そして昭和四十七年五月の沖縄返還前後から、尖閣列島はまさに「そこに石油がある」ことによって、韓国、台湾そして中国との熾烈な奪い合いが開始された。この本の他の「島々」もそうであるが、作家は書物による知識だけでなく、「出かけて行って実際に島を見る」ことが大切であるとし、運輸省の海上保安庁広報室を訪れ、ヘリコプターで魚釣島上空まで飛行する。そしてこの島嶼の由来について改めて考える。
中国政府が昭和四十六年に領有権を主張したことに悪乗りして、荒畑寒村、井上清、羽仁五郎ら「進歩的文化人」が、「尖閣諸島は日清戦争で日本が強奪したもので、歴史的に中国固有の領土だ。われわれは日本帝国主義の侵略を是認できない」と記者会見で声明を行なったことにふれながら、尖閣の領有権について日清戦争以前から日本人が住みついていたという事実を明記している。
領土や領海というものを、その歴史と自然条件から冷静に客観的に知ることが大事であり、それを自らの眼で直に感じることこそ作家の仕事であるという有吉の強い信念がうかがえる。
羽仁五郎のように堂々と「中国政府のお先棒を担ぐ」「進歩的知識人」はさすがに表立っては少なくなったが、原発問題や防衛・領土問題をめぐって、冷静な客観的議論を欠いて、マスコミ世論のムードに棹さす文学者や知識人は、今日も後を絶たない。もとより有吉は、尖閣は日本の領土である立場を明確にしているが、国と国との利害がぶつかり合い、戦争状態になるような資源・領土紛争は回避すべきであり、日中の友好関係を大切にすべきであると語っている。
『日本の島々、昔と今。』が物語っているのは、国家という枠組と対立のなかで捉えられる「領土」ではなく、国民の故郷(パトリ)であり、人々の郷土(カントリー)としての島々であり、自然としての国土へのいとおしさなのである。
※SAPIO2014年9月号