「立ち回りは昼休み、夕方休みに飯を二十分で食べたら東映剣会(※殺陣師と立ち回りの斬られ役が所属する東映京都の技術集団)の方が五、六人待っていてくれて、一緒に立ち回りの稽古をしてくれました。ありがたい時代に業界に入ったと思います。今はもう、いきなり現場で『やれ』って言われますからね。
最初の頃は『サウスポー剣法』っていうのをやっていました。僕は左利きなんで、右手で立ち回りができなかったんです。それで毎日、右手で稽古をしていました。『霧丸霧がくれ』なんていう映画を観てくれたら分かりますけど、全部左利きで斬っています。その代わり、今は二刀流は楽にできるんですよ。
当時の殺陣師は足立伶二郎という一人しかいなくて、その人が十四班全てを回っているから、そんなに細々とつけてくれないんです。だから、自分たちで考えるしかなかった。
オールスター映画ではスターさんが十人くらい出ていて、僕は末席のペーペーだから自分で手をつけないといけなくて。たとえば、御大(※片岡千恵蔵・市川右太衛門)がカメラ前で僕がバックにいるとします。御大は早くて僕は遅いから、御大が十手やったら僕は六手くらいで合うんですよ。
そういう時は剣会の人たちと一緒に、自分たちで手をつける。そういうシステムでした」
●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)、『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)ほか。
※週刊ポスト2014年8月15・22日号