西岡剛一覧

【西岡剛】に関するニュースを集めたページです。

PL学園で長くスカウトを務めた井元氏
85歳の伝説のスカウトが語る PL学園時代の終焉と大阪桐蔭時代の幕開け
 広島商が部員のコロナ感染でセンバツ甲子園を辞退し、大阪桐蔭が不戦勝でベスト8となった。これにより甲子園通算58勝となった大阪桐蔭の西谷浩一監督だが、同じく通算58勝の中村順司監督の率いたPL学園を追いかけるかたちで、当初はキャリアを重ねていった。PL学園で長く選手勧誘を担い、伝説のスカウトと呼ばれた井元俊秀(いのもと・としひで、85)氏は昨夏に現場を退いたが、印象に残る選手として、PL学園のスカウトとしては声をかけず、大阪桐蔭に進んだ西岡剛(元千葉ロッテほか)を挙げた。『永遠のPL学園』(小学館文庫)の著者・柳川悠二氏(ノンフィクションライター)がレポートする。【前後編の後編、前編を読む】 * * * 中学時代にPLへの入学を希望しながら、井元俊秀のお眼鏡に適わず、大阪桐蔭に入学したのは西岡剛だった。井元が振り返る。「ちょうど西岡の大阪桐蔭入学を境に、PLの時代から大阪桐蔭の時代になってゆく。郡山シニアとPLのつながりもなくなりました。西岡には申し訳ないことをしたと思っていますが、彼がプロに入ってからも、付き合いはありましたよ。球場でボクを見かけると、いろいろとイタズラしてくるような子なんです。PLに入れなかったことはよほど悔しかったろうけど、その悔しさがあったからプロ野球選手になれた。その思いが彼自身にも強いから、ボクを慕ってくれているのではないでしょうか」 PL学園では1998年春のセンバツをもって、甲子園通算58勝の中村順司が勇退。監督が交代すると、2000年代に入って不祥事が相次ぎ、対外試合禁止などの処分が幾度も下った。そうしたPLの暗黒期に、高校野球の盟主の座を大阪桐蔭が奪っていくのである。 西岡が大阪桐蔭の2年生だった2001年7月、夏の大阪大会の組み合わせ抽選会前日のこと。PL学園では暴力事件が発覚し、出場を辞退する。当時の監督である河野有道は辞任し、井元も翌年、65歳の定年を迎えて退職する。 10歳からPL教団の英才教育を受け、野球を愛したPL教団の2代教祖・御木徳近の命によって野球部の強化に携わってきた井元。その後の井元は大阪に暮らしながら、青森山田の野球部の顧問となり、近畿圏の選手を東北へ橋渡しする役目を担っていく。 青森山田は井元が在任した12年間で青森県内のいち強豪校から甲子園常連校となり、大阪の羽曳野ボーイズからスカウトした柳田将利(2005年高校生ドラフト1位で千葉ロッテ入団)は計3回、甲子園に出場した。 しかし、2011年12月、同校の野球部の1年生部員が死亡する事件が起き、野球部は変革期を迎える。前月に井元を青森山田に誘った理事長が死去したことを受け、井元は青森を離れた。PL学園の寮生活の「上限関係」への見解 PL時代には2年生部員が水死するという悲しい出来事もあった。PLには付き人制度があり、厳しい上下関係を強いられるのは周知だが、井元が在任していた時代にも、日常的に寮内で先輩から後輩への暴力はあったと数々のOBが証言している。 輝かしい甲子園の歴史の一方で、自分が導いたうら若い選手たちがこうした事件に巻き込まれてきた歴史もある。スカウトとして責任を痛感しているのではないか──。井元との付き合いは6年半になるが、この話題に触れたことは一度もなかった。井元は慎重に言葉を選びながら、そして自分を戒めるように語った。「当たり前のことだが、PL時代にそういうこと(暴力)をせえと上級生たちに言ったことはありません。むしろ、後輩が野球の指導をしっかり受けられるように、上級生が下級生の面倒をみてあげるために、上級生と下級生を同部屋にしたりしていた。悪い面ばかりが注目されますが、実際、上級生に救われた下級生というのもたくさんいるんです。 ところが、いつしか相撲の世界のような付き人制度、徒弟制度のようなものになってしまった。子供たちには、大人が入り込めない世界というのがある。寮生活まで大人が介入してしまえば、プライベートまで完全に大人に管理されることになる。子供たちの世界というものを大人は認めてやらないといけないと当時のわれわれは考えていた。今から思えば、それが間違いだったのでしょうか。非常に難しい世代です、高校生というのは」 青森山田から秋田の明桜(2020年4月よりノースアジア大明桜)に籍を移し、初めて甲子園に出場したのが2019年夏だった。当時の2年生エースが山口航輝であり、右肩の亜脱臼によって甲子園での登板はなかったが、翌年のドラフトで千葉ロッテから4位指名を受けて入団した。この日の取材では、その山口からプレゼントされたというロッテのキャップをかぶっていた。井元は自身が関わった球児でプロ入りしたのは総勢83人だと振り返るが、山口に続く“84人目”の候補もいる。「山口と同級生で、白鴎大に曽谷龍平というのがおる。左で150キロを超えるまでに成長しているらしい。プロのスカウトからも良い報告を受けている。私はプロに行くことが最高の野球人生とは思っていないし、中学生を勧誘する時も、『君ならプロになれる』などと言ったことは一度もない。プロになれなくとも、野球の引退後に社会で活躍してくれればそれが幸せな道ではないですか」純粋に野球を頑張る子を応援したい 今も井元は週末になると中学野球の現場に足を運ぶ。「お気に入りの選手には野球道具を買うてあげたり、グローブをプレゼントしたり。他意はありませんよ。純粋に、野球を頑張る子を応援したいという気持ちだけ。彼らは近所の野球好きのおじいちゃんぐらいに思っとるんじゃないかな(笑)」 ノースアジア大明桜のスカウトを昨年8月に辞した井元は、学校から感謝状をもらったという。60年以上の高校野球との関わりの中で、甲子園で通算99勝を挙げ、プロ野球選手83人を送り出してきた。しかし、これまでの野球人生で感謝状のようなものはもらったことがなかったという。 甲子園通算58勝を誇る名将・中村順司がPLの表の顔ならば、井元は裏の顔だった。常に日蔭に身を置き、絶大な人気を誇ったPLを下支えした。そんな井元にとっては、感謝状よりも教え子からプレゼントされたサイン入りキャップのほうが宝物だろう。(文中敬称略)了。【前編】から読む
2022.03.27 07:02
NEWSポストセブン
俊足の森敬斗のブレイクがDeNAの機動力不足を解消するか(時事通信フォト)
DeNA森敬斗「高卒3年目の大躍進」あるか かつては松井稼頭央、西岡剛らも
 昨年、6年ぶりのセ・リーグ最下位に沈みながらも、オフに石井琢朗、斎藤隆、鈴木尚典、相川亮二という、現役時代に実績のあるOBをコーチとして招聘し、24年ぶりの優勝を目指す横浜DeNAベイスターズ。今季の注目ポイントをプロ野球担当記者が解説する。「昨年、ヤクルトが最下位から日本一になったように、各球団の戦力差はそれほどない。今年はDeNAが台風の目になると思います。昨年はオースティン、ソト、エスコバーなどの外国人選手が新型コロナウイルスによる影響で開幕に間に合わず、4月に借金15を作ってしまいましたが、その3人が戻ってきてからは立ち直った。問題は投手陣でしょう。 毎年、新星が出て来るものの、2年目に故障で離脱するケースも多い。彼らが揃って活躍すれば、“投手王国”と呼ばれる日も夢ではないのですが……。野手では信頼できる捕手の育成が重要ですし、ショートのポジションを俊足と強肩を兼ね備えた高卒3年目の森敬斗が奪えるかもチームの浮上に大きく関わると思います。スタメンで足を使える選手が少なく、機動力がここ数年の課題になっていますからね」(以下同) 2018年からDeNAのショートは、阪神からFA移籍の大和がレギュラーを確保してきた。今年34歳を迎えるベテランの力はもちろん必要だが、世代交代の時期に差し掛かっていることは否めない。2019年ドラフト1位の森は1年目の終盤に一軍昇格し、初打席で巨人のビエイラからフェンス直撃の二塁打を放った。飛躍を期待された昨年は44試合の出場に留まったが、後半戦は先発出場の機会も増え、最後の5試合もスタメンを任された。「高卒2年目の野手が活躍するのはかなり難しい。あのイチロー(オリックス)も2年目までは一軍と二軍を往復していました。しかし、3年目に200安打を打っています。城島健司(ダイエー)は1年目12試合、2年目17試合と一軍での出番は少なかったですが、3年目に規定打席に到達して3割8厘、15本塁打、68打点と開花した。 森と同じ内野手で高卒3年目にレギュラーを獲得した選手は宇野勝(中日)、松井稼頭央(西武)、西岡剛(ロッテ)、山田哲人(ヤクルト)などがいます。彼らのほとんどは前年にスタメンで試される機会が多く、一軍のレベルを実感して、自分の課題を明確にしたことで翌年の活躍につなげています」 森は昨年、前半戦終盤に初めて一軍に昇格すると、ラスト4試合は全て先発出場し、2試合でマルチ安打を記録。東京五輪開催による中断明けの後半の開幕戦でも『2番・遊撃手』で起用され、猛打賞を放った。その阪神との3連戦で13打数5安打と爆発し、そのまま大和からポジションを奪うかと思われたが、その後は当たりが止まって控えに回った。「オープン戦でどのくらいアピールできるかも大きい。イチロー、城島は3年目にオープン戦の最優秀選手(花のパ・リーグ大賞)に選ばれています。イチローは3割4分5厘、2本塁打、城島は4割1分7厘、6本塁打と打ちまくって、開幕スタメンをモノにした。西岡は5盗塁して足で魅せました。前年のロッテはチーム全体で49盗塁でリーグ5位だったため、そのインパクトは大きかった。2005年、高卒3年目の西岡がレギュラーに定着して41盗塁でタイトルを獲得し、チームの盗塁数も101と倍増。ロッテは31年ぶりの日本一に輝いています」 DeNAは昨年、チーム全体で31盗塁とリーグ最下位。盗塁王の阪神・中野拓夢の個人成績30と1つしか変わらなかった。近年、同じような状態が続いている。そんなチーム事情もあり、首脳陣は機動力不足を解消してくれそうな森の成長を望んでいるだろう。「右打席一本だった松井稼頭央はキャンプから取り組んだ左打席でも結果を残して、東尾修監督が開幕前に『50盗塁達成で100万円の特別ボーナスをポケットマネーで出す』と宣言するほど入れ込みました。そして、見事に最終戦で50盗塁を決めた。このようなプレッシャーのかかる場面を東尾監督が作り出して、乗り越えさせたことが翌年以降の連覇に結び付いた面もあるでしょう。三浦大輔監督も、森に何かしらのニンジンをぶら下げても面白いかもしれません」 若手野手のブレイクは、そのままチームの躍進につながる。高卒3年目の森がブレイクすれば、DeNAのチーム成績も大きく向上しそうだ。
2022.02.22 19:00
NEWSポストセブン
合同トライアウトには43選手が参加した
NPB合同トライアウト 若手選手の現実的な希望は社会人野球
 日本野球機構(NPB)が主催する12球団合同トライアウトは、「プロでの再起」を期す機会としてはもはや有名無実化している。ここ数年はNPBの球団に“再就職”できる選手はせいぜい2人から3人ほど。今年からは挑戦できる回数も3回から2回になった。 スタンドでは各球団の編成担当者が冷めた視線を送る。その一方で、近年は野球選手の“セカンドキャリア”を支援する企業関係者の勧誘が盛んだ。トライアウトを終えた選手を出待ちし、片っ端から声をかけてゆく。 保険会社や警備会社といった一般企業に加え、警視庁は同庁の野球部に所属する元横浜DeNAの大田阿斗里(2007年高校生ドラフト3位)をスカウトマンとして派遣。また、柔道整復師や鍼灸師といった国家資格取得を支援する近畿医療専門学校が、「トライアウト参加者限定 入学金+授業料3年分全額免除」と書かれたパンフレットを配っていた。同校野球部で部長を務める東入來健太氏が話す。「国家資格取得を支援すると共に野球部に所属できます。実力が認められれば、(同校がオフィシャルパートナーを務める独立リーグ)兵庫ブルーサンダーズを介して、NPBの道も拓けていくかもしれません」 今オフは2017年のドラフトで仙台育英から楽天に6位指名を受け入団した西巻賢二がわずか2年で戦力外となるなど、戦力外選手の低年齢化も顕著だ。 まだまだ身体は元気だから、育成契約だろうが独立リーグだろうが、野球を続けたい。しかし、独立は実働期間だけ給料が支払われる形で、もちろん単年契約。仮にアカデミーの講師として球団に残れたとしても、先の人生が不安なのは同じだ。 現役を諦めきれない若手選手にとって、実は社会人野球の関係者から声をかけてもらうことこそ、現実的な“希望”なのだ。2017年7月に育成から支配下登録されるも、今年、楽天を戦力外となった22歳の八百板卓丸は率直な思いを口にした。「今年は同い年の外野手(辰己涼介)が入って来て、競争に勝てなかったのだから、仕方ない。年齢がいってからだと社会人から声がかかることはない。野球を辞めたあとの人生を考えるなら、社会人野球は望ましいです」 そうしたなか、社会人球界に戻りたくても、戻れない選手もいる。ヤクルトの沼田拓巳だ。「僕はドジャースとマイナー契約した時の問題があって……。野球を続けるなら独立か、NPBしかないんです」 沼田は社会人野球の在籍時に、ドジャースとマイナー契約したことが日本野球連盟から規約違反に問われ、除名処分に。アマチュア球界には戻れない。 トライアウトの現場には居場所を失った野球人の悲哀が満ちている。■取材・文/柳川悠二 写真/山崎力夫※週刊ポスト2019年11月29日号
2019.11.19 07:00
週刊ポスト
投球練習中の藤浪投手。左は福原忍投手コーチ(時事通信フォト)
阪神・藤浪は復活できるか イップス経験者、専門家の考え
 ゴールデンウィークの連戦で超満員に沸く甲子園球場から車で20分ほど離れた鳴尾浜球場で、ひっそりトレーニングに明け暮れる阪神・藤浪晋太郎(25)。ケガをしているわけでもない。でも投げられない。「10年に1人の逸材」とも言われた男に何が起きているのか――ノンフィクションライターの柳川悠二氏がリポートする。 * * * 藤浪晋太郎が表舞台から姿を消して、はや2ヶ月が経とうとしている。2013年の入団以来、阪神タイガースの先発の柱として虎党の期待を一身に背負ってきた藤浪が、大きなケガを抱えているわけでもないのに、3月12日のオープン戦以降、ウエスタンリーグの試合でも登板を回避し続けるのは、彼が抱えるイップス(Yips)がきわめて深刻だからだろう。イップスとは、スポーツの世界において、練習では当たり前にできていたことが試合で突然できなくなったり、極度の緊張状態で身体を意のままに動かせなくなったりするような症状をいう。 大阪桐蔭高校時代の2012年、甲子園で史上7校目の春夏連覇を達成し、2013年の阪神入団から3年連続で二桁勝利を挙げた藤浪は突如、2016年から制球に苦しみ、7勝、3勝、5勝とファンの期待を裏切ってきた。とりわけ右打者を相手にした際に投じるボールが打者方向へ抜けることが顕著となり、2017年にはデッドボールによる乱闘騒ぎも頻発。今春のオープン戦でも、四死球を連発する中で試行錯誤を繰り返し、高校時代のフォームに近いスリークォーター気味に投じた試合もあった。しかし、他球団からすれば大事な選手を壊されるわけにはいかない。制球が不安定な藤浪からの死球を未然に防ごうと、左打者ばかりを打線に並べるという珍事まで起きていた。自軍の選手を守るという心情は当然理解できるものの、私には悩める藤浪をさらに心身的窮地に追い込む屈辱的な仕打ちにも思えた。自身もイップスに苦しんだ経験を持つ、元北海道日本ハムの野球解説者・岩本勉氏は言う。「僕が入団3~4年目まで苦しんだのは、コントロールが定まらず、キャッチャーが捕れないようなところにしか投げられなくなってしまうイップスでした。遠投で120メートルを投げているのに、その直後にブルペンに入ったら足が動かなくなったこともあったし、マウンドでガタガタと手が震えだしたこともあった。嘘のような本当のイップスが球界にはたくさん存在する。ワンバウンドしか投げられなくなった投手、二塁への送球ができない捕手、短い距離の加減したボールが投げられない投手や野手……。『昔はええ選手やったのに、鳴かず飛ばずで辞めたなあ』というプロ野球選手っているやないですか? そのうち、8割以上がイップスが原因だったと僕は思います。心のコントロールが失われるので、僕はイップスを魔物と呼んでいます。藤浪の中にも魔物はいますね。完全には冒されていませんが……。イップスを公言する選手は少ないです。公言してしまえば相手に足下を見られ、ファンから野次られる。それを恐れるんです」 藤浪もイップスであることを公に認めてはいない。しかし、いつもマウンドで同じ症状に苦しむ藤浪は、たしかに“魔物”に取り憑かれたように見える。 ゴールデンウィークを目前に控えた4月25日、阪神の二軍本拠地である鳴尾浜球場には、570席の収容を上回る観客が溢れていた。この日のソフトバンク戦で藤浪が復帰登板予定という報道が早朝に流れたため、連休前の平日にもかかわらず阪神ファンが大挙して鳴尾浜を訪れていた。9回表。平田勝男二軍監督が投手交代をアンパイアに告げた。「ピッチャー、る!」──る? ル? 場内アナウンスに球場はざわついた。敗色濃厚の最終回のマウンドに上がったのは、台湾出身の2年目左腕、呂彦青(ル・イェンチン)だった。結局、この日の登板はなく、さらに翌日も試合途中にブルペンで投げただけで、藤浪がマウンドに上がることはなかった。復帰登板を待ち望んでいたファンからしたら、肩透かしを食らった気分だろう。捻挫や骨折などの外傷とは違って、予後の見通しが、まるで立てられない症状――イップスであるがために、首脳陣も復帰のタイミングが計れず、本人もまた克服した確信を得られない。誰もが暗中模索の状態にあるのだろう。 イップスは、「心の病」とも表現される。たとえば、頭部に死球を与えた経験のある投手が、“またぶつけてしまうのでは”と恐れるようになり、別人のようにコントロールが定まらなくなったケースは、漫画の世界に限った話ではない。たった一球をきっかけに、野球人生を狂わせることだってあるのだ。京都大学大学院教育学研究科の岡野憲一郎教授は、精神科医の立場でイップスの研究を進めてきた人物である。岡野教授は、イップスを「病気」と断言する。「病気であるかどうかの定義は、社会生活がどの程度侵されているかに関わってくる。イップスによって、野球選手としての仕事ができなくなっている場合は、病気と定義するしかありません。イップスとは、自身の随意筋(自分の意思で動かすことのできる筋肉)に対して、脳から意図していない信号が送られて、随意筋が意図しない動きをしてしまうことをいいます(転換性障害)。以前なら自然にできていたことが、邪念が入ったことによってできなくなってしまうのですね。藤浪選手の場合は、『普通に投げる』投球行動の中に、余計な信号が入り込んできてしまい、まるで意図していない右方向にボールを投げてしまう。マウンド上で起きていることから判断する限り、藤浪選手を悩ませているのはイップスです」 イップスはあらゆるスポーツのシーンで起こっている。ゴルフのパターイップス、ドライバーイップスは有名だが、背負い投げが掛けられなくなった柔道家や、鍵盤を押せなくなってしまったピアニストなども報告されている。また、日常生活の中で――たとえば大勢の前でプレゼンテーションをするような機会に、緊張によって口ごもってしまったり、赤面してしまって予定とは違う行動をしてしまうようなことも、イップスと同じ状態だ。つまり、誰にでも起こり得る。「筋肉が硬くなって動けなくなる状態をジストニアと言います。スポーツで起きると、アスリートジストニア。音楽家の場合はミュージシャンジストニアと呼び、これは作家が文字を書けなくなる書痙(しょけい)とも一致する。スポーツに限らず、いろいろな分野でイップスと同じことが起きている。しかし、こういった現象がすべて同じ病気と定義づけるまで、現在の医学は発達していません」(岡野教授) アスリートを苦しませるイップスに克服法はあるのか。岩本氏は言う。「最初に、自分がイップスであることを認めること。次に、それを人にさらけ出すこと。そして、向き合うこと。しかし、プロ野球選手としてイップスを公言することは、ファンに野次られますし、なかなかできることではないんです。それから僕のような経験者の声に耳を傾けることも大事ですね」──岩本氏の場合は、入団から4年目の1993年、イップスを患った状態のままでは近い将来のクビは免れないと覚悟し、潰れてもいいと開き直ってひたすら白球をネットに投げまくる日々を送った。「それこそ目をつむってても投げられるようにと思って。自転車って一度、乗る技術を身につけたら、忘れないじゃないですか。ピッチングをそんな状態にまでもっていったろ、と。全体練習後の夜10時から毎日1000球投げました。それが良かったなと思います。その後、サイドハンドに転向したり、試行錯誤は続きましたけどね」──6年目の1995年にプロ初勝利を上げると、翌年には10勝を挙げ、日本ハムのエースにまで成長していく。岩本氏が続ける。「藤浪が本当にイップスかは分かりませんが、僕ならば、もしかしたら藤浪をガラッと違うピッチャーにできるかもしれない。きっと今、(投球時に)『(身体を)突っ込むな』と言われていると思うんですよ。僕なら『突っ込んでいけ!』って言いますね。それに、高校時代のようにクロスステップで投げればいいんですよ。シュート回転するストレートを武器と思って、右打者の懐に投げ込んでいけばいい。ぶつける心配はあるでしょうが、プレートを踏む位置を工夫したりすれば、回避できる。とにかく、投手としての彼を肯定してあげて、本人をその気にさせると、ポジティブな思考に変わるじゃないですか。きっと現在の藤浪はネガティブになっていると思うんですよ。イップスという魔物は、ポジティブなヤツに対しては、“しばらく潜んでおいてやろう”となる。半面、ネガティブなヤツは大好物なんです」 これまでイップスに悩む野球選手、アスリートにトレーニングの指導を行い、克服の手助けをしてきたのが兵庫県神戸市でパフォーマンスアップジム「ウイニングボール」を主宰するトレーナーの松尾祐介氏だ。「イップスとはメンタル、技術、動きを生み出す肉体のどれもが関係して発症します。メンタルからのアプローチだけで改善されるイップスはたいしたイップスではありません。また、技術指導だけで良くなるイップスも、たいしたイップスではありません。以前はできていたことができなくなるのは、比較的浅いイップスで、酷いイップスとなると、身体異常、身体障害によって、骨格が変わってしまうケースもある。ただ、藤浪のイップスはそれほど酷い状態には見えません。投球時に動かしていく身体の回路に狂いが生じ、歯車がかみ合っていないような状態でしかないと思います。たとえば、ボールが右にいってしまうのなら、どんな身体の使い方をしたからそういうボールを投じてしまったのか。そういう根本的な部分がはっきりしていないんじゃないかと思います。腕を下げたりするのは、対症療法でしかない。現在の藤浪選手をたとえるなら、ガンダムという性能の高いロボット(肉体)のコクピットに座りながら、肝心のパイロット(藤浪自身)の操作する能力が足りていない状態。性能の劣るザクなら操作はできても、ガンダムを操るにはアムロ・レイのようなニュータイプじゃないといけないわけです。もちろん、軽度であっても本人の悩みは深いと考えられます」 佐賀・唐津商業から2012年にドラフト1位で横浜DeNAに入団しながら、深刻なイップスによってわずか3年で戦力外の憂き目に遭ったのが北方悠誠(ゆうじょう)だ。北方は2014年の12球団合同トライアウトに参加し、一度は福岡ソフトバンクの育成選手としての契約を勝ち取った。 ただ、当時のトライアウトを取材した際に見た投球は動きがぎくしゃくし、何かしらの悩みを抱えているのは明らかだった。そして、福岡ソフトバンクもわずか1年の在籍となり、その後はBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサス、四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツ、再びBCリーグの信濃グランセローズを経て、昨年10月には栃木ゴールデンブレーブスに移籍。国内の独立リーグを転々とする野球人生を送ってきた。「僕は(DeNA)3年目の途中に、自分がイップスであることを認識しました」──そう北方は切り出した。「指先の感覚がなくなってしまう投手や、投内連携(内野への送球などの練習)ができない投手など、イップスにもいろいろありますが、自分の場合は、フォームがぐちゃぐちゃになってしまって、ボールを離すタイミングがまったく分からなくなったんですね。投球時、トップまで腕がしっかり上がらず、その状態のまま投げてしまうから、ボールがどこへ行くか分からないような状態でした」 やはり北方にもイップスに陥るきっかけはあった。高校時代に既に153kmを記録する豪腕だったが、力で抑えられる田舎の高校野球とは違って、プロの世界では精密なコントロールも求められる。「コントロールを安定させるために、フォームがだんだん小さくなっていって……ストライクが入らなくなった。球団の指示で、2014年の6月にサイドスローを提案されて、挑戦してみたんですけど自分には合わず。約1ヶ月後、再びオーバーハンドに戻すと、腕が出てこなくなって、リリースポイントがどこだったのか、わからなくなった。頭の中でイメージは湧いているんですよ。でも、身体が動かないんです」 こうして自分がイップスだと自覚する。だが、直後に戦力外通告を受けた。それから果てしない渡り鳥の日々が続く。「結局、自分に合った投げ方というのは、自分にしか分からない感覚なんですよね。実は、2016年のオフにダルビッシュ(有、現カブス)さんのオフのトレーニングに参加させてもらったんです。藤浪選手も一緒でしたが、ダルビッシュさんからは、投手として必要なウエイトトレーニングとか、投げる上での根本的な技術のお話を聞き、自分の身体といかに向き合うことが大事かを教わった。それ以降、どんどん感覚が良くなっていき、イップスともうまくつきあえているような気がします」 イップスを克服するために必要なこととして、北方も岩本氏と同意見だった。「あえて他の人に言う必要はないかもしれないですけど、投げられなくなってしまったのは事実なので、自分がイップスであることを素直に受け入れて、認めることが大事だと思います」──2018年に阪神を自由契約となった西岡剛も加わった栃木で、今季の北方は150kmオーバーの球速を取り戻し、今季の開幕戦では横浜時代の自己最速に並ぶ158kmを記録した。NPBの球団を復帰を目指している北方だが、既にトライアウトを3度受験しており、現行のルールではトライアウトに参加することはできず、12球団のいずれかから声がかかるのを待つことしかできない。「僕はボールを投げるだけ。どこの球団でもかまわない。もう一度、NPBに挑戦したいです」 イップスであることを藤浪が認めていない以上、外野がとやかく言うことは余計なお世話なのかもしれない。だが、イップスの正体を理解することこそ、今の藤浪に必要なことではないか。
2019.05.04 16:00
NEWSポストセブン
第1回WBC誤審騒動への王貞治氏の毅然たる対応
第1回WBC誤審騒動への王貞治氏の毅然たる対応
 平成のスポーツ名場面を振り返る。野球の世界一決定戦、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第1回大会2次リーグの米国戦で、世界が驚く大誤審によって日本が敗れるというハプニングが起きた(平成18年=2006年3月12日)。 3対3で迎えた8回1死満塁。岩村明憲の左飛で、三塁走者の西岡剛がタッチアップで生還した。だが米国のマルティネス監督が「離塁が早い」と抗議すると、デービッドソン球審が判定を覆した。 たまらず王貞治監督が猛抗議を行なうも結果は変わらず、日本の決勝点は幻となり、試合は9回裏に米国が1点を入れてサヨナラ負け。これには米国メディアも、問題の球審の誤審だとする異例の報道をした。 試合後、王監督は「野球がスタートした米国であってはいけないこと」と発言。イチローも「日本の野球選手が憧れ続けたメジャーに勝つ可能性があっただけに、ただただ残念です」とコメントしている。しかしこの逆境を跳ね返した日本が、優勝トロフィーを手にした。※週刊ポスト2019年2月1日号
2019.01.25 16:00
週刊ポスト
トライアウトで「野球じゃない仕事」を見つけた男たち
トライアウトで「野球じゃない仕事」を見つけた男たち
 プロ野球の秋の風物詩となっている「トライアウト」──。所属球団の戦力外となった選手たちが挑む“ラストチャンス”として知られているが、ほとんど声がかかることはない。実は、トライアウトの場が選手たちの第2の人生の“スタート地点”となっている。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。 * * * 11月13日に開催された12球団合同トライアウト(タマホームスタジアム筑後)から、はや3週間が経過した。トライアウトを視察に訪れた球団が獲得を希望する場合、1週間以内に選手に伝えることになっている。 本稿執筆時点において、今年のトライアウトに参加した48選手(投手29人、野手19人)のうち、NPB(日本プロ野球機構)の球団に“再就職”できた選手は、横浜DeNAに決まった元巨人の中井大介(29)と、同じく埼玉西武に決まった元巨人の廖任磊(リャオ・レンレイ、25)。そして、トライアウト後、巨人の入団テストを受け、育成契約が決まった元ソフトバンクの山下亜文(22)の3人だ。 阪神を戦力外となった西岡剛(34)や東京ヤクルトから構想外を告げられた成瀬善久(33)といった名(実績)のある選手、あるいは3年前の甲子園準優勝投手である佐藤世那(元オリックス、21)でさえ、球団からの電話は鳴らず、行き場を失っている。待ちわびる連絡が来ず、引退を決断する選手も出てきた。 トライアウト参加者の置かれた現実はかくも厳しい。例年、この最終試練からNPBに生き残ることのできる選手はおおよそ3人ほどしかいない。それゆえ野球にケジメを付ける「引退式」としてトライアウトに臨む者もいる。◆「歯科技工士になろうと思います」 今年、異色のトライアウト参加で注目を集めた選手がいた。元中日ドラゴンズの選手で、在籍わずか3年で2013年に戦力外となったあと、同球団のマネジャーを務めていた関啓扶(25)である。彼は5年のブランクを経て現役復帰し、トライアウトのマウンドに上がった。「自ら退職を申し出て、その後、『トライアウトに参加してもよろしいですか?』と確認し、了承してもらいました。トライアウト後、NPBの球団からの電話はありませんでした。いくつかクラブチームからは声をかけていただいたんですが……」 トライアウトの日、関はNPBの球団から声がかからなければ専門学校に通い、歯科技工士を目指すと打ち明けていた。「はい、当初の予定通り、2年ほど専門学校に通います。遠回りしてしまいますが、今後の人生を考えたら惜しくない2年だと思います。ずっと野球しかやってこなかったので、野球以外の世界で自分を試したい。その期待感の方が大きい。いずれはセラミックの歯を作ったり、マウスピースを作ったりして、野球選手をはじめとするアスリートを歯から支えていきたい」 関のように野球界から潔く身を引き、異業種に転職するパターンは稀だ。プロ野球選手の平均引退年齢は29歳。球団から戦力外となった選手のうち、およそ9割がなんらかの形で野球界に残る。しかし、西岡や成瀬のように実績のある選手なら解説者やコーチ業の話も期待できるだろうが、トライアウトに参加するような選手の多くが、実績が乏しかったり、育成枠で入団した無名選手たちである。 今年も106人が戦力外となった。プロ野球選手のセカンドキャリアをサポートする日本リアライズ(プロフェッショナル・セカンドキャリア・サポート事業部)の川口寛人(巨人の元育成選手で、2010年に育成ドラフト7位で入団し、わずか1年で戦力外になっている)は次のように話す。「今年は実績のない2軍選手や育成選手が、戦力外となっても球団に残るケースが目立つ。といっても、重職に就くわけではなく、主に子供向けアカデミーのコーチなどです。しかし、こうした仕事は単年契約で、いつクビを切られるか分からない不安は残る。野球界から離れるのを先延ばしにすることは、前向きに社会人として生きていく機会を奪っているような気がしてなりません」 いきなり路頭に迷わせるわけにはいかないという球団の温情が、むしろ野球から離れることを難しくするというのだ。また、野球界から離れて一般企業に就職しても、離職率は高いという。 セカンドキャリアへの第一歩は、プロ野球選手としてのプライドを捨てることから始まる。◆保険会社、警備会社、そして警察官… 昨年のトライアウトの現場で、野球選手に声をかけ、一般企業への就職を斡旋する「第2の人生のスカウトたち」の実態を私はレポートした。その反響は大きく、記事で紹介したソニー生命に倣ったのか、今年は会場の出入り口で帰路に就く選手に、複数の保険会社のサラリーマンたちが群がり、パンフレットを手渡す姿があった。 アクサ生命の河田浩樹(北九州FA支社)は、元プロ野球選手を勧誘する狙いをこう語った。「若い頃から鍛えられていて、根性がある。人脈にも期待したい。野球部の人って、出身校でもOBとの交流が盛んですよね。また、ご本人の知名度も武器になる。保険の営業職は、歩合制です。基本給に加えて、頑張れば頑張っただけ、給料に上乗せされていく。プロの世界で勝負してきた野球選手には馴染みやすい業界ではないでしょうか」 同じように、今年初めて、トライアウト会場に来場したのは、大阪に本社を置く「日本パナユーズ」。1971年創業の警備を基幹事業としている企業である。かつてラグビーの社会人チームの選手だった代表取締役社長の藤本典志は、これまでセカンドキャリアで苦労する元アスリートを幾人も見てきた。「競技や、ポジションによっても異なりますが、スポーツ選手の寿命は概ね、短くなってきている。就職先の縁に恵まれず、犯罪に手を染めてしまう人もいる。自分は奈良産業大学を卒業後、社会人チームでプレーし、30歳手前で戦力外通告を受けた。そのまま営業マンを15年続け、その後、現在の会社に移って、昨年社長になりました。セカンドキャリアに恵まれた分、行き場を失った選手をなんとかしたいという気持ちがあって、ここに来ました。警備会社の社員としては、元野球選手の元気の良さ、ルールを守る姿勢に期待したい」 昨年まではトライアウトが開催される球場のバックヤードで、一般企業の“スカウトマン”たちが熱心に動き回り、選手に直接声をかけていた。さらに警視庁の第4機動隊の隊員が受付の隣にテーブルを設置し、警察官という仕事に興味を持った選手たちに封筒を手渡していた。今年の現場では、バックネット裏に警察官たちの姿があった。 隊員の士気や団結を高める狙いで2009年に創部された警視庁の野球部には、現在3人の元プロ野球選手が在籍している。来場していたのは、2005年のドラフトで巨人に3位で指名された加登脇卓真(31)と、ヤクルトの育成選手(2010年の育成ドラフト1位)だった北野洸貴(30)だ。両者は、警視庁第四機動隊に所属し、主に国会や首相官邸、大使館などの警備を担当している。現在武蔵野警察署に勤務する元横浜DeNAの大田阿斗里(2007年高校生ドラフト3巡目、29)も、野球部に所属している。 加登脇は2008年に戦力外となり、同年のトライアウトに参加するも、声はかからず。その後、独立リーグを経て、2012年に警視庁の採用試験に合格した。「独立リーグが終わった時点で、野球から離れようと決めました。自分には家族がいた。声をかけられたわけではなく、自分の意思で警察官採用試験を受けましたね。1年ぐらいはスポーツジムでアルバイトをしながら勉強し、受験に備えました。合格が決まって、ようやく家族を安心させられたと思います。今は警視庁野球部として、クラブチームの全国大会に初出場するのが夢です」 北野は在籍わずか2年でヤクルトを戦力外に。その後、会社員を務めていたところ、営業先の警視庁で、同庁の担当者に誘われ、転職した。「ずっと野球漬けの日々だったので、試験勉強が難しくて(笑)。やっぱり、1年ぐらいかけて準備しました。今回のトライアウトでは、ヤクルト時代のチームメイトにパンフレットを渡したりしています。野球をやってきた人は、視野が広い。警察官も、安全確認とかで、いろいろなところに目を向けなければならないので(笑)、野球選手は警察官に向いていると思います」 両者が強調したのが、「安定した職場」であることだ。プロ野球選手という職業には最も縁遠い言葉だろう。◆社会人野球が「いちばん幸せ」 元千葉ロッテの藤谷周平(31)は、千葉ロッテの2軍が日本一となった2014年、祝勝会の真っ直中に、電話で非情な通告を受けた。「あ、来たな」。肩の故障でそのシーズンを棒に振っていた藤谷は、「戦力外」を覚悟していた。 トライアウトを受験。NPBの球団ではなく、「ゴールドジム」が運営する社会人野球「THINK フィットネス・ゴールドジムベースボールクラブ」から声がかかった。 現在はゴールドジム四谷東京でトレーナーリーダーを務めながら、チームではコーチ兼投手として活躍している。身長は188センチで、体重は85キロ。プロ野球時代より細くなったと笑うが、それでもさすがゴールドジムのトレーナーで、引き締まった肉体を維持している。日々の業務は会員に対するトレーニング指導・安全管理や新人教育に加え、店舗運営の全般だ。「野球を続けるかに関して、悩みました。プロではありませんし……。ただ、軽い気持ちで入ったんですが、想像以上にレベルが高くびっくりしましたね。選手手当のようなものはなく、むしろ部費を払って活動しているので、部活動的な感覚ですね。でも、充実しています」 千葉ロッテ時代の年俸は約450万円。正社員として働く現在は、「もちろん、それより上です」。プロ時代から付き合っていた女性と3年前に結婚し、娘にも恵まれた。「今は幸せです」という。 今年のトライアウトが開催されたタマホームスタジアム筑後のバックネット裏には、NPBの球団スカウトだけでなく、メジャーリーグや国内独立リーグなど、40チーム以上の関係者が視察に訪れていた。 その中には、社会人の名門「JX-ENEOS」のチーム関係者の姿もあった。右の大砲を捜しているらしく、お目当ての選手も見つかっている様子だった。 野球への未練を断ち切れない者にとって、給与も引退後の人生も期待できる社会人チームから声がかかることこそ、最も幸福なセカンドキャリアではないか。 数年前のトライアウトの経験者で、会場で企業に声をかけられて就職し、今ではヘッドハンターとしてトライアウト会場に来場している元プロ野球選手が、こんなことを話してくれた。「トライアウトのロッカールームでは、参加者同士でセカンドキャリアについて話すこともある。実は、『社会人チームから声がかかったら、一番幸せだよな』って言っている人も多いんです。独立リーグだと給料も安いですし、引退後の仕事は保障されない。それなら再びアマチュアとして、社会人で野球をやった方が幸福な人生を送れるんじゃないか、と」◆G.G.佐藤が「二級土木施工管理技士」? 埼玉西武や千葉ロッテで活躍したG.G.佐藤(40)は、引退後、野球界から離れたひとりだ。 2008年の北京五輪にも出場した佐藤は2011年に西武を戦力外に。トライアウトに参加するも声はかからず、イタリアリーグの球団に所属したあと、2012年には西武時代の恩師で、千葉ロッテの監督に就任した伊東勤に入団テストに誘われ、NPBのプロ野球選手に返り咲いた。「千葉に生まれ育った僕は、千葉で現役を終えたかった。ですから、千葉ロッテで二度目の戦力外を受けた時(2014年)、すんなりと現実を受け入れられました。野球が大好きだという気持ちを持ったまま引退できました」 引退後の佐藤は父が起業した測量調査などを手がける会社「トラバース」に入社。昨年末に千葉営業所の所長となり、40人ほどの部下を持つ。「入社後は測量や地盤改良工事の現場に行ってイチから勉強です。社員の皆さんに本気度を伝えたかったので、測量士補や二級土木施工管理技士などの国家資格も取得しましたし、今年10月には宅建を受験しました。資格があると仕事の幅も広がりますから」 トラバースには現在、かつて佐藤が在籍した埼玉西武の出身者を中心に、7人の元プロ野球選手が在籍している。「昨年までは、トライアウト会場に足を運び、声をかけてチラシを配っていました。最近は噂が口コミで広がっているみたいで、選手の方から『採用してもらえませんか』と希望するケースもある。彼らからしたら、同じプロ野球出身の人が働いているというのは、安心なんでしょう」 同社には全国25か所に支社があり、地方出身の元プロ野球選手は、地元に近い支社で働くこともあるという。 自社に勧誘するだけでなく、セカンドキャリアを支援する「フューチャー」という団体を作る計画がある。「まだ具体的には動き出していないんですが、元プロ野球選手にも『職業選択の自由』があると思っている。元プロ野球選手を受け入れたいという企業がたくさんあれば、元プロ野球選手も職種を選ぶことができる。フィーが発生する人材派遣業ではなく、一般社団法人のような形で考えたい」 トライアウトの現場には、川口をはじめセカンドキャリア支援の企業・団体を立ち上げた元プロアスリートの姿があった。子どもの頃からスポーツ一筋の人生を送ってきたアスリートが、その業界に居場所を失った時、いかに路頭に迷うか。直面する困難を身をもって知っているからこそ、支援に名乗りを上げるのだろう。※文中敬称略
2018.12.04 07:00
NEWSポストセブン
西岡剛、トライアウト当日のロッテへのラブコール即拒絶の訳
西岡剛、トライアウト当日のロッテへのラブコール即拒絶の訳
「チームとして若返りの方針があるとはいえ、実績のあるベテランを“指導係”として獲得するのは珍しいことではない。にもかかわらず、わざわざ球団本部長が獲得を即否定したのだから、それなりの理由があるのでしょう」(スポーツ紙記者) 11月13日にタマホームスタジアム筑後(福岡)で行なわれたプロ野球12球団合同トライアウト。投手29人、野手19人の合計48人の中で最年長だったのは、阪神を戦力外になった西岡剛(34)だった。 ロッテ時代にチームを2度日本一に導き、盗塁王や首位打者、最多安打のタイトルも獲得。だが2011年のメジャー移籍後はケガに苦しみ、なかなか結果を残せずにきた。 ラストチャンスと臨んだトライアウト当日のスポーツ紙のインタビューで、西岡は「育ててもらったロッテでユニフォームを脱ぎたい」と古巣へのラブコールを送っていた。 ところが同日、ロッテの林信平球団本部長は「井口資仁監督の下、新しいチームに生まれ変わろうとしている」と早々に“獲得するつもりなし”と宣言したのだ。前出の記者が続ける。「中村奨吾(26)をセカンドにコンバートし、サードに鈴木大地(29)、ショートにはルーキーイヤーから結果を出した藤岡裕大(25)がいる。戦力として西岡を必要としていないのはたしか」 また、日本復帰の際、ロッテも獲得に動いていたものの、マネーゲームの末に阪神入りとなった“因縁”もある。功労者とはいえ、復帰にいい顔をしない球団関係者も多いという。さらに、今回は派手な交友関係もネックとなった。「2013年には、大阪桐蔭の後輩の中田翔(29)やプロ入りしたばかりの藤浪晋太郎(24)を引き連れて美人ホステスとのクルージングパーティがフライデーされたことがあった。今年のドラフトで4球団競合の末交渉権を獲得した藤原恭大(18)は大阪桐蔭出身ですからね。高校の先輩から“悪い遊び”を教わってほしくないという心配もあるでしょう」(同前) 西岡は、4打数1安打2三振の結果でトライアウトを終えた。他の選手たちが正面玄関から帰路につくなか、西岡は1人、裏口から球場をあとにした。※週刊ポスト2018年11月30日号
2018.11.19 16:00
週刊ポスト
今年は48人参加も… 興行化するプロ野球トライアウトの悲哀
今年は48人参加も… 興行化するプロ野球トライアウトの悲哀
 NPB(日本プロ野球機構)の球団を戦力外となった選手たちが、球界への生き残りをかけて挑む12球団合同トライアウトが11月13日に行われた。球界の秋の風物詩には、“異変”が見て取れた──。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。(文中敬称略) * * * 開場前のタマホームスタジアム筑後(以下、タマスタ。福岡県筑後市)には、徹夜組を先頭にした長蛇の列ができあがっていた。8時半にゲートが開くと、有料席となるバックネット裏からいっぱいとなり、続いて無料席となる両サイドの内野席が埋まった。 今年のトライアウトに参加したのは投手29人、野手19人の計48人。 熱心な各球団の野球ファンにとっても、そして行き場を失った選手の悲哀を描くメディアにとっても晩秋の一大イベントとなっているが、今年はどうも様子が違った。 選手の出入り口をファンが占拠し、選手が到着すれば叫声をあげ、激励の言葉と共にプレゼントを手渡す若い女性ファンの姿も目立った。 さらに報道陣も、実に170人(そのうち半数がテレビ局スタッフ)。トライアウトの様子は生中継され、無数のカメラが選手を、その家族を、追った。さらに、NPB以外の国内独立リーグや、社会人野球のチームを持つ企業、メジャーを含む海外の球団まで40チーム以上の関係者がバックネット裏に陣取っていた(ベースボール・チャレンジ・リーグ「富山GRNサンダーバーズ」の監督に就任したばかりの二岡智宏らの姿もあった)。 とにかくトライアウトに集まる人間の熱量が、例年以上なのだ。 12球団が持ち回りで開催しているトライアウトは今年、福岡ソフトバンクの担当だった。2年前に完成したタマスタは3113人しか収容できず、福岡ソフトバンクは混乱を避けるために、1500席を初めて有料(一般800円、各球団のファンクラブの会員証を提示すれば300円)にし、残りを例年通り、無料開放した。その理由を広報担当者が話す。「過去のトライアウトでは、1万人を超えた例もあるとお聞きしました。ご覧のとおり、ここは3000人ちょっとのキャパシティしかありません。トライアウトは、12球団の選手が参加し、応援するファンの方々も遠方からもいらっしゃいます。そういう方々に安心して応援していただくために、先行販売を実施したのです。決して営利目的ではございません。お客様の数は、4000から4500を想定していましたが……」 球場に入れないファンも続出。有料席と無料席の間の通路には、警備員を立てて混乱を回避していたが、無料入場者が有料席に座るようなシーンもあった。 しかしトライアウトを二部制にして、昼の休憩時には空いた席に入場を待っていたファンに開放したこともあり、大きなトラブルとはならず、入場者数はのべ5536人。野球のイベントとしては同球場の最多記録となった。 そして、主役となる選手である。トライアウトは、カウント1-1から始まるシート打撃方式で進んで行く。投手は打者3人(昨年までは4人だった)と対峙し、野手は4打席ないし5打席に立つ。 ここ数年は“大物”の名がリストに並ぶことは少なかったが、今年は阪神を戦力外となった西岡剛(34歳で、参加選手中最高齢)、東京ヤクルトから構想外を告げられた成瀬善久(33)らも参加。ハイライトは、共に千葉ロッテに在籍していた2010年に日本一の栄冠を勝ち取った両者が対決した場面である。右打席から左中間を抜く二塁打を放った1歳上の先輩に軍配は上がった。 西岡のコメントには、行き場を失った野球選手の悲哀があふれていた。「対戦前にロッカールームで成瀬と会ったんですけど、『お互いにやるべきことを必死で、どんな球でも思いきって来い。真剣にいく』という話はしました。やっぱり、成瀬がマウンドに立っているというのは、思うところはありましたね。身近な関係者には、最後はロッテのユニフォームを着て引退するとずっと伝えてきました。(2011年に挑戦した)メジャー(ミネソタ・ツインズ)で結果を残して、日本に帰る時にロッテに戻れるような野球人生を歩んでいたら、それは最高なことだったと思うんですけど、いかんせん、僕の力がなかったわけで……(2012年オフに自由契約となり、阪神に入団)。シナリオからしたら、かっこ悪い感じになりましたが、今はオファーを待つしかない」 しかし、このトライアウトから新たな居場所を見つけることがいかに困難であるかは、西岡はもとより参加選手なら誰もが知っているはずだ。一昨年は65人が参加したうち、NPBの球団に“再就職”できた事例は3人だけで、51人参加の昨年も3人である。それゆえ、過熱する報道とは裏腹に、かつては2回にわたって開催されていたトライアウトも数年前から1度の開催に縮小され、参加選手の数も減少傾向にある。 また、獲得を希望する球団は事前に選手にそのことを伝え、選手も状態を確認してもらうことを目的に参加するケースがある。今年はトライアウトの終了直後に、さっそく横浜DeNAが元巨人の中井大介(28)の獲得を検討しているとの報道があったが、おそらく横浜も中井のトライアウト結果(3打数1安打2四球)で判断しているわけではないだろう。既に12球団の編成が終了しているタイミングで行われるのがトライアウトなのだ。つまり、もう空席はない。トライアウトの結果によって新たな道が拓けていくことは、限りなくゼロに近い。 西岡や成瀬のような実績のある選手はまだしも、名前と足跡を球界に残せなかった選手にとっては、むしろ野球にけじめをつける「引退式」の色合いも濃い。 元中日ドラゴンズの選手で、在籍わずか3年で2013年に戦力外となったあと、同球団のマネジャーを務めていた関啓扶(25)は、5年のブランクを経て今回のトライアウトに参加した。「記念受験みたいなことを言われましたけど、自分の中でそういう気持ちはない。野球をやりきりたかったんです。来年からは野球以外の道も考えている。その踏ん切りをつけるための目的もありました」 結果は1奪三振2四球。「これが今の実力です」。もし声がかからなければ、専門学校に通い、歯科技工士を目指すという。「選手にとって、歯は大事です。野球と歯は切っても切れない感じなので、そういう面から選手を応援、サポートしていけたら……」 この一球、この一打席で野球人生が変わる──それは感動仕立ての物語を演出したいメディア側の論理だ。全国から駆けつけるファンも、わずかな可能性を信じて熱い声援を送るが、選手の立たされている現実はより残酷だ。 誰がためのトライアウトなのか。 選手にとって最終試練であるはずのトライアウトが、主にテレビメディアのための“見せ物”となり、座席の有料化と共に興行化が進んでいることには、違和感を拭いきれないのである。
2018.11.16 16:00
NEWSポストセブン
大阪桐蔭「根尾も藤原も阪神に指名してほしくない」が本音か
大阪桐蔭「根尾も藤原も阪神に指名してほしくない」が本音か
 10月25日のプロ野球ドラフト会議は「大阪桐蔭のためにある」といっても過言ではない。プロ野球志望届を提出した根尾昂、藤原恭大ら4選手に複数球団による上位指名が確実視され、まさに「プロ野球選手のエリート養成機関」と位置づけられるのは間違いない。ところが、同校関係者からはこんな本音が漏れてくるのだ。「あそこには正直、指名してほしくない……」 名指しされたのは、地元球団・阪神である。「原因は同校出身の藤浪晋太郎への扱いです。根尾の世代は、大阪桐蔭が初めて甲子園の春夏連覇を果たした藤浪擁する2012年の“最強世代”を超えるべく厳しい練習に励んできた。その藤浪が阪神に潰されたのではないかという不信感が、大阪桐蔭の関係者には根強いんです」(大阪桐蔭関係者) 入団1年目から3年連続2ケタ勝利を挙げていたものの、金本監督政権下の3年間では低迷。四球で失点を重ねた藤浪に対して、161球も投げさせる“懲罰登板”も物議を醸した。「エースといえども、藤浪は初めてといっていい“壁”にもがいている最中でした。この登板後に二軍に降格した藤浪は、フォームを崩し、投球への不安を口にしていました。あれから2年が経ちましたが復活にはほど遠い」(スポーツ紙デスク) 同じくOBの西岡剛が戦力外通告を受けたことも、大阪桐蔭関係者の“アンチ阪神”に拍車をかける。「阪神は下位に低迷していた時代に、ドラフトで即戦力の大卒・社会人しか指名してこなかったため、高卒の育成ノウハウ蓄積が乏しい。そのためか、個々のコーチが自分の経験に基づくアドバイスを押しつけ、高卒ルーキーの場合は結果として個性を殺してしまうケースが多い。 対照的なのが中村剛也や浅村栄斗ら4人のOB全員が主力として活躍する西武です。大阪桐蔭としては長所を伸び伸びと育ててくれる西武に行ってほしいというのが本音でしょう……」(同前) 阪神ファンとしては、この黄金世代が縦ジマのユニフォームを着る姿が見たいはずだが。※週刊ポスト2018年11月2日号
2018.10.24 16:00
週刊ポスト
古閑美保のお陰?小平智の成績急上昇 酒豪ぶりでも意気投合
古閑美保のお陰?小平智の成績急上昇 酒豪ぶりでも意気投合
『三井住友VISA太平洋マスターズ』(11月9~12日)で今季2勝目を挙げ、男子プロゴルフの賞金ランクトップに躍り出た小平智(28)。トーナメント会場で小平より目立っていたのは、7歳年上の姉さん女房・古閑美保(35)だった。コースでは誰より大きな声で声援を送り、表彰式では小平とともに優勝トロフィーにキスをしてみせた。 すでにゴルフ界では「古閑の“あげまん”ぶりは半端じゃないと評判になっている」(ツアー関係者)という。 今年3月に結婚、今年12月24日に披露宴を行なう予定の小平と古閑だが、同棲を始めたのは4年前の2014年から。古閑と付き合い始めてからの小平の成績の急上昇が凄い。2014年には賞金ランク21位・獲得賞金4791万円と“並”の選手だったが、翌2015年には同9位(6677万円)、2016年は6位(8367万円)と右肩上がり。今季はランク2位の宮里優作(37)に2000万円の差を付け、賞金王に最も近い位置にいる。「小平プロは“目標は賞金王になってマスターズ出場、そして米ツアー挑戦”と公言している。“アンタならできる!”と古閑さんがハッパをかけているようだ。 彼女は“世界を狙う強い男が大好き”と公言してはばからない。それは行動にも表われている。栄養学のスクールに通ったり、タイに留学してスポーツマッサージの勉強をするなど夫をサポートするために日々努力している。今回も、バンカーに苦戦していた小平プロに古閑さんが“もっとフェースを開いたら”とアドバイスしたのが大きかったようです。最終日の17番ホールでは、バンカーからピンそば30センチに付けるスーパーショットで優勝を手にした」(ゴルフ担当記者) プロゴルファーの沼沢聖一氏は、「賞金女王になった経験もある古閑さんの存在は技術面だけでなく精神面でも大きいだろう。これほど心強いメンタルコーチはそういない」と評する。 古閑はかつてダルビッシュ有(31)や西岡剛(33)とも交際が報じられた。2人の年下アスリートは交際報道からまもなくメジャーに挑戦し、野球選手として大きく羽ばたいている。“恋多き女”だった古閑が小平を選んだのはなぜなのか。「決め手は“酒の強さ”だったらしい。古閑さんの酒豪ぶりは有名で、彼女は常々“普通の男性の飲み方じゃ物足りない”と思っていたらしい。小平も大の酒好きで意気投合。豪快な飲みっぷりにすっかり惚れ込んだようです」(前出・ゴルフ担当記者) 今季ツアーは残すところ2試合。夫婦で「勝利の美酒」に酔えるだろうか。※週刊ポスト2017年12月1日号
2017.11.25 07:00
週刊ポスト
大阪桐蔭野球部 PLとの差を埋めた「付き人制度の廃止」
大阪桐蔭野球部 PLとの差を埋めた「付き人制度の廃止」
 春夏連覇を狙うセンバツ覇者の大阪桐蔭と、昨夏で休部に追い込まれた超名門のPL学園──多くの高校野球ファンに鮮烈な印象を残す2校。もし夏の甲子園で大阪桐蔭が春夏連覇を果たせば、優勝回数はPLに並ぶ。2校の「縁」を『永遠のPL学園』著者・柳川悠二氏(ノンフィクションライター)が追った。 * * * 元中日の今中慎二は、1986年に大阪桐蔭の前身である大阪産業大学高校大東校舎に4期生として入学した。当時の監督は、1978年にPL学園が初めて全国制覇を達成した時の監督である山本泰(旧姓・鶴岡)。プロ野球の史上最多勝監督である“ドン”鶴岡一人の長男である山本は1980年にPLの監督を退いていた。「開校したばかりの大東校舎は、監督に山本さんを置き、PLの野球そのものを引き継いでいました。サインが攻守で100種類以上あって、練習の内容もとにかく細かい。(1年生が上級生の身の回りを世話する)付き人制度もありました。中学までただ楽しく野球をやっていた自分には、別次元の野球でした」 甲子園で活躍して校名を売る。そういうPLの前例に倣いたかったのだろうか。しかし、大東校舎にとって、PLは遥か彼方の存在だった。今中が入学するまで、大東校舎はPLに対し公式戦で9連敗していたという。 1年夏からベンチ入りし、その秋にはエース格に成長した今中は、同年の秋季大阪大会準々決勝PL戦に先発する。PLの1学年上に、後に中日ドラゴンズでチームメイトとなる立浪和義がいた。片岡篤史(元阪神)、野村弘樹(元横浜)らとともに翌1987年に春夏連覇を達成するPL最強世代である。 今中は5回に1失点したものの、強力打線を最少失点に抑え込む。だが、味方が初回の1安打だけに封じられ、0対1で惜敗した。「あの試合でもし勝っていたら、PLの春夏連覇はなかった(笑)。この試合をスカウトが見てくれていて、無名の自分がプロに行けた。その点では、大きな意味のある試合でした」 今中が3年生だった1988年に大東校舎は分離独立して大阪桐蔭となった。1991年夏には選手権大会に初出場、初優勝を飾る(監督は長沢和雄)。しかし、PLに勝てない時代は続いた。1993年にコーチに就任した西谷は、「どうやったらPLに勝てるか。そればかりを考えていました」と振り返る。 全国から有望選手が集まるPLと比べれば、入学する選手のレベルからして差があった。それを埋めるべく、西谷は付き人制度を廃止。PLの1年生が先輩の世話に忙しい間に、大阪桐蔭の1年生には早朝から遅い時間まで猛練習を課した。「大阪の野球=PLの野球でした。あと一歩のところまで追い詰めても、勝てなかった。やればやるほど、PLの強さを身にしみて感じるようになりました」 2000年代に入ってPL学園は度重なる暴力事件の発覚や、母体教団の意向で、力を失っていく。一方、大阪桐蔭は2008年夏に2度目の全国制覇を果たし、猛烈な勢いで台頭していった。1987年から部に携わってきた部長の有友茂史は言う。「(2005年に)セ・パ交流戦が始まったことが転機でした。パ・リーグの選手に注目が集まるようになり、卒業生の西武・中村剛也が“おかわりくん”と呼ばれ、当時、千葉ロッテにいた西岡剛(現阪神)も活躍した。それで大阪桐蔭の名前を知ってもらえましたし、うちで野球をやりたいと言ってくれる選手が増えました」(文中敬称略)※週刊ポスト2017年7月21・28日号
2017.07.11 16:00
週刊ポスト
進撃の侍ジャパン メジャーの高評価は千賀、次いで筒香
進撃の侍ジャパン メジャーの高評価は千賀、次いで筒香
 快進撃を続ける侍ジャパン、最も評価が高いのは誰か。MLBアナリストの古内義明氏がレポートする。 * * * ワールドベースボールクラシック(WBC)が開幕し、日本中を熱狂させている。テレビ視聴率は20%を超え、ドル箱カードの連続。開幕から6連勝と破竹の勢いで、アメリカでの準決勝に4大会連続で進出を決めた。主催するMLB機構も笑いが止まらないだろう。 WBC開催の表向きの理由は、野球の国際化だが、メジャーの本音は、「選手の見本市」である。これまで、WBCからの「黄金ルート」でメジャー移籍した顔ぶれは過去、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、前田健太と、日本のエースばかりだ。 今大会もメジャーのスカウトが東京ドームから熱視線を送ったが、これまでのような高揚感はあまりない。最大の注目だった日本ハムの大谷翔平が不参加を表明し、トーンダウンは否めないからだ。もっとも、「大谷ロス」があっても、ポスティングシステムや海外フリーエージェントの際にチームが投資するだけの価値のある選手がいるかどうか、確認に余念はなかった。「世界一奪還」を掲げる小久保ジャパンの雌雄を決する決戦前に、数々の名選手を発掘してきた旧知のメジャーのスカウトたちが侍戦士をどう分析しているか、彼らの声をもとに紹介したい。 まずは野手。再三に渡って日本のピンチを救っている広島の菊池涼介(26歳)。セ・リーグ二塁手部門でゴールデングラブ賞を4年連続受賞している職人は、MLB公式サイトも「ファンタスティック・プレー!」と取り上げられている。天然芝のマツダスタジアムでプレーする菊池は確かに守備のスペシャリストだが、先輩内野手の苦難が影を落としている。 過去、松井稼頭央、中島裕之、西岡剛という日本代表の内野手が海を渡ったが、成功と言うには程遠かった。やはりまだまだ内野手に対するアレルギーは抜け切れていない。「天然芝のバウンドに対応できず、さらに2塁ベース上のクロスプレーに難あり」というレッテルを払しょくするのは難しそうだ。さらに、2年連続トリプルスリーという看板を引っ下げるヤクルトの山田哲人(24歳)も、「そこそこ打てるかもしれないが、守るところがないだろう」と手厳しい。 日本の左右の大砲の日本ハムの中田翔(27歳)とDeNAの筒香嘉智(25歳)はどうだろうか。侍ジャパン史上初となる3試合連続本塁打の中田だが、「打率の低さが気になる」「あの大振りでメジャーの動くボールに対応できるか」と、大砲の多い1塁手での競争に打ち勝てるかについては、ベテラン・スカウトは疑問符をつけていた。それに比べて、筒香は、「チーム打撃ができる」「本塁打より打点を稼げるタイプ」と、外野手として一定の評価があった。メジャー志向という筒香には、時が来れば、挙手する球団がありそうだ。 1995年の野茂英雄の衝撃以降、やはり、投手への高い評価は変わらない。「イワクマのように変化球を操る」ロッテの石川歩(28歳)、「メジャーには稀なサブマリン」の牧田和久(32歳)。「ミニ・タナカ」と呼ばれる則本昴大(26歳)などの名前が挙がった。 そんな中、最も高評価を集めたのが、千賀滉大(24歳)だ。186センチから投げ下ろす156キロのフォーシームと、「お化けフォーク」と形容されるフォークボールは、絶賛の嵐。「メジャーリーガーが縦の変化に弱いのは、古くはササキ、いまはウエハラが証明している」と、日本人投手をよく知るスカウトは鼻息が荒い。若干24歳と若い千賀。身体もまだまだ大きくなるし、伸びシロを感じる好素材は、今回の侍ジャパンで「最高評価」を獲得していた。 侍戦士の平均年齢は、過去最年少となる27.71歳。今大会経由で、すぐにメジャー移籍するような選手はいないが、近い将来、筒香と千賀がメジャー移籍となれば、「WBC黄金ルート」が復活することになる。ロブ・マンフレッド・コミッショナーは在任中のWBC継続を明言しているが、「NPBからMLB」は、大会存続にとって大きな後押しになるに違いない。
2017.03.19 16:00
NEWSポストセブン
運動音痴で野球に興味がなかったという
阪神 糸井獲得で定位置争い激化、鳥谷の行き場なくなる?
 プロ野球2017年シーズンの戦力がほぼ出揃った。なかでも、苛烈なポジション争いが予想されるのが阪神タイガースだ。 金本知憲監督は、FA宣言した糸井嘉男(35)をオリックスから獲得。糸井をセンターに置き、「レフトに昨季新人王の高山俊(23)を固定。新キャプテン・福留孝介(39)がファーストに回る」(トラ番記者)とみられている。 となると行き場がないのが、年俸4億円の5年契約で3年目を迎える鳥谷敬(35)だ。昨年は9月に北條史也(22)にショートの座を奪われサードに回ったが、サードには新外国人のキャンベル(29)が加入。セカンドには上本博紀(30)、西岡剛(32)らがいる。元デイリースポーツ編集局長・平井隆司氏はこういう。「何より、セカンドはドラフト1位の大山悠輔(22、白鴎大)ですよ。大学日本代表の4番だから右の大砲としてじっくり育てたい。大山―北條の二遊間が固定できれば、Aクラス入りは堅いでしょう」“ミスター・タイガース”の鳥谷の影が薄くなるほど阪神の優勝争いの可能性が高まるというのは虎ファンにはフクザツか。※週刊ポスト2017年1月13・20日号
2017.01.07 07:00
週刊ポスト
プロ野球「背番号」争奪戦、プライドと実力に影響される
プロ野球「背番号」争奪戦、プライドと実力に影響される
 今オフのFA市場の目玉であるオリックスの糸井嘉男(35)が「4年18億円」の大型契約で阪神入りを決め、背番号は「7」と発表された。糸井が日ハム時代からつけてきた愛着ある番号だ。 ただし、阪神の「7」は今季までメジャー帰りの西岡剛(32)が背負っていた数字でもある。担当記者が語る。「番号を譲ることになった西岡は、来季から『5』になる。阪神では新庄剛志ら花形選手がつけてきた番号で、西岡は“糸井さんには気持ちよく(背番号を)つけてもらいたい”とコメントしたが、『7』はロッテ時代にもつけていたこだわりの番号です。 今季は7月にアキレス腱を断裂して残りのシーズンを棒に振り、糸井に奪われることを呑むしかなかったが、内心忸怩たるものがあるでしょう。背番号を移る“迷惑料”が契約更改で加算されるともいわれています」 大物選手の移籍には背番号のドラマが付き物となる。今オフは他に岸孝之(32)が、西武時代につけていた「11」を移籍先の楽天でもそのまま背負うことになった。これに伴って2010年のドラ1、塩見貴洋(28)は背番号を「17」に変更。 一方、大型トレードで巨人入りした左腕・吉川光夫(28)は、日ハムでつけていた「34」が、巨人では400勝投手・金田正一氏の永久欠番。吉川が新たに選んだのは「21」だ。「高橋一三、宮本和知、高橋尚成らがつけてきた番号で、吉川に不服はないでしょう。一方、これまで『21』だった昨年のドラ1・桜井俊貴(23)は『36』に、『36』だった中井大介(27)は『61』、『61』だった和田恋(21)は『67』と“玉突き変更”が必要になりました。実績を残せていない選手が番号を選り好みできないのは当然です」(同前) 今オフのFA市場で未だ移籍先の決まっていない日ハムの陽岱鋼(29)も「背番号」で注目を集めている。 日ハムでつけていた「1」は、初のゴールデングラブ賞を受賞した2012年のオフに「24」から登録変更したもの。台湾出身の大先輩・王貞治氏と同じ番号であることに一際こだわりを持つことで知られる。 そして、今回のFA宣言を受けて陽の獲得に名乗りを挙げたのが巨人、楽天、オリックスだ。「巨人の『1』はもちろん王さんの番号で永久欠番。一方、楽天では不動のクローザー・松井裕樹(21)がつけていて、オリックスは“マイナー帰り”の中島裕之(34)の番号。“中島が一番動かしやすいから、オリックスが移籍交渉では有利では”という人もいるくらいです」(球団関係者)※週刊ポスト2016年12月16日号
2016.12.05 16:00
週刊ポスト
球界最年長・70歳のロッテ打撃投手の生き様
球界最年長・70歳のロッテ打撃投手の生き様
「ボールを投げて相手が打つだけの作業。別に珍しいことじゃない。同じような年齢で野球をしている人(アマチュア)はたくさんいる。違うのは、こっちはお金をもらっていることかな」 千葉ロッテマリーンズの池田重喜は、5月に70歳の誕生日を迎えた寮長兼、現役の打撃投手だ。「シルバー草野球と変わらない」と笑う古希の打撃投手は、二軍本拠地の浦和球場で連日、プロの若手打者を相手に汗を流している。 現役時代は大洋、ロッテで中継ぎ投手として活躍。肩の故障により引退した後は、トレーニングコーチ、育成コーチを歴任しつつ、その頃から打撃投手を務めてきた。 池田の朝は寝床でのストレッチ運動から始まる。早朝5時過ぎに目を覚まし、布団の中で「固まりやすくなった」全身をほぐす。続いて腹筋、背筋、腕立て伏せを各100回以上行なって、寮生たちと散歩に出かけ、朝食を摂る。これが毎朝の日課だ。 53歳で寮長に就任した時、池田がまず驚いたのは、朝食を摂る習慣のない若者が多いことだった。「食事の大切さを教えてくれたのは、金田(正一)さん。私が現役の頃は、キャンプ中に出される食事も粗末なものが多くてね。そこへ金田さんが監督としてやってきて、『食事は体の源や!』といって改善してくれた。量も品数も一気に増えて驚いたものだよ。体のケアの重要性も含めて、金田さんにはスポーツ選手としてのプロ意識を勉強させてもらった」 金田が現役時代、キャンプ中に自ら食材の買い出しに行くほど、食事にこだわりを持っていたのは有名なエピソードだ。金田に薫陶を受けた池田は寮生全員に朝食の習慣化を徹底させた。 ロッテの2度の日本一に貢献した強打の捕手・里崎智也も、池田に朝食の大切さを説かれた選手の一人だった。「里崎は即戦力として期待されて入団したけれど、ケガが多くてなかなか一軍に上がれなかった。聞けば、大学時代から朝食を摂る習慣がないという。だから寮生全員参加の朝の散歩の後、直接食堂に連れて行った。 小学生じゃないから何を食べるかまでは指示しなかったけれど、オレンジジュースでもパンでも何でもいいから、とにかく口に入れろ、と。朝食を摂るようになってからは、生活にリズムができてコンディションが良くなったためか、ケガも減って、間もなく一軍のレギュラーに定着したよ」 これまで池田は寮長・打撃投手として、里崎のほかに、今江敏晃、西岡剛など多くのスター選手たちを一軍に送り出してきた。彼らには共通点があったという。「暇さえあれば練習に励む選手。プロ向きの根性を持った選手。一軍で活躍するタイプは色々だけど、共通しているのはスタイルを変えない点。彼らは自分で決めたことはやり続けた」 だが、スター選手が誕生する一方、若くして球界を去る選手も多数いる。「どんな選手も時間をかければ上手くなれる。運命の分かれ目は、球団に成長するまで待とうと思わせる、光るものがあるかどうか。そういう意味では、ケガで可能性を絶たれる選手は気の毒だよ。 私も26歳の時に肩を壊して、30歳で球団からコーチを打診された時は、『まだ現役でできるのに』と大いに悩んだ。今から振り返ると自惚れでしかなかったと思えるけど、当時は客観的視点を受け入れられなかったんだよね。その気持ちがわかるだけに、まだ若いのにケガで諦めなければいけない選手を見送るのは本当に辛いね」 若い選手は短期間で急成長することがある、その様子を間近で見られることが何よりの喜びだ──池田はそういって目を細める。 寮長として、若い選手の指導に当たる池田が彼らに求めるのは、「当たり前のことを当たり前にやる」意識だけだ。「部屋を出るときは電気を消す。人に会ったら挨拶をする。普通のことを普通にやればいい。あとは、社会人として周りに迷惑をかけないこと。事件を起こして、選手生命を絶たれることが一番馬鹿らしい。だから“美人局”と書いて、何と読むかってことから教えている。今の若い子たちは知らないんだよ」 選手たちの未来の可能性について話す池田の姿は好々爺そのもの。だが、トレーニングコーチ時代には「鬼」と呼ばれたほど血気盛んだった。「60歳を超えてだいぶ丸くなった。ときどきカーッとなって怒ることがあるけど、自分では『まだ元気だな』って嬉しくなるよ。いつまで続けられるか? それは運命でしょうね。球団のほうから、辞めてくれといわれるまでは続けたい。自信があるうちは投げ続けたいね」 最後に今欲しいものを尋ねると「緊張感」という答えが返ってきた。「緊張感のない人生ほどつまらないものはないから。ただ、いま緊張感をもって生きている若い人に話しても理解してもらえない。年を重ねて、人生から緊張感が失われて来た時に、初めてその大事さに気づくんだなァ」 球界最年長の古希の打撃投手は、これからも若手を育てるために、そして自らの人生に緊張感を求めるために、黙々とボールを投げ続ける。(文中敬称略)◆いけだ・しげき:1946年5月1日生まれ、大分県出身。津久見高2年時に甲子園出場。1学年上の高橋直樹(東映など)がエースだった。卒業後、日本鉱業佐賀関に入社。1967年ドラフト4位で大洋に入団。1970年オフにロッテへトレード移籍。1977年に引退した後はロッテのコーチに就任。現在は浦和のマリーンズ寮・寮長兼打撃投手。生涯成績は13勝12敗、防御率3.53取材・文■田中周治 撮影■藤岡雅樹※週刊ポスト2016年7月8日号
2016.06.28 11:00
週刊ポスト

トピックス

結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
謝罪をする田中聖(公式YouTubeチャンネル)
田中聖容疑者、覚醒剤所持でまた逮捕 芸能人が“やめられない”根本的な問題点
NEWSポストセブン
『ぴったんこ☆カンカン』スタート時の安住アナ(時事通信フォト)
泉ピン子が語る安住紳一郎アナ「とても負けず嫌い。すごい強さを秘めている」
週刊ポスト
盗難被害を告白した木下
TKO木下隆行がベトナムで270万円の盗難被害、防犯カメラにおさめられた悪質手口の一部始終
NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
TBS安住紳一郎アナ、恩師や先輩アナが明かす“天才的なしゃべり”“のスキル
週刊ポスト
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
メディアの前に久しぶりに姿を現したブラザートム(撮影/黒石あみ)
ブラザートムが不倫騒動・事務所独立からの今を語る「娘にはよくハガキを書いてあげるんです」
NEWSポストセブン
日本は世界が憧れる国だと思っていたが……(イメージ)
在日経験のある外国人たちが「日本の没落」を口にし始めているという厳しい現実
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン
SDGs(持続可能な開発目標)についてテレビが取り上げる機会が激増していた(イメージ、時事通信フォト)
テレビ局が一斉に発信していた「SDGs」、最近見かけなくなった理由
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン