18歳で福島から上京し、墨田区の町工場へ就職。東京で初めて訪れた浴場にて、銭湯絵と運命的な出会いを果たす。
「富士山がワッと目に飛び込んできて、度肝を抜かれた。“すごい、あんな大きな富士山を描いてみたい!”と虜になってね。翌年、銭湯絵師の弟子を募集する三行広告を見つけてパッと飛び込んだ。東京五輪の年だった」
それから半世紀。「人生になくてはならない」と語る富士山が今月、世界文化遺産に登録される見通しだ。待ち望んだ朗報に、「嬉しいよねぇ。末広がりの雄大さ、美しさに他の山は敵わない。世界のエベレストも描いたけれど、やっぱり富士山がいいね!」と、思わず目を細める。
内風呂がない時代、地域の人たちが集う銭湯は格好の広告媒体だった。最盛期には専門の広告代理店が15社あり、広告を出す代わりに、中島氏らお抱え絵師が無料で銭湯絵を描き替えた。
だが、都内の銭湯は昭和43年の2687軒をピークに719軒に。広告は消え、現在は銭湯が自費で絵師に描き替えを依頼する。絵を維持する銭湯は約3割に減り、現役絵師も兄弟子の丸山清人氏(77)と2人きりになった。いまや貴重な文化財だ。
「よぉし、100点だ」と、晴れ晴れした表情で絵を描き上げた中島氏。銭湯は大好きだが、自分が絵を描いた銭湯にはあまり行かないという。
「だって、手直しをしたくなっちゃうから(笑い)。なにせ、富士山は一生ものだからね」
撮影■太田真三
撮影協力■豊宏湯
【住所】東京都練馬区石神井町3-14-8【営業時間】15時半~24時【定休日】木
※週刊ポスト2013年6月7日号