だけどそれって、子供や孫やひ孫など、まわりの手助けのおかげで成り立っている恵まれたケースの喜びでは? そうも思ったのだが、違うようだ。「子供なんて全然来ないし、孫にもずっと会っていない」という場合も少なくなく、老人たちのたいていは孤独感を抱いている。しかし、「嫌な気分はほとんどない。気持ちは落ち着いている。いいことがあるわけではないけれど、とても幸せだよ」というふうに語ることが一般的なのだという。
こうした気持ちのあり方を、トルンスタムという社会学者は「老年的超越」と名づけたそうである。従来の喜ばしき高齢者のあり方は「生涯現役」だったが、それとは正反対に思えるようなあり方も、超高齢者の幸せのかたちとして存在しているという発見だ。その「老年的超越」には、次のような価値観が共通している。
・身体的な健康を重視しない
・外に向けた活動を重視しない
・社会的役割を重視しない
・社会的ネットワークの縮小にこだわらない
これらの項目だけを見たら、まるで重度のひきこもりのようだが、「老年的超越」は、何かから逃げているわけではない。身体能力や社会的能力は明らかに衰えていく一方でも、「あれこれ考えない」ことによって、それを否定的に捉えず、現状をあるがままに受け入れ、今を楽しんでいる。メカニズムはまだ解明されていないけれど、そういう境地に達しているとしか思えない超高齢者が、全体の二割くらいはいるのだそうだ。
もちろん、「老年的超越」の度合いの高い老人だって、誰かに下の世話をやってもらう必要が出てくる。決してキレイ事だけで片付かない現実もある。でも、そうして幸せに老いていく人生の大先輩の姿は、問題山積の超高齢化社会にあって、ひとつの救いだ。「長生き万歳!」と言えそうに思えるのだ。