あくまで筆者の好みで本稿の彼とは無関係に抽出するが、『ヴイナス戦記』(1988年)の植草克秀、『餓狼伝説 THE MOTION PICTURE』(1994年)の錦織一清、とくに香取慎吾の『赤ずきんチャチャ』(1994年-1996年)は多くのファンが覚えているだろう。ちなみに筆者は30年近く前の話だが雑誌「コンプティーク」編集部員時代に『サムライスピリッツ 破天降魔の章』(1994年)の記事を担当したことを思い出す。主人公の覇王丸の声を演じたのが香取慎吾(本章のみ)、その人であった。
もちろん、いまでは人気絶頂のアイドルがアニメの声優など珍しくもない。むしろ話題作ともなると人気の若手俳優やアイドルがこぞって声をあてる。
「インターネット前は『ジャニーズが出てくれれば宣伝してもらえる』という意味もありました。テレビアニメなんて、自社で放映したって自社の情報番組やワイドショーから無視される時代でしたから。劇場アニメすらそうですよ。でも彼らが出てくれればテレビで扱ってもらえる。一般の方々に広く知ってもらうには芸能人に出て欲しい、それもジャニーズなら扱ってもらえますから、話を聞いてくれたり、実際に仕事をしてくれたりはありがたかったですよ」
それでも2000年代以前はいまと違う印象もあった、とも語る。
「ジャニーズ事務所は確かに人気でしたが、一時はアイドル冬の時代もありましたし、ミュージシャンや若手芸人ほどには持て囃されてなかった時代もあった。SMAPだって最初から人気ではありませんでした」
ジャニーズも決して常に順風満帆ではなかった。「光GENJI」のブレイクから1990年代に入ると、その「光GENJI」はもちろん「忍者」「男闘呼組」といったグループが解散や活動休止となった。個々の事情はともかく、SMAPのブレイク以降のような時代でなかったことは確かだ。
「現場でも1990年代の一時期はそんな印象です。残念ながら人気の出なかったグループもあった。決して最初から『ジャニーズ帝国』なんてイメージはなかった。一般の方々の認知度とは違って、他にもっと規模の大きくて、権力を持つ芸能事務所はありますからね」
あくまでメディア関係者、それもアニメーション関係者としての視点だが、やはりSMAPという「革命」があったことは確かだろう。先の『赤ずきんチャチャ』の香取慎吾もそうだが、何でもこなす「マルチアイドル」として日本を代表するグループとなった。
「ジャニーズ所属の方々はとても礼儀正しい。決して偉ぶったりしなかったし、どんな現場でも楽しんでこなしてくれた。これは私の経験でしかありませんが、アニメの現場では珍しいことなんですよ」