生活の大半を歌舞伎町で送るようになって3年目の初夏のこと。夜9時過ぎ、私と男友達は、事務所近くにある「風林会館」1階の喫茶店「パリジェンヌ」で夜の松花堂弁当を食べていたの。この時間帯の飲食店は有象無象。グランドキャバレーのホステスさんとお客の2人連れ、もっと怪しいカップル、コワモテの業界人、サラリーマンやОL……要はなんでもあり。弁当を食べ終えた私は、コーヒーでも頼もうとメニューをのぞき込もうとした。
と、首を伸ばしたその4、5m先で「パンッ」と「パシッ」の中間の大きな乾いた音。反射的にそちらを見ると、男の人が悠然と立ち上がって、出口に向かって歩き出した。と同時に大きな布袋のようなものが床に落ちて、ドサッ!という鈍く重い音。テーブルが派手な音を立ててひっくり返ると、つられたように隣のテーブルにいた女が目を剝いて喚き出した。
「たしかに気が立った声で『撃つ』と、あの男は言ったけど、それといま起きたこととピントが合わないのよ! もう出してよッ! いきなり撃つんだもの。ちょっとォ、出してよッ!!」
度を失って金切り声で叫び続ける女性に駆け寄った店長らしき男性が、彼女の両脇を抱えながら、フロア全体に大声を発した。
「これで閉店しますッ。レジを済ませてください!」
有無を言わせない大声にあおられ、私は言われるがままにレシートをつかんでレジに並んだ。友人も顔を引きつらせて、店の外に出て行った。
私が「怖い」と思ったのは、店からいったん出て、撃たれた人をガラス越しに見たときだ。聞いたことがない銃声には怖がりようがなかったけれど、胸にぽっかりと赤黒い穴を空けた中年男性はピクリとも動かない。その姿はどう見ても生きている人ではない。顔は見えなかったけれど、指先には真新しい絆創膏が巻かれていたのを覚えてる。
一瞬で人は死ぬんだ!と初めて実感した。そしたら急に足元がおぼつかなくなって、慌てて事務所に逃げ帰った。
翌日の新聞に「暴力団員同士の金銭トラブルが原因」と出ていたけど、撃った人も撃たれた人も、私が知るコワモテの人の服装でなく、下町の居酒屋で目にする安っぽいシャツを着ていたのがさらに怖かった。殺人者がそれらしい顔をしていないなら、何に警戒したらいいのか……。
そのことがあってから、歌舞伎町はもう楽しい場所でも刺激的な街でもなくなってしまった。私は間もなく事務所を畳んで、静かな別の街に移って行った。
冒頭の事件の容疑者も一見、テロを起こすような顔には見えないし、41才という年齢にも見えない。20才そこそこの予備校生のようだ。それがとてつもなく恐ろしい。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2022年8月4日号