【書評】『ヌードと愛国』池川玲子著/講談社現代新書/本体800円+税
池川玲子(いけがわ・れいこ):1959年愛媛県生まれ。東京女子大学卒業。川村学園女子大学大学院博士後期課程修了(文学)。大学非常勤講師。専門は日本近現代女性史。著書に『「帝国」の映画監督 坂根田鶴子』(吉川弘文館刊)など。
【評者】鈴木洋史(ノンフィクションライター)
本書は、日本の近現代に、美術、映画、写真などで制作されたヌード作品から日本とその時代を読み取る試みである。取り上げるのは、明治末期、男性の股間を「おかしいほどリアル」に描いたと評価された高村智恵子によるデッサンから、1970年代の大量生産、大量消費の時代に広告界をリードした、石岡瑛子のアートディレクションによるパルコの“手ブラ”ヌードのポスターまで7体のヌード。
たとえば、5体目として取り上げるのが、1948年(推定)、報道カメラマン大束元(おおつかげん)によって制作された、車や路面電車が行き交う銀座四丁目の写真に、全裸で台に乗って婦人警官よろしく交通整理を行なう女性の後ろ姿の写真を合成した作品。
著者によれば、戦後間もない頃、婦人警官は〈婦人解放のシンボル的な存在〉であり、〈女の裸こそが「美」であり「芸術」であるという、明治以来の決まり文句を掲げて、女のヌードブームに沸いていた〉という。だとすれば、作品にはそうした表層的な婦人解放ブームとヌード写真ブームへの嫌悪、皮肉、批判が込められている、と著者は読み解く。
大束には他に、戦後の新円の束にパンツ一丁の大束と思われる男性が埋もれる姿を合成した作品がある。その作品も合わせて解釈すると、大束は戦後という時代のすべてを嘲笑、自嘲していると書く。
本書はフェミニズム系の女性学者による論考だが、〈デッサン館の秘密〉〈そして海女もいなくなった〉〈ミニスカどころじゃないポリス〉〈智恵子少々〉〈資本の国のアリス〉といった各章のタイトルが示すように、諧謔精神に溢れ、文章も軽快で明解。新書ゆえか作品の写真が小さいのが残念だが、読んで楽しい一冊である。
※SAPIO2015年1月号