デッドボール一覧

【デッドボール】に関するニュースを集めたページです。

あの頃へ逆戻りかと思いきや、今年の藤浪はひと味違う?(時事通信フォト)
阪神・藤浪晋太郎 死球病再発でも馬耳東風「ナニワのオバちゃん力」
 開幕投手として白星スタート、4月16日のヤクルト戦でも自らホームランを放ち2勝目をあげた阪神・藤浪晋太郎(27)。4試合に登板して防御率1.90。首位をひた走るチームを牽引する活躍だが、“持病”は治っていない。対戦する打者を恐怖に陥れた「デッドボール癖」だ。 16日も4回に山田哲人(28)に死球を与えたことがきっかけでピンチを招き、6回には塩見泰隆(27)の頭にぶつけた。 そもそも藤浪がデッドボールを連発するようになったのは、2017年4月のヤクルト戦がきっかけだった。当時のヤクルトの主砲・畠山和洋(38・現二軍打撃コーチ)の頭部に死球を与えたことで両軍入り乱れての大乱闘。以降、“危険球”はエスカレートし、他球団から「藤浪の登板日は右打者を起用しない」と言われるほどになってしまった。 同じヤクルト戦で頭部への死球──またあの頃へ逆戻りかと思いきや、今年の藤浪はひと味違った。「試合後のヒーローインタビューでは、虎の顔が大きくペイントされたサードユニフォームをアピールしながら“大阪のオバちゃんみたいなユニフォームを着ているので、しぶといバッティングをしてやろうと”と語って笑いを取っていた。気難しいイメージがあるこれまでの藤浪なら、死球を気にしてヒーローインタビューを拒否してもおかしくないケース。“精神的に図太くなった”とコーチたちも驚いているようです」(虎番記者) 阪神OBの野球評論家・遠山奨志氏も、その変貌ぶりに目を見張る。「やはり開幕投手抜擢が大きかった。これまで人の助言を受け入れず、単独行動が目立った藤浪だったが“チームの柱”としての意識が芽生えたんじゃないでしょうか。ただし、死球癖というのはふとした時に顔を出すもの。安心するにはまだ早い」 もともと197センチの体躯とストレートの威力は同級生のエンゼルス・大谷翔平(26)にも劣らない。大阪のオバちゃん顔負けの図々しさで、マウンドを我が物にできるか。※週刊ポスト2021年5月7・14日号
2021.04.28 16:00
週刊ポスト
野田浩司との交換トレードで阪神入りした松永浩美(写真:時事通信フォト)
阪神1990年代の暗黒時代を生んだ「ベテラン補強」の失敗
 1950年、プロ野球が2リーグに分裂してから今年で70周年を迎える。数え切れないほどのドラマが生まれてきた中でも、1985年の阪神タイガースの日本一は未だに語り継がれ、その後の低迷期も含め、多くのファンの記憶に残っている。阪神はなぜ、栄光の日本一から一気に転落していったのか。ベテラン野球担当記者がトレードやFA補強に注目して分析する。(文中敬称略。年齢はその年の満年齢。名前は当時)「1985年の優勝は先頭打者の真弓明信、クリーンアップのランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布の破壊力が群を抜いていた。これは衆目の一致するところでしょう。それに加え、ベテランの移籍組も要所で活躍していた。 36歳の弘田澄男は前半戦、2番・センターで主軸につなぐ役割を果たし、日本シリーズでも全戦先発出場した。35歳の長崎啓二は右投手の時のスタメンや代打の切り札で欠かせない存在で、西武との日本シリーズでは第6戦で先制の満塁ホームランを放ち、日本一に貢献しました。同じく35歳の永尾泰憲は左の代打としてシーズン打率3割を超えました」(以下同) 弘田は1984年にロッテから藤倉一雅、長崎は1985年に池内豊との交換トレードで、永尾は1982年に近鉄から金銭トレードで阪神に。30代半ばのベテランが最後の一花を咲かせていた。「1980年代に入ってから、阪神は実績のある選手をトレードで獲得していました。1983年に横浜大洋から野村収が加藤博一との交換で、1984年に南海から山内新一が無償で入団した。2人とも通算100勝以上の投手でしたが、1985年は野村が39歳、山内が38歳と全盛期を過ぎており、1勝ずつに終わりました。ただ、移籍1年目は野村が12勝、山内が7勝と復活しました」 ベテランの獲得は即効性があり、短期間で見れば効果はあった。1985年の日本一で味をしめたのか、阪神は翌年以降も30代の選手をトレードで獲得していく。 1986年、34歳の柏原純一は日本ハムから金銭トレードで移籍し、規定打席未満ながら打率3割1分3厘、17本塁打と相次ぐ故障に泣いた掛布の穴を埋めた。しかし、翌年からは低迷し、在籍3年で現役引退した。そして1987年には、優勝メンバーで26歳と脂の乗った吉竹春樹、23歳の左投手である前田耕司を西武に放出し、33歳の田尾安志を獲った。「1981年から4年連続3割を打っていた田尾は1985年、中日から西武に移籍。パ・リーグの水に合わなかったのか、2年間不振を極めた。それでも、阪神のフロントはセ・リーグに戻れば変わると見込んだのでしょう。しかし、1年目の成績は打率2割2分1厘とさらに落ち込みました。田尾は翌年、3本のサヨナラ本塁打を放ち、規定打席不足ながら3割を打って復活しますが、37歳の1991年限りで引退。吉竹は堅実な守備を売りに黄金期の西武で準レギュラーとして1995年までプレーしました」◆トレードで放出した野田はオリックスで最多勝 1987年は田尾だけでなく、打者も投手も全く調子が上がらず、勝率3割3分1厘で最下位に沈んだ。球団史上初の2年連続最下位に終わった1988年には31歳の金森永時が西武から、30歳の久保康生が近鉄から、1989年には31歳の住友一哉が近鉄から交換トレードで移籍。低迷にあえぐチームの中でそれなりの働きをしたように、この頃のトレード全てが失敗に終わったわけではない。しかし、1990年代に入ると補強の失敗がさらに目立ってくる。「阪神は1989年5位、1990年6位と下位に定着してしまいます。打開策として1991年にダイエーと4対5のトレードをしたが、結果的に大損した。ダイエーに行った池田親興は抑えとして復活を果たし、大野久は盗塁王を獲得した。南海時代2ケタ勝利を挙げていた藤本修二や西川佳明は1勝も挙げず、わずか2年で阪神を去りました。池田は1985年の優勝以降、伸び悩んでいましたが、大野久は村山実監督が和田豊、中野佐資とともに“少年隊”と名付け、1989年には3割を打っていた。我慢して育てた選手を放出したように、球団に一貫性がなかった」 同じ1991年には、23歳の遠山昭治を出して、ロッテから33歳の高橋慶彦を獲得。しかし、高橋慶彦はオープン戦の始球式でタレントの山田雅人からデッドボールを食らったことが話題になったくらいで、打棒は影を潜めた。「広島の黄金時代を築いた慶彦は田尾と似たようなケースで、たった1年でパからセに戻ってきた。中村勝広監督は慶彦の良い時のイメージを忘れられず、開幕から1番で使ったが、打てなかった。この頃は知名度の高い選手に飛びつく傾向がありました」 補強の失敗を重ねた1991年は2年連続の最下位に終わった。交換トレードのなかった1992年、亀山努、新庄剛志の“亀新フィーバー”、仲田幸司など投手陣の急成長によって2位に躍進する。中村監督は、あと1歩で優勝を逃した原因は打線にあると考え、オリックスから32歳の松永浩美に触手を伸ばし、3年連続8勝以上を挙げていた24歳の野田浩司とのトレードに踏み切った。しかし、野田は移籍1年目の1993年に17勝で最多勝に輝き、1995年からの連覇にも先発の柱として貢献。松永は度重なるケガで80試合出場に留まり、オフにFAを行使してダイエーに移籍してしまった。「若手を出してベテランを獲るというトレードは博打に近い。仮に1年働いても、長い目でみれば損をする。それなのに、何度も繰り返すのは、移籍組のベテランの活躍もあって日本一になった1985年が脳裏に焼き付いていたのかもしれません。ただ、その年の1番・真弓は1979年に田淵幸一を放出した時のトレード相手で、阪神1年目は26歳だった。ミスター・タイガースを出す代わりに、伸び盛りの若手を獲ったことが1985年に生きたことを覚えておくべきだった」◆星野監督の補強はそれまでと何が違ったのか 1993年、阪神は4位とBクラスに逆戻り。オリックスから1994年に石嶺和彦を、1995年に山沖之彦をFAで獲得したが、往年のような働きはできなかった。特に山沖は故障のため1試合も登板せず、自由契約となった。「1994年、渡辺伸彦との交換トレードでオリックスから移籍した古溝克之が抑えのエースとして復活したように数は少ないが、成功例もある。しかし、球団に首尾一貫したポリシーがあるわけではなく、山沖のように手を挙げたから取りに行くというような場当たり的な補強が目立ちました」 1994年は4位だったが、1995年から2年連続最下位に沈む。すると、1985年の日本一監督である吉田義男氏が再登板。1998年、関川浩一、久慈照嘉という29歳の2人を放出し、中日から35歳の大豊泰昭、30歳の矢野輝弘を獲得した。「前年、本拠地が狭いナゴヤ球場から広いナゴヤドームに変わり、大豊の成績は急落した。それなのに、同じように広い甲子園での活躍を望むのは酷でした。矢野はレギュラー捕手に定着しますが、1999年に関川と久慈が中日の優勝に貢献したことで、当時は阪神のトレード下手がクローズアップされました」 野村克也監督が1999年に就任。前年に阪神に戻っていた遠山、2001年に入団した成本年秀という他球団の自由契約選手の再生には成功しているが、トレードやFA補強が上手くいったとは言い難かった。これを変えたのが、2002年から監督を務めた星野仙一氏だった。2003年にはFAで広島から金本知憲を獲得。日本ハムと3対3の大型トレードも敢行し、坪井智哉、山田勝彦、伊達昌司を出して、下柳剛、野口寿浩、中村豊を手に入れた。大量の選手入れ替えを行ない、チームに喝を入れた星野は18年ぶりの優勝に導いた。「金本も下柳も35歳で阪神に入団。生え抜きスターの坪井智哉は29歳と脂の乗ってくる時期でしたし、伊達昌司も27歳だった。年齢だけ見れば、それまでのベテラン補強と同じでしたが、星野監督は過去の実績だけではなく、将来を見越す眼力があった」 金本は在籍9年間で4度の3割、1度の打点王、下柳は在籍8年で5度の2ケタ勝利、1度の最多勝に輝き、2003年と2005年と2度の優勝に主力としてチームを引っ張った。「下柳はトレード相手の3人よりもNPBで現役を長く続けた。1980年代や1990年代、阪神に移籍してきたベテランは活躍しても1年程度で、3年程度で引退や自由契約になる選手がほとんどでした。単に年齢だけでなく、本当に数年働けるかを見極める力、情報収集力が暗黒時代の現場、フロントにはなかった」 これ以降、阪神は若手を出してベテランを獲るという場当たり的な交換トレードはしなくなった。目先の勝利を求めるだけの補強戦略にピリオドを打った星野監督は、文字通り阪神を変えていた。
2020.05.12 16:00
NEWSポストセブン
投球練習中の藤浪投手。左は福原忍投手コーチ(時事通信フォト)
阪神・藤浪は復活できるか イップス経験者、専門家の考え
 ゴールデンウィークの連戦で超満員に沸く甲子園球場から車で20分ほど離れた鳴尾浜球場で、ひっそりトレーニングに明け暮れる阪神・藤浪晋太郎(25)。ケガをしているわけでもない。でも投げられない。「10年に1人の逸材」とも言われた男に何が起きているのか――ノンフィクションライターの柳川悠二氏がリポートする。 * * * 藤浪晋太郎が表舞台から姿を消して、はや2ヶ月が経とうとしている。2013年の入団以来、阪神タイガースの先発の柱として虎党の期待を一身に背負ってきた藤浪が、大きなケガを抱えているわけでもないのに、3月12日のオープン戦以降、ウエスタンリーグの試合でも登板を回避し続けるのは、彼が抱えるイップス(Yips)がきわめて深刻だからだろう。イップスとは、スポーツの世界において、練習では当たり前にできていたことが試合で突然できなくなったり、極度の緊張状態で身体を意のままに動かせなくなったりするような症状をいう。 大阪桐蔭高校時代の2012年、甲子園で史上7校目の春夏連覇を達成し、2013年の阪神入団から3年連続で二桁勝利を挙げた藤浪は突如、2016年から制球に苦しみ、7勝、3勝、5勝とファンの期待を裏切ってきた。とりわけ右打者を相手にした際に投じるボールが打者方向へ抜けることが顕著となり、2017年にはデッドボールによる乱闘騒ぎも頻発。今春のオープン戦でも、四死球を連発する中で試行錯誤を繰り返し、高校時代のフォームに近いスリークォーター気味に投じた試合もあった。しかし、他球団からすれば大事な選手を壊されるわけにはいかない。制球が不安定な藤浪からの死球を未然に防ごうと、左打者ばかりを打線に並べるという珍事まで起きていた。自軍の選手を守るという心情は当然理解できるものの、私には悩める藤浪をさらに心身的窮地に追い込む屈辱的な仕打ちにも思えた。自身もイップスに苦しんだ経験を持つ、元北海道日本ハムの野球解説者・岩本勉氏は言う。「僕が入団3~4年目まで苦しんだのは、コントロールが定まらず、キャッチャーが捕れないようなところにしか投げられなくなってしまうイップスでした。遠投で120メートルを投げているのに、その直後にブルペンに入ったら足が動かなくなったこともあったし、マウンドでガタガタと手が震えだしたこともあった。嘘のような本当のイップスが球界にはたくさん存在する。ワンバウンドしか投げられなくなった投手、二塁への送球ができない捕手、短い距離の加減したボールが投げられない投手や野手……。『昔はええ選手やったのに、鳴かず飛ばずで辞めたなあ』というプロ野球選手っているやないですか? そのうち、8割以上がイップスが原因だったと僕は思います。心のコントロールが失われるので、僕はイップスを魔物と呼んでいます。藤浪の中にも魔物はいますね。完全には冒されていませんが……。イップスを公言する選手は少ないです。公言してしまえば相手に足下を見られ、ファンから野次られる。それを恐れるんです」 藤浪もイップスであることを公に認めてはいない。しかし、いつもマウンドで同じ症状に苦しむ藤浪は、たしかに“魔物”に取り憑かれたように見える。 ゴールデンウィークを目前に控えた4月25日、阪神の二軍本拠地である鳴尾浜球場には、570席の収容を上回る観客が溢れていた。この日のソフトバンク戦で藤浪が復帰登板予定という報道が早朝に流れたため、連休前の平日にもかかわらず阪神ファンが大挙して鳴尾浜を訪れていた。9回表。平田勝男二軍監督が投手交代をアンパイアに告げた。「ピッチャー、る!」──る? ル? 場内アナウンスに球場はざわついた。敗色濃厚の最終回のマウンドに上がったのは、台湾出身の2年目左腕、呂彦青(ル・イェンチン)だった。結局、この日の登板はなく、さらに翌日も試合途中にブルペンで投げただけで、藤浪がマウンドに上がることはなかった。復帰登板を待ち望んでいたファンからしたら、肩透かしを食らった気分だろう。捻挫や骨折などの外傷とは違って、予後の見通しが、まるで立てられない症状――イップスであるがために、首脳陣も復帰のタイミングが計れず、本人もまた克服した確信を得られない。誰もが暗中模索の状態にあるのだろう。 イップスは、「心の病」とも表現される。たとえば、頭部に死球を与えた経験のある投手が、“またぶつけてしまうのでは”と恐れるようになり、別人のようにコントロールが定まらなくなったケースは、漫画の世界に限った話ではない。たった一球をきっかけに、野球人生を狂わせることだってあるのだ。京都大学大学院教育学研究科の岡野憲一郎教授は、精神科医の立場でイップスの研究を進めてきた人物である。岡野教授は、イップスを「病気」と断言する。「病気であるかどうかの定義は、社会生活がどの程度侵されているかに関わってくる。イップスによって、野球選手としての仕事ができなくなっている場合は、病気と定義するしかありません。イップスとは、自身の随意筋(自分の意思で動かすことのできる筋肉)に対して、脳から意図していない信号が送られて、随意筋が意図しない動きをしてしまうことをいいます(転換性障害)。以前なら自然にできていたことが、邪念が入ったことによってできなくなってしまうのですね。藤浪選手の場合は、『普通に投げる』投球行動の中に、余計な信号が入り込んできてしまい、まるで意図していない右方向にボールを投げてしまう。マウンド上で起きていることから判断する限り、藤浪選手を悩ませているのはイップスです」 イップスはあらゆるスポーツのシーンで起こっている。ゴルフのパターイップス、ドライバーイップスは有名だが、背負い投げが掛けられなくなった柔道家や、鍵盤を押せなくなってしまったピアニストなども報告されている。また、日常生活の中で――たとえば大勢の前でプレゼンテーションをするような機会に、緊張によって口ごもってしまったり、赤面してしまって予定とは違う行動をしてしまうようなことも、イップスと同じ状態だ。つまり、誰にでも起こり得る。「筋肉が硬くなって動けなくなる状態をジストニアと言います。スポーツで起きると、アスリートジストニア。音楽家の場合はミュージシャンジストニアと呼び、これは作家が文字を書けなくなる書痙(しょけい)とも一致する。スポーツに限らず、いろいろな分野でイップスと同じことが起きている。しかし、こういった現象がすべて同じ病気と定義づけるまで、現在の医学は発達していません」(岡野教授) アスリートを苦しませるイップスに克服法はあるのか。岩本氏は言う。「最初に、自分がイップスであることを認めること。次に、それを人にさらけ出すこと。そして、向き合うこと。しかし、プロ野球選手としてイップスを公言することは、ファンに野次られますし、なかなかできることではないんです。それから僕のような経験者の声に耳を傾けることも大事ですね」──岩本氏の場合は、入団から4年目の1993年、イップスを患った状態のままでは近い将来のクビは免れないと覚悟し、潰れてもいいと開き直ってひたすら白球をネットに投げまくる日々を送った。「それこそ目をつむってても投げられるようにと思って。自転車って一度、乗る技術を身につけたら、忘れないじゃないですか。ピッチングをそんな状態にまでもっていったろ、と。全体練習後の夜10時から毎日1000球投げました。それが良かったなと思います。その後、サイドハンドに転向したり、試行錯誤は続きましたけどね」──6年目の1995年にプロ初勝利を上げると、翌年には10勝を挙げ、日本ハムのエースにまで成長していく。岩本氏が続ける。「藤浪が本当にイップスかは分かりませんが、僕ならば、もしかしたら藤浪をガラッと違うピッチャーにできるかもしれない。きっと今、(投球時に)『(身体を)突っ込むな』と言われていると思うんですよ。僕なら『突っ込んでいけ!』って言いますね。それに、高校時代のようにクロスステップで投げればいいんですよ。シュート回転するストレートを武器と思って、右打者の懐に投げ込んでいけばいい。ぶつける心配はあるでしょうが、プレートを踏む位置を工夫したりすれば、回避できる。とにかく、投手としての彼を肯定してあげて、本人をその気にさせると、ポジティブな思考に変わるじゃないですか。きっと現在の藤浪はネガティブになっていると思うんですよ。イップスという魔物は、ポジティブなヤツに対しては、“しばらく潜んでおいてやろう”となる。半面、ネガティブなヤツは大好物なんです」 これまでイップスに悩む野球選手、アスリートにトレーニングの指導を行い、克服の手助けをしてきたのが兵庫県神戸市でパフォーマンスアップジム「ウイニングボール」を主宰するトレーナーの松尾祐介氏だ。「イップスとはメンタル、技術、動きを生み出す肉体のどれもが関係して発症します。メンタルからのアプローチだけで改善されるイップスはたいしたイップスではありません。また、技術指導だけで良くなるイップスも、たいしたイップスではありません。以前はできていたことができなくなるのは、比較的浅いイップスで、酷いイップスとなると、身体異常、身体障害によって、骨格が変わってしまうケースもある。ただ、藤浪のイップスはそれほど酷い状態には見えません。投球時に動かしていく身体の回路に狂いが生じ、歯車がかみ合っていないような状態でしかないと思います。たとえば、ボールが右にいってしまうのなら、どんな身体の使い方をしたからそういうボールを投じてしまったのか。そういう根本的な部分がはっきりしていないんじゃないかと思います。腕を下げたりするのは、対症療法でしかない。現在の藤浪選手をたとえるなら、ガンダムという性能の高いロボット(肉体)のコクピットに座りながら、肝心のパイロット(藤浪自身)の操作する能力が足りていない状態。性能の劣るザクなら操作はできても、ガンダムを操るにはアムロ・レイのようなニュータイプじゃないといけないわけです。もちろん、軽度であっても本人の悩みは深いと考えられます」 佐賀・唐津商業から2012年にドラフト1位で横浜DeNAに入団しながら、深刻なイップスによってわずか3年で戦力外の憂き目に遭ったのが北方悠誠(ゆうじょう)だ。北方は2014年の12球団合同トライアウトに参加し、一度は福岡ソフトバンクの育成選手としての契約を勝ち取った。 ただ、当時のトライアウトを取材した際に見た投球は動きがぎくしゃくし、何かしらの悩みを抱えているのは明らかだった。そして、福岡ソフトバンクもわずか1年の在籍となり、その後はBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサス、四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツ、再びBCリーグの信濃グランセローズを経て、昨年10月には栃木ゴールデンブレーブスに移籍。国内の独立リーグを転々とする野球人生を送ってきた。「僕は(DeNA)3年目の途中に、自分がイップスであることを認識しました」──そう北方は切り出した。「指先の感覚がなくなってしまう投手や、投内連携(内野への送球などの練習)ができない投手など、イップスにもいろいろありますが、自分の場合は、フォームがぐちゃぐちゃになってしまって、ボールを離すタイミングがまったく分からなくなったんですね。投球時、トップまで腕がしっかり上がらず、その状態のまま投げてしまうから、ボールがどこへ行くか分からないような状態でした」 やはり北方にもイップスに陥るきっかけはあった。高校時代に既に153kmを記録する豪腕だったが、力で抑えられる田舎の高校野球とは違って、プロの世界では精密なコントロールも求められる。「コントロールを安定させるために、フォームがだんだん小さくなっていって……ストライクが入らなくなった。球団の指示で、2014年の6月にサイドスローを提案されて、挑戦してみたんですけど自分には合わず。約1ヶ月後、再びオーバーハンドに戻すと、腕が出てこなくなって、リリースポイントがどこだったのか、わからなくなった。頭の中でイメージは湧いているんですよ。でも、身体が動かないんです」 こうして自分がイップスだと自覚する。だが、直後に戦力外通告を受けた。それから果てしない渡り鳥の日々が続く。「結局、自分に合った投げ方というのは、自分にしか分からない感覚なんですよね。実は、2016年のオフにダルビッシュ(有、現カブス)さんのオフのトレーニングに参加させてもらったんです。藤浪選手も一緒でしたが、ダルビッシュさんからは、投手として必要なウエイトトレーニングとか、投げる上での根本的な技術のお話を聞き、自分の身体といかに向き合うことが大事かを教わった。それ以降、どんどん感覚が良くなっていき、イップスともうまくつきあえているような気がします」 イップスを克服するために必要なこととして、北方も岩本氏と同意見だった。「あえて他の人に言う必要はないかもしれないですけど、投げられなくなってしまったのは事実なので、自分がイップスであることを素直に受け入れて、認めることが大事だと思います」──2018年に阪神を自由契約となった西岡剛も加わった栃木で、今季の北方は150kmオーバーの球速を取り戻し、今季の開幕戦では横浜時代の自己最速に並ぶ158kmを記録した。NPBの球団を復帰を目指している北方だが、既にトライアウトを3度受験しており、現行のルールではトライアウトに参加することはできず、12球団のいずれかから声がかかるのを待つことしかできない。「僕はボールを投げるだけ。どこの球団でもかまわない。もう一度、NPBに挑戦したいです」 イップスであることを藤浪が認めていない以上、外野がとやかく言うことは余計なお世話なのかもしれない。だが、イップスの正体を理解することこそ、今の藤浪に必要なことではないか。
2019.05.04 16:00
NEWSポストセブン
今年は「夏のセンバツ」に
仲間の死を乗り越えセンバツ21世紀枠へ 熊本西の戦い
 平成最後の甲子園となる第91回選抜高校野球大会の出場32校が、1月25日に決定する。毎年3校が選ばれる21世紀枠で、選出が有力視されている熊本県立熊本西高校は、悲しい事故を乗り越えて、聖地での勝利を目指している。 * * * 熊本県立熊本西高校の硬式野球部は昨秋の熊本大会で準優勝し、九州大会でも1回戦を突破。ベスト8に終わり、一般選考でのセンバツ出場は難しくなったものの、公立で練習時間が短いハンデをものともしなかった快進撃と、日頃から小学生に野球教室を開き、田畑に囲まれる地域への貢献などが評価され、熊本県の21世紀枠推薦校に選出された。 甲子園の夢を膨らませていた同校で、不幸な事故が起きたのは、その決定からわずか9日後だった。 11月18日日曜日。熊本西は午前中に練習試合を行い、昼食を挟んで控え選手中心の2試合目を戦っていた。 4回裏、熊本西の攻撃。2死走者なしから、代打として右打席に入ったのが2年生の外野手・篠田大志君だった。カウント1-1からの3球目──。 相手右投手のストレートが篠田君の頭部付近に抜ける。篠田君は捕手方向に顔を振ってボールを避けようとした。しかし、ボールはヘルメットの左耳部分をかすめ、そして頸部を直撃する。「いたっ!」 篠田君はそのまま右バッターボックス付近に倒れてしまう。すぐに監督や部長、そして仲間が駆け寄ったが、篠田君は意識を失ったまま、動かない。 横手文彦監督が即座に心臓マッサージを開始し、上田謙吾部長が救急車を呼ぶ。その時、誰かが「AED!」と叫んだ。だが、その時には既に部員のひとりが、グラウンド脇に設置されていたAEDを取りに走っていた。監督らはすぐにAEDを篠田君の肉体に取り付けたが、電気ショックの必要はないという反応。間もなく、救急車が到着した。ここまで時間にして、5分から6分ほどの出来事だったという。 救急車には上田部長が同乗し、近隣の救急病院に到着するまで、車内では蘇生措置が行われた。病院には、保護者会長からの連絡を受けた篠田君の家族も程なくして到着した。 だが、監督や部長、そして部員の迅速な対応も実らず、篠田君は翌19日の早朝、亡くなってしまう。死因は外傷性くも膜下出血だった。頸椎の損傷はなく、現場検証にあたった警察からは「当たり所が悪かったとしか言いようがない」との説明を受けたという。 ショックに見舞われた熊本西の選手たちに対し、篠田君の遺族は事故によって21世紀枠の推薦校を辞退することがないように進言。そして12月14日、日本高等学校野球連盟は21世紀枠の各地区候補9校を発表し、熊本西は甲子園にまた一歩、近づいた。◆「もし代打に送り出さなければ……」 熊本西を訪れたのは、正月の休みが明け、今年の初練習となった1月4日だった。グラウンドの入り口には、生花やジュースが供えられ、練習開始を前に、選手が手を合わせてグラウンドに飛び込んでいく。訪れた保護者や関係者も、手を合わせて黙祷する。そんな光景が繰り返された。 15歳から17歳の高校生は、肉親の死にも直面した経験が少ない年代だろう。彼らは目の前で仲間を失った。そのショックは、動揺は、想像を絶するが、いざ練習が開始されれば、全国のどこにでもある、熱心に白球を追う球児の懸命な姿があった。横手監督が話す。「そうですね。ようやく落ち着いてきたようにも思います。もちろん、忘れているわけではないんです。大志のことをみんな、心の片隅に置きながら、前を向こうとしている。大志のお父さんからも、未来に向かって下さいというようなありがたいお言葉をいただきましたから。ただ、その言葉をいただいたからといって、大志のことを過去にするわけにはいかないです」 事故の2週間後、練習を再開すると、仲間の死の影響は少なからず、練習に表れた。「カウンセリングを受けた選手もいますし、バッターボックスに立って、『踏み込んで打つのが怖い』と話した選手もいました。ですから、フリーバッティングもしばらくは控えていましたし、実践メニューもまだ抑えている状況なんです」 日本高野連によれば、試合中のデッドボールで打者が亡くなった事故は、記録が残る1974年以降、3例目だという。不幸にも命の救済にはつながらなかったものの、事故発生から救急車が到着するまでのおよそ5分から6分の間、グラウンドにいた者がすべきことを的確に判断し、冷静に対応した。熊本県の公立校の教職員は年に一度、AEDの研修を義務づけられ、熊本西でも講習会を選手が受講していたという。こうした経験が冷静で迅速な対応につながったのだろう。 また通常の練習から安全面には注意を払い、試合で使用するヘルメットも、一度、デッドボールを受け強度を失ったものは使用していなかった。「避けられた事故だとは思いません」 そう、横手監督は話す。しかし、教え子の命が奪われた以上、ことあるごとに、「たられば」が頭をよぎる。「あの日の夜に振った雨がもう少し早く降っていたら試合を中止していたかもしれない……」「もし代打に送り出さなければ……」 事故から得た教訓はという問いに、横手監督は言葉を詰まらせ、答えを見つけることはできなかった。 しかし、こうした学校側の適切な対応があったからこそ、息子を失った遺族も、教員や選手たちをむしろ激励するような言葉をかけられたのではないだろうか。 葬儀の日、大志君の父親は喪主挨拶で、事故時の相手投手を気遣う言葉を口にしたという。「来年の夏、藤崎台球場(熊本大会が開催される熊本城内にある球場)で投げる日を楽しみにしています」 今、甲子園という目標が、新年を迎えた熊本西ナインの歩みを支えている。横手監督は言う。「21世紀枠に選ばれるか、選ばれないかは分かりません。しかし、出場することを前提に準備しています。そうじゃないと、とても間に合いませんから。この1月の時期に、全国に約4000校に野球部がある中で、甲子園の話が生徒とできるチームというのは少ない。うちも初めての経験ですし、熊本県の21世紀枠推薦校が、九州の推薦校になった前例もないんです。全国の強豪とどれだけ戦えるのかという不安はあるし、責任の重さもある」 もし出場が決まったら、戦いたい学校はあるか。「特にありません。反対に、みんな、うちと当たりたいんじゃないですか(笑)。実力は32番目のチームだと思いますので。九州大会まで出場し、1回戦を勝ったという自信は選手も持っていると思うんですが、率いる私としては……」 主将兼エースで、中軸を打つ霜上幸太郎を中心とした守りの野球で、昨秋は快進撃を続けた。チームの特徴は「チームワークの良さ」と横手監督は言う。 部員数は44人(女子マネジャー5人含む)。いや、亡くなった篠田君を含めた45人で、聖地を目指す。■取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
2019.01.24 16:00
NEWSポストセブン
大阪桐蔭 入学前から「背番号2」をめぐる正捕手争いも
大阪桐蔭 入学前から「背番号2」をめぐる正捕手争いも
 夏の甲子園出場をかけ、全国の球児たちが連日、地方予選で熱戦を繰り広げている。その最中、甲子園の「常連校」は既に、今年だけでなく、来年、再来年、そして3年後の甲子園を見据えた“もうひとつの戦い”を水面下で進めている。強豪校が将来有望な中学生選手を“一本釣り”すべく動く現場を『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』著者でノンフィクションライターの柳川悠二氏が追った──。 * * * 6月20日に発表された今年のU-15侍ジャパン代表選手の顔ぶれは驚きだった。それぞれの会場で筆者が目を付けた中学生球児がことごとく選出されていたのだ。ことさら慧眼ぶりをアピールしたいわけではない。突出した力を持つ選手というのは、よりレベルの高い競争現場でこそ才能が輝き、素人目にも非凡な異才に映る。 特に目を奪われたのは、滋賀・湖南ボーイズの樋上颯太投手だ。 関西ボーイズ最強右腕とも賞される樋上投手の球速はMAX143キロ。真上から振り下ろすストレートに重厚感があり、ブルペンで受けた坂玲哉捕手のミットからは破裂音が響いていた。 その坂捕手は鉄砲肩に加え、一発の魅力を持つ右のスラッガー。シート打撃ではデッドボールを受けたが、まるで痛がる素振りを見せなかった。筋力だけでなく、身体の芯が強いのだろう。 所属の湖南ボーイズでは、昨冬に甲子園球場で開催されたタイガースカップに出場するも、初戦で敗退した。樋上投手は、「高校でも甲子園に行きたい。タイガースカップでの借りが残っているんで」と話し、坂捕手と同じ高校に進学したいという野望を打ち明けた。 ブルペンでのふたりを熱心に見つめていたのが、大阪桐蔭の石田寿也コーチだった。勧誘の意志を訊ねると、「来てくれると嬉しいですね」と煙に巻かれてしまう。 関西トライアウトが終わり、帰路に就く湖南ボーイズバッテリーの後を追うように、迎えの車に向かっていたのが、前田健太(現ドジャース)を輩出した忠岡ボーイズ(大阪)の池田陵真捕手だった。169センチと小柄ながら、ティーバッティングで鋭い打球を打ち込んでいた。「スイングスピードと広角に強い打球を飛ばせることがウリだと思っています」 やけに受け答えがしっかりした池田捕手は、所属チームと同様に侍ジャパンでも主将に選ばれた。吸い込まれるような大きな瞳の力が印象的だった。「小学生の時にオリックスジュニアの選考会に行って受かって、中1の時にはカル・リプケン世界少年野球大会の選考会にも参加し、世界一になって帰って来た。そういう意味では、場慣れしていると思います」 彼らの気になる進路はというと──返答には苦笑いするしかなかった。関西会場で出色のプレーを見せていた三者が、そろいもそろって大阪桐蔭に進学予定というのだ。 坂捕手と池田捕手は同ポジション。大阪桐蔭では、背番号を巡る日本一の競争が待つが、入学以前から3年後に向けた正捕手争いは始まっている。※週刊ポスト2018年8月3日号
2018.07.30 07:00
週刊ポスト
諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師
鎌田實氏 言葉によって人生が変わった高校時代の体験
 人生が言葉をつくり、言葉が人を変える。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、言葉によって人生が変わった体験について語る。 * * * 元広島の“鉄人”衣笠祥雄さんが4月に亡くなった。現役時代、巨人の西本投手からデッドボールを受け、肩甲骨を骨折した。が、翌日、ピンチヒッターに出た衣笠は、フルスイングで三球三振した。そのときのコメントは往年の野球ファンの記憶に残っている。「一球目はファンのため、二球目は自分のため、三球目は西本君のため」 前人未到の連続試合出場記録の更新中で、その記録をストップさせるという汚名を、西本投手に与えないようにしたのだ。言葉には、その人の信念や生き方が映し出される。自分の言葉を持っている人は、それだけで魅力的である。 ぼくが、「言葉によって人生が変わった」という体験をしたのは、高校3年のときだった。それは、父からの「勉強するな」という言葉だった。貧乏から脱出するために、医学部に行きたいと打ち明けると、父は、貧乏人は大学など行かなくていい、働け、と怒鳴った。 ぼくは、父の言葉に反発した。その日から、医学部に入るための勉強を始めた。あのとき、父が「もっと勉強しろ」と言っていたら、きっと意志を貫けなかっただろう。その後、いろいろな人と出会って、忘れられない言葉をもらった。 ぼくの母は重い心臓病だった。日本で心臓の手術が始まって間もないころ、東京女子医大の榊原仟教授(当時)に手術をしてもらった。日本の心臓外科をつくった人ともいわれている。山崎豊子原作のドラマ『白い巨塔』で主役を務めた田宮二郎は、役作りのために榊原教授の手術を何度も見学したという。「勉強するな」と言った父はタクシーの運転手をしていた。母の手術をしてもらって約10年後、偶然、榊原教授を客として乗せた。「妻は先生に命を助けていただきました」と言うと、教授は母のことをよく覚えていた。そのうえ、「小さな男の子がいましたね」と聞いたという。ぼくのことだ。 そのころ、ぼくは東京医科歯科大学の医学部に通っていた。父はそのことを伝えた。すると教授は名刺を出して、こう言った。「息子さんが困ったら、いつでも来るように言ってください」 その名刺をぼくは父から渡された。結局、一度も榊原教授を訪ねたことはなかったが、しばらくの間、その名刺はぼくのお守りになっていた。困ったことがあったら、この人のところに行こう、そう思えるところがあるだけで、どんな障壁にも負けないで生きていけるような気がしたのだ。まったくもって、脱帽である。 人生が言葉をつくり、言葉は人を変える。そんな力をもった言葉との出会いを『曇り、ときどき輝く』(集英社)という本にまとめた。 人間がどのように言語を獲得したのかはわからない。言語学者のノーム・チョムスキーは非連続的な突然変異が起きたと考えている。心の震えが、声帯を震わせて言葉になったという説もあるし、言語の起源は祈りや歌だったとする説もある。 しかし、言葉を手に入れて人類の生き方が変わったことは間違いない。そして、それ以来、ぼくたちは言葉を羅針盤にして、人生を切り開いている。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『人間の値打ち』『忖度バカ』。※週刊ポスト2018年6月8日号
2018.05.31 16:00
週刊ポスト
豪快な笑顔が印象的だった
金田氏、乱闘はパを盛り上げる演出で「ワシは役者」だった
 シーズンオフになるとテレビで放送され人気を博した「珍プレー好プレー」的な番組で必ず取り上げられる試合中の乱闘事件。多くは、デッドボールを当てられた打者が投手に向かってゆくといった、選手同士の揉み合いだったが、監督のなかで乱闘の常連として知られたのは、パ・リーグの不人気球団だったロッテ監督時代の金田正一氏。現役だった国鉄時代に1回、巨人在籍時に1回、ロッテ監督になってからは6回の退場経験を持つ金田氏が、なぜ監督になってから乱闘が増えたのかを振り返った。 * * * ワシは元々、客が500人入れば大入り袋が出た不人気球団・国鉄を経験していたから、客がいない環境には慣れているつもりだった。だが何事にも限度というものがある。パ・リーグの不人気は想像以上だった。セはドル箱カードの巨人戦があったが、パはどの球場に行っても本当に客がおらせん。スタンドがガラガラで、格好悪くて彼女を招待できなかったよ(苦笑)。 選手にとって客がおらん球場で野球をやるほど虚しいものはない。そこでワシは、親会社に“おんぶにだっこ”だった当時のパを変えてやろうと思った。選手の年俸は自分たちで稼ぐことを目標にし、パの試合を超満員にするため何でもやったよ。客が「たまには顔を見せろ」と野次るからサードコーチャーとして「カネやんダンス」をしたこともあるし、パに人気選手がいないから“エースのジョー”こと城之内邦雄(元巨人)を現役復帰させたりもした。すべて客寄せのパフォーマンスですよ。 メディアもフル活用した。実はワシは国鉄時代から「大きな記録達成は巨人の試合がない日にする」と決めていた。巨人の試合がある日にやっても、新聞が扱わないことを知っていたからだ。だからロッテの試合も巨人戦のない月曜に組んで、話題を提供したよ。しかしロッテが優勝した年に、長嶋茂雄に引退されてすべて持っていかれた時は参ったな(苦笑)。 派手な乱闘や審判への猛抗議も、盛り上げるための演出だ。ファンはいつ乱闘や抗議が始まるかわからないと期待しているから、球場に足を運んでくれるし、試合に集中する。あれはあくまで監督による演技。ワシは客の呼べる役者だったんだよ。その証拠に、ワシは近鉄のタフィー・ローズに抜かれるまで長く退場の日本記録(8回)を持っていたが、大部分は監督時代のものだからね。 乱闘というのはひとつのショーだ。それを真剣になってやるバカはいない。両軍の選手全員が飛び出してきて派手に見えるが、殴ろうとしても誰かが止めてくれるからケンカするのであって、本気で殴ろうなんて思っていませんよ。 それが外国人選手は本気になって乱闘に参加してくるから、おかしなことになってしまう。阪神のバッキー(*1)、巨人のガルベス(*2)がいい例だな。ちなみにワシと外国人の乱闘でいえば近鉄のジム・トレーバーの顔面を蹴った事件があったが、あれは上げていた足の下にアイツの顔が飛び込んできただけだからね。でもあの映像も繰り返しテレビで流され、パ・リーグを盛り上げる一助になっただろう。ガッハッハ。【*1:1968年9月18日、巨人・王貞治への危険球に激怒してベンチを飛び出した荒川博コーチに、バッキーが右ストレートで応戦。荒川は顔面から流血し、バッキーも右手を骨折する重傷を負った】【*2:1996年5月1日、ガルベスの投げた頭部危険球に中日の山崎武司が激怒し、マウンドに突進。ガルベスのエルボーで山崎は流血。両軍入り乱れる乱闘に発展し、試合は32分中断した】●かねだ・まさいち/1933年愛知県生まれ。1950年国鉄入団。14年連続20勝をはじめ、数々の記録を達成。1973年からロッテ監督を務め、日本一にもなった。通算400勝(歴代1位)。■取材・文/鵜飼克郎※週刊ポスト2018年6月1日号
2018.05.24 16:00
週刊ポスト
小学校の道徳が教科に格上げ 教える教師の最大の不安とは
小学校の道徳が教科に格上げ 教える教師の最大の不安とは
 4月から小学校で、これまでは“教科外活動”として行なわれていた「道徳の時間」が、「特別の教科 道徳」に“格上げ”された。 学習指導要領によると、教える内容は「善悪の判断」「誠実」「思いやり」「国や郷土を愛する態度」など。つまり、「善悪の判断がついているか」「誠実さはあるか」「思いやりはあるか」「国や郷土を愛しているか」が、評価の要素になるということだ。 授業の内容も変わる。これまでは「教材の登場人物たちの気持ちを読み取る」形式が多かったが、今後は「考え、議論する道徳」にシフトするという。 たとえば、小学校4年生の教科書(光文書院)の「言葉のキャッチボール」という項目では、「相手の気持ちを考え、どんな言葉を返したらよいか考えてみましょう」として「ナイスボール」な言葉と「デッドボール」な言葉の例が書かれている。〈かずきさんは、休み時間に係の仕事があって、ゆうじさんたちとやくそくしていたサッカーをする時間におくれてしまいました〉 ここで「デッドボール」なのは、「おそいぞ! 何やってたんだ!」と聞いてしまうこと。「係の仕事をしてたんだよ。たいへんだったんだぞ」と言い合いになってしまうという。「ナイスボール」は「おそかったけど、何かあったの?」。こうすると相手も「おそくなってごめんね」と謝りやすくなるということのようだ。 後者のほうが“大人な対応”なのだろう。しかし、小学4年生の子供が、本当にそんな物わかりの良い人間でなければいけないのだろうか。 教える側の教師も悩んでいる。「この項目には、最後に〈言葉のキャッチボールで、友だちが「ナイスボール」だったと思うことを発表し合いましょう〉とあります。しかし、子供同士が評価し合うのは危険ではないでしょうか。 褒め合うにしても、『○○クンを親友だと思っていたのに、僕のことは褒めてくれなかった』といった不満が出る可能性もあります。そもそも我々教師だって何が“ナイスボールな言葉”かなんてわからないんですから」(40代男性教諭) 教科書の内容をめぐっては、「伝統文化の尊重や郷土愛などに関する点が足りない」という意見がつけられ、「パン屋」を「和菓子屋」に変更した教科書会社や、高齢者を登場させるために「おじさん」を「おじいさん」に変えた教科書会社もあった。何が「道徳」なのか、関係者の大人も手探り状態なのだ。 教師にとって最大の不安は、通信簿に記載する「評価」だ。「テストで点数が出る他の教科と違い、道徳心を客観的に評価するのは厄介です。基本的には子供を傷つけないような書き方をするしかないから、褒めるしかない。しかし、その際には具体的に書いたほうがいいと言われていますから、ますます何を書いていいか分からない」(40代女性教諭) 元文科省の官僚で京都造形芸術大学教授の寺脇研氏はこんな不安を指摘する。「来年からは中学で教科になりますが、評価は入試の合否判定に活用しないとはいうものの、心配する親や子供もいるかもしれない。そうすればせっかくの道徳の授業なのに、通信簿のために良いことだけを言うように取り繕う児童・生徒が増えるかもしれません」 逆に「入試とは無関係」ということを強調すれば、今度は生徒が適当に授業を聞き流す事態になる。 なんとも「自己中心的な道徳心」が養われてしまったら本末転倒というしかないが。※週刊ポスト2018年4月20日号
2018.04.12 11:00
週刊ポスト
田口壮氏 野球漫画で最強の魔球聞かれ「野茂さんのフォーク」
田口壮氏 野球漫画で最強の魔球聞かれ「野茂さんのフォーク」
 オリックスではイチローらとともにリーグ連覇を達成し、米メジャーリーグでは、2度のワールドシリーズ制覇を経験した田口壮。出身高校は野球では無名の進学校、兵庫県立西宮北高で、甲子園とは無縁だった田口は、野球漫画ではちばあきおの名作『キャプテン』の愛読者だったそうだが、現在は『MAJOR』(満田拓也・作)を愛読しているそうだ。「息子が買ってきた単行本が家に転がっていてたまたま読んだんですが、スタジアムの描写が本当にリアルで実に雰囲気をつかんでいる。自分がもがいていた頃をつい思い出してしまうほど。“作者はメジャーリーガーだったんじゃないか”と思ってしまうくらいです(笑い)」 田口氏が過酷なマイナー生活を経験していることもこの作品にシンパシーを感じる理由だ。「主人公の茂野吾郎は鳴り物入りでメジャーに迎えられるわけではなく、マイナーリーグから挑戦して徐々に上を目指していく。そこに共感しました。微妙な評価でメジャーに昇格したり、またマイナーに落とされたりという僕も経験した現実が怖いほど精密に描かれています。 印象的なのは、マイナーリーグで吾郎がデッドボールを当ててしまったバッターに謝りにいくシーン。そのバッターは〝気にするな。球を怖がっていたら打者は務まらない”という内容のセリフをいうんです。 メジャーの変化球は凄くてスピードも角度も日本とは全然違う。スライダーなんて本当に体をえぐるように入ってくる。でも、そんなボールに当たる覚悟で食らいついていかないと、メジャーへはのし上がれない。このセリフは、まさにメジャーリーガーの気迫を代弁しています」 田口氏に「野球マンガ史上、最強の魔球は何か」と訊くと、星飛雄馬(『巨人の星』梶原一騎・原作/川崎のぼる・画)の大リーグボール、番場蛮(『侍ジャイアンツ』梶原一騎・原作/井上コオ・画)の大回転魔球……。数多くの名前が挙がったが、最後に思い直してこういった。「やっぱり自分が実体験した魔球にはかないません。野茂英雄さんのフォークです。あの落ち方はすさまじくて、本当に目の前から“消えた”んです」※週刊ポスト2015年3月27日号
2015.03.21 16:00
週刊ポスト
史上最悪の風俗店 エースのオビスポ嬢は62歳でB100W80H100
史上最悪の風俗店 エースのオビスポ嬢は62歳でB100W80H100
「地雷女」ばかりを集めた派遣型風俗店がブームになっているという。東京は鴬谷、新宿・歌舞伎町、そして埼玉・西川口に拠点を構えるその名も「デッドボール」。同店の人気は、そのコンセプトもさることながら、爆笑必至のホームページの充実ぶりにある。正直、下手なテレビのバラエティ番組より数倍面白い。毎日3000以上の閲覧数を誇っている。 HP内の「選手名鑑」(在籍女性紹介)を見ると、そこには〈著しく気分を害する恐れがありますので、閲覧にはご注意下さい〉との警告とともに、在籍女性たちの「個性」が余すところなく描かれている。 女性たちの“源氏名”は、チェン、グラマン、桑田、増渕、藤川、館山……など野球ファンならどこかで聞いたことのある名前ばかり。 中でも、同店で「殿堂入り」「終身名誉地雷」と讃えられる大エースが62歳のオビスポ選手だ。身長157センチ、バスト100(Dカップ)、ウエスト80、ヒップ100。サイズと写真を見れば分かるとおり、クビレなど当然存在しない。タオルを体に掛けて横たわる写真は、壇蜜の有名なグラビアのマネとのことだが、う~ん……。 彼女のキャッチコピーは「年中無休の看板娘」。還暦を超えているのに、1日も休まず激務をこなしている。 紹介文がふるっている。〈問答無用のデッドの看板娘!! 毎日自分で言った時間に来た事がない、仕事を振っても行くまでが遅い上に、場所がわからず迷子になり逆ギレ気味で電話が掛かってくる〉〈毎日なぜかスーパーの袋を持ち歩いていてそこから異臭がするが中に何が入っているかは未だに謎です……〉〈朝はなぜか顔から白い粉を吹いている、それでいて意外に中身は乙女なのでたちが悪い……出勤日数はなんと驚異の365日!! (中略)もしあなたが本当の勇者なら是非一度入って見てください〉 店によれば、「これで意外と指名が入ってくる」というから、世の中捨てたもんじゃない。常連たちから愛されるいい女なのだ。にもかかわらず、オビスポ選手はせっかくの登板機会(指名)をすっぽかした前科もあるという。※週刊ポスト2013年4月26日号
2013.04.23 16:00
週刊ポスト
「地雷女」だらけの風俗店「デッドボール」に予約殺到の理由
「地雷女」だらけの風俗店「デッドボール」に予約殺到の理由
 革新的すぎるサービスに、業界が震撼している。普通のフーゾク店でもし出てきたら顔面蒼白になってしまいそうな「地雷女」ばかりを集めたデリヘルが、大ブームとなっているのだ。ホームページにアップされた在籍女性のプロフィールを見るだけで爆笑間違いなし。もうどう見たって、普通のフーゾク店じゃない。  店のホームページにドドンとブチ上げられた宣伝文句からして前代未聞である。 〈地雷ガールの濃厚危険球! 貴方のバットで見事★打ち返して下さい。消える魔球~ビーンボールまで、迷・珍選手たちの多種多様な艶熟ボールを体当たりで体感して下さい。風俗を止めたい方~各種宴会の罰ゲームまで、遊べば夫婦円満! 彼女の有り難さ倍増! 都内随一危険球専門店〉  この店の名は「デッドボール」。東京は鶯谷、新宿・歌舞伎町、そして埼玉・西川口に拠点を構える派遣型フーゾク(デリバリーヘルス)だが、「辛さ・痛さ疑似体験アトラクション型フーゾク」として、ファンの間では有名な存在だ。  通常、男性客はフーゾク店を選ぶ際、「女の子の質(美人が在籍するかどうか)」を最優先するだろう。それに加えてサービスの質も高ければ申し分なし。ただし満足度の高い店は高級店と相場は決まっている。あとは懐具合と相談して……、というのが普通だろう。 「デッドボール」に決して女性のレベルを求めてはいけない。この店に在籍するのは、他のフーゾク店で不採用になったり、クビを切られたりの女性ばかり。野球でいえば「即退場の危険球」レベルがズラリと並ぶ。だから店名が「デッドボール」というわけなのだ。  働く女性たちにとっても、この店は流れに流れた末の終着駅。働く女性は「身分証さえあれば必ず採用」が店のモットーで、ホームページの入団希望(採用情報)コーナーでは〈『デッドボール』で採用されなければ風俗という業界を諦めてもいい〉と断言。〈デブでも、ブスでも、大丈夫! ルックス問いません〉〈妊娠線、手術痕なんのその! 刺青・タトゥーもOK〉と、様々なコンプレックスを受け入れる寛容さがアピールされている。整形美人、霊能者、ボディビルダーなど風変わりな人材もウエルカムだ。  基本コースは70分8000円と格安。在籍は現在約90名。もしその辺を歩いている普通の女の子が入店すれば、70分1万円のメジャーリーガー扱いとなるという。  ただし気になるのは「こんなんで客が来るのか?」ということ。しかし日本男子は意外に懐が深い!「草食系」の誹りなどどこ吹く風、同店には連日予約が殺到しているというのだ。 「鶯谷デッドボール」の総監督を名乗るS氏がいう。 「奇特なブス専や超熟女好きの方もおられますが、怖いもの見たさで利用されるお客様も多いんです。オープンしてはや4年。僕だったらとても相手したくない女性ばかりなのに、順調にお客様は増えております。世の中には優しい男性が多い」※週刊ポスト2013年4月26日号
2013.04.22 16:01
週刊ポスト
村田兆治氏 「川崎球場は今思い出してもとんでもない球場」
村田兆治氏 「川崎球場は今思い出してもとんでもない球場」
 今はなき昭和の野球場をたどるこのコーナー。今回は、かつてロッテ・オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)が本拠地を構えていた川崎球場の思い出を、当時のエース・村田兆治氏が振り返る。現在の千葉ロッテの本拠地・QVCマリンフィールドには連日多くの観客が訪れているが、当時の川崎球場は常に閑古鳥状態。村田氏はこう語る。 * * * 大変な球場でしたよ。汚い、(ヤジが)キツイ、(打たれると狭いから)危険という、「3K球場」でした。ロッカールームの湿度が高いので、落合(博満)はロッカーにバットを入れなかったし、ボクも予備のグラブを自宅に持ち帰っていましたね。カビが生えるから。 観戦する側としては、この球場ほどプロ野球の醍醐味を味わえる場所はなかったと思う。ブルペンがスタンドから間近に見ることができるから、ブルペンキャッチャーのミット音が響き、プロの投手の球がいかに速いかが伝わる。投手が打たれるとブルペンが慌ただしくなるなど、ベンチ裏の雰囲気も伝わってくる。選手たちの息遣いが聞こえる球場でしたね。 当の選手は苦労していましたよ。特に投手は、外野に膨らみがないから失投が本塁打になってしまう。気まぐれな浜風に乗ってよく飛ぶんです。グラウンド自体が狭いから、ファールで打ち取ったはずが、スタンドに入ってバッターにもう1回チャンスを与えてしまう。仕切り直しした球が本塁打、なんてこともよくありました。 だからこそ1球も気を抜けないし、配球やコースなどを意識しました。風を読み、打者心理を読んで配球を組み立てる。投手能力を磨かせてくれた球場でしたね。 打ち取るにはインコースの厳しいところに投げなければならない。少しでも甘いと本塁打になるし、厳しすぎるとデッドボールになる。ぶつけたら、相手が報復してきていました。西武の東尾なんか、頭に投げてきましたからね。するとベンチから監督が飛び出して乱闘になる──今思い出してもとんでもない球場でしたね(笑い)。※週刊ポスト2012年9月14日号
2012.09.05 07:00
週刊ポスト
古田敦也氏 日ハム大嶋について「守備は苦労するだろうな」
古田敦也氏 日ハム大嶋について「守備は苦労するだろうな」
 早大ソフトボール部出身の異色ルーキー、北海道日本ハムファイターズのキャッチャー・大嶋匠に注目が集まっている。キャンプでは斎藤佑樹、中田翔らを差し置いてメディアの注目を集める大嶋をプロたちはどう見ているのだろうか? ノンフクション・ライターの柳川悠二氏がリポートする。 * * * 日ハムの春季キャンプを取材した野球解説者の古田敦也は、元捕手の立場から、大嶋の挑戦にエールを送る。「得意の打撃を活かすためにも、守備機会を増やしていった方がいいと思います。ただ守備は苦労するだろうなと思います。キャッチャーはピッチャーのボールをピタッと捕らなければならない。ワンバウンドもしっかり体で止めなければいけない。盗塁を刺せないといけないし、打者の心理を読んでリードしなければならない。大嶋君はまだ22歳と若く、勘が良さそうなので、対応できるでしょう」 大嶋が今季一軍で生き残る道があるとすれば、守備に難がある分、主に代打となるだろう。無論、打撃で結果を残せなければ、オープン戦期間中にも二軍に戻されるはずだ。 日ハムの新監督・栗山英樹は、世間の注目を集める新人選手を試合で積極的に使ってきた。大嶋にとって初めてのキャンプを、指揮官はこう総括した。「キャンプ当初から二軍と一軍を行ったり来たりさせて無理をさせた面があるので、終盤は疲れが出た。見逃し三振するような場面は序盤にはありませんでしたから。ただ、頑張ろうとはしている」 打席に入ればメジャー選手のようにクルクルとバットを回し、デッドボールを受ければ一塁まで全力疾走。並み居る先輩選手に向かって、ペロッと舌を出す。そういう新人らしからぬ茶目っ気と度胸も影を潜め、ボックス内で試行錯誤する脳内が透けて見えるほど、現在の大嶋はもがき苦しむ。 キャンプ終盤のある日、大嶋に「疲れている?」と訊ねた。「ぜんぜん疲れていないっすよ」 その直前、沖縄まで激励に訪れていた友人に「疲れてるよ~。早くご飯が食べたい!」と話していたのはこの大嶋だ。メディアの前で強がったのか、それとも心を許す友人に愛嬌を振りまいたのか。いずれにせよ、この明るく憎めない人柄が、ソフトボール界の至宝から球界の至宝へと大嶋を導く一助となるだろう。※週刊ポスト2012年3月16日号
2012.03.09 07:00
週刊ポスト
西武・中村の本塁打量産 きっかけは中日戦でのデッドボール
西武・中村の本塁打量産 きっかけは中日戦でのデッドボール
「おかわり君」こと中村剛也のホームランは、いつも、滞空時間の長い美しい放物線を描く。西武の中村は、今季48本のホームランを放ち、2年ぶりのホームラン王に輝いた。「おかわり君」とは一体、何者なのか。ただのぽっちゃりしたハニカミ屋なのか。ならばなぜ、彼だけがホームランを打てるのか。ルポライターの高川武将氏が本人に直撃した。* * * 中村に会ったのは9月下旬、既に45本塁打と一人旅を続けている頃のことだ。――今季、なぜ自分だけ打てるのか、自己分析を。「別になんもないんですけど……(笑)。まあ、ボールが飛ばないということを過剰に意識しないようにした、というのが大きいかなと。意識すると力んで、スイングにブレが出たりするので。前半はやっぱり、力が入っていたんで」――意識しなくなったきっかけは?「左手の甲に死球を受けて(6月4日、中日戦)、痛くてバットを握れない状態だったんですけど、次の試合でホームランを打ったとき右手一本で打ったような感覚で、右手で押し込む感覚を掴んで。で、月末の試合でドン詰まりがホームランになって。詰まっても大丈夫なんだ、と。心の余裕、ですかね。それからはボールは関係なくなりました。今年に限っては、その死球がよかった……ま、痛かったですけど(笑)」遠征先のホテルの一室、朴訥とした口調で話す中村は、終始ニコニコしていた。――インタビューでポツリ、ポツリと話しますよね。「苦手なんですよね、人前で喋ったりするのは。小さい頃から。野球は別ですけど……喋ることを考えるのが面倒くさい(笑)。ちょっと恥ずかしいですし……」――太っていたことも関係していますか?「太っていて嫌だと思ったことは全然ないです。動けたし……苛められたこともないですし、はい(笑)」※週刊ポスト2011年11月11日号
2011.10.31 07:00
週刊ポスト
松井秀喜5連続敬遠指示の監督 「人を敬うからこそ敬遠」
松井秀喜5連続敬遠指示の監督 「人を敬うからこそ敬遠」
 まもなく今年も高校野球の甲子園大会が始まるが、高知の明徳義塾・馬淵史郎監督は今年で監督生活21年。計21度の甲子園出場で通算36勝20敗。2002年夏には優勝旗を取った高校球界きっての名将をインタビューした。 * * *──馬淵監督といえば、1992年大会の対星稜(石川)戦の「松井秀喜5連続敬遠」を語らずにはいられません。「そやね。おかげさまで有名になりました。私は今でも間違った作戦だったとは思っていない。あの年の星稜は、高校球児の中に1人だけプロがいるようなものだった。あれ以前も、あれ以降も、松井くんほどの大打者と僕は出会っていません。甲子園で勝つための練習をやってきて、その甲子園で負けるための作戦を立てる監督なんておらんでしょ? 勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった」──高校野球ファンの心理を逆撫でしたのは、7回表2死無走者の場面でさえ、松井選手を歩かせたことでした。「その時点で3-2だったでしょ。これが2点差だったら、ホームラン打たせてやりましたよ。しかし、1点差だった。もしホームランを打たれたら同点になるわけですよ。たとえヒットで終わったとしても、松井くんが打つことによって他の選手が勢いづく。そういう波及効果も恐れていました。 僅少差の展開では、たとえ2死であっても歩かせることのリスクは大きいんですよ。敬遠は逃げじゃない。そこは理解してもらいたい。ただ、選手は監督の作戦に従っただけなんだから、子供たちへのバッシングはかわいそうだった。子供たちに申し訳ないことをしたと思っています」──当時のナインに対する負い目があるということですか。「それはない。負い目があったら監督を続けていません。あんな作戦を取って負けていたら監督を辞めていたでしょうが、勝ったわけやからね。 そもそも私は野球のルールを犯したわけやない。松井くんと勝負して抑えられるとしたら、インコースの高めしか打ち取る方法はなかったはずです。だけど胸元だけを攻めて、デッドボールを当ててケガでもさせてしまった方がよっぽど汚い野球だと思いますよ。 野球では『盗塁』とか『刺殺』というように、盗むとか殺すといった不謹慎な言葉が使われている。その中でキレイな言葉といったら『敬遠』ぐらいのものですよ。人を敬うからこそ敬遠なわけです」※週刊ポスト2011年8月12日号
2011.08.03 07:00
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米ロサンゼルスで警察官となった日本人女性YURI氏
LAポリス・YURIが7年ぶりに見た日本の姿「防犯意識の低さに驚きました」【前編】
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
さとう珠緒が「枕営業」などについて語った(写真は2009年)
さとう珠緒が暴露した枕営業の実態「権力のない人のほうが迫ってくる」
NEWSポストセブン
ご体調への不安が募る(写真/JMPA)
雅子さまと愛子さま、“ポツンと一軒家”の孤独感 閉ざされた御所での巣ごもり生活
女性セブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
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