松田哲夫氏は1947年生まれ。編集者(元筑摩書房専務取締役)。書評家。浅田彰『逃走論』、赤瀬川源平『老人力』などの話題作を編集。1996年からTBS系テレビ『王様のブランチ』・書籍コーナーのコメンテーターを12年半務めた松田氏が、「路上観察学会」の藤森照信氏を振り返る。
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一九八四~八五年ころ、藤森照信さんと赤瀬川原平さんのまわりに町を観察する人たちが自然と集まり、交流するようになった。その結果、八六年には路上観察学会が結成される。
それからは、藤森さんと一緒にでかける機会が多くなり、連れだって歩くと、そのスピードが人並み外れて速いことに驚いた。さらに、道端になっている柿などを、なんのためらいもなく取って食べる。「いいんですか」と聞くと、「これを実らせたのは自然の力だから」と平然としている。「野蛮人」または「獣の皮をかぶった獣」と呼ばれるゆえんである。
速いのは足だけではない。それに劣らず頭の回転も速い。だが、何よりも驚いたのは、尋常ではない食欲だ。料理は目の前に置かれるやいなや口中に消えていく。一緒盛りのお菓子など、あっと言う間に皿は空になっている。ほれぼれするような食べっぷりを見て赤瀬川さんがつけたあだ名は「キムチ」。食欲が減退しているとき、キムチのような刺激物で胃を活性化すると食が進むからだという。
ある時、ぼくは8ミリビデオで食事風景を撮っていた。あとで再生してみると、そば屋で赤瀬川さんがやっとザル一枚食べ終わる間に、藤森さんは途切れることなく話し続けながら、四枚平らげている。赤瀬川さんは「このビデオを食欲のない時に流したい」と言う。
藤森さん本人は、己の食べる姿にビックリしていた。そういえば、建築家の石山修武さんはその生命力の強さを、「天丼二杯子ども四人」と表現していたっけ。
藤森さんは、熱中すると余人が及ばないパワーを発揮する。路上観察も初めの半年ばかりは、ホームラン級の物件を次々に発見し、新しい概念をいくつも提唱していった。この驚くべき長打力、高打率から「バース」と呼ばれ、また、彼の口癖から「イキオイ」(「イ」にアクセント)とも呼ばれた。
では、猪突猛進、猛烈一直線ばかりの人物かというと決してそうではない。驚くほど繊細なところもあり、ぼくが網膜剥離で失明しかかった時など、親身になって心配してくれた。そして、赤瀬川さんやぼくのように優柔不断な連中が多いなかで、即断即決、物事を片付けていく姿は頼もしく、九歳年上の赤瀬川さんをして「お父さん」と呼ばせるようになった。
※週刊ポスト2012年12月14日号