当初入植地の佳木斯周辺には匪賊が出没し、〈俺たちを騙したな〉と団員が銃を取る事態も起きる中、第一次の弥栄村、第二次の千振村を成功させた加藤はこう檄文を寄せた。
〈誰も耕していない満蒙の天地には決して所有者はない。ただ神があるだけである。その神の土地を汗水たらして開拓して、人類生存に必要な物資を生産することは、善であると堅く信じて、満蒙の奥地に飛び込むべきである〉
「東宮も〈『満州ゴロ』的人物〉を移民に採用するなと書いていて、単に満州で一旗揚げようとする功利主義者を石原も含めて一様に毛嫌いしたのが面白い。農とは善であり、土と向き合うことで精神すら浄化されると信じた彼らの理想は原始共産主義とも言えますが、現実はそうもいかなかった。満州国の変質に失望した東宮は壮絶な最期を遂げ、加藤は手塩にかけた教え子を〈根こそぎ動員〉され8月9日のソ連参戦で次々に失います」
純粋すぎた夢の苦すぎる結末には、加藤の門下生らも心を痛めていたという。
「生存者に『僕らは侵略者なんでしょうか』なんて聞かれるとつらくてね。むろん政治家なら結果にも責任を負うべきです。でも純粋に開墾に励んだ彼らが自分を責める必要は絶対にない!
彼らのためにもなぜ当時27万人もの開拓民が渡満し、8万もの人が犠牲になったのか、過程や背景を検証する必要があった。個人史などでは引き揚げの悲惨さばかりが強調されがちですし、ともすれば開拓民の犠牲は自業自得とされ、広島・長崎のような慰霊もされません。
かつての国策・満蒙移民は現に忘れられつつあり、その落差の象徴が、戦中は開拓の父と崇められ、戦後全否定された加藤や東宮だと私は思う。いかに結果は苦くとも、闇に葬ったままでいいわけがないんです」
彼らの夢が人を惹きつけ、歴史のうねりとなっていく様は、読んでいて心が動かされる半面、恐いとも思う。
「それこそ東宮の従兄弟で詩人でもあった東宮七男がこう書いています。『純粋な人はその純粋さに比例して不遇である。しかしその不遇さこそ何物にも代えがたい光を放つ』と。私も個人的にはついそこに引き寄せられちゃうんですけどね。特に純粋な男はその分、本当に危なっかしい……」
だからその時、誰が何をしたかを、牧氏はジャーナリストとして客観的に書く。思えば彼らの純粋さもまた、是非をも超えた歴史的事実なのだ。(構成/橋本紀子)
【著者プロフィール】牧久(まき・ひさし):1941年大分県生まれ。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒。1964年日本経済新聞社に入社。ベトナム戦争中のサイゴン特派員、社会部長、代表取締役副社長等を経て、2005年テレビ大阪会長。現在日本経済新聞社客員。著書は他に『サイゴンの火焔樹―もうひとつのベトナム戦争』『特務機関長 許斐氏利―風淅瀝として流水寒し』『「安南王国」の夢―ベトナム独立を支援した日本人』『不屈の春雷――十河信二とその時代』。163cm、61kg、A型。
※週刊ポスト2015年8月21・28日号