ライフ

名古屋から2時間半 江戸から続く伝説の売春島へ行ってみた

 その島は、華やかな観光地のほど近くに、ひっそりと身を隠すようにあった。江戸時代に漁師たちの「風待ち島」として栄え、「飯盛女」たちが、給仕をしながら、夜の相手にもなった。島には平成の今も、その風習が残り、男たちが一夜を楽しむために訪れる──。ノンフィクション・ライターの高永昌也氏が伝説の島に上陸した。以下、高永氏の潜入レポートである。

 * * *
 名古屋から電車とバスと渡し船を乗り継いで2時間半ほど。湾の深奥部に浮かぶZ島。予約していた旅館に渡船場で、「着いた」と連絡した。8軒の旅館連合の迎えの船が来た。直線距離で600メートル弱。3分。ひとり150円。

 午後5時、半分酔っぱらっている9人の御一行様と同船した。船の前方に、緑の山並みが浮かんでいる。手前に旅館がいくつか。50がらみの茶髪のおばはんが船着き場で迎える。

「ああ、こっちやこっち」

 宿に案内しながら説明する。「にいちゃん、ショート2時間、2万。泊まり11時から朝の7時、4万」

 いきなり、朝まで付き合う女のカネまであっさり明かされた。かつては100人を越す女がいたという。いまは30人ほど。漁協員らが、外国の女が島に入るのを規制し、イメージチェンジに取り組んできた。

 晩飯まで時間がある。島を歩いてみる。中心の通りに、わずかな野菜と日用品を扱う店が1店、左右にラーメン屋とスナック。店と呼べるものはそれだけ。あとはつぶれた店舗、廃家……看板ははずれ、文字は消え、鉄が錆びついている。

 ひとつ裏通りに潜る。行き交う人のやっとすれ違える路地が右にくねり、また右、さらに左へ続く。軒の低い、薄暗い家が並ぶ。住んでいるのか無人なのか、よく分からない。海側から離れて山へ、坂道を行く。また廃家、廃屋、廃旅館、廃民宿。すさまじい〈廃〉がつづく。浮かれた期待とはうらはらの荒寥の光景である。

 だが、普通の暮らしもなくはない。猫の額の空き地でエンドウが蔓を伸ばし、ホウレンソーが育っている。洗濯ものがかかっている。廊下、手すりが崩壊したアパート、マンションが点在し始めた。坂をのぼりつめ、くだる。ピーク時3億円の年商のあったリゾートホテルが横たわっていた。足を踏み入れてみた。

〈フロント〉〈キャッシャー〉の表示板の棄てられたロビーに布団が散乱し、ソファーがうち崩れ、段ボール箱がころがり、ルームキィが放り投げられている。ロビー脇の、海の夕映えがさすプールに藻が浮いている。

 さらに行く。また古びたアパート。磨りガラス越しにフライパン、しゃもじ、タオルが透けている。1、2、3、4の部屋番号が振られたベニヤ板のドアの脇に、プロパンガスのボンベが並び、赤や青の女傘が立てかけてある。女が、住んでいる。

 ドアに赤、青の女傘の立てかけてあるアパートから、宿に戻った。道すがらの路地で、次々と女たちに出遭った。バブル期のようなフェイクシャネルに茶髪。この世の不幸を一身に背負ったような深い隈の女。金のピンヒール。香水、化粧の匂いがむせ返る女。腿まで深いスリットのチャイナドレス。

 廃墟の通りを行く、異様の姫たちの出勤タイムである。7時手前、膳が並んだ畳に女が現れた。思わず、声を呑んだ。

 あの〈この世の不幸〉だった。正座して「今日はありがとうごさいます」とお辞儀をし顔をあげた。

 よく見れば、目鼻の輪郭が立ち、顎が細い。金色の髪を背中までおろしている。どこかアンバランスで、生きている気がしていないような女だった。ミサキ、といった。30の後半。箸を勧めたが、何も食わず、ビールを少し口にした。

 東京から大阪から熊本から青森から、他から、ここに来たという。「パチンコ屋ないし。寝てるか、酒飲んでるか、それだけ。居心地いいから、ずっとここにいるつもりです」表情を動かさずに呟いた。

 めしを終わった。女の手を取った。「行くか」女はけだるそうにヒールをひきずり、路地を曲がりくねった。「ここ」顎を振った。さっきの女傘のあるドアだった。「どうぞ」

 流しがついたふた間、奥の薄布団に赤い敷物がかさねてある。

 女は、脱ぐでも、話しかけてくるでもない。小型のテレビをぼうっと眺め始めた。お笑い芸人が、バカ口を開けている。

 小さな冷蔵庫の前に蜜柑の段ボールがころがり、流しの前はカップ麺の袋、化粧瓶、ヘアカーラーなどで足の踏み場がない。

「今日、なに食べた?」

「ラーメン」

「昨日は?」

「ラーメン」答えながら立ち上がった。

「飲む? 焼酎ある」

 湯で割って呑んだ。寝転がった赤敷物の背中がヒーターで温かい。女は、洋服を、ついで、上下、草色の下着をのろのろと脱いだ。

「寒い」かじりつきにきて、掛け布団を背中にかついだ。

 目を覚ますと、またテレビを眺めていた。7時前。

『ぼくらの時代』アルペンスキーの皆川賢太郎がなにか喋っている。

「きのう、しなかったね」女が振り返った。「する? いま」

 首を横に振ると、「ずっとここにいたいって昨日いったけど、あたし、いつか、ここ出る」

 声を忍ばせた。話に、脈絡がなかった。8時前、宿に戻った。8時半、朝食。女はまた給仕に来た。だが変わらず無表情で、やはり生きている気がしていないように見える。

 渡船場に送りに来た。船が向きを変えるまで手を振っていた。女は毎日これを繰りかえしている。

 さらば、〈16時間の魔境〉よ。

※週刊ポスト2012年4月6日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

愛子さま(写真/共同通信社)
《中国とASEAN諸国との関係に楔を打つ第一歩》愛子さま、初の海外公務「ラオス訪問」に秘められていた外交戦略
週刊ポスト
「アスレジャー」の服装でディズニーワールドを訪れた女性が物議に(時事通信フォト、TikTokより)
《米・ディズニーではトラブルに》公共の場で“タイトなレギンス”を普段使いする女性に賛否…“なぜ局部の形が丸見えな服を着るのか” 米セレブを中心にトレンド化する「アスレジャー」とは
NEWSポストセブン
「高市答弁」に関する大新聞の報じ方に疑問の声が噴出(時事通信フォト)
《消された「認定なら武力行使も」の文字》朝日新聞が高市首相答弁報道を“しれっと修正”疑惑 日中問題の火種になっても訂正記事を出さない姿勢に疑問噴出
週刊ポスト
地元コーヒーイベントで伊東市前市長・田久保真紀氏は何をしていたのか(時事通信フォト)
《シークレットゲストとして登場》伊東市前市長・田久保真紀氏、市長選出馬表明直後に地元コーヒーイベントで「田久保まきオリジナルブレンド」を“手売り”の思惑
週刊ポスト
ラオスへの公式訪問を終えた愛子さま(2025年11月、ラオス。撮影/横田紋子)
《愛子さまがラオスを訪問》熱心なご準備の成果が発揮された、国家主席への“とっさの回答” 自然体で飾らぬ姿は現地の人々の感動を呼んだ 
女性セブン
26日午後、香港の高層集合住宅で火災が発生した(時事通信フォト)
《日本のタワマンは大丈夫か?》香港・高層マンション大規模火災で80人超が死亡、住民からあがっていた「タバコの不始末」懸念する声【日本での発生リスクを専門家が解説】
NEWSポストセブン
東京デフリンピックの水泳競技を観戦された天皇皇后両陛下と長女・愛子さま(2025年11月25日、撮影/JMPA)
《手話で応援も》天皇ご一家の観戦コーデ 雅子さまはワインレッド、愛子さまはペールピンク 定番カラーでも統一感がある理由
NEWSポストセブン
山上徹也被告(共同通信社)
「金の無心をする時にのみ連絡」「断ると腕にしがみついて…」山上徹也被告の妹が証言した“母へのリアルな感情”と“家庭への絶望”【安倍元首相銃撃事件・公判】
NEWSポストセブン
被害者の女性と”関係のもつれ”があったのか...
《赤坂ライブハウス殺人未遂》「長男としてのプレッシャーもあったのかも」陸上自衛官・大津陽一郎容疑者の “恵まれた生育環境”、不倫が信じられない「家族仲のよさ」
NEWSポストセブン
11月24日0時半ごろ、東京都足立区梅島の国道でひき逃げ事故が発生した(読者提供)
《足立暴走男の母親が涙の謝罪》「医師から運転を止められていた」母が語った“事件の背景\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\"とは
NEWSポストセブン
大谷翔平が次のWBC出場へ 真美子さんの帰国は実現するのか(左・時事通信フォト)
《大谷翔平選手交えたLINEグループでやりとりも》真美子さん、産後対面できていないラガーマン兄は九州に…日本帰国のタイミングは
NEWSポストセブン
「週刊ポスト」本日発売! 習近平をつけ上がらせた「12人の媚中政治家」ほか
「週刊ポスト」本日発売! 習近平をつけ上がらせた「12人の媚中政治家」ほか
NEWSポストセブン