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黒川博行氏「金の出所が分からない小説だけは書きたくない」

【著者に訊け】黒川博行氏/『落英』/幻冬舎/1890円

〈すばやく、ちあきの腕を見た。注射痕はない。眼も充血していない〉……。

 数か月ぶりに女と会えば、もっと気のきいた目の遣り処がありそうなものだが、それが大阪府警薬物対策課の〈桐尾〉という男らしい。

 3年前にMDMA絡みのガサ入れで出会ったヘルス嬢・ちあきを抱くために、小洒落た店でイタ飯を食い、見たくもないDVDを彼女の部屋で見るのと同じで、もはや職業倫理というより生理だ。日常の所作や欲望まで生業に浸食されるくらいでないと、黒川博行作品の主人公にはなれない。

 話題作『悪果』から6年。待望の新作『落英』では、シャブのガサ入れ先で押収した中国製トカレフを端緒に一世一代の大勝負に出た35歳の巡査部長・桐尾と、相棒〈上坂〉の転落を描く。捜査費を捻出するために現場が手を染めるシノギや、薬対捜査の地味すぎる手順など、徹底してリアリティを追求するのも黒川作品ならでは。とはいえ、今回ばかりはこうも言いたくなる。

〈刑事が極道にチャカを売るて、どういうことや〉!?

 真夏の暑い中、一月近く内偵した売人宅からたまたま拳銃を見つけたことで、93年に和歌山で起きた〈南紀銀行副頭取射殺事件〉の専従捜査に派遣された桐尾と上坂。実は件のトカレフには発射痕があり、これが副頭取殺しの線条痕とほぼ一致したのだ。

 事件は既に時効だが、翌94年に起きた〈三協銀行〉の神戸支店長射殺事件の時効は3か月後。それまでに両事件の関連を洗うのが表向きの名目だが、凶器が出た以上、捜査するだけはしたという〈形〉だ。

 そもそも薬対は銃も殺しも専門外。そこで和歌山南署の元暴対で、副頭取殺しを担当していた定年間近の〈満井〉と組むが、これがクセ者だった。〈お陽さん西々〉―つまり〈仕事はせんでも日は暮れる〉が彼の主義らしく、そのわりには料亭やクラブにも顔がきき、葉巻にパナマ帽にロレックスと、身なりも派手だ。〈この男は汚れている〉と、桐尾は思った。

「潜入捜査には何かと金がかかるから、誰かカネ回りのいい刑事を入れなあかん。最近はカネの出所もなしに行動だけする小説も多いけど、僕は大阪人やからね。コイツ、何で食うてんねん、と思われる小説だけは書きたくないんです」

 強引なやり口で知られた副頭取〈澤口〉には、不良債権処理を巡るトラブルから神戸川坂会系〈北見組〉のヒットマンに消されたとの噂もあり、当時は同様の襲撃事件が頻発してもいた。が、各県警の思惑が交錯する中、府警上層部は「神戸の事件には触るな」と桐尾らに命じる。和歌山県警が手を焼く満井ともども、厄介払いされたも同然だ。

「もちろん本書はフィクションですが、あの頃、バブルの後始末を巡って闇社会や〈マリコン〉(港湾建設大手)の連中が滅茶苦茶やり、裏に政治家が噛んでいたのも、わかり切った話や。

 でも当時どんな金がどう流れ、誰と誰が勢力争いをしていたかという“構造”は、知っておいて損はない。時代はバブルなど忘れ去り、粛々と進んでいくけれど、裏では今も尾を引いていることがあるはずやからな。実際はうやむやにされた事件にも、これは小説だから一応の解決はつけたけど、それでも生き長らえるのが構造だと俺は思う」

※週刊ポスト2013年4月26日号

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