だが、優秀すぎる部下は上司に嫌われるものです。ある日、秀吉は家臣に「自分が死んだら、次に天下を治めるのは誰か」と聞き、家臣らは「徳川だ」「前田だ」と口々に名を挙げましたが、秀吉は「いや官兵衛だ」と言ったといいます。それを伝え聞いた官兵衛は、身の危険を感じ、家督を息子の長政に譲ると、自らは出家して「如水」と名乗り、豊前の自分の城、中津城で隠居生活に入りました。
隠居後もたとえば北条氏との終戦交渉など官兵衛は秀吉に尽くしますが、秀吉の死後は関ヶ原の戦いで一世一代の賭けに出ます。「両軍合わせて16万ともいわれる大一番はそう簡単には終わらない。勝つのは家康だが、疲労困憊しているはず。その間に九州、四国、中国を制して家康と日本一をかけて優勝決定戦をする!」と考えたのでしょう。ところが、関ヶ原の戦いは予想に反して1日で終わり、天下取りの夢は呆気なく潰えました。
官兵衛は、中国大返しでは大きな成果をあげましたが、実は有岡城での幽閉など失敗も多くありましたし、このように運もそう強い方ではありませんでした。信長、家康といった独立勢力のでもなく、小寺というとびきり優秀でもない中間管理職が上にいたために、何をするにもおうかがいを立てねばならない状態にありました。
そんな男でも胸には天下というギラギラした野望を秘めていたのです。このようなどこにでもいる隣のおじさん、完全無欠の孤高の天才ではなかった点に私はたまらない魅力を感じるのです。
もちろん、これは私が思い描いた人物像であって、大河ドラマではまた別の人物像を見せてくれるのでしょうが。
撮影■太田真三
※週刊ポスト2014年1月17日号