松方弘樹一覧

【松方弘樹】に関するニュースを集めたページです。

4度のがんに悩まされた女優の仁科亜季子
仁科亜季子が語るがん闘病 抜け毛で取り乱した自分を救った松方弘樹の言葉
 日本人の死因第1位である「がん」。生涯で2人に1人は罹患すると言われる「国民病」だが、医学の進歩により、親が生きているうちに子供ががんになるケースも珍しくなくなった。親の介護と子育てをしながらがんと闘う辛さは想像を絶するが、4度のがんに悩まされた女優の仁科亜季子(69)はどう乗り越えたのだろうか──。 医師の澤野豊明氏(ときわ会常磐病院外科)は「親のことで不安を漏らすのは、女性のがん患者が多い」と言う。「女性の乳がんなどは、まさに介護や子育ての状況により治療の選択を悩むケースが少なくありません。やはり現実としては、介護などで親に関わるのは今も女性なのだと感じます」 老親に心配をかけまいと思いつつも、自分が子育てを担う母であるがゆえに、老親に頼らざるを得ないケースもある。4度のがんに悩まされた女優の仁科亜季子が振り返る。「最初の子宮頸がんが見つかった当時、子育てに忙しく、子供や夫(故・松方弘樹氏)のことを優先していた38歳の時です。子供2人は小学校低学年と小さく、松方さんは家のことは私に任せっきりだったので、留守番をお願いする方に事細かにノートに書き置きをしてから入院と手術に向かいました。その間に子供たちの夏休みがあったので、苗場のサマースクールに預け、東京の両親には参観日に行ってもらうなど要所要所で助けてもらいました」 抗がん剤、手術、放射線と治療が続き、入院期間は4か月に及んだが、「子供たちのところに戻りたい」との一心で乗り越えたという。しかし、再び病魔が迫った。「1988年に松方さんと離婚して2人の子供を引き取り、20年ぶりに女優に復帰しようとした矢先、46歳で胃がんが見つかりました。最初のがんの時より歳をとった両親には心配をかけたくなくて、高校生になった長男に最初に伝えました。 病院が近かったので母はちょくちょく来てくれましたが、父は娘が弱っている姿を見たくなさそうで……。娘のがんを知りシュンと小さくなった父の姿を見た時は『病気になってごめんなさい』と思っていました」(仁科) その後も仁科は55歳で小腸と盲腸、61歳で大腸のS状結腸のがんに罹った。4度のがんを経て、仁科は「がんに罹ったら、家族という存在がどう自分の助けになるか、それぞれ役割分担したらいいのでは」と言う。「例えば最初のがんの時、松方さんは生活面より精神面で助けてくれました。抗がん剤で髪の毛が抜けた時に泣き叫んでわめいたら、『命とどっちが大事なんだ』って怒られました。その言葉で我に返り、冷静になることができました。 当時は松方さんの仕事の関係で京都に住んでいたので、東京の両親は生活面で頼ることはできませんでしたが、10歳下の妹は両面で支えてくれました。そのように、家族の中でも分担して助けてもらうことは大事かと思います」※週刊ポスト2022年5月6・13日号
2022.04.26 16:00
週刊ポスト
石原さとみの人気は高い(時事通信フォト)
ヤクザに聞く「ヤクザ映画のヒロイン演じてほしい女優」石原さとみが大人気
 ヤクザ映画のファンは多いが、リアルを追求するなら“ホンモノ”に頼むのが一番。ヤクザが監督になったら、どんな俳優をキャスティングしたいのか? ライターの鈴木智彦氏が現役組員100人にアンケートを実施。鈴木氏が綴る。【Q1】「監督なら誰をヤクザの情婦にするか?」・1位 石原さとみ 23人・2位 米倉涼子 16人・3位 壇蜜 9人・4位 吉永小百合 8人・4位 橋本環奈 8人・6位 清原伽耶 7人・6位 川口春奈 7人・8位 梶芽衣子 3人・8位 沢尻エリカ 3人・同率10位 それぞれ2人 篠原涼子、内田有紀、永作博美、矢田亜希子、井川遥、松嶋菜々子、菅野美穂、深津絵里 石原さとみはダントツの圧倒的人気だった。「ヤクザは全員好きだと思う。総長の女っぽい感じがすごくする」そうである。米倉涼子が「なんでもしてくれそう。注射器の扱いがうまそう」というのは主役を演じた女医ドラマのせいだろう。 壇蜜は世代問わず人気で「長い懲役でも待っててくれそう」だが、ヤクザたちは最近の激やせを心配している。吉永小百合を推したのは年寄りだろうと決めつけないで欲しい。一番多かったのは40~50代だ。が、橋本環奈を挙げたのはみな若い。単に付き合いたいということらしいが、そうなったら「浮気騒動でヤバい事件が起きそう」と評した組長もいる。 清原伽耶は『おかえりモネ』の主役だし、川口春奈は昨年の大河のヒロインである。ちなみに最近は警察がうるさいので、NHKの受信料を支払っている組事務所が増えている。梶芽衣子は熱烈ファンがいまもいる。 沢尻エリカの「ドラッグとか好きそう」は冗談なのか本気なのか分からない。篠原涼子は「ヤクザの姐さんによくいるタイプ」で、内田有紀は「修羅場でもびびらなそう」で、永作博美は「度胸があって警察ともバチバチにやり合いそう」という理由だった。矢田亜希子の「不良の男が好きそう」はあまり笑えない。 井川遥は「美人なのに男を顔で選ばなそう」で、松嶋菜々子は「とにかく強い男が好きそう」、菅野美穂は「若い衆に気を配ってまとめてくれそう」、深津絵里は「堅気なのに騙されて竿師と結婚しそう」らしい。余計なお世話であろう。【Q2】「本物だと思うヤクザ俳優は?」・1位 高倉健 38人・2位 梅宮辰夫 9人・2位 小林旭 9人・4位 松方弘樹 8人・5位 千葉真一 7人・5位 ビートたけし 7人・7位 哀川翔 5人・8位 菅原文太 3人・9位 小沢仁志 2人・同率10位 それぞれ1人 成田三樹夫、若山富三郎、山口祥行、池部良、勝新太郎、鶴田浩二、白竜、的場浩司、中野英雄、本宮泰風、寺島進、安藤昇 1位の高倉健は、約4割の支持を集めて圧倒的である。「健さんに憧れてヤクザになった」と断言する人も10人程度いた。梅宮辰夫、小林旭、松方弘樹、千葉真一らは東映実録映画の常連で、ヤクザ映画全盛期のスターなので妥当な評価だ。そう映画マニアではないのにビートたけしは評価が高い。本物に伝わる凄味があるのだ。 哀川翔、菅原文太、小沢仁志と、それぞれヤクザ映画やVシネマの帝王も名前が挙がった。健さんに圧倒的大差を付けられ、文太が生きていれば憤ったかもしれない。【プロフィール】鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。雑誌・広告カメラマンを経て、ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。近著に『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館文庫)。※週刊ポスト2021年10月15・22日号
2021.10.13 16:00
週刊ポスト
先日亡くなった宍戸錠さんは数々の名台詞を残した(共同通信社)
宍戸錠さん、梅宮辰夫さんらが演じた「勝負師」の名台詞
 プロ野球の監督や政治家、将棋棋士や雀士など、勝負師たちは忘れられない名言を遺す。映画を見ていると、それはフィクションだと承知していても、生きた言葉としていつまでも心にとどまる言葉がある。惜しまれつつこの世を去った名優たちが演じた「勝負師」の名セリフを、映画評論家の秋本鉄次氏が紹介する。■牛のクソにも段々があるんでぇ宍戸錠『仁義なき戦い 完結篇』(1974年公開)「宍戸錠演じるヤクザの大友が対立組織の組長(松方弘樹)に啖呵を切った台詞。世間から見たら牛のクソのような存在でも段々(序列や階級)が存在するという男を感じる台詞ですね」(秋本氏)■お前もあと2、3分で死ぬ。死ぬ前に好きな歌でも歌え萩原健一『いつかギラギラする日』(1992年公開)「現金強奪後、仲間割れを起こす萩原健一演じるギャングのボスの神崎と角町(木村一八)がナイフによる一騎打ち。神崎が角町の喉を突き刺し浴びせた後の手向けとも取れる言葉」(秋本氏)■俺が最前線を見せてやる! 参謀ども、表に出ろ!梅宮辰夫『大日本帝国』(1982年公開)「サイパン島で組織的な抵抗力を失なって民間人と共にジャングルを彷徨う日本軍の敗残将校がヤケになって酒を酌み交わす中、兵曹の梅宮辰夫がゲキを飛ばして仲間たちと反逆してみせた」(秋本氏)※週刊ポスト2020年2月28日・3月6日号
2020.02.26 07:00
週刊ポスト
渡辺謙は会見で自らを「スキだらけ」とかたった(時事通信フォト)
渡辺謙、川崎麻世、矢口真里… 芸能界不倫騒動15を振り返り
 東出昌大の不倫騒動が波紋を広げているが、芸能人の不倫は長年にわたって週刊誌やワイドショーを賑わせ続けてきた。ここでは、そんな不倫騒動の数々を、振り返ってみる。(順不同)◆妻が離婚の意思を女性誌で決意の告白!(1998年):松方弘樹×仁科亜季子 それぞれ会見を開き、松方は「亜季子が最高の伴侶」と語るも、その後離婚。不倫相手だった元女優は離婚後も松方を支え、最期を看取った。◆鬼嫁が見つめる異例の「妻同伴」会見(1993年):川崎麻世×カイヤ×斉藤由貴 斉藤由貴との不倫報道を釈明する川崎と、鬼の形相で見つめるカイヤ。それぞれ恐妻家、鬼嫁というイメージがついた。2018年から離婚をめぐる裁判が続いている。◆「いまでも愛してる」会見で復縁も再離婚(1985年):山城新伍×花園ひろみ 1985年にOLとの愛人関係が報じられ、別居後離婚したが、山城が会見で「いまでも愛している」と復縁を迫り、1991年に再婚。1999年に再離婚した。◆魔性の女が言い放った「奧さんがいたらだめですか」(1995年):真田広之×手塚理美×葉月里緒奈 不倫報道後、葉月が雑誌で「奧さんがいたら、いけないんですか?」と発言して報道が過熱。真田との関係を解消した1998年に葉月はヘアヌードに。1997年に離婚。◆“鬼嫁に頭が上がらない”キャラの元祖(1982年):峰竜太×海老名美どり 浮気相手のロマンポルノ女優・朝比奈順子との三者会談を済ませた後に夫婦で会見を開き、「もう二度と浮気はしません」と平謝りした。婚姻継続中。◆最期まで揺るがなかったキンキン愛(2007年):愛川欽也×うつみ宮土理 2007年に44歳年下女優との不倫が報じられた。度重なる愛川の女性問題にもうつみは寛容で、「キンキンかっこいい!」と常におしどり夫婦ぶりをアピールした。2015年に死別。◆「不倫は文化」発言で離婚後、恋人とも破局(1996年):石田純一×松原千明 モデル・長谷川理恵との関係が報じられ、「不倫は文化」発言が主婦層を中心に反感を買って石田の仕事が激減。長谷川とは9年の交際を経て破局した。1999年に離婚。◆自著で“暴露”もおしどり夫婦を貫いた(1985年):長門裕之×南田洋子 1985年の自著『洋子へ』で女性遍歴が実名で暴露され、会見で「出版社が捏造した。買わないで」と訴えた。認知症になった南田の介護はその罪滅ぼしだったか。◆妻の闘病中に不倫で娘と絶縁!?(2017年):渡辺謙×南果歩 東出の義父にあたる渡辺は妻のがん闘病中に21歳下のジュエリーデザイナーと不倫し、会見で自身を「スキだらけ」と反省。娘の杏から絶縁されたとも報じられた。2018年に離婚。◆浮気夫の懸命な涙も妻には届かなかった(2004年):大鶴義丹×マルシア 2003年に妻の留守中に女性を自宅に招き入れ、帰宅したマルシアと鉢合わせ。大鶴は「マーちゃんごめんね!」と会見で涙ながらに謝罪するも、離婚(2004年)を回避できなかった。◆“クローゼット不倫”後も愛を貫いた(2013年):中村昌也×矢口真里 自宅で浮気相手との逢瀬の最中に夫が帰宅して不倫騒動となり、矢口は全てのレギュラー番組を降板。同年に離婚し、その後2018年に浮気相手だった男性と再婚した。◆神対応で妻を守った「路線バスの男」(2017年):太川陽介×藤吉久美子 藤吉の不倫報道で太川が会見し、「かみさんだもん、僕は信じる」と神対応。数時間後に藤吉も会見し「彼に守ってもらわないと生きていけない」と号泣した。婚姻継続中。◆人間国宝の妻は“下半身スクープ”にも動じなかった(2002年):中村鴈治郎(現・坂田藤十郎)×扇千景 ホテルで舞妓に下半身を露出する写真を写真週刊誌に撮られたが、坂田は「私が元気だってことを証明してくださって」と余裕。扇も「まったく問題じゃない」と平然としていた。婚姻継続中。◆夫の不徳を許して示した“梨園妻”の覚悟(2016年):中村橋之助(現・芝翫)×三田寛子 芝翫襲名を目前に京都の芸妓との密会が報じられ、橋之助は「私の不徳」と頭を下げた。三田も「家族5人で頑張ります」と答えて乗り切った。婚姻継続中。◆飲酒運転で浮上した不倫疑惑でも平謝り(2006年):中村獅童×竹内結子 酒気帯び運転と信号無視で検挙された際に女優の同乗が発覚。会見では「友人の女性」と説明したが、2年後に竹内と離婚。中村は2015年、竹内は2019年に再婚した。※週刊ポスト2020年2月14日号
2020.02.06 07:00
週刊ポスト
渡哲也、高畑裕太、斉藤由貴… NHK大河降板劇の数々
渡哲也、高畑裕太、斉藤由貴… NHK大河降板劇の数々
 来年の大河ドラマ『麒麟がくる』に準主役級で出演が決まっていた沢尻エリカ(33)が逮捕されたことで、代役探しが大きな注目を集めた。様々な女優の名前が噂されたが、若手の川口春奈(24)に決まり、これから撮影をして1月放送に間に合わせるという。1963年に『花の生涯』が放送されてから、2021年放送予定の『晴天を衝け』で60作を数える大河ドラマを振り返ると、様々な理由で出演俳優が降板した歴史がある。そのなかから、代表的な事例を紹介しよう。●『勝海舟』(1974年) 勝海舟役 渡哲也→松方弘樹 渡は第9話収録時に肋膜炎が発覚し大河の長い歴史上で唯一、主演俳優の降板となった。『勝海舟』では脚本の倉本聰氏もスタッフとの不和で降板しており、スキャンダラスな作品となった。●『太平記』(1991年) 新田義貞役 萩原健一→根津甚八 慢性真珠腫を患い、三半規管の機能を失って直立困難となったショーケン。自身も後に「生涯最大の難病だった」と発言している。●『功名が辻』(2006年) 堀尾吉晴の妻“いと”役 杉田かおる→三原じゅん子 杉田は初回の撮影をドタキャンし、その後「スケジュールの都合」と出演を辞退した。離婚発表後だったため、それが原因とも囁かれた。●『黄金の日日』(1978年) 蜂須賀小六役 室田日出男→役ごと消滅 東映の人気俳優として抜擢された室田だが覚醒剤所持で降板。代役はなかった。しかし、室田はその後1993年の『琉球の風』で大河に復帰した。●『毛利元就』(1997年) 尼子経久役 萬屋錦之介→緒形拳 度重なる闘病を乗り越えて重要キャストに抜擢されるも中咽頭がんが発覚。闘病の末、翌年に死去。●『真田丸』(2016年)真田信政役 高畑裕太→大山真志 大抜擢で母の女優・淳子と親子共演を果たすはずが、強姦致傷の疑いで逮捕(その後不起訴)され、降板となった。●『西郷どん』(2018年) 篤姫の大奥女中・幾島役 斉藤由貴→南野陽子 週刊誌の不倫報道が原因で斉藤側から出演辞退の申し入れがあった。代役のチャンスを得た南野は好演し、女優としての転機となった。●『西郷どん』(2018年) ナレーション 市原悦子→西田敏行 斉藤由貴の出演辞退が発表された2か月後、自己免疫性脊髄炎で休養中の市原の病状が回復しないことを理由にナレーションを辞退。『西郷どん』は放送前に降板が連発した。●『いだてん~東京オリムピック噺』(2019年) 黒坂辛作役 ピエール瀧→三宅弘城 足袋職人の役柄で出演するも、10話放送のタイミングで、コカイン使用の容疑で逮捕。2週後からは代役の三宅に変更。DVD販売用に以前のシーンは全て三宅で再撮影された。●『いだてん~東京オリムピック噺』(2019年) 大松博文監督役 徳井義実→出演シーン縮小 日本女子バレーボールの監督役で出演予定だった徳井の所得隠しが発覚、11月3日放送分では約4分間に出演シーンを縮小した上で、番組冒頭で再編集を伝えるテロップを表示した。※週刊ポスト2019年12月6日号
2019.11.26 11:00
週刊ポスト
脚本家「怒りの降板事件簿」 大河、仁義なき戦い、金八先生
脚本家「怒りの降板事件簿」 大河、仁義なき戦い、金八先生
 来春スタートの朝ドラ『エール』の脚本家(林宏司氏)の降板がNHKから発表(11月5日)され、「異例の事態」と報じられているが、過去には『エール』と同じように、脚本家が降板したケースがある。NHK大河ドラマ『勝海舟』(1974年)の倉本聰氏だ。 主演の渡哲也が病気のために降板し、倉本氏がキャスティングに奔走したが、それが仇になったという。「倉本氏は見事に松方弘樹を口説き落としましたが、NHKのディレクターたちが反発したんです。台本の読み合わせにも参加して緩急や間の取り方を指導する“倉本流”も、『演出の領域に踏み込む行為だ』と受け入れられなかったと、倉本氏が自著で明かしています」(テレビ誌ライター) 菅原文太主演の国民的映画『仁義なき戦い』でも、シリーズ5作目『完結篇』(1974年公開)で脚本家の降板劇があった。「『完結篇』はシリーズ5作目。それまで描かれていた第二次広島抗争は第4部の『頂上作戦』で終焉していましたが、東映はシリーズの大ヒットを受けて続編を決定した。しかし、脚本の笠原和夫氏は『第4部で終わっている』と主張し、脚本の執筆を拒否したのです」(ベテラン映画関係者) ドラマでは、『3年B組金八先生』(TBS系)の脚本を25年間にわたって書き続けた“金八の生みの親”こと小山内美江子氏が、2005年の第7シリーズ途中で降板。当時75歳だった小山内氏の「体調不良」と発表されたが、「小山内氏とTBSの間で、作品の目指すべき方向性に溝が生まれていた」とも報道された。 第7シリーズを機に放送時間が夜10時台に変更されたことについて、小山内氏は制作発表の場で、「正直言って気に入らないとプロデューサーに申しました。中学生が夜中に渋谷で遊んでいるのはおかしいと言いながら、夜10時からドラマを見ろとはいかがなものか」と苦言を呈しており、後にインタビューで「金八はもうやらないほうがいい」とも発言している。 深田恭子主演のドラマ『女はそれを許さない』(2014年、TBS系)は、『君に届け』や『近キョリ恋愛』などの話題映画を手がけてきた映画監督・熊澤尚人氏が演出を担当することで話題になったが、クランクイン直前に熊澤氏が降板。「役柄の設定について深田から変更要請が入り、熊澤氏と衝突した」と報じられている。芸能レポーターの石川敏男氏が語る。「降板劇に共通しているのは、役者と制作陣双方の“こだわりの強さ”ゆえだということです。全力で取り組んでいるからこそ意見がぶつかる。むしろ降板騒動があまり起きなくなった最近のテレビや映画界は健全ではないと思いますね」 ぶつかり合いを乗りこえた先にこそ、良質な作品が生まれるのだろう。※週刊ポスト2019年11月29日号
2019.11.24 16:00
週刊ポスト
テレビ局とジャニーズ事務所の関係はいかに変遷してきたか
テレビ局とジャニーズ事務所の関係はいかに変遷してきたか
 7月17日、民放テレビ局などに対し、SMAPの元メンバーである稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人を出演させないように圧力をかけていた疑いがあるとして、ジャニーズ事務所が公正取引委員会から注意を受けたことが明らかになった。 ジャニーズ側は「弊社がテレビ局に圧力などをかけた事実はなく、公正取引委員会からも独占禁止法違反行為があったとして行政処分や警告を受けたものでもありません。とはいえ、このような当局からの調査を受けたことは重く受け止め、今後は誤解を受けないように留意したいと思います」とコメントを発表した。 はたして、ジャニーズ事務所とテレビ局はどのような関係にあったのか。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の中で、『特別検証:田原俊彦とジャニーズ共演NG説を追う』という項目で詳細な研究をしている芸能研究家の岡野誠氏が考察する(以下、テレビ番組の放送年月日、局は関東地区)。 * * * 今では考えられないが、テレビのワイドショーは1980年代から1990年代前半にかけて、ジャニーズ事務所のトップだった田原俊彦や近藤真彦のプライベートを追い掛け回していた。忖度どころか、遠慮などまるでなかった。 当時を知る人たちからすれば、今回のニュースは隔世の感があるだろう。テレビ局とジャニーズ事務所のパワーバランスは、どう変わっていったのか。 1994年3月1日に独立した田原俊彦を例に考えると、いろいろな事柄が見えてくる。当時の彼の主なテレビ出演を振り返ってみよう。 この年の9月16日、2時間ドラマ『怪談III 牡丹燈篭』(フジテレビ系)に主演。篠ひろ子や内田有紀が名を連ねた10月21日開始の連続ドラマ『半熟卵』(フジテレビ系)にも脇役ながら出演していた。4話では、V6デビュー前の森田剛と絡むシーンもあった。 翌年も、1月4日『世にも奇妙な物語 冬の特別編』(フジテレビ系)でオムニバスの1つ『ブルギさん』に主演した。4月1日には、春の時代劇スペシャル『素浪人 花山大吉』(テレビ朝日系)で松方弘樹に次ぐ2番手で登場。5月1日には、ジャニーズ時代の主演映画『課長島耕作』が21時からTBS系で放送されている。 1987年から7年連続で続いていた連続ドラマ主演は、1994年に途絶えたが、それを独立と結びつけるのは早計である。前年の『愛してるよ!』(テレビ朝日系)は全話平均視聴率9.9%に終わっており、1990年代に入ってから『教師びんびん物語』(フジテレビ系)のようなヒット作に恵まれなかったことが原因の1つと考えられる。 ワイドショーやスポーツ紙、週刊誌にバッシングを受けたことによるイメージの悪化も大きな理由だろう。田原は1993年10月に結婚したが、マスコミの直撃取材に応じず、コメントも出さなかった。今ではSNSやFAXで発表すれば事足りるが、当時は記者会見を開くことを当然のように求められた。連日マスコミに追われていた田原は仕方なく、1994年2月17日に長女誕生会見を行なう。 この時、のちに傲慢と叩かれる「僕くらいビッグになると」という軽い冗談が出た。翌日の朝刊スポーツ紙の見出しに“ビッグ”が1つもなかったように、当初はさほど問題視されていなかったが、時が経つに連れてバッシングが激しくなっていった。 報道を時系列で追うと、メディア側に「独立したから叩いても問題なし」という認識があったように思える。 また、田原は1994年のジャニーズ事務所独立以降、所属タレントと共演NGになったと考えられているが、実は2度、同じ番組に出演している。1994年10月12日放送の『’94夜のヒットスタジオ超豪華!秋スペシャル』で少年隊や光GENJI SUPER 5と、1995年4月5日放送の『’95夜のヒットスタジオ・グレートアーティスト・超豪華!春のスペシャル』(ともにフジテレビ系)でSMAPと同じ画面に映っているのだ。 拙著『田原俊彦論』で、私は2つの番組を取り仕切った渡邉光男プロデューサーに事務所からの圧力の有無を聞いた。すると、こんな答えが返ってきた。〈僕は、あからさまに言われたことはないですね。別にメリーさんもジャニーさんも、僕に何か言ったことはないですよ。『トシが出るなら、ウチのコを出さないよ』なんて言われたことない〉 独立後に唯一、ジャニーズアイドルと共演させた制作サイドに、事務所からの圧力はなかったわけだ。当時はまだ共演NG説など取り上げられていなかったが、2019年7月18日の『スッキリ』(日本テレビ系)で加藤浩次が話したような“大手事務所から独立すると、数年干される”は業界内で周知の事実とされていたはずで、渡邉氏の気概を感じる。◆考えられる2つの理由 一方で、人の言葉を受け止める場合は、背景も知っておかなければならない。渡邉氏は1968年11月の『夜のヒットスタジオ』開始時から同番組に関わっている。当時のジャニーズ事務所は初代グループのジャニーズが1967年に解散し、2代目グループのフォーリーブスがその翌年デビューしたばかり。決して大手事務所とは呼べず、1970年代後半にはスターを生めず、苦境に陥っていた。 その当時から付き合いのある制作スタッフに対して、事務所が何かを言うことは考えづらい。『夜ヒット』は高視聴率番組であり、出演した翌日にはレコードが大量に売れるという現象があった。1980年デビューの田原俊彦、近藤真彦、それ以降のシブがき隊やTHE GOOD Bye、少年隊などのブレイクに大きく貢献していた。 逆にいえば、ジャニーズ事務所が超大手事務所となった1990年代後半以降に入社した局員は、渡邉氏のような関係性を築きづらいだろう。 独立直後1994年、1995年の田原の活動歴を見ると、意外にもテレビ出演しているという印象を受けるかもしれない。だからといって、忖度がなかったとは言い難い。 事実のみを列記してみよう。1993年まで新曲発売時期に『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に必ず出演していたが、1994年以降は一度も登場していない。 田原は1995年10月から『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の金曜レギュラーを務めており、同時期にSMAPの中居正広は木曜、香取慎吾と草なぎ剛は火曜に出演していた。となれば、レギュラー全員集合の『クリスマス特大号』ではどうなるのか。同年12月25日放送のVTRを見ると、やや不自然とも思える形で入れ替わるように登場した。結局、前述の『夜ヒットSP』以来、田原は24年以上もジャニーズ事務所のタレントと共演していない。 そう考えると、テレビ局の“忖度”が始まったのは、おそらく1990年代後半からではないか、と推測される。 主な理由は、2つ考えられる。1つは、1970年代や1980年代に力を持っていた制作者が1990年代後半以降、現場から退いたこと(幹部になるのはごく一部)。もう1つは、1990年代にジャニーズ事務所からデビューしたSMAP(1991年)、TOKIO(1994年)、V6(1995年)、KinKi Kids(1997年)、嵐(1999年)というグループが全て大ブレイクし、田原独立の1994年3月時では考えられないほど、超一大勢力となったこと。 2000年代に入っても、ジャニーズ事務所は人気グループを続々と生み出した。そして、テレビ局のスタッフは“超大手事務所のジャニーズ”しか知らない人ばかりになったのだ。 田原は2009年に私が取材した時、こう述べていた。〈俺に力があれば、オファーはくるんだよ。そうじゃないから、俺の現状がある。それは、認めなきゃいけない。ジャニーズの弊害と言うつもりは一切ない〉(FLASH・2009年7月21日号)「新しい地図」の稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾も不満や愚痴を語らず、新たな分野に挑戦している。だが一方で、今回の報道は、卒業した所属タレントとの共演を実現するチャンスとも考えられる。新しい展開を待ちたい。■文/岡野誠:ライター・芸能研究家。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は3刷に。同書には、〈不透明な投票方法「an・an」「嫌いな男一位・田原俊彦」への疑問〉〈たった一週間で扱い方が急変した「ビッグ発言」〉〈十五分の一に激減したステージに向かう精神力と意地〉などの項目も並んでいる。
2019.07.20 16:00
NEWSポストセブン
松方弘樹 ヤクザから小指送られ裏山に捨てた伝説
松方弘樹 ヤクザから小指送られ裏山に捨てた伝説
 社会ルールにとらわれず、その身を滅ぼしながらも芸に生きた破滅型スターたちが、かつての芸能界には存在した。女絡みの“問題行動”では、松方弘樹(享年74)の右に出る者はいないだろう。「800人斬り、1000人斬りなどといわれますが、晩年に本人は『一生で1000人ではなく、1年に1000人』だと言っていた。新幹線のトイレでファンの女性と行為に及んでしまったことも告白しています。女遊びがすぎて、奥さんだった仁科亜希子さんにパイプカットを命じられたのは有名な話です」(芸能関係者) 遊び方も豪快そのもの。映画のギャラが入ると、出演者やスタッフ、ついてきたファンの飲み代まで全部面倒をみた。プロインタビュアーの吉田豪氏が語る。「裏表なくあけすけに話す人でした。『ヤクザから小指が送られてきて、始末に困って裏の山に捨てた』とかね(笑い)。原稿に載せられないような話もたくさんしてくれました」 マグロ釣りなど趣味にも惜しみなく金を使い、2017年に他界した時には、資産はほぼゼロ。亡くなる前には、「俺は何も遺さないけど、記憶に残る役者になりたかった。それが勲章だ」と話していたという。 吉田氏がもう一人名前を挙げたのは長門裕之(享年77・2011年没)だ。「1985年に出した暴露本『洋子へ』は、僕にとってタレント本の生涯ベスト1です。おしどり夫婦と呼ばれていた長門さんが、愛妻の南田洋子さんに何を伝えるのかと思ったら、夥しい女遊び遍歴と芸能人へのタブーなしの直言だらけ。本人に取材したら、『酒を飲みながら話したことが原稿チェックなしで本になった』って。懲りずに『吉田さん、もういっぺん暴露本みたいなの出そうよ!』と楽しげに話していました」(吉田氏)※週刊ポスト2019年4月19日号
2019.04.12 16:00
週刊ポスト
亡くなる前日、救急車がマンションに……
萩原健一、「傷天」「太陽」以外でも見せた凄みとこだわり
 多くの人に驚きと悲しみが広がっている萩原健一さんの訃報。さまざまなニュースで彼の人生が特集されているが、これまで彼を何度も取材してきたコラムニストのペリー荻野さんはショーケンの“もう1つのキャリア”について綴る。 * * * 萩原健一さんが亡くなった。68歳。早すぎる旅立ちは衝撃的だったし、本当に残念である。 波乱も多かった生涯については、ワイドショーでもいろいろと取り上げられたが、そのほとんどは、16歳でのデビュー後、俳優として注目された『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事や『傷だらけの天使』についてと、結婚や離婚、さらには事件・事故関係などについてだった。しかし、私個人は、かつてインタビューした印象や実績と、訃報とともに報じられた「萩原健一」のキャリアはかなり違うと感じている。 萩原さんは、おそらく、『太陽にほえろ!』や『傷だらけの天使』については、「聞かれ飽きていた」のだと思う。確かに、負傷した競輪選手の再生の物語である『祭りばやしが聞こえる』(1977年)、厄年の課長が栄転したはずなのにケガやいろいろなトラブルに巻き込まれる『課長サンの厄年』(1993年)、 妻を亡くした腕のいい医師役だった『外科医柊又三郎』(1995年)、など、ドラマだけでも、いい作品がたくさんある。中でもコミカルな場面が多かった「課長サン」はお気に入りの作品だったようで、めったに映らない小道具の鉛筆にもわざわざ課長の会社の名前を入れたスタッフのこだわりと熱意に感激したと、とてもいい笑顔だったことを覚えている。 どの作品に対してもこだわりはとても強く、監督とのつながりも深い。私は『傷だらけの天使』の演出をした神代辰巳、深作欣二など名監督たちに参加要請したのは、萩原さんだったと聞いたこともある。一方で、「どうしても君で撮りたい」と名匠の作品に出たものの、うまくいかず、苦痛だったという話も聞いた。多くの監督が「撮りたい」男だったのだ。 近年の作品では、NHKの『不惑のスクラム』がとてもよかった。中高年のラグビーチーム創設者にして68歳の最高齢メンバー、大手商社の元常務の宇多津(萩原)は、犯罪歴があるためにいつも下を向くメンバー丸川(高橋克典)に「焦ることないですよ」と優しく語りかける。自分は老いぼれだが、それでも自分がいたからパスがつながり、トライに結びつくこともある。誰一人として不要な人はいないと言う。この言葉で死のうとしていた丸川は救われるが、不治の病に侵されていた宇多津は世を去る。 思えば、このドラマの撮影時、萩原さんも闘病していたはずだが、背番号1番をつけて堂々とグラウンドを走っていたのである。その姿が、萩原さんご本人と被ってしまう。 あまり語られないが、「大河ドラマ」でも印象的な存在だった。個人的にシビれたのは1974年の『勝海舟』の岡田以蔵役だ。土佐の人斬り以蔵(萩原さん)は、武市半平太から勝麟太郎(海舟・松方弘樹)暗殺を命じられても、その人柄に感銘を受け、彼を守る。後に捕えられた以蔵は護送中、駆けつけた麟太郎を見ても「この人はいったいどこの人ぜよ」と罪人の自分とは無関係だと恩人を振り切るのである。以蔵の哀しみを全身から発した萩原さんには、凄みがあった。 萩原さんは、今年の大河『いだてん』にも25話から高橋是清役で出演している。最後の出演作でどんな「こだわり」を見せているのか。見届けずにはいられない。
2019.04.03 07:00
NEWSポストセブン
故・松方弘樹さん、お墓参りは「許諾制」 仁科家との因縁も
故・松方弘樹さん、お墓参りは「許諾制」 仁科家との因縁も
 京都郊外の豊かな自然に囲まれた大きな霊園。その一角に名優・松方弘樹さん(享年74)の眠る墓がある。 2017年1月21日に他界してから2年──松方さんの知人がまもなく三回忌を迎える墓前に参るため霊園を訪ねると、「ご遺族の許可がないと、場所はお教えできません」と断られたという。「場所を聞いただけでお墓参りを断られたので、驚きました。ただお花をお供えしたかっただけなのですが…。あまりに不可解だったので理由を問うと、松方さんの息子さんの仁科克基さん(36才)がお参りに来て、お墓の写真をSNSで出してから、こういう状態になってしまったというんです。どうも、松方さんの親しいかたがたが怒ってしまったのだとか…」(松方さんの知人) 松方さんは最初の結婚で3人の子供に恵まれたが、仁科亜季子(65才)と不倫の末、結婚。克基と仁美(34才)が生まれた。 しかし、1991年に元女優の山本万里子(46才)と出会い不倫関係になると、1999年に仁科と離婚している。「松方さんとしては仁科さんに不倫の代償として相当のケアをしたつもりだったようですが、仁科さんの公の言動によって、山本さんは世間から激しいバッシングを受けました。松方さんもさすがにその仁科さんのやり方に異議を唱えていた。離婚成立後はもう絶縁状態で、仁科さんとも子供たちとも関係が切れてしまった」(芸能関係者) その後も松方さんの闘病を支え、最期を看取ったのは山本だった。「内縁の妻として20年近く松方さんを支えてきた山本さんと、松方さんの実家の目黒家の関係は良好です。晩年は決して裕福とはいえない暮らしぶりでしたが、山本さんがひとりで献身的に支えていました。松方さんが危篤の際、克基さんが病院を訪ねても面会を断ったとも聞きましたが、いろいろあったんでしょう。松方さんの密葬には仁科家はいませんでしたが、山本さんは列席しています」(前出・松方さんの知人) その克基が松方さんの墓参りをしたとブログで報告したのは2017年6月のことだった。《ホンマに整理がつかなくて。やっと来れたし。やっと行けた。ゴメン》と綴り、目黒家の墓石をアップで掲載した。「克基さんは、お花も何も供えていないままの墓石の写真を紹介しただけ。しかもそのお墓は松方さんひとりが入っているわけではなく、目黒家のもの。少し配慮が足りなかったかもしれない。それに松方さんの実家サイドとしては父親が大変な時にはそっぽを向いていたのに、今になって“家族アピール”しているように見えて、違和感が拭えないようです。 以来、“故人を静かに偲びたい”と墓参りが“許諾制”に。お墓の場所がわからない人は、墓地の管理者に山本さんや目黒家の人とのやり取りを見せたり伝えたりしているようです」(目黒家の知人) 松方さんの一周忌も仁科家は出席していないという。克基に話を聞いた。「三回忌に出席する予定はないです。自分たちが行くことによってご迷惑がかかると思うので…。あちらとは全く連絡をとっていません。怒っているというのは聞いていませんが、もしそうなら、ブログも削除します」 現在墓守を務める最初の妻との長男・大樹氏に問い合わせると、代理人が答えた。「生前、松方さんからいろいろ聞いていたようで、仁科家とあまり関係はよろしくない。しかし(克基にとっても)実の父親ですから、墓参りはどうぞご自由にという気持ちです。ブログにあげたのも、芸能活動の一貫でしょうし、それは目黒も理解しています」 因縁はどこまで続くのか。※女性セブン2019年1月31日号
2019.01.17 07:00
女性セブン
梅宮辰夫「芸能界に未練なし」 3億円自宅売却と引退の決意
梅宮辰夫「芸能界に未練なし」 3億円自宅売却と引退の決意
 菅原文太、松方弘樹、渡瀬恒彦と昭和の名優たちがこの数年の間に相次いで世を去るなか、彼ら“銀幕スター”と様々な作品で共演してきた梅宮辰夫(80)も映画やテレビの舞台から距離を置き始めている。『不良番長』や『仁義なき戦い』シリーズを筆頭に、戦後の日本映画を牽引してきた梅宮だが、2011年の『明日泣く』を最後にスクリーンから離れ、今年5月のバラエティ番組以来、テレビ出演もない。近況について、芸能関係者が語る。「東京から完全に撤退してしまったんです。3億円ともいわれた都内の自宅を5月に売却し、奧さんのクラウディアさんと一緒に、神奈川県内の海沿いの温泉地にある別荘に生活拠点を移しています。たまに娘のアンナさんも来るみたいですね。30年以上住んだ自宅を手放すことについては、“無駄に大きな荷物を持っていても仕方ない”と話していました。腰痛が悪化して長い距離を歩くのは辛く、最近は歩行補助器に頼ることも多いと聞きました」 2016年7月に十二指腸がんを患い、患部に加え胆嚢と膵臓、胃の一部を切除したことを告白。12時間に及ぶ手術で、術後は体重が10キロ以上も落ちたというが、それ以降は残りの人生を見つめ直す時間になったという。親交のある映画関係者が語る。「戦友ともいえる俳優仲間が次々に亡くなっていくなかで、最近の梅宮さんには“引退”の二文字が頭にちらついていたようです。“芸能界に未練はない”と話していました。自宅を手放したのと芸能活動がなくなったのが同じタイミングだったのも気になります」 親友の松方が亡くなった時をはじめ昭和の名優が亡くなるたびに、梅宮はコメントを求められてきたが、近年は「俺自身がもう長くない」と口にしていた。〈僕が死んだ時に誰が取材を受けるのかと考えるとね。同時代を生きて、僕について語れる人はもういない。(中略)これだけ周りが次々に逝ってしまうと、むしろ僕だけが長生きしすぎているんじゃないかと思う〉(『新潮45』2017年6月号) 梅宮の近況について、所属事務所はこう話した。「東京の自宅売却は事実です。もともと海の見える場所で過ごしたいという希望を持っていましたからね。仕事や引退については本人が決めることですが、この年になって、無理してテレビに出演する必要もないでしょう。いまは夫婦で静かに暮らしています」 銀幕やテレビで“辰兄”の姿は、もう見られないのか──。※週刊ポスト2018年10月12・19日号
2018.10.01 16:00
週刊ポスト
半世紀経ても眠狂四郎を演じられる田村正和の底力
半世紀経ても眠狂四郎を演じられる田村正和の底力
 これまで幾度となく映画やテレビでシリーズ化され、何人もの名俳優たちが演じてきた眠狂四郎。このほど、ドラマスペシャル『眠狂四郎 TheFinal』(フジテレビ系)で半世紀ぶりにこの役を演じるのは田村正和(74才)だ。これだけ長い年月を経ても、田村が同じ役を演じられるのはなぜか。“田村版眠狂四郎”について時代劇研究家でコラムニストのペリー荻野さんが解説する。 * * * 今年は時代劇に関してあっと驚くニュースが多いが、2月17日土曜日に放送される田村正和主演『眠狂四郎 TheFinal』もそのひとつだ。なんたって、田村正和がこの役で初めて主演したのは、1972年。札幌で冬季オリンピックが開催され、上野動物園に初来日したパンダが大人気となった年…というと、なんだか今年と共通点があるような気もするが、とにかく半世紀近くも前なのである。ひとりの俳優がこれほど長く当たり役を演じ続けるというのは、日本のテレビ界ではほとんど例がない。 この役は、映画では松方弘樹、鶴田浩二、市川雷蔵と昭和の名優が演じ、ドラマでも江見俊太郎、平幹二朗、片岡孝夫(現在の仁左衛門)、GACKTが演じているので、ご存知の方も多いと思うが、とにかくこの「眠狂四郎」という男は、異色の時代劇ヒーローである。 そのポイントはふたつ。ひとつは、転びバテレンのオランダ人宣教師と大目付の娘との間に生まれたという出生の秘密を抱え、虚無の中に生きる孤高の剣士であること。目立たないように生きているのに、赤味がかった髪と憂いを帯びたその美貌はやたら人目を惹く。 狂四郎がイケメン好きの女子に誘惑されたり、抱きつかれたりするのは日常茶飯事。1970年代の夜のドラマには、セクシー女優も多く出ていたので、お子様だったペリーも当時のお色気シーンをドキドキしつつ見ていたものだ。 そんな積極的な女たちに対して、狂四郎の態度は「Sですか!?」と言いたいほど、いたってクール。「地獄へ墜ちてもかまわんと?」なんてことを平気で言うのだが、それが田村正和にぴったりくるのだった。 もうひとつのポイントは、狂四郎が独自の必殺剣「円月殺法」を使うこと。狂四郎が下段の構えから妖刀無想正宗をくるりと一周させながら相手を幻惑、見た者は必ず死ぬ。光る刀がキラキラと軌跡を描く円月殺法は、眠狂四郎ならではの幻想的なシーンである。 今回のファイナルでは、ある事件をきっかけに江戸に戻った狂四郎(田村)が、自分と同じ髪色をし、「父上」と呼ぶ娘・操(吉岡里帆)と出会う。その後、謎めいた妖術と円月殺法を遣う加賀美耀蔵(椎名桔平)の存在を知った狂四郎は、運命に導かれるように自らの過去と向き合うことになる。 吉岡は、時代劇初出演。京都生まれで時代劇出演をずっと願っていたという。また、円月殺法のシーンは撮影に3日間かけ、田村本人が「大変なスケールになる」と語っている。思えば、田村正和はフジテレビと縁が深い主役だ。1970年代には『眠狂四郎』、1980年代には、『番町皿屋敷』『髑髏検校』など怪談時代劇に出演する一方、『ニューヨーク恋物語』をヒットさせている。怪談とラブストーリーの両方で主役をできるのも田村正和ならではだ。さらに1990年代には『古畑任三郎』シリーズで高視聴率を獲得。2000年代にも『さよなら、小津先生』に出演。すべて主演だ。 今回は自らのキャリアの締めくくりを考えて、この作品を選んだという。仕事のときには朝四時起床(!)で夜間撮影は苦手と語っていた田村正和が、夜型ヒーロー狂四郎でフジテレビのドラマに、時代劇にどんな足跡を記すか。見なきゃ、円月殺法!
2018.02.14 07:00
NEWSポストセブン
追悼2017 松方弘樹さん他、男性芸能人・選手たち
追悼2017 松方弘樹さん他、男性芸能人・選手たち
 2017年を振り返れば、多くの人が旅立った。彼らの活躍や生き様は、私たちの目に、心にしっかりと刻まれている。今年、惜しくも世を去った男性芸能人、そしてスポーツ選手たちを紹介する。●渡瀬恒彦さん(俳優、享年72) 映画『殺し屋人別帳』(1970年)で銀幕デビュー。映画『事件』やドラマ『十津川警部シリーズ』(TBS系)、『おみやさん』(テレビ朝日系)などに出演しスターダムに。俳優・渡哲也は実兄。2015年に胆のうがんが発覚、通院しながら仕事に打ち込んだが今年3月14日に没した。●藤村俊二さん(タレント、享年82) テレビ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ系)出演で脚光を浴び、『8時だョ! 全員集合』(同)では振付を担当。いつの間にか「ひょい」といなくなるので「おヒョイさん」と呼ばれ親しまれた。2015年に小脳出血で倒れた後、今年1月25日、心不全で死去。●平尾昌晃さん(作曲家、享年79) 1958年の歌手デビュー後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎とともに「ロカビリー三人男」として一世を風靡。1966年に作曲家に転身、『瀬戸の花嫁』『霧の摩周湖』など数々のヒット曲を手がけた。2年前に肺がんを発症後、入退院を繰り返したが、今年7月21日に帰らぬ人となった。●砂川啓介さん(俳優・司会者、享年80) 1961年に『うたのえほん』(NHK)での初代「体操のおにいさん」で子供たちの人気者になり、以後、俳優、司会者としても活躍。妻はドラえもんの声優で知られる大山のぶ代(写真右)。認知症を患う妻を介護していた最中の7月11日、尿管がんにより没した。●かまやつひろしさん(ミュージシャン、享年78) ザ・スパイダースのメンバーである一方、『あの時君は若かった』『いつまでもどこまでも』『バン・バン・バン』など作曲も担当。解散後も吉田拓郎作詞作曲の『我が良き友よ』が大ヒット。父はジャズシンガーのティーブ釜萢、歌手・森山良子は従妹。3月1日、膵臓がんにより没した。●森慎二さん(元プロ野球選手、享年42) 1997年にドラフト2位で西武に入団。2002年、2003年には最優秀中継ぎ投手に選ばれた。2005年に渡米しデビルレイズに入団。退団後、独立リーグの監督などを経て2015年から西武の投手コーチに就任した。通算44勝44敗50セーブ。6月28日、壊死性筋膜炎によって死去。●神山繁さん(俳優、享年87) 文芸座で演出助手から俳優に転身。1965年ドラマ『ザ・ガードマン』(TBS系)で広く知られるようになり、映画『ブラック・レイン』(1989年)、『沈まぬ太陽』(2009年)などに出演。1月3日、肺炎で死去。「葬式無用、戒名不要」の遺志により、葬儀・告別式は行なわれなかった。●松方弘樹さん(俳優、享年74) 父は俳優・近衛十四郎、母は女優・水川八重子。映画『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』(1960年)で主演デビュー後、任侠映画や時代劇を中心に活躍。代表作は『仁義なき戦い』(1973年)ほか多数。大の釣り好きとして知られた。1月21日、脳リンパ腫のため死去。※週刊ポスト2017年12月22日号
2017.12.15 16:00
週刊ポスト
『全員死刑』監督 ありきたりな不良もの映画には嫌悪がある
『全員死刑』監督 ありきたりな不良もの映画には嫌悪がある
『全員死刑』(11月18日公開、主演・間宮祥太朗)で商業デビューを飾る小林勇貴監督が映画を撮り始めたのは、約4年前のこと。当初はコンパクトカメラの動画機能を使用して映画を撮っていた小林監督は、グラフィックデザインの専門学校は卒業していたが、映像や映画の学校に通ったことはなかった。むさぼるように映画を観て、本を読み、がむしゃらに撮影して映画監督になるまでを聞いた。 * * *──デザイン会社に勤めながら、映画制作を始めたそうですね。小林勇貴(以下、小林):『NIGHT SAFARI』(2014年)は会社勤めしながら撮影していたので、土曜の朝、始発で静岡に帰り、夜に撮影をして日曜日に東京に戻るスケジュールでした。夜しか撮れないので映画も全編、夜の作品でした。そのまま会社勤めしながら撮り続けていくのかなと思っていたのですが、いろいろなことが重なって、映画を仕事にしていこうと会社を辞めました。──映画で賞をとったことがきっかけだったのでしょうか?小林:2013年から映画を撮り始め、2014年に撮った『Super Tandem』と『NIGHT SAFARI』で、それぞれ世界最大級の自主映画祭「ぴあフィルムフェスティバル」で入選、カナザワ映画祭でグランプリをもらいました。もし、どちらか一作だけが受賞したのであれば、たまたまなのかなと思ったかもしれない。でも、別々の作品が認められた。これは面白いんじゃないかなと思って撮った映画が、次々、面白かったよと返してもらえた。確かに映画賞受賞は、いつか映画を仕事にできるようにしたいなと考えるきっかけになりました。──仕事との両立は問題なかったんでしょうか?小林:当時はできているつもりでしたが、仕事と映画、両立できていなかったんだろうなあ。自主制作の映画が評価されて学生時代の憧れの人たち、西村喜廣監督、ライターの鈴木智彦さん、『映画秘宝』の田野辺尚人さんなどに映画祭で直接、顔を合わせたり話をしたり、食事をしにいって映画を褒めてもらうなどしていると、仕事と映画と、どちらが現実なのかだんだんわからなくなり、混濁した状態で会社に出ていました。──仕事との切り替えが難しそうですね。小林:基本的に会社で働く人でいなければならないのに、土日に映画を撮ることばかり考える人になっちゃってるんです。会社のPCでAdobe Illustratorの画面を出しつつ、片隅に小さくテキストエディットを立ち上げて脚本を書いていました。でも、バレバレです。だって、仕事で使うのは描画ソフトなのに、キーボードばかり叩いているんですから(笑)──当時、睡眠時間はどのくらいだったのですか?小林:仕事に映画の準備、脚本書きをしつつ、一日に3、4本の映画を見る生活だったので、寝ていなかったですね。でも、楽しくて仕方なかったです。終電帰りが当たり前の職場でしたが、それで何か浸食される必要があるかと毎日、意地になって映画を観ていました。勤務地が幡ヶ谷だったので、京王新線一本で新宿に出て降りて、新宿TSUTAYAに駆け込んで映画を借りる生活でした。──どんな作品をよく借りていたのですか?小林:東映の実録ヤクザ映画やバイオレンスもの、ホラー映画や、好きな監督の作品、これは必修だろうと言われるヌーベルバーグ作品なども観ました。当時の新宿TSUTAYAは、珍しい作品も必ず見つかる在庫豊富な店でした。古いVシネマや一般には忘れられているような映画も置いてあって、レンタル屋だとそれを借りている人がいるのが分かる。見知らぬ人間との妙な友情が芽生えた気分になりました。その生活のおかげで『脱獄広島殺人囚』(中島貞夫監督、1974年)という大傑作にも出会えました。──殺人罪で日本最長の41年7か月の刑を受け、7回も脱獄した実在の人物をモデルにした主人公を、松方弘樹さんが演じた東映実録シリーズのひとつですね。脱獄の末に何度捕まっても、まったく意気消沈しないバイタリティあふれる脱獄囚が公開当時、大人気でした。小林:懲役が増えるごとに元気になっていくんです。ああいう、エネルギーがあるもの大好きなんですよ。──最近は不良やそのグループを主人公にした映画も増えていますが、そういったものはあまり観なかったのですか?小林:観ないことはないですが、普通の映画にありがちな”やられ役”の不良や、悪いから殴られてやられる、という類型的な描かれ方にものすごく嫌悪があります。また、不良だからかっこよくて、なんでも赦されるようなイメージもイヤですね。その、自分の中にある嫌悪をどうにかするために、本物の不良の話を聞いてみたいと思いました。どういう考え方をしていて、どんなことに怒り、何について笑うのかといった本当の姿を一通り知りたくて。そしていざ、実際に話を聞いてみると、思いのほか面白い話をたくさん聞けてしまったので、それを映画にしたくて作ったのが『孤高の遠吠』(2015年)などの自主映画でした。──映画制作だけでなく取材や社会運動など、自分と異なるコミュニティと接触する場合、全般的に言えることだと思うのですが、対象と近くなりすぎると本来の仕事が難しくなることがあります。その距離感については、どのように考えているのでしょう?小林:映画を撮るときの対象とのポジションのとり方については、『全員死刑』という映画を撮る前から、その原作本での描かれ方を参考にしています。(※『全員死刑』原作は、2010年11月刊行の書籍『我が一家全員死刑』が最初の単行本化) 書籍では死刑囚本人による手記のパートと、原作者の鈴木智彦さんによる事件の解説をするパートに分かれています。手記のパートはスピード感と熱が凄くある。それに対して、鈴木さんのパートは冷静なポジションを保っています。その結果、書籍全体が敵にもならず味方にもならず、起きた事実には最後まで付き合う話になっていると思うんです。この、鈴木さんによる語りのポジションどりがすごく好きなんです。不良の映画を撮ろうと取材をしたとき、一番よい距離はこの『全員死刑』における鈴木さんの位置だなと思いました。──ヤクザなどアウトロー関連を専門に取材、執筆している普段の鈴木さんの普段の文章と『全員死刑』は雰囲気が違いますね。小林:たぶん、鈴木さんの本で唯一『全員死刑』だけが、近すぎないポジションから書かれていると思います。というのも、ふだんの鈴木さんは、ヤクザとかなり親密な状態になってから取材をする。それは親密な距離感だからこそできることがあるからです。ところが、『全員死刑』の死刑囚には親密さがない。仲良くなるような暇も何もない仕事だったから、ということもあると思いますが、そもそも鈴木智彦さんは、取材対象者に対してその熱をみながら、冷静に一番の正確さを探す作家だったなと思い出させられるんです。カッコいいですよね。──あまり不良の文化とはかかわらない十代を過ごしたのですか?小林:友だちのなかにも不良は普通にいました。通っていた学校は、不良も内気でおとなしい子も、みんなが分け隔てなくごちゃごちゃに遊ぶのが当たり前のところでした。だから、不良がトラブル起こしても、巻き込まれないようにさっさと逃げたり、それなりの距離感でつきあいを続けていました。映画を作ろうと彼らの話を聞く上で知りたかったのは、あのとき、トラブルから逃げなかったら何が見えたのかということでした。──どんな見知らぬ風景が見えたのでしょうか?小林:まず、不良のヒエラルキーが絶対であることに驚かされました。不良ではない自分たちが知らないとき、怖い先輩に呼び出されて理不尽な理由でこてんぱんにやられたという話をいくつも聞きました。そういう話を聞いたとき、すごい憎悪がわき上がりました。権力みたいなもの、人を押さえつける圧に対してのものすごい怒りがあります。不良でなくても、今は小さい頃から圧をかけられて、考えていることがゆがめられることがすごく多いと思うんですよ。自由だと言われるネットですらリンチが起きる。そういった押さえつけるものへの抵抗は、いつも意識しています。●こばやし・ゆうき/1990年9月30日生まれ、静岡県富士宮市出身。東京デザイン専門学校グラフィックデザイン科卒業。『Super Tandem』(2014年)で第36回PFF入選、『NIGHT SAFARI』(2014年)でカナザワ映画祭グランプリ。『孤高の遠吠』(2015年)で第26回(2016)ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター・コンペティション部門グランプリ。2017年は『逆徒』、商業デビュー作品となる『全員死刑』(2017年11月18日公開)、さらにもう一作品の公開が控えている。取材に基づいたリアリティある暴力描写に注目が集まり、いまもっとも商業デビューを待たれていた若手監督のひとり。◆取材・構成/横森綾
2017.11.04 16:00
NEWSポストセブン
出演した『関ヶ原』
時代劇でジャニーズが活躍 理由は若い頃からの経験と身体能力
 ジャニーズのアイドルたちが活躍するのは恋愛ドラマやバラエティーばかりではない。最近、注目の時代劇でも多くのタレントが活躍しているのだ。彼らが時代劇で起用されるのはなぜか? コラムニストで時代家研究家のペリー荻野さんが解説する。 * * * そんなわけで、いよいよ登場する松岡昌宏の『名奉行! 遠山の金四郎』。若気の至りで背中に桜吹雪の彫り物を入れちゃったりした旗本遠山金四郎(実在)が、北町奉行に就任。ふだんは遊び人の町人「金さん」として江戸で事件を探り、お白洲では見事な名裁きを見せるというストーリー。 これまで中村梅之助、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹、西郷輝彦、里見浩太朗など名優が演じてきた、この主人公がTBSに登場するのは実に23年ぶりだ。  今回、金さんは元カノ(稲森いずみ)と再会。なんと彼女は「女ねずみ小僧」なのだ。松岡・稲森といえば『怪物くん』では、悪魔界の名コンビだったが、ここでは盗人と奉行。どうする金さん!? 先年、私はラジオ番組で『次の金さんは松岡』と妄想キャスティングをしていた。なぜ、そんなことを言い出したかといえば、松岡本人が時代劇を大好きだと知っていたからだ。聞けば、数々の時代劇を再放送でチェック。1970年代の梅之助版はじめ、歴代金さんも楽しみにしていたという。 思えば、今年は東山紀之の新春スペシャル『大岡越前』で年が明け、松岡の金さん、映画では岡田准一の『関ヶ原』がヒットしている。なぜ、ジャニーズタレントは時代劇で活躍できるのか。 最大の理由は若いころから着実に経験を積んできていることだろう。ぽっと出じゃないのである。ジャニーズと時代劇の歴史は古い。1972年には当時、ジャニーズ事務所所属でデビューしたばかりの郷ひろみが大河ドラマ『新・平家物語』に出演しているし、元SMAPの香取慎吾も中居正広も、若侍役で1992年に村上弘明主演のNHK『腕に覚えあり』に出ている。 まだ十代だった香取はそこでいきなり下帯姿になる場面があり、衝撃だったとバラエティー番組で語っていた。そんな経験を経て、大河ドラマ『新選組!』では堂々の主役を務めたのだ。ブレイクする前、時間がたっぷりある新人にとって、大御所主演の作品で時代劇のイロハを学ぶのは、とてもいい機会。監督や製作者とのよき出会いもある。東山紀之も松岡も若き日に共演した時代劇スター松方弘樹を師と仰ぎ、指導を受けた身だ。 もうひとつ、彼らが時代劇で歓迎されるのは、殺陣に欠かせない身体能力やリズム感があること。歌と踊りの経験豊富な彼らは、動きを覚えるのがとても早く、スピードもある。私は殺陣師の先生が「何も教えることがない」と絶賛しているのを聞いたことがある。 そうした基礎能力に武術をプラスしているのが、岡田准一だろう。『関ヶ原』で岡田演じる石田三成は馬で疾走し、歩きながら矢を放ち、雄たけびを上げる。官僚的で嫌味な人物として描かれることの多かった三成だけに、こんな武闘派三成にはびっくりだ。岡田は次作に剣の遣い手に扮した映画『散り椿』がある。途切れることなくチョンマゲ姿になっているのもすごい。 まだまだ続くジャニーズ俳優の時代劇。16才で時代劇デビューした松岡は、京都の現場でスタッフに「お帰りなさい」と迎えられたという。金さんの横には、事務所後輩の神山智洋も新米同心役で出演。こうしてジャニーズ時代劇俳優の系譜は脈々と受け継がれていくのだ。
2017.09.20 07:00
NEWSポストセブン

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