〈日本列島を縦断した巨大台風は、関東甲信越地方に大量の雨を降らせた。埼玉・秩父地方の総雨量は3日間で550mmを超え、荒川の水位がみるみる上昇。深夜の東京に洪水警報が発令されたが、台風通過後で避難する住民はほとんどいなかった。水嵩はさらに増し、ついに隅田川との分岐点に近い北区志茂付近の右岸堤防が決壊。濁流が西の板橋区方面と南東の荒川区方面へあふれ出した。〉
パニック映画のシーンではない。これは内閣府中央防災会議「大規模水害対策に関する専門調査会」が2010年に発表したシミュレーションに基づいている。続きを見てみよう。
〈濁流は地表を這うように市街地に広がっていく。11分後、地下鉄南北線の赤羽岩淵駅から地下に流入して南に向かうが、幸い勾配の関係で西ヶ原駅付近でストップ。しかし地表では北区、荒川区が次々と水に浸かり、場合によっては水深が5mを超えるところも。道路は川のようになり、車は立ち往生して動けない。
決壊から4時間後、濁流は地下鉄千代田線町屋駅、8時間後には日比谷線入谷駅に到達。そこから地下鉄の線路に流れ込み、天井まで浸かる「満管」状態となり、地表より先に都心の地下を襲った。12時間後に東京駅、大手町駅など計66駅、15時間後には銀座駅、霞ヶ関駅、赤坂駅、六本木駅など計89駅が水没。18時間後、地表の水が中央区銀座や千代田区丸の内あたりに達した。
荒川決壊による浸水面積は約110平方キロメートルに及び、約86万人が孤立、死者は約2000人(数字には地下街、地下鉄、車などでの死者はカウントされていない)。地下鉄は17路線、97駅、約147kmが浸水被害を受けた〉
「ウチは荒川の東側だから大丈夫」などと短絡的に考えてはならない。当然、河川の決壊箇所によって水没地域や被害規模は大きく変わる。埼玉県川口市付近の左岸が決壊した場合、足立区や葛飾区などが大きな被害を受ける。浸水面積は右岸決壊のケースより大きくなるが、住宅や経済集積地が被災する右岸決壊は、首都機能そのものを失いかねないだけに深刻である。人的被害が最も大きくなるのは墨田区北部の右岸が決壊したケースで、死者数は約3500人と見込まれている。
内閣府では同じように利根川の堤防決壊のシミュレーションも行なっている。同流域で3日間に320mmの雨が降り、1947年のカスリーン台風と同じ場所で決壊したと想定すると、埼玉県幸手市や春日部市、東京都葛飾区、江戸川区などで約230万人が被災し、死者数は2600人と試算している。
コンクリートで補強された巨大な堤防が決壊するとは、にわかには信じられないかもしれない。しかし一般財団法人国土技術研究センターの岡安徹也氏はこう解説する。
「荒川や利根川の堤防は、時代ごとに築堤が積み重ねられ、現代の堤防が築かれている。堤防の安全性・機能の確保のため、下層の古い部分の土質も調査し対策を立てることが重要だが、総延長が長い堤防全体を全て把握することは困難。決壊地点の予測は難しいが、大洪水時に弱い場所で決壊する可能性は否定できない」
※SAPIO2013年8月号