70年代、日本車の対米輸出が急増し、日米の貿易摩擦は過熱化する一方だった。その解決のため84年、トヨタはGMとの合弁企業「NUMMI」を設立し、初の米国生産に踏み切った。そんな折、いくら日本のトップ企業とはいえ、中国に注ぎ込むヒトもカネもモノも残っていなかった。
より現実的にいえば、「モータリゼーションがいつ起こるのか予想もできない中国よりも、北米を優先させた結果だった」(経済誌記者)。トヨタOBで同社上海主席代表も務めた東和男氏はこう話す。
「中国市場はまだ100万台もいかないような市場だったから、正しい判断でした」
東氏は2011年トヨタを退職し、中小企業を受け入れる工業団地を運営する「東龍日聯(丹陽)企業管理有限公司」を設立している。中国に駐在し、勃興する中国ビジネスに精通している東氏は、当時のトヨタ幹部の決断を尊重しながらもこう言う。
「中国政府のメンツをつぶした代償は大きかった」
トヨタの代わりに進出を果たしたのが、現在中国首位のVWだ。1984年に上海汽車との合弁「上海VW」を設立し、後に中国の国民車とも呼ばれたサンタナを1985年から生産していく。中国のモータリゼーション拡大とともに、VWのシェアは拡大していった。
「最初に来てくれたことで、中国政府からVWへの信用は厚い。中国政府の要求にもたえず応えている」(同前)
ちなみに中国よりも優先させた格好になるNUMMIは、米国市場の飽和とともに2010年、その役目を終え、閉鎖している。
※SAPIO2014年8月号