加藤は明治17年、本所で炭問屋を営む元平戸藩士の家に生まれる。金沢四高~東京帝大工科大学へ進むが、家族を相次いで亡くし、キリスト教や古神道に傾倒。自身も結核で3年間休学し、農科大学転入後、今度は婚約者が病死するなど、理想の農業を自ら泥に塗れて語る豪快な農本主義者には、そんな過酷な青春があった。
「農本主義というと戦後は丸山眞男がファシズムだと言ったり、誤解が多いんですが、五・一五事件の橘孝三郎にしろ宮沢賢治にしろ、その根底には搾取や凶作に喘ぐ小作の解放や、トルストイ的な人道主義があった。
加藤の場合は自ら農民となる道を選び、後の農相・石黒忠篤や那須晧らと自作農化を訴えるが、法案は通らない。残る手は移民しかなく、農家の次男三男の自立の場を満州の未墾地に求めたのは自然なことでした」
一方、東宮は明治25年、前橋生まれ。陸士卒業後、シベリア出兵に志願し、この時の体験が〈革命で祖国を追われたロシア人の生き残りたちと協力して、日本人の開拓移民村を作り、「理想の共和国」建設を目指す〉という夢に結実していく。
そんな2人を結びつけたのが石原である。本書では当時「満州某重大事件」と呼ばれた張作霖爆殺事件や満州事変、満州国建国に至る経緯を膨大な資料をもとに検証。一度は退官も覚悟した東宮は吉林軍軍事教官として満州に呼び戻され、石原の紹介で加藤と出会い、夢の〈受け持ち分担〉を熱く語り合う同志となった。
「例えば後の東条英機暗殺計画でも名前の出る浅原健三なんて、八幡製鉄のストを率いた完全なサンディカリストですよ。石原はその浅原も重用した。右とか左ではなく相手の人間性を見る信頼関係が、彼らの間にはあったということです」