◆互いに殺し合わせる
原田派が後発なのは事実だ。騒動の発端になったFAX――本部から原田会長が友誼団体に馬場六代目の名義で送った跡目継承の書状が、馬場六代目のあずかり知らぬものとして翌日に取り消された以上、現時点では原田派の「クーデター」としか表現できない。それにもかかわらず原田派はあまりに強気だ。なにか隠し球があるのでは、という疑念は消えない。
原田派についた六代目山口組はなぜ露骨な内政干渉をしているのか? 自分たちが分裂した際は神戸山口組を「処分者の集まり」と非難したのに、今回は処分者の側に立ち、そちらを正当化する根拠はなにか?
会津小鉄会に対する遺恨は根深いはずだ。
馬場六代目の後見は六代目山口組の高山清司若頭だった。山口組の分裂直後、馬場六代目は山口組を訪問した。ところが馬場六代目は神戸山口組の支持に転じ、後見を返上した。六代目山口組側にすれば、「最初に我らの親分の顔をつぶしたのはそっちだ」となる。
ある弘道会幹部は「後見を返すなんて認めない。それに我々は六代目(馬場会長)の後見をしているのではなく会津小鉄会(組織)の後見をしている」と言い放ったらしい。馬場六代目など関係ないということだ。