山本美香一覧

【山本美香】に関するニュースを集めたページです。

第26回小学館ノンフィクション大賞・笠井千晶氏 津波被災家族テーマの理由
第26回小学館ノンフィクション大賞・笠井千晶氏 津波被災家族テーマの理由
 第26回「小学館ノンフィクション大賞」最終候補は、現代の論客に鋭く迫った意欲作からアメリカでの家族生活を軽妙に綴った手記まで5作品が出揃った。その中から大賞は、7年にわたり被災地に通い続けるドキュメンタリー監督の労作に決定。受賞作は今春にも刊行予定。【受賞作品のあらすじ】 これほどの悲しみを、人はどう乗り越えて生きるのか──。舞台は、東日本大震災後の福島。物語の主人公は、南相馬市で津波にさらわれた我が子を捜しながら生きる上野敬幸さん(たかゆき・47歳)だ。自宅があった萱浜地区は、津波で集落の7割が流失。上野さんも両親と幼い2人の子どもの家族4人を津波で亡くした。その後、22キロ先の福島第一原発が爆発する。「ずーっとおいてきぼりだ、ここは」。カメラに向かってつぶやく上野さんがいた。福島の津波被災地は、原発事故が起きたために世の中から目を向けられなくなったという。警察も自衛隊も来ない中、上野さんは避難を拒み、仲間と自力で捜索を続けた。泥の中から見つかった8歳の長女の遺体を自ら安置所に運び、3歳の長男や他の行方不明者を捜し続ける。 テレビ局に勤めていた著者は、ビデオカメラを手に休日に訪れた南相馬市で、偶然上野さんと出会った。以来、自宅のある名古屋から夜行バスとレンタカーで片道13時間以上かけて、毎月福島に通う。そして上野さんと妻、震災の年に生まれた次女の日常に寄り添っていく。 やがて上野さんは、第一原発から3キロの大熊町で、娘の捜索をする木村紀夫さんと出会う。木村さんの捜索を手伝ううち、原発周辺で行方不明者の捜索が十分に行なわれていないことに怒りを募らせる。そして5年9か月後、捜索に奇跡的な場面が訪れる。一方で上野さんは、原発事故の加害者である東京電力の社員たちとも、心を通わせていく。「会社は憎いが、社員一人一人は別だ」と語る。そして南相馬市に通い続ける著者は、テレビ局を辞め、ドキュメンタリー映画を作ろうと思い立つ。 大切な家族を亡くした人たちの7年にわたる心の変遷を丁寧に描き出す。【受賞者の言葉】「あなたに『書く』という世界を経験して欲しい」 一昨年の春、初対面の私に声を掛けてくれたのは、一人のベテラン作家だった。その勧めがなければ、私がこの作品を執筆することはなかっただろう。自分の表現の場はあくまでも映像の世界だと思ってきたからだ。 思いがけず訪れた、初めてのノンフィクション執筆の機会。選んだ題材は、2年前に自主制作したドキュメンタリー映画『Life 生きてゆく』のストーリーだった。映画では表現しなかった部分として、今回は、カメラを回す私自身と福島の津波被災遺族との関係性を軸に書き進めていった。出会いから、その後の長期にわたる関わりの日々を、ありのままに執筆した。 当時暮らしていた名古屋と福島を往復しながら、時間経過と共に信頼関係も深まり、カメラに向かって話してくれる内容はより深く、重く変化していく。大切な人を亡くした遺族が、その死にどう向き合い、目を背け、絶望から希望を見出していくのか。それは人間の安易な想像を超えた奇跡の連続だった。 当事者の細かな心情を執筆する際は、手元に残る映像が大きな手がかりとなった。2011年から現在に至るまでに、私が記録した映像は400時間を超える。実際にはその数十倍の時間を、私はカメラを回すことなく福島の家族と共に過ごしてきた。遺族の深い胸の内に耳を傾け、物語を紡いできた過程を知って欲しいと思い書き上げた。いまは私のことを受け入れ続けてくれる福島の家族に、誰よりも感謝したいと思う。【プロフィール】かさいちあき/1974年山梨県生まれ。ドキュメンタリー監督。静岡放送、中京テレビに勤務の後、2015年フリーに。ドキュメンタリー映画『Life 生きてゆく』(2017年)で、第5回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞。※週刊ポスト2020年1月31日号
2020.01.21 16:00
週刊ポスト
紛争地に8年滞在の看護師・白川優子氏が語る自己責任論
紛争地に8年滞在の看護師・白川優子氏が語る自己責任論
 シリアで約3年4か月、イスラム過激派組織に身柄を拘束されていたジャーナリスト・安田純平氏に向けられた“自己責任論”はいまだ止む気配がない。 しかし、国際NGO「国境なき医師団」の一員として、シリアやイラク、南スーダンなど世界中の紛争地で8年間にわたって看護活動に従事する白川優子氏はそこに疑問を呈した。「人は誰しもが自分の意思で、自分の人生を決めています。私も自分で決めて『国境なき医師団』に入り、紛争地へ行くオファーを受けている。自分で決めた行動に責任を持つのは当たり前のことですが、シリアから生還した安田さんに対して『自己責任』という言葉だけで批判が集まるのには違和感があります」 白川氏には職業ジャーナリストを目指した時期があったという。「紛争地や被災地で看護師として活動する中で、一番大きなジレンマは、現場の悲惨さや問題を十分に伝えることができないこと。『シリア軍の空爆で、30人が亡くなった』という内容が報じられたとしても、私は十分とは感じません。実際に現場に立ったときに目に映る光景は、もっと凄まじい。 人の手足が飛び散り、乳飲み子のお腹が裂けてしまっている。真っ黒になった遺体の横で、最後の力を振り絞って助けを求める血まみれの人……。その現場のディテールを伝えるには、遠くから眺めるのではなく、そこに自分の足で立たなければならないと感じています。私は医療によって人を救う道を選びましたが、誰かが現地に行かなければ、状況は伝わりません。ジャーナリストの方々も、何か強い思いがあって行っているはず」 ジャーナリストが人質などになった場合、「自分が好きで行ったのだから自己責任」と突き放されることが多いが、「もっと社会的意義がある仕事だと認識されてもいいのではないでしょうか」と白川氏は語る。 白川氏が初めてシリアに入ったのは、2012年9月だった。その約1か月前には同国アレッポで取材中のジャーナリスト・山本美香氏が9発の銃弾を撃ち込まれて、命を落としている。 白川氏の著書『紛争地の看護師』には、紛争地で奔走する彼女の苛烈な状況が記されている。その活動を“自己責任でやれ”と突き放せる人はどれほどいるのだろうか。※週刊ポスト2018年11月30日号
2018.11.23 07:00
週刊ポスト
祈りを考える(写真:アフロ)
甲子園で8月15日正午に1分間黙祷する意味について
 8月15日になにを想うのか。毎年甲子園球場で黙祷を捧げているライターの神田憲行氏が考える。 * * * この原稿を8月15日の前、甲子園取材のために宿泊しているホテルで書いている。大会期間中ずっとホテル住まいをするようになって、今年で23年だ。毎年段ボール箱に資料や本を入れて自宅からホテルに発送するのだが、今年はその中に「絵本」を入れた。「これから戦場に向かいます」(ポプラ社)。写真と文の絵本で、著者は戦場ジャーナリストの山本美香さん。2012年にシリア内戦を取材中に撃たれ、亡くなった。本は彼女が生前に撮影した映像と書き残した文章から構成されている(一部、取材パートナーであった佐藤和孝氏が撮影)。訪れた国はアフガニスタン、イラク、コソボ、チェチェンなど。彼女はずっと硝煙が漂う街にいたのだなと思う。 砲撃で崩壊した建物、両足を失った子ども、むごたらしい写真のなかで、ふと、1枚の写真に手を止めた。崩壊した建物の前に並ぶ4人の子どもで、みんな笑顔だ。赤いサリーを着た女の子は腰に手を当てて、ちょっとおしゃまなポーズを取っている。この写真を撮っていたとき、山本さんもまた微笑んでいただろうなと想像する。彼女はどんな気持ちでこの写真を撮ったのだろうか。 話は10年以上前の青森に飛ぶ。沢田サタさんのご自宅にお邪魔したことを思いだした。ベトナム戦争の写真で有名なカメラマンである故・沢田教一の奥さんである。当時サタさんは自宅で1日ひと組しか客を取らないレストランをされていた。ベトナムに住んでいたことがある私はどうしてもサタさんとお話がしたくて、予約の電話を入れた。その過程で私がベトナムものを書いているライターであると告げると、「じゃあわざわざ予約なんてしなくてもいいわよ。コーヒーだけでも飲みにいらっしゃいよ」というサタさんのお言葉に甘えて新幹線に乗ったのだった。 居間にはもちろん多くの沢田が撮った写真が飾ってあったのだが、町中のスナップショットや、東南アジアの風景などがほとんどだった。ピューリッツアー賞を撮った有名な作品「安全への逃避」が、窓際のカーテンに隠れるようなところにひっそりと飾ってあった。不思議に思って訊ねると、サタさんは「だって沢田が本当に撮りたかったのは、普通の人々の暮らしや平和の写真だから」 と微笑んだ。 たくさんの死を見ているかこそ戦場ジャーナリストは平和に鋭くなる……というのは陳腐だろう。世界にはやはり「血」が好きな戦場ジャーナリストがいると思う。 だが山本さんがポーズを付けた女の子を撮ったり、沢田がなにげない市場の日常を撮ったとき、とても穏やかな目をしていただろうと想像する。そしてたぶん、それらの写真は世界にレポートするためというより、自分のために撮っていたのではないかと想像する。戦場の日常の中にあって、改めて自分の立ち位置を確認するために。あるべき世界を忘れないために。 甲子園では毎年8月15日の正午になると、試合を止めて1分間の黙祷を捧げる。グラウンドの選手も帽子を取って直立不動になる。観客もメディアも起立する。20年以上、私も毎年そうしてきた。ここ数年はそれが甲子園に行く目的の一部になっていると言っても良い。 私の場合は、平和の中で戦争を忘れないための黙祷である。いまある日常がかけがえないのであることを忘れないために。目の前で野球をしている子どもたちの日常を守り続けるのが、大人の責任であると改めて自覚するために。 8月9日、長崎商業は1回裏が終わるとベンチの前で小さな輪を作り、目を瞑った。71年前の8月9日午前11時2分、長崎に原爆が落とされた。その黙祷である。監督の西口博之がこの日の試合が決まったことで、「試合中に黙祷を捧げたい」と高野連に希望して実現したことだった。わずか20秒ほどの小さな輪を満員の観衆が気づくことはなかっただろう。だがその20秒こそが、明日の平和を築いていく。 広島代表の選手で8月6日を知らない者はいない。沖縄代表の選手で6月23日を知らぬ者はいない。祈りの時間を捧げてから彼らは甲子園にやってくる。 高校野球の選手だけでなく、世界にはそうやって戦争への黙祷を捧げる人が数多く存在するだろう。そうやって私たちの日常は小さな祈りが積み重なってできている。祈りを知らぬものに平和や戦争を語ることはできない。8月15日は、他者の祈りを想像する日でもある。「これから戦場に向かいます」はポプラ社より発売中。また青森県立美術館では、今年10月8日から企画展青森県立美術館開館10周年記念「生誕80周年澤田教一:故郷と戦場」を開催する。
2016.08.15 16:00
NEWSポストセブン
「山本美香さんを送る会」10月19日開催 遺稿や写真集も配布
「山本美香さんを送る会」10月19日開催 遺稿や写真集も配布
 8月20日にシリアで取材中に殺害されたジャーナリスト・山本美香さん(享年45)を偲ぶ「山本美香さんを送る会」が10月19日(金)午後7時より東京會舘9階「ローズルーム」(東京都千代田区丸の内3-2-1)にて開催される。 山本さんはBS放送のディレクターを経て1996年から戦場取材を開始し、2003年にはイラク戦争報道でボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞。近年は大学などで若者に向けて戦場の真実を伝える活動にも力を注いでいた。 送る会では公私にわたるパートナーであったジャパンプレス代表・佐藤和孝氏や親族が彼女の思い出を語るほか、「山本美香が伝えたかったこと」と題して、アフガニスタンやイラクなど山本さんが戦地で撮影した映像が特別編集で上映される。参列者には、遺稿と写真集からなる小冊子も配布される。会費は1万円。山本さんを追悼したい人は誰でも参加自由だ。 ※週刊ポスト2012年10月19日号
2012.10.14 16:02
週刊ポスト
故・山本美香さん パートナーと結婚望むも籍は入れなかった
故・山本美香さん パートナーと結婚望むも籍は入れなかった
 内戦の続くシリアで凶弾に倒れたジャーナリスト・山本美香さん(享年45)の死は、日本メディアのみならず、世界各国で大きく報道された。英BBCは2分以上にわたって報じ、米国務省報道官も哀悼の意を示した。公私におけるパートナーとして彼女を支えた、ジャパンプレス代表の佐藤和孝氏(56)が、17年前にふたりが出会った頃からの友人である作家・高山文彦氏に“想い”を語った。 * * * 1996年にふたりはアジアプレスから独立し、ジャパンプレスを立ち上げた。以後、二人三脚で戦場取材をこなすスタイルを確立した。  美香さんは結婚を望んだというが、佐藤氏が家庭的な幸せを望まなかったため、籍を入れることはなかった。戦場での共同作業が愛の確認手段だったという。 ――最初に戦場取材に行ったのはどこ?佐藤:1996年にタリバン政権の支配下になったアフガニスタンに行った。当初は美香を連れて行くつもりなんて全くなかった。でも、出発直前に大喧嘩して、別れ話にもなって、怒りにまかせて柱を蹴ったら、右足の親指を骨折しちゃって(笑い)。そしたら彼女がますます心配して、「私も行く」って大騒ぎし始めた。 最初は覚悟があるのか心配だったけど、カブール市内のホテルに滞在中の深夜に、上空を飛ぶ飛行機に向かって近くの丘から曳光弾がバンバン飛んでいる様子を平気な顔して撮影していたから、これなら大丈夫かと安心した。――どのくらいの期間行っていた?佐藤:2か月近くいた。ふたりで行くのは初めてだったから大変だったよ。タリバン政権からビザを出してもらったんだけど、「お前たちは名前が違うから夫婦じゃないだろう。一緒の部屋に泊まってはいけない」っていうんだよ。つまり、2部屋とらなきゃいけなくなるから取材費が増える(笑い)。「俺たちは日本では夫婦ってことになっているんだ!」って押し切ったよ。 反タリバンの北部同盟を取材したりと、ソ連製のジープでアフガン中を巡る大旅行だった。もちろん彼女は頭にブルカ(ヴェール)を巻いてね。ベスートという地域に滞在中の夜、彼女のトイレに付き添って外に出たら、星が本当にきれいでさ。ふたりで眺めたあの星空ははっきりと覚えてる。――その後、ボスニア、コソボ、アルジェリア、チェチェンと、数々の危険地帯に行ったんだよね。佐藤:アジアプレスに対しても、美香のご両親に対しても、僕たちは仕事で認めてもらうしかなかった。日本テレビの「きょうの出来事」の取材で、年間4回戦場取材に行っていた。1回で1か月以上滞在するから、半年は海外にいたことになる。帰国中に編集し、次の企画書を書き、納品を終えたらすぐに取材に飛ぶ。そんな日々の繰り返しだった。※週刊ポスト2012年9月21・28日号
2012.09.16 16:00
週刊ポスト
佐藤和孝氏 28歳の山本美香さんに出会い「一目惚れだった」
佐藤和孝氏 28歳の山本美香さんに出会い「一目惚れだった」
 内戦の続くシリアで凶弾に倒れたジャーナリスト・山本美香さん(享年45)の死は、日本メディアのみならず、世界各国で大きく報道された。英BBCは2分以上にわたって報じ、米国務省報道官も哀悼の意を示した。公私におけるパートナーとして彼女を支えた、ジャパンプレス代表の佐藤和孝氏(56)が、17年前にふたりが出会った頃からの友人である作家・高山文彦氏に“想い”を語った。 * * *――そもそもふたりはどうやって知り合ったの?佐藤:美香は大学を卒業した1990年にCS放送の朝日ニュースターにディレクターとして入社して、雲仙普賢岳噴火(1991年)の取材をやったり、報道現場を何年か経験した。――雲仙では当初、被災した住民に取材しようとしてもなかなか話してもらえなかったみたいだね。でも、彼女は現地に何日も泊まり込んで後片付けの手伝いをしながら、やっと話を聞かせてもらえるようになった。彼女は家庭用ビデオカメラを1台持って一人で取材していたんだよね。佐藤:当時は報道現場でもカメラマン、ディレクター、音声マンなど3~4人のチームで動くのが当たり前だったから、かなり奇異に見られていたみたい。彼女は一人で撮影から取材、編集までこなすビデオジャーナリストの先駆けだった。 その後美香は報道から外されて、総務関係の部署に異動になったのをきっかけに1995年に会社を辞めてしまった。その前後に結婚をしていったん家庭に入ったけれど、すぐに僕が所属していたアジアプレスに出入りするようになった。――ちょうどその頃、僕も彼女に会わせてもらったよね。まだ28歳くらいか。本当に可愛いらしい子だった。佐藤:とにかく一瞬で惹かれたよ。一目惚れだった。好奇心にあふれていて、輝くような瞳が印象的だった。 彼女は僕がボスニアの内戦を取材したドキュメンタリー『サラエボの冬~戦火の群像を記録する』(1994年、NHK-BSで放送)を見てくれていて、初めて話した時に「戦場で生きている人々を描いていて感動した」といってくれたんだ。――人の話を真剣によく聞く子だった。佐藤:外ではいい子、家ではものすごく暴れ者(笑い)。家の中を走りまわるのが好きで、機嫌のいい時は大きな声をあげたりして。とにかく少女みたいな子だった。――いつか3人で飲んだ時に、ふたりをタクシーに乗せて見送っていたら、車内でずっと佐藤のほうを向いてしゃべりかけているのがわかるんだよ、さっきまで黙ってたのに(笑い)。佐藤:よくしゃべる子だったよ。僕は家ではずっと彼女の話の聞き役だった。カエルの置物が好きでね。無事に「帰る」から縁起がいいって。――彼女は前夫と離婚して、あなたと付き合い始めたんだよね。佐藤:ご両親には本当に申し訳なかった。最初は受け入れてもらえなかったけど、ふたりで一生懸命やって取材の成果がどんどん放送されていくうちに、次第に認められるようになりましたよ。※週刊ポスト2012年9月21・28日号
2012.09.12 07:00
週刊ポスト
佐藤和孝氏 山本美香さんの遺体に何度も口づけしたと明かす
佐藤和孝氏 山本美香さんの遺体に何度も口づけしたと明かす
 内戦の続くシリアで凶弾に倒れたジャーナリスト・山本美香さん(享年45)の死は、日本メディアのみならず、世界各国で大きく報道された。英BBCは2分以上にわたって報じ、米国務省報道官も哀悼の意を示した。公私におけるパートナーとして彼女を支えた、ジャパンプレス代表の佐藤和孝氏(56)が、17年前にふたりが出会った頃からの友人である作家・高山文彦氏に“想い”を語った。 * * * 8月20日、山本美香さんは佐藤和孝氏とともにシリア北部アレッポで反体制派武装組織「自由シリア軍」に同行し内戦が続く市街地の取材をしていた際、前方から歩いてきた迷彩服の集団に突然銃撃された。 ――美香ちゃんが最後に撮っていた銃撃の映像はネットで何度も見たよ。 佐藤:彼らは反体制派だと思って近づいていったら、銃を構えたのが見えた。僕が「逃げろ」と叫ぶと同時に乱射が始まった。僕は自分の後方左に逃れて現場から離脱した。その時美香は僕の右側にいたはず。美香のカメラの映像は発砲と同時に画面が下に傾いて、4発の銃声を最後に止まってしまっているから、きっと即死だったと思う。  その後、僕は自由シリア軍の兵士と2人で近くのアパートに逃げ込んだけど、政府軍が必ず掃討作戦に来るから、もうおしまいかと生きた心地がしなかった。1時間くらいして銃声が止んだから、意を決してアパートを離れて、ミーティングポイントにしていた高速道路下まで辿り着いた。 ――そこで待っていた仲間の兵士に「美香は病院に行っている。お前の目で見てこい」っていわれたあなたは、彼女の死を確信してその場に崩れ落ちたそうだね。それを聞いて、本当に胸がつまった。 佐藤:地獄に突き落とされた気分だった。病院に着くと、1階のロビーにストレッチャーが置いてあって、そこに人が白い布に包まれて横たわっていたから、もう間違いないと思った。  頭を吹っ飛ばされているのかと想像していたけど、布をめくったらきれいな顔をしていたんでほっとした。鼻血は出ていたけど、口元はかすかに笑っているようで、きれいな白い肌をしていた。首を見たら、銃創がぱっくりと割れていた。体の震えが止まらなかったけど、どこをどう撃たれたのかできる限り確認してやろうと思ったよ。 ――その時の映像では「怖くなかったか? 痛くなかったか?」と声をかけていたね。そして彼女の顔に自分の顔を近づけて。 佐藤:美香に何度も口づけした。もう何年も口づけなんてしたことなかったのに……。  防弾ジャケットは着ていたけど、脚や背中にも銃痕があった。帰国後の検視で9発の銃痕がわかった。倒れた後も撃たれ続けたのかもしれない。その後は涙も出なかったよ。死については常に話し合っていたけど、実際に遭遇してみたら絵空事だったと痛感した。最愛の人を守ってやることができなかった……。 ――あの銃撃の前にあなたが撮っていた映像も見たんだよ。美香ちゃんが転んですりむいた右肘のケガをまずアップで写し、そこから引いていって全体像を写していた。あの映像にあなたの愛情を感じましたよ。 佐藤:あの日、シリア軍の空爆に遭っていたんだよ。街のど真ん中にジェット戦闘機が急降下して空爆するのを目撃したのは初めてだった。国家がとてつもない暴力を国民にはたらいていることに本当に驚かされた。  その空爆から逃げる時に美香が転んで、渡していた僕のカメラを落としてしまった。彼女は「カズさん、カメラ落としちゃった、どうしよう」って心配して。普段だったら怒鳴ったりもするけれど、僕は「もう一つあるから大丈夫だよ」と励ましてあげた。あの極限の状況で僕たちは一心同体だったし、お互い支え合わなきゃならなかった。  彼女のケガを撮影したのは、われわれだけが共有できる愛の行為だったから。普通は日本に送る段階でカットする映像。でも、今回は撮影した映像すべてをテレビ局に渡したから、その映像がまさかユーチューブで全世界に流れているとは思わなかった(笑い)。※週刊ポスト2012年9月21・28日号
2012.09.10 07:00
週刊ポスト
戦場ジャーナリスト山本美香さんへ作家・高山文彦氏の追悼文
戦場ジャーナリスト山本美香さんへ作家・高山文彦氏の追悼文
 8月20日、内戦が激化しているシリア北部で反政府武装組織を同行取材していた戦場ジャーナリスト・山本美香さん(45)は、政府軍の一団に銃撃され死亡した。2003年にはイラク戦争報道でボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞するなど、世界でも知られるジャーナリストだった。 山本さんと親交のあった作家・高山文彦氏が追悼文を寄せた。 * * * 知りあって二〇年近くになるだろうか。でも私たちは、深い話をしたことがない。著作のなかで彼女が「ボス」と呼ぶ佐藤和孝と私はポン友で、失礼ながら、彼女はいつも付属品みたいな存在だったのだ。 一年に一度、会うかどうか。二年会わなかったこともある。だから会うたびに、彼女が成長していくのがわかるのだった。顔が引き締まり、きれいに目が澄んで、まっすぐにこちらを見る。 こんな可愛らしい華奢な娘に戦場取材なんてできるのかと、はじめて会ったときからしばらくは、そう思っていたのである。ところがイラク戦争の取材から帰って来たとき、彼女はもう、むかしの彼女ではなかった。 隣の部屋で、ロイターの記者が米軍の砲撃をあびて死んだ。彼女はカメラを手放してうろたえたが、そのときの弱い自分と、はらわたを出して横たわる記者の死体、「なぜ米軍が」という怒り、フセインの銅像が引き倒されたときの「多くの市民が喜んでいます」といったような、捏造と言ってよい恥知らずな報道の羅列――。 不条理の現場から帰還した彼女は、自分の目で見、自分の耳で聞いたことにしか「事実」や「真実」はないと、思い切ったのだろう。 世界は嘘八百の、おためごかしの「自由」と「平等」で成り立っている。田舎の優等生の心は破壊され、世界を根本から疑うようになった目と耳は、殺しあいの悲惨の底で、懸命に生きようとする女や子供たち――つまり、もっとも弱い者に向けられるようになった。 そこになにを見ようとしたのか。 美香ちゃん、きっとそうだよね。あなたは大地に腹をこすりつけて生きる人びとの、殺しあいから逃げまどい、泣きわめく女や子供らの、それでも時に青空のように顔を輝かせて笑い、歌い、踊る人びとの姿に、永遠を見ていたのだ。 そして、美香ちゃん、あなたはちゃんと知っていた。人は自分たちのことをだれかにわかってもらいたい、殺す側の人たちとだってわかりあいたいのだ、ということを。それが最後に残された人間の、ぎりぎりの希望であるということを。「だれが壊したのだ」と、ついにあなたは言わなかった。立派なジャーナリストであった。 この世の別れ方として、こんなこともあるやもしれぬと思ってはいたが、もう会えないと思うと、美香ちゃん、悲しくてやりきれない。撮影■佐藤和孝(ジャパンプレス代表)※週刊ポスト2012年9月7日号
2012.08.27 16:00
週刊ポスト

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