「私を私と思う意識はどのように生じ、自分はどこにあるのかを、現代の脳科学はかなり説明できていて、それを松尾には極力文系の言葉で語らせた。実は自分の思いや行動を自分が決めていると思っている僕らも、無意識下で進む脳の決定を追認しているだけで、〈我々は、完全に定められた人生というショウを見せられている観客である〉、とかね。
宇宙や神の成立にしても、最新科学に照らすと純粋に面白いし、新書を何冊分も読んだかのような前代未聞の純文学です!(笑い)」
涼子を追って組織に潜入した楢崎は、ある女から彼女の居所へと案内されたが、〈何も考える必要はない〉と説く教祖の下、全裸の男女がビルの一室で性を貪るその謎の教団Xで、自らも快楽に溺れていくのだった。
「この手のセックス教団は世界中にあって、即物的な集団ほど人は惹かれやすい。たとえばイスラム国でも単に非日常や〈フィクション〉を求めて参加する人が少なくない。思想的に言えば、右の人は右、左の人は左の言うことだけを聞いて、満足し合ってる今の日本も、危ない状態にあります」
復員後、山村で自給生活を営む新興宗教に入信し、絶望の中で光を求め続けた松尾と、さらなる闇を求めた沢渡。自らの虐待体験をアフリカの飢える子供たちに重ね〈行為者〉たろうとする高原など、善も悪も誰の中にもあった。松尾は言う。〈戦争を支えてきたのは、気持ちよさ、だった〉〈人間は善意を前提とする時、もっとも凶暴になれる〉〈思想が硬化してしまうこと。これが人類の歴史の悲劇の底にあるものの一つです〉
「全体主義的な気持ちよさはスポーツとか、他で得ればいいんです。特に若い世代は先の大戦のこともほとんど知らないし、他国を貶める本が大歓迎される中、その空気をつくり出して人々を扇動しようとする〈現代の詐欺師達〉に、僕は最も腹が立つ。
むしろ真理は極端な右でも左でも、善でも悪でもない真ん中ほどにあって、西洋も東洋もない鷹揚さが日本の強み。この時代の空気が制御不能になる前に、せめて文学くらいは抗わないと」