皇后を間近に見るのは、実はこれが初めてだった。淡いピンクのツーピースに身を包んだ皇后は、当時73歳という年齢にはとても見えなかった。
それ以上に驚かされたのは、皇后の比類なき存在感だった。皇后は市役所前広場を埋め尽くした群衆一人ひとりに向かってにこやかに手を振ったが、手を振られた群衆は、誰もが自分だけに向かって手を振ってくれたと思ったはずである。
私もその一人だった。あなたの本は読んでいますよ。無類の読書家として知られる皇后は無言のうちにそう語りかけているように思えた。そう思った瞬間、私は驚きというより畏敬に近い感情を覚えた。
この女性は誰にでもそう思わせる“身体性”を備えているのでないか。“身体性”とは言葉を換えれば、時代の空気やあたりの風景とたちまち“交感”できる能力のことである。その“身体性”は、夥しい眼差しにさらされてきた彼女の長く苦しい修練期間を物語っているようでもあった。
多くの人々の視線を浴びる体験というなら、人気アイドルもそう変わらない。しかし人々が松田聖子を“見た”という体験と、美智子皇后から“見られた”という体験は意味が異なる。松田聖子を目撃したという体験は一時の思い出として淡雪のようにすぐ忘れ去られていくが、美智子皇后と“交感”したという体験は、いつまでも心の奥底に刻まれる。
私たちはその稀有な体験を通じて、ああ我々はこの比類ない能力をもった方と同じ時代を生きているのだな、という歴史的“共生感”を感じ取ることができるのだ。
※SAPIO2014年10月号