直木賞作家であり浮世絵研究家でもある高橋克彦氏は、ある春画コレクションを長年秘蔵してきた。明治期に描かれたその春画帳には、江戸時代の一流絵師たちの技術をさらに発展させ、特殊な印刷技法を駆使した非常に精巧な絵の数々が収められている。35年前、岩手・花巻温泉の老舗旅館出会った枕絵集は、推定400万円にのぼるという。その貴重な図画について、高橋氏が解説する。
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私は、この枕絵画集を『初桜』と名づけました。というのも、明治期には『葉桜』と『夜桜』という有名な春画集があって、その作風との共通点が多いからです。しかも『桜』シリーズは三部作だとされ、最後の一作がよくわからないままだった。
春画は地下出版物であり、極秘裏に売買されてきました。絵師や題箋を含め、今でも多くが謎に包まれたままなんです。
ただ、私の推理だと『桜』シリーズの絵師は、従来いわれている武内桂舟ではなく、明治30年代に活躍した鈴木華邨じゃないか。私は、華邨の大首絵を20点ほど所蔵していますが、『初桜』で描かれた鼻や耳のタッチとそっくりなんです。もし彼の筆で、三部作の中の幻の一作だとしたら、これは世紀の大発見です。
『初桜』は、その場で60万円を出し、買い取りました。当時の大学卒の初任給が10万円を少し超えていたくらいです。今だと少なくとも400万円の価値があると思います。仮に400万円積まれても売りませんけど(笑い)。
かれこれ35年もこの画集を秘蔵していたのには理由があります。ひとつは、やはり猥褻物扱いされていたからです。70年代末の時点では、まだアンダーヘアすら解禁されていなかった。枕絵を所持しているとわかると、官憲の捜索を受ける危険すらありました。浮世絵の専門誌ですらボカシは当たり前、所有者のクレジットも「個人蔵」としか記されていませんでした。現在のような世の中が来るとは、想像もしなかった(笑い)。
だけど、枕絵に描かれている男女はまったくの平等、大胆に性を享受しています。AVのように、男が圧倒的優位で、女性を欲望のはけ口としかみなしていないのとは大違い。枕絵には、江戸時代のセックスに対する寛容さが表現されています。
この枕絵が描かれた明治期だって、遊郭や夜這いなどを持ち出すまでもなく、江戸の性意識は根強く息づいていたんじゃないかな。むしろ、性が解放されたようにみえる現代のほうが、よほどセックス観は歪んでいると思います。
※週刊ポスト2013年4月26日号