2016年のサミット(主要国首脳会議)開催地に選ばれた三重県志摩市役所の1階ロビーには、「祝 志摩市開催決定!」と大書された看板が設置され、職員の表情も一様に明るい。2008年の北海道・洞爺湖サミットでは地元への経済効果が437億円とされており、10年前に比べて観光客数が1割以上減少した志摩市が歓喜に沸くのも頷ける。
安倍首相は伊勢志摩を選んだ理由について「日本の美しい自然、豊かな文化、伝統を世界のリーダーたちに肌で感じてもらえる場所」と語った。
しかし、自身が毎年参拝する伊勢神宮の伝統を強調するばかりで、主要会場となる賢島からたった8キロしか離れていない、もう一つの“伝統”がある島の存在にはもちろん触れなかった。
志摩市磯部町の離島・渡鹿野島(わたかのじま)は人口223人(2015年4月末現在)、周囲約7キロの小島だ。過去10年間の人口減少率が30%近い過疎の島は、近世以来遊郭が栄え、戦後も売買春が行なわれてきたことから「売春島」と呼ばれた時代も長かった。400年にわたる負の歴史は地元でもタブー視されている。
入り組んだリアス式海岸の的矢湾に浮かぶ渡鹿野島は、古代から無風で進めない帆船が物資の調達や水夫の休息のために停泊する「風待ち港」として知られていた。それらの船に野菜を売ったり、水夫に安息を与えたりしたのが土地の方言で「把針兼(はしりがね)」と呼ばれる娼婦たちだった。船の帆や水夫の衣服を繕ったりしたことからその名がついたという。江戸時代には江戸と大坂を結ぶ主要航路のちょうど中間地点に位置することから大いに栄え、幕末には遊女500人、船宿・置屋80軒と最盛期を迎えた。
戦後、1958年に売春防止法が施行されて以降も島の「産業」は残った。高度経済成長を支えた労働者の団体客が買春目的で大量に訪れ、島にカネを落とす。1977年には島の売春捜査を担当したことのある三重県警の元警部補が自ら売春スナックを経営して逮捕され、売買春が公然と行なわれている実態が全国的に報じられたこともあった。1980年代のバブル期には600人近い売春婦がいたという。
だが、1990年代に入ってバブルが崩壊すると、島の衰退が始まった。2000年代には全国各地で繁華街の浄化作戦が展開され、島でもたびたび売春の摘発が行なわれた。それでも雑誌では上陸ルポが掲載され、今もネット上では買春体験記が無数に綴られている。
※週刊ポスト2015年6月26日号