◆中国皇帝に「タメ口」
日本も、かつて日本列島を統一する強力な勢力がない頃は、九州の奴国の国王のように、あるいは邪馬台国の女王卑弥呼のように、中国皇帝に貢物を捧げて国王に任命してもらった権力者もいた。
だがそのうち朝鮮半島と違って、わが国の人々は、われわれは中国の家来ではない、独立した国家だというプライドを持つようになった。そのプライドを形にあらわしたのが、聖徳太子の「日出る処の天子、日没する処の天子に書を致す」という、中国皇帝に対して「タメ口」つまり対等の言葉遣いで出した国書である。
当時の中国は唐の前の隋だが、これを受け取った隋の皇帝は激怒したという。「このような無礼な国は許せぬ」ということだ。しかし中国大陸と地続きの朝鮮半島と違って、日本列島と中国大陸の間には深い海がある。いかに大国中国とはいえ、この海を越えて日本を攻めることは難しい。聖徳太子はそれを読み切って、この「独立宣言」を中国に叩き付けたのである。
最近は聖徳太子の実在を疑う人もいるが、こういう国書が送られてきて皇帝が激怒したということは、日本の書物ではなく中国の史書に書かれているのである。仮に聖徳太子は実在でなかったとしても、日本の皇室の誰かがこうした外交を展開した歴史は動かない。東アジアの中で、こうした独立宣言をしたのは日本だけである。これも日本外交の勝利であろう。
ちなみに日本という国号は、中国を強く意識している。日本とは「日の本」つまり「日出る処」であるが、本来西や東という方向は起点があってこそ決まるものである。「名古屋は東か西か?」という問いには答えられない。東京あるいは大阪という基点を定めてこそ、「東京よりは西、大阪よりは東」と言える。われわれの国が「日出る処」(東)と言えるのは、中国という西の大国があるからである。天皇という称号も国王(中国皇帝の臣下)ではないということだ。これも中国に対する自己主張である。そういう意味では中国は日本の永遠のライバルかもしれない。
もっとも、日本人はこの原則にこだわり例外を認めなかったわけではない。室町3代将軍・足利義満は天皇家に対抗し自己の権力を確立するため、中国(当時は明)に頭を下げて、日本国王に任じてもらった。中国は対等な貿易は認めないが、周辺の王国が貢物を捧げてくればその何倍もの「返礼」をする。それを利用して義満は「エビで鯛を釣る」貿易を展開した。今も京都に残る金閣寺は、義満が膨大な貿易の利益をつぎ込んで建てたものである。
※SAPIO2015年12月号