【著者に訊け】モハメド・オマル・アブディン氏/『わが盲想』/ポプラ社/1470円
ちなみに誤植ではない。『わが盲想』の著者モハメド・オマル・アブディン氏(35)は、妄と盲や“闘争”すらかけずにいられないほど〈おやじギャグ〉に魅せられた〈日本語が巧すぎる盲目のスーダン人〉なのだ。
「ただ日本人にはブラック過ぎたのか、特にヒトラーの件は誰もツッコんでくれなくて。そのわりに中身は脱力系なので、落差を普通に笑ってくれたら嬉しい」(アブディン氏)
現在、東京外大大学院で母国の紛争問題を研究する彼は本書を〈音声読み上げソフト〉を使って日本語で書き、19歳で来日して以来、耳や鼻や舌で感じた「日本」を、日本人顔負けの筆力でユーモアたっぷりに綴る。
前書きには〈目で見たことのない日本を、見えない世界でどのように想像してきたかを読者のみなさんと共有したくて書くことにしました〉とあり、その的確さには舌を巻く。何しろ彼には、この世界を見ているようで実は何も見ていない私たちの盲点すら、“見えて”しまうのだから。
生まれつき弱視で、「網膜色素変性症」という病を持つ彼が、視力を失ったのは12歳の時。両親の方針で普通高からスーダンの東大ことハルツーム大学に進み、弁護士を志す中、たまたま日本で鍼灸を学ぶ留学制度の存在を知り、1998年1月、日本語もほとんどできない状態で単身来日を果たす。
現在、東京近郊に妻アワティフさんと日本で生まれた娘たちと住むアブディン氏は、取材場所に現われるなり小腹が減っている模様。ケーキリストを順に読み上げようとすると、「あ、その最初の苺のタルトにします。いろいろ聞いても、迷うだけだからね」と即断。運ばれた一皿にごく自然な仕草で見当をつけ、きれいに平らげてゆく。
「人は初めて食べるものを視覚で7割がた判断するというでしょ? それができない私は感覚を総動員して妄想するしかないんですが、実際美味しかった時の嬉しい誤算は見える人よりずっと大きい。僕がこの世で最もウマいと思うお寿司も最初はドキドキしながら食べて大好物になった。僕は骨格や輪郭が声の響き方でほぼわかるから美人もすぐ見つけちゃうしね(笑い)。そういう見えないからこその楽しみもあるんです」
得意のギャグも〈同音異義語〉の判別を、目では見えない漢字と共に覚える過程で身につけた。スーダンの特徴を〈日本より数段広くて、数段暑い国〉と答える彼は、それらの能力を環境が与えてくれたという。
「スーダンで物理的に読み書きができない環境にいた僕は、受信も発信も一対一のオーラルコミュニケーションに頼るしかなかったので、思考そのものに論理性を欠いていた。それが日本に来て点字や音声読み上げソフトで様々なテキストを読むようになり、自分でも文章を書くことで、考え方自体が変わったんですね。つまり僕は日本に来たおかげで自己表現の手段を得たわけで、自分の努力以前に全てが儲けものなんです。
日本では政治の話をするとすぐドン引きされるけど、せっかくの民主主義なのに美味しい店とか当たり障りのない話ばかりしているのは本当にもったいない。僕はお互い不完全な人間同士、ぶつかってもいいから意見を交換したい。そういう踏み込んだ話もするための緩衝材がダジャレやユーモアなんじゃないかな?」
※週刊ポスト2013年6月28日号