スポーツに誤審はつきものだ。サッカーも然り。誤審をバネに後に日本代表にまで上り詰めた選手もいれば、自責の念に囚われてボールを蹴るのをやめてしまった選手もいる。それほどこの誤審はサッカー少年たちの心を深く抉ってしまった。
2002年11月10日、サッカーの全国高校選手権岡山県大会決勝の作陽対水島工業戦。1対1で迎えた延長3分、作陽の2年生でエースMFの青山敏弘(現サンフレッチェ広島。2014年ブラジルW杯日本代表)がペナルティエリア外からシュートを放つと、ボールは左ポストの内側を叩いてゴールネットを揺らした。それが決勝ゴールとなったはずだった。
ところが、ボールがゴール奥側のポストに当たり枠の外に転がり出てキーパーがキャッチすると、主審はなぜかノーゴールと思い込み、試合を続行させた。挙げ句、PK戦にもつれこみ、作陽は負けてしまった。
試合はテレビ中継されており、「幻のゴール」が番組の終了間際にも映し出されていた。誤審は明らかで、後に日本サッカー協会も誤審を認めたが、試合結果は変わらなかった。
誤審によって敗者となり、「全国」への切符を逃した作陽の選手たちを傷つけたことはいうまでもないが、勝者となった水島工の選手たちも複雑な思いを抱えることになった。
「幻のゴール」はテレビニュースで繰り返され、新聞や雑誌で取り上げられた。作陽が「悲劇のヒーロー」になる一方、水島工は敵役にされた。学校に抗議や嫌がらせの電話、手紙が殺到し、新聞には全国大会辞退を求める投書が掲載された。
水島工の選手たちは苦悩した。なかでもストライカーだった3年生のFWは自責の念に駆られ、11人いた3年生に「辞退すべきではないか」と思いを打ち明けた。それをきっかけに話し合いが始まり、多数決を取った。結果は6対5で「出場」が「辞退」を上回った。最初に「辞退」を主張したFWの選手は退部した。出場することにした他の選手にしても、思いは複雑だった。
本当は自分たちに出場の権利はない。作陽のことを思えば胸が痛む。だが、自分たちは不正を働いたわけではない。そしてもちろん、出場の喜びを感じる自分もいる……。
水島工は全国大会1回戦で敗退した。
10年後、当時の作陽の主将と水島工のGKが酒を飲む機会があり、当時のメンバーでOB戦を行なうことになった(2012年12月15日)。結果は1対1。「誤審のときはサッカーが嫌いになった」「あのゴールがプロを目指す原点」と語っていた青山は、その再試合を終え、「サッカーを思い切り楽しめた」と喜んだ。その思いは全員に共通していた。
※週刊ポスト2015年6月19日号