ふたつ目は、妻子ある中年教師が小学校高学年の女子生徒に対し、強引にキスし、ホテルで抱きしめ、服を脱がせるといったわいせつ行為を繰り返したケースだ。母子家庭に育ったがゆえに父親代わりとして思慕してきた生徒の心に付け入ったのである。性の意味を十分に理解していない生徒は恐怖や困惑に陥り、自尊感情を失った。
いずれも〈特別権力関係〉(生徒を指導するため教師に特別な権力が与えられていること)にあることを利用したケースである。そうでありながら非常に興味深いのは、2人の教師がともに、「生徒に恋愛感情を抱いていた」と話している点だ。
最初のケースの教師は女子高生に〈ふるさとの母を求めているような気持ちだった〉、ふたつ目のケースの教師は〈大人同士の対等な恋愛のように勘違いしました〉と述べるのである。気味が悪いのは、それらがあながち罪を逃れるための作り話とも思えないことだ。ちなみに、後者の教師は小児性愛者ではないとされている。
本来、思春期の揺れる心を理解し、過ちを犯さないように導くのが教師の役割だとすれば、2人の振る舞いは卑劣な裏切りである。それに対して著者は、〈強烈な怒りに突き動かされて〉〈取材を続けてきた〉と書く。だが、まるで検事か裁判官のように正義を振りかざして教師を断罪する著者の立ち位置には違和感を覚える。
むしろ、真実を言い当てていると思ったのは、本書の内容が当初、新聞連載されたときに読者の主婦から寄せられたという次の言葉だ。〈人間の弱さやおろかさを感じます。誰にでもあり得るんだな、と思いました〉。男性教師、あるいは男性一般が自分の心の中に巣食う弱さ、未熟さ、愚かさに自覚的になることが、スクールセクハラ防止にとって必要なのではないだろうか。
※SAPIO2014年12月号