉そのものに強い違和感を覚えています。「ヘア」を指すものは頭髪です。陰毛を指す言葉は「pubic」ですから。 いずれにせよ、陰毛一本をめぐって、表現する側と取り締まる側との間で繰り広げられていた激しい攻防に、ひとつの結論が下されたのが、樋口可南子さんの写真集『water fruit』でした。 この作品で陰毛の写った写真が「芸術である」と認められたのです。当時、「これこそが芸術である」と思って写真集を購入した人が何%いたか疑問符がつくところではありますが(笑い)、芸術という錦の御旗を掲げた陰毛の写った写真集が、堤防が決壊したように次々と出版されていきました。◆「芸術作品」という言い訳 そのなかで発行された島田さんの『KirRoyal』は、陰毛の写ったヌードを期待していた人々からすると、やや拍子抜けする内容かもしれません。130点以上あるカットのなかで、陰毛の写った写真は、わずか十数点ほどです。 写真集の前半部分はフランス郊外にある美しい景色のなかに島田さんが佇んでいます。まさに芸術的な写真が並んでおり、スケベ心だけで見てほしくないという意思表示が感じられます。島田さんの表情からも「私はフランスで脱ぐのよ」という固い決意のようなものがうかがえます。 今でこそ、この手の写真集において「これは芸術作品である」と言い訳をする必要がなくなりましたが、この当時はまだ、当局から取り締まりを受けることのないよう、精一杯「芸術」というものを援軍としていた証ではないでしょうか。 もっとも、陰毛の写った点数が少ないとはいえ、当時の衝撃の度合いは計り知れません。陰毛の表現は、わずかな点数であっても、当時は見る人々を引きつけるのに十分でした。インターネットでいくらでも見られる今と違って、それだけ陰毛の商品価値は高かったのです。「ヌード」というと、落ち目になった女優が選ぶ挽回の一手という印象がありますが、当時の島田さんは、1980年に大ヒットしたアメリカのテレビドラマ『将軍SHOGUN』でヒロイン役を演じて注目を集め、「国際女優」と呼ばれるほどでした。その彼女が、陰毛の見えるヌードを披露したのですから、話題性としても申し分ありません。 ところがその後、さまざまな女優やアイドル、果ては女子プロレスラーまでがヌード写真集を発表するようになっていきます。発表する時期が少し遅かったら、『KirRoyal』は他の作品に埋もれてしまっていたかもしれません。 今、こうして開いてみると、芸術を前面に押し出しながらも、陰毛が解禁された当時の表現者の高揚感が、ひしひしと伝わってくるようです。【プロフィール】いのうえ・しょういち/1955年、京都府生まれ。京都大学工学部建築学科卒業後、同大学人文科学研究所の助手を経て、2002年に国際日本文化研究センター教授に就任。建築史を専門にする一方、美人論や日本文化論など、幅広いジャンルの著述を手掛けている。取材・文■小野雅彦※週刊ポスト2018年8月17・24日号
2018.08.14 16:00
週刊ポスト
樋口可南子の写真集『water fruit』は何がスゴかった?
樋口可南子の写真集『water fruit』は何がスゴかった?
 1990年代はじめ、日本を席巻したのが女優のヘアヌードブーム。宗教人類学者の植島啓司氏は、女優の樋口可南子が1991年1月に発表したヘアヌード写真集『water fruit』に大きな衝撃を受けたという。植島氏は同作についてこう語る。 * * * この写真集を入手する少し前、私は新聞や雑誌などメディアの仕事のほか、講演やトークショーなどで多忙を極めており、一日で数十万円の収入を得ることも珍しくありませんでした。お金に困ることはなかったものの、「これは健全ではない。社会と自分とがどこか釣り合っていない」と感じていました。 そこである時、すべての仕事をお断わりし、いったん日本を離れることにしました。ちょうど、ニューヨークの大学院大学から人類学の講師として招かれていたこともあって、アメリカへ渡ったのです。 ニューヨークでの生活に慣れてきた頃に、何の前触れもなく日本から届いた写真集が、樋口可南子さんの『water fruit』でした。出版元に勤める大学時代の後輩が送ってきてくれたのです。梱包を解いて表紙を見た瞬間に、「何だ、これは?」と衝撃を受けたのを覚えています。◆リアルなエロティシズム その時は、特にヘアヌード写真集だと意識したわけではありませんでした。欧米にはヘアヌード写真など当たり前にありましたから、驚いたのはそこではありません。樋口さんは1980年に公開された映画『戒厳令の夜』でヌードを披露しているので、脱いだことに衝撃を覚えたわけでもありません。樋口さんの潔さといったらいいのか、この表情にまず面食らったのです。 彼女の身体付きは、現在数多あるヌード写真で見られるような豊満なものではありません。ヌードになるモデルたちに比べれば胸も尻も小振りで、当時の日本人女性の典型的なスタイルといっていいでしょう。それが自然な形で現われており、その上、不思議とエロティシズムをたたえていました。 私は何人かのニューヨークの写真家たちにこの写真集を見せて回りましたが、彼らの反応も同様でした。樋口可南子という女優を知らず、ヌードにヘアが付いている写真に見慣れているはずのニューヨーカーたちをも動揺させたのは、彼らにとって見たことのない美がそこに写し出されていたからでしょう。 これは、単なるヘアヌード写真集ではありません。かつて日本の芸術家たちが枕絵やあぶな絵、浮世絵などで表現を試みた、独特の美が描かれています。もはや日本では失われてしまった美しさを、撮影した篠山紀信氏はつかんでみせたのです。 この作品には「不測の事態」という副題がついていました。つまり、ふたりでプライベートの旅行に行き、そこで偶然に撮られた写真という設定です。そこからは、リアルなエロティシズムを体現しようとする野心的なものを感じました。 この一冊がヘア解禁のきっかけになったとよくいわれますが、本当のきっかけになったのは、その次に出た宮沢りえさんの『Santa Fe』だと思います。宮沢さんの作品も、かわいくて素敵だなと思いましたが、私の受けたインパクトでは『water fruit』に太刀打ちできるものではありませんでした。樋口さんの女優としての力、篠山氏の写真家としての才能、ヘアヌード写真集第一号となったタイミング、すべてが絶妙に絡み合った奇跡的な一冊だと思います。【プロフィール】うえしま・けいじ/1947年、東京都生まれ。東京大学文学部宗教学科を卒業後、シカゴ大学大学院に留学。関西大学教授などを歴任した後、2015年より京都造形芸術大学教授に就任。40年以上、ネパールやインドネシアなどの宗教人類学調査を続けている。◆取材・文/小野雅彦※週刊ポスト2018年8月17・24日号
2018.08.12 16:00
週刊ポスト
巣ごもりで特需は発生中
『Santa Fe』ほか90年代「女優写真集ブーム」の背景
 1991年10月13日の読売新聞、翌日の朝日新聞に写真集『Santa Fe』の全面広告が掲載された。全裸の宮沢りえが股間に手を添えて立ち、指の間に黒い影が見えている──全国紙にヌード写真を使った全面広告が掲載され、しかもモデルは18歳のトップアイドル、撮影したのは篠山紀信氏という最も著名な写真家。そんな前代未聞の事態に世間は騒然となり、発売日の11月13日には民放のワイドショーばかりかNHKの全国ニュースにまで取り上げられた。 これによって本格的なヘアヌード写真集の時代が幕を開けた。1990年代を通して樋口可南子、荻野目慶子、島田陽子、大竹しのぶ、石田えり、杉本彩、川島なお美、石原真理子、宮崎ますみ、高岡早紀、菅野美穂、葉月里緒奈ら有名女優、タレントが次々とヘアを晒し、一流写真家が撮影した。 ブームのピークは1994年で、年間200冊以上が発売され、売れに売れた。『Santa Fe』の155万部は今も写真集として世界最高記録であり、他の作品も数十万部を売り上げた。「写真集がこれほどの社会現象になったのは、写真史上、空前絶後のことです」 と、写真評論家の飯沢耕太郎氏は指摘する。島田陽子『KirRoyal』が55万部のヒットを記録すると、松尾嘉代、辺見マリ、西川峰子、伊佐山ひろ子ら“熟女”が次々と挑戦。女子プロレスラー・井上貴子、元女流棋士・林葉直子ら“異業種”からの参入も続出した。 写真家・加納典明氏は素人モデルを使って写真集を作り、人気を呼んでいたが、猥褻図画に当たるとして逮捕された。藤田朋子の写真集は本人が出版を了承していないと訴え、発売直後に出版差し止めの仮処分になった。なぜこれほどまでに「ヘアヌード」が熱かったのか? 飯沢氏はその背景を2つ指摘する。「ひとつは経済との関係で、経済に活気があると人々のエロスへの欲求も高まります。90年代初頭、すでにバブルは崩壊していましたが、それでも後の長い停滞期より勢いがありました」 長い間抑圧されてきたヘアの表現が、ようやく解禁された開放感も熱気に拍車をかけた。「もうひとつ、1980年代に女性の社会進出が進み、自己表現への欲求が高まっていたことも大きいですね。ヘアヌードがその欲求を実現する手段のひとつになったのです」(飯沢氏) 当時の新聞、雑誌は女優、タレントだけでなく、自己表現として自分の裸を撮影してもらいたいと願う素人女性が激増したと報じている。1992年に『an・an』が、篠山紀信氏撮影という条件で読者モデルを募集したところ、なんと1626人が応募したという。 その後、2000年代以降もヘアヌード写真集は出版され続け、マタニティヌードを披露した歌手hitomi、新聞に全面広告を打ったバレリーナ草刈民代、映画の公式写真集で脱いだ壇蜜など、そのときどきに話題となったものも少なくない。 だが、黄金時代だった1990年代に比べるとインパクトは小さいと言わざるを得ない。2000年代以降にネットが本格的に普及し、事実上表現に規制がなくなったことで新たな表現を獲得したときの開放感もなくなり、長期間に及ぶ経済の停滞によって日本人の性的なエネルギーも低下・分散してしまった。 来年5月に改元を控えた今、平成の30年を振り返り、日本社会の変容の行方を占ううえで、ヘアヌードブームは欠かせない「事件」だったと言えるだろう。※週刊ポスト2018年8月17・24日号
2018.08.09 16:00
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