アレクシエービッチの作家人生は、困難の連続だった。『戦争は女の顔をしていない』は2年間、出版を止められた。旧ソ連時代に出した『私は村を離れた』は、「反ソ連的作家」とレッテルを貼られ、『チェルノブイリの祈り』は自国ベラルーシで一時、出版を差し止められている。
──ベラルーシでは、アレクシエービッチさんの発言の機会は与えられていないのですか?
「『チェルノブイリの祈り』はすでに17か国で翻訳されましたが、ベラルーシではまだ出版されていません(当時)。ソ連は崩壊しましたが、全体主義体制に戻っています。民主的な考え方をする人々が消されてしまっています」
憂いや怒りを抑えて語った彼女の表情が、今も忘れられない。どんなに厳しい状況になっても、小さい人々の言葉を書きとめていかなければという、全体主義と闘う彼女の凄味が感じられた。
対談では、人間の価値についても話が及んだ。
「原発事故の後、たくさんの人々は自分の飼っていた猫や犬の名前を書き残してきました。兵士がそれらの動物を射殺していきました。人間はそれだけのことをする価値をはたしてもっているのでしょうか。大きな問題です」
犬や猫だけではない。家畜や森に住む動植物、食糧を生み出す土壌や空気、水……それらすべてのものを汚染してもいい価値を、人間はもっているのだろうか、と彼女の作品は問いかける。
最後に彼女はこう締めくくった。
「自分たちに起こったことを理解しようとするとき、科学とか数学とか物理が人間の力になるのではなく、ただ一つ、最も大事なのは『人間の愛』。これが、これからの人たちのよりどころになっていくだろう、と私は思っています」
原発事故を体験したぼくたち日本人にとって、アレクシエービッチという作家を知る機会となった今年のノーベル文学賞は、とても意味のあるものだった、と心から思う。
※週刊ポスト2015年11月20日号