興味深い事実が紹介されている。本多は『きけ わだつみのこえ』の映画化の監督を打診されたが、断った。それについて夫人は著書で、『きけ わだつみのこえ』が戦争の被害者としての面を強調するため、軍国主義に共感し、国家に忠誠を誓う内容の手紙が削除されたという、後に明らかになる事情を本多が直感的に嗅ぎ取っていたからではないかと推測しているというのだ。
〈戦争体験というものは決して一方向からだけで描けるものではないと、本多は感じていたのだ〉と著者は書く。
少年時代から興味を抱いていた科学に対する態度も戦争に対するそれと同様、一方的なものではなく、多面的なものだったようだ。科学は「人類の智恵のたまもの」と評価しつつ、人類の幸福につながるかという疑問も忘れず、科学のあり方を「反省」はしても、それが人間の生み出したものである以上、決して「否定」はしなかったという。
本多は、戦争も科学も、自分の外側に置くのではなく、内なる存在として引き受けていた。ゴジラという存在も同じである。本書を読んでもっとも強く感じるのはそのことだ。本多の『ゴジラ』が半世紀以上の時を経て、なおオマージュを生むのは、そうした奥深さを作品から読み取れるからではないだろうか。
本書は、本多の映像作品を詳細に解読し、関係者をインタビューし、活字資料を読み込んだ末に書かれた。500ページ近い渾身の大作だが、著者の鮮やかな解釈と筆致に引っ張られ、一気に読まされる。傑作である。
※SAPIO2015年1月号