2014年7月から「週刊ポスト」で連載された『巨人V9の真実』が、V9スタートから50年目にあたる今年、単行本として刊行される(7月9日発売)。それを記念し、V9時代を支えた巨人のエース、400勝投手の金田正一氏、「エースのジョー」と呼ばれた城之内邦雄氏、そして栄光の18番を背負った堀内恒夫氏が一堂に会し座談会を行なった。座談会では、川上哲治監督の厳しさについて秘話が次々と飛び出した。
──(川上監督は)それだけ厳しかった。
金田正一(以下、金田):すでに国鉄で353勝を挙げていたワシに対しても容赦なかったからね。国鉄から移籍した1年目(1965年)、夏前にヒジを故障して戦列を離れた。球宴明けに治ったので川上さんに告げたんだが、「信用できん」といってきた。仕方ないから納得させるため、当時は前例のなかった二軍戦での登板を申し出た。二軍の連中に打たれるわけがない(6回無失点)。ようやく認められて一軍に復帰し、それからは5連勝して優勝に貢献した。
城之内邦雄(以下、城之内):僕は自分が引退する時に川上さんの厳しさを思い知りましたね。22歳で入団し、5年間で100勝を挙げて巨人を支えていた自負があったが、20代後半くらいから腰の故障に苦しんで成績が年々低下、登板機会が減っていった。31歳の頃には回復していたけど、川上さんから引退を命じられた。トレードしてくれれば良かったが、「よそで投げられたら困る」という理由で引退させられた。
堀内恒夫(以下、堀内):僕は川上さんに、リードしているのに四球が多いからと降ろされた試合が4つあった。酷いのなんか12-0で勝っていたのに4回2死満塁で降板ですよ。確かにそこまでで8四球だったけど、12点リードで代える必要はないじゃない(苦笑)。本当なら207勝してたのになァ(堀内は通算203勝)。
城之内:打者出身の監督は四球を嫌うからね。