戦争へと向かう危機感を感じているという
塚本:実際の戦争は体験したくないので、映画を通して自分が追体験して、お客さんにも追体験してもらって、頭にパンと鉄槌を振り落としてもらうような。一緒に覚醒しましょうという気がありました。ぼく自身、今の平和な都市生活をしていると、確信の情報がこない。よほど意識的にならないとぼーっとしてしまうんです。そのぼーっとしている間に恐ろしいことが動いているということに意識的にならないと怖い。自分で目を覚ます意味でも映画をつくらなくてはと思いましたし、観客のみなさんにも覚醒していただきたいと思っています。
――東日本大震災も映画製作への大きな理由だったんですか?
塚本:地震そのものもあったんですが、放射能のこともいろいろ考えさせられました。事故で放射能が漏れたことで、今まで当たり前だと思っていた色々な仕組みが見えてきました。電気がどこからくるのか。なんででき上がる見込みのないもんじゅという原子力発電所のおばけみたいなものにこだわるのか。水面下の巨大なものが浮かびあがってくるように感じました。それらはとても不安を伴うものでした。時を同じくして、日本が急速に戦争に向かい始めるのがわかりました。
当時私の妻が、自分の子供が放射能に汚染される恐怖とか、そのことに異常に神経質になっていく様子を目の当たりにしました。次の世代の人たちの命が危険にさらされる。これが戦争状態になったらと考えると、戦場へ行くのは若い人たちかもしれない、そう考えると肉体的な拒絶感が生まれました。
不幸にも福島の原発事故があったことを教訓にしないといけないと思うんですが、あったことも忘れようとしているのではないか。それどころか、ないものとして済ませようとするのは神をも恐れぬ行為。恐ろしい気がしています。
――安倍首相が進める安保法案についてはどう考えていますか?
塚本:ぼくの映画は、政治的なメッセージは持ちません。あくまで見て、感じてもらうもの。戦時下の極限状況を描いてますが、人によっては「こんなひどい状況になるんだったらもっと強い国にならなきゃ」と思うかもしれません。「こんな状態は絶対イヤだから、どんなことを使ってでも戦争をしないようにしていこう」と思う人もいるはずです。自由です。でも、戦争はぜったいに近づくべきものではない、ということは感じていただけるはずです。
ただ、最初にこの映画をつくろうとしたのが、民主党が自民党に負けて再び自民党が政権交代を決めた選挙の直前でした。震災の翌年です。そのとき自民党が出した憲法の改訂案を見たんですが、国民が国家権力の横暴を制限するための憲法であるはずが、国民の人権が軽くなっている。そのことから始まるストーリーを考えざるをえませんでした。
――「軽くなっている」というのは改訂案のどの部分に感じたのでしょうか?
塚本:自民党の憲法改訂案では、「基本的人権」の項目で「個人」が「人」に書き換えられているところもあった。昭和の終わりに育ってきたぼくが生きることを謳歌できたのは、個人の自由を尊重されていたから。それが変わってしまうのは一大事です。
――政府への反発の声は確かに少なくありません。