「イップスとはメンタル、技術、動きを生み出す肉体のどれもが関係して発症します。メンタルからのアプローチだけで改善されるイップスはたいしたイップスではありません。また、技術指導だけで良くなるイップスも、たいしたイップスではありません。以前はできていたことができなくなるのは、比較的浅いイップスで、酷いイップスとなると、身体異常、身体障害によって、骨格が変わってしまうケースもある。ただ、藤浪のイップスはそれほど酷い状態には見えません。投球時に動かしていく身体の回路に狂いが生じ、歯車がかみ合っていないような状態でしかないと思います。たとえば、ボールが右にいってしまうのなら、どんな身体の使い方をしたからそういうボールを投じてしまったのか。そういう根本的な部分がはっきりしていないんじゃないかと思います。腕を下げたりするのは、対症療法でしかない。現在の藤浪選手をたとえるなら、ガンダムという性能の高いロボット(肉体)のコクピットに座りながら、肝心のパイロット(藤浪自身)の操作する能力が足りていない状態。性能の劣るザクなら操作はできても、ガンダムを操るにはアムロ・レイのようなニュータイプじゃないといけないわけです。もちろん、軽度であっても本人の悩みは深いと考えられます」
佐賀・唐津商業から2012年にドラフト1位で横浜DeNAに入団しながら、深刻なイップスによってわずか3年で戦力外の憂き目に遭ったのが北方悠誠(ゆうじょう)だ。北方は2014年の12球団合同トライアウトに参加し、一度は福岡ソフトバンクの育成選手としての契約を勝ち取った。
ただ、当時のトライアウトを取材した際に見た投球は動きがぎくしゃくし、何かしらの悩みを抱えているのは明らかだった。そして、福岡ソフトバンクもわずか1年の在籍となり、その後はBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサス、四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツ、再びBCリーグの信濃グランセローズを経て、昨年10月には栃木ゴールデンブレーブスに移籍。国内の独立リーグを転々とする野球人生を送ってきた。
「僕は(DeNA)3年目の途中に、自分がイップスであることを認識しました」──そう北方は切り出した。
「指先の感覚がなくなってしまう投手や、投内連携(内野への送球などの練習)ができない投手など、イップスにもいろいろありますが、自分の場合は、フォームがぐちゃぐちゃになってしまって、ボールを離すタイミングがまったく分からなくなったんですね。投球時、トップまで腕がしっかり上がらず、その状態のまま投げてしまうから、ボールがどこへ行くか分からないような状態でした」
やはり北方にもイップスに陥るきっかけはあった。高校時代に既に153kmを記録する豪腕だったが、力で抑えられる田舎の高校野球とは違って、プロの世界では精密なコントロールも求められる。
「コントロールを安定させるために、フォームがだんだん小さくなっていって……ストライクが入らなくなった。球団の指示で、2014年の6月にサイドスローを提案されて、挑戦してみたんですけど自分には合わず。約1ヶ月後、再びオーバーハンドに戻すと、腕が出てこなくなって、リリースポイントがどこだったのか、わからなくなった。頭の中でイメージは湧いているんですよ。でも、身体が動かないんです」
こうして自分がイップスだと自覚する。だが、直後に戦力外通告を受けた。それから果てしない渡り鳥の日々が続く。
「結局、自分に合った投げ方というのは、自分にしか分からない感覚なんですよね。実は、2016年のオフにダルビッシュ(有、現カブス)さんのオフのトレーニングに参加させてもらったんです。藤浪選手も一緒でしたが、ダルビッシュさんからは、投手として必要なウエイトトレーニングとか、投げる上での根本的な技術のお話を聞き、自分の身体といかに向き合うことが大事かを教わった。それ以降、どんどん感覚が良くなっていき、イップスともうまくつきあえているような気がします」