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2010.11.03 17:00  週刊ポスト

師匠たけしの理不尽耐えた「浅草キッド」は昭和のにおいがする

【書評】『キッドのもと』(浅草キッド著/学研パブリッシング/1470円)装丁/bookwall 写真/帆刈一哉

作家の関川夏央氏が、「現代に『プロレタリア文学』があるとすればこの本だ!」と解説する。

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小野君は倉敷の紙問屋の息子だ。頭はよいが、神経質で自罰衝動が強い。高校時代、当時めずらしい「引きこもり」で1年ダブった。

昭和56年1月、高校2年のとき、ビートたけしが担当するオールナイトニッポンを聞いて衝撃を受けた。本質的自由をそこに感じた。

たけしの出身大学の明治に入ったが、5日間しか行かず、パチプロもどきなどで日を過ごした。23歳のとき、ラジオ局の表でたけしを「出待ち」して弟子入りを許され、水道橋博士になった。

赤江君は西新宿の子である。超高層ビルが建ち並んで消滅へ向かう町内で、両親は最初マージャン屋を、ついでホモ・スナックを営んだ。ややこしい親の商売に、赤江君は一時「思春期をこじらせた」が、とくにグレたりはしなかった。

赤江君も深夜のたけしのラジオに魅せられた。放送終了後にたけしが必ず行く焼肉屋を調べて「入待ち」し、やがて玉袋筋太郎という芸名をもらった。

昭和61年、23歳と18歳のふたりは、浅草フランス座に修行に出された。すたれかけた劇場でコントをやり、掃除をし、バーテンまでやって、1000円で1日16時間働いた。

人とまともに話もできず、不安と共存しているのに、芸人になるしかないと信じた水道橋博士と、人生に過剰な期待を持たず、チャランポランに見えてその実、意気に感じるタイプの玉袋筋太郎は、コンビ「浅草キッド」となった。

30代までは、よい芸人になりたいから「無頼」を気どり「破滅」をめざした、と過剰適応の水道橋はいうが、現代に切実な「プロレタリア文学」があるとすれば、それは『蟹工船』などではない。

この本、1960年代生まれのふたりの自叙伝『キッドのもと』だろう。

ここから立ちのぼるのは、神経症の克服や将来への不安を、先輩と師匠の理不尽に耐える喜びにまぎらせる生き方、すなわち昭和のにおいである。

※週刊ポスト2010年11月12日号

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