二日目からの会談は難航。一向に合意の兆しが見えなかった。宿舎での夕食時、意気消沈している大平を見て、田中は「失敗したときの全責任は俺がすべてかぶる。君らはクヨクヨするな。こういう修羅場になると大学出はダメだな」と檄を飛ばした。
大平は険しい表情で「何か名案でもあるのか?」と言い返すと、「どうやるかは、ちゃんと大学を出た君らが考えろ」と言い放った。そのやり取りを聞いていた全員の表情が緩み、部屋は笑いに包まれたという。
人の能力を見抜き、権限を与え、のびのびと力を発揮させる田中のマネジメント術の一端が垣間見えた瞬間である。
三日目の夜、突然、迎賓館に使者が来て、「毛沢東主席が面会を準備している」と伝えた。続いて周恩来が迎賓館に迎えに現れ、すぐさま準備を整えた田中、大平らは、毛沢東邸に案内された。
玄関まで出迎えた毛沢東は、田中の顔を見て、「ケンカはもうすみましたか。ケンカは避けられないものですよ」と言った。日中間の激しい論戦をケンカにたとえ、必要なプロセスだと言ったのだ。
田中と毛のトップ会談は、和やかながらも、田中が毛に言うべきことを言う率直な話し合いとなった。これは極めて重要な“儀式”だったといえる。その後の大平と姫鵬飛外交部長の最終会談でようやく合意に達し、日中共同声明が調印された。
※SAPIO2015年12月号