「息子が衰弱して動けなくなった。早く助けて…」。林道脇でうずくまっていた女性は、山菜採りのため車で通りかかった男性にこう必死で訴えたという。
女性は秋田県大館市在住の津嶋キサさん(77才)。タケノコ採りのために息子の津嶋政喜(せいき)さん(57才)と山に入り、遭難。秋田県との県境に近い青森県内で発見されたのはその10日後、6月25日の朝8時ごろのことだった。
キサさんと政喜さんが自宅にほど近い大館市の田代岳に入山したのは6月15日のことだった。キサさんが振り返る。
「次の週に親戚が遊びにくるのでタケノコをごちそうしようと思ったんです。息子がちょうど休みだったので、誘って行きました。朝から雨が降って天気は悪かったんですが、その日しかないと思って」
早朝、車で登山口まで行き、そこから歩いて入山。村でも山菜採りのベテランとして知られるキサさんは、みるみるうちに20kg近いタケノコを採った。だが、気づかないうちに奥のほうまで入ってしまったようで、雨が激しくなり、霧も出てきたために、方角を見失ってしまった。毎年入っている山なので「まさか」と思ったが、後の祭りだった。政喜さんが言う。
「川に沿って下りれば車のある場所にたどり着けると思っていましたが、途中、倒れた木などで道がふさがっていて、そうした障害物を避けて沼を越えたり崖を上がったりしているうちに、どの川かわからなくなってしまったんです。杉の木に巻き付けてあるテープを目印にして登ってきたが、その目印も見つからない。重いのでタケノコを捨てて懸命に歩きましたが、道に迷ったまま夜になり、あたりが真っ暗になって。そもそも携帯電話を忘れてきたのが大きな失敗でした」
2人が迷い込んだのは、地元の人たちが「魔の道」と呼ぶ場所だった。竹が密集し、さまざまな山道が入り組んでいることから、足を踏み入れたらほとんどの人は出てこられないといわれていた。キサさんは地下足袋にカッパ、政喜さんは長靴にカッパ姿で、2人とも下に着込んではいたが、容赦なく降りつける雨でびしょ濡れになっていた。
「服が濡れてよけいに寒かった。火をつけようにも、葉も濡れていて火がつかない。仕方なく、息子とふたりで葉が生い茂る場所で身を寄せ、大きな葉をかぶって雨をしのぎました」(キサさん)
翌朝からはその寝床を拠点に、周囲を歩き回った。食べ物はキサさんが採ってきた山菜の「みず」(独特の粘りがありシャキシャキした食感。おひたしや和え物などにして食す)だけ。
「タケノコは、もさもさして口に入らないけど、『みず』は滑るから生でも口にすんなり入った」
とキサさん。飲むのは沢の水だったが、「山では熊の縄張りを邪魔しないように」(政喜さん)と、熊の活動が活発になる明け方と夕方を避け、遭遇しないように気をつけていたという。
救出への希望は絶望へと変わっていった。雨の影響もあって、遭難の後にたき火ができたのは3日目に一度きり。その後は火を使い切ったため、1週間はまったく火のない状態で過ごした。火があれば暖をとり、濡れた服を乾かすこともできるが、それさえかなわなかった。
「夜は寒いので葉を寄せてみたけれど、結局、母と体を寄せ合うしかなかった。熊が来るかもしれないから、10日間、一度も熟睡できませんでした」(政喜さん)
当時、田代岳がある大館市の最低気温は13.9℃。山中の寒さはさらに厳しいため、2人の生存は絶望的と思われた。
遭難から8日目。政喜さんの体力はすでに限界に達していた。近くで木を切るチェーンソー音を耳にしたが、足が痛くてそこまで歩けない。その夜、明かりが遠くに灯っているのが見えたが、政喜さんは体が衰弱し、一歩も動くことができなくなっていた。そこで立ち上がったのが、キサさんだった。
「母が『向こうに人がいるから、助けを求めに行く』と言って、真夜中にひとりで山を降りていったんです。熊に襲われるかもしれないのに…」(政喜さん)
それから発見されるまでの2日間、キサさんはひとりで山の中を歩き続けた。
「途中、沢で足を滑らせて落ちてしまい、その時に肋骨を痛めたようです。でも、『息子のために死ぬわけにはいかない』と必死でした」(キサさん)
やがて林道まで這うようにしてたどり着いたキサさんは、通りがかった車に「助けて~」と懸命に叫び、無事に救出されたのだった。
※女性セブン2014年7月24日号