一方持ち物一つにも拘りのない若菜は思う。〈高橋さんは「自分」を主体としているが、若菜のそれは客体だ〉〈若菜の「自分」は、若菜のなかでも脇役なのである〉〈友だちや、家族の胸のなかに、魅力的な登場人物として存在したい。チャーミングな脇役として輝きたい。それが若菜の目指す「だれか」だ〉
「今時のキャラというのも、それを指す言葉が最近できただけで、そういった現象は昔からあったと思う。周りにシッカリ者だと思われているから疲れていてもシッカリしちゃうとか、役割を生きると同時に悩みもあったはずで、若者表現に拒絶反応を示す人が『ああ、そういうこと』と、子供たちのことを少しでもわかってくれたらいいなって」
クレージーキャッツが『学生節』で歌う〈あんたの息子を信じなさい〉、または〈あんたの知らない明日がある〉といった真実を、若菜は安藤智己の父親の鼻歌に聞き、17歳なりにいい歌だと思う。そして〈普通の家庭〉をなおも演じる両親や祖父母の微妙な関係についても、佳き脇役たる自分や、好きなことを、少しずつだが発見していくのだ。
普通を普通に生きられれば苦労はない。それができないから悩み、行きつ戻りつする人々に、終始朝倉氏はフラットな視線を注ぐ。
「私だって、認知症予防にいいらしいエゴマ油を毎日飲むと決めた翌日飲み忘れたり、人のことは言えませんからね。とにかく日常が元に戻る引力って物凄くて、人は良くも悪くも、簡単には変われないんだと思う」
その点、若菜がその時々の思いを自在に綴る雑記帳が笑える。題名は〈ワカナノトチュウ〉。つまり今起きていることも悩んでいることも、全ては何かの〈途中〉であって、若菜や乙女たちの物語は、この小説の後にも先にも続いていくのだ。
「そうなの! 昔ヤンチャだった人が誰かのおばあさんやおじいさんになるのも考えてみれば当然の話で、男の人にいつまでも少年の心があるように、和子や洋子やあゆみの中にも乙女の心はあり続ける。いきなり大人になったりは、幸か不幸か、しないんです(笑い)」
高橋さんの告白や若竹家のその後など、続きを読みたいのは山々だが、「だってそれも途中だもん!」と朝倉氏は笑い、だから人は安心して、それぞれの途中を生きていけるのかもしれない。
【著者プロフィール】朝倉かすみ(あさくら・かすみ):1960年小樽市生まれ。北海道武蔵女子短期大学卒業後、様々な職を経験。2003年「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞、2004年「肝、焼ける」で小説現代新人賞を受賞し、2005年、同作で単行本デビュー。2009年『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞。著書は他に『とうへんぼくで、ばかったれ』『てらさふ』『地図とスイッチ』『わたしたちはその赤ん坊を応援することにした』等。本作は北海道新聞、東京新聞等に連載。145cm、O型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2015年4月3日号