籐椅子に座ったポスターを見るだけであの頃の興奮が甦ってくる。1974年末に公開され、1975年にかけ大ブームとなったフランス映画『エマニエル夫人』。あれから40年、その衝撃は色褪せない。
格調高い映像と、主演女優シルビア・クリステルの麗しき官能シーンはポルノ映画ながら老若男女に支持され、映画館に女性が大挙押し寄せるという社会現象にまで発展した。元『キネマ旬報』編集長で大正大学客員教授の黒井和男氏がいう。
「セックスやヌードが“いやらしいもの”という既成概念を覆し、性描写が“芸術美”になりうることを示した画期的な作品。映画が世の中を動かすことは少ないが、それを成し遂げたのが『エマニエル夫人』です」
作品はバンコクに住む外交官の妻・エマニエルの愛の遍歴を赤裸々に描く。飛行機内の情事やレズ描写など計10回のセックスシーンは今観ても過激だ。しかしシルビアの白桃のような上品な柔肌には、この作品を単なるポルノに終わらせない魔力があった。
世界的大ブームとなったことで、「エマニエル」を冠するポルノは次々と生まれた。しかし『エマニエル夫人』の正統な続編といえるのは、シルビア・クリステルが主演した1975年の『続エマニエル夫人』と1977年の『さよならエマニエル夫人』だけだろう。この2作品はより過激さを増し、世の男性たちをうならせた(その代わり女性ファンは離れ、爆発的ヒットとはならなかった)。
シルビア・クリステルは2012年、60歳でこの世を去った。『エマニエル夫人』の爆発的ヒットで一躍スターとなった彼女だが、決して幸福な人生とはいえなかった。
彼女が後年自ら明かすことになる幼少時の性的虐待に始まり、『エマニエル夫人』出演後はドラッグと共に退廃的な生活を送った。パートナーとなる異性を何度変えても平穏な日常を送ることはできなかった。2000年代前半には咽頭がんと肺がんを発症し、2012年、脳卒中で倒れた4ヶ月後に亡くなった。享年60だった。
官能映画への出演で世間に植え付けられた「色情狂」というイメージも彼女を苦しめた。彼女に取材をしたことのある前出・黒井氏は、「実際に会う彼女は存外に地味な印象で驚いた。華やかな銀幕のイメージとのギャップに驚かされました」と振り返る。エマニエル夫人で得た名声の代償は、本来の彼女とは違いすぎるパブリックイメージだった。
そして病魔に蝕まれた晩年。彼女は最期を母国・オランダで迎えたが、それでも故郷ユトレヒトに戻ることはなかった。少女の頃の陰惨な思い出が、彼女を生家から生涯遠ざけたのかもしれない。
※週刊ポスト2015年9月25日・10月2日号