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2015.11.26 07:00  週刊ポスト

山本圭 撮影ゼロで終わった初日が仕事場で泣いた最初で最後

 俳優座養成所時代に叔父が監督する映画でデビュー、以後、様々な舞台や映画、テレビドラマ等で活躍する山本圭の役者人生は、順風満帆に見えるが、デビュー作では今も鮮やかに思い出される苦労があったという。初めての撮影で味わった苦しさについて山本が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏の週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。

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 山本圭は山本薩夫監督を叔父に持ち、兄の学と弟の亘も俳優という環境に育つ。中学・高校と演劇部で活躍した後、1960年には俳優座養成所に入所する。まさに、役者一筋といってもいい。

「小学校からのひとつ下に東野孝彦(英心)、長山藍子、『上海バンスキング』の劇作家になる斎藤憐、二つ下に串田和美がいましてね。長山と東野は養成所で同期だったのですが、次の年に斎藤も串田も受けると言い出して。それで、養成所の問題集を盗み出してきて、『パントマイムのコツはこうだ』『試験ではここが見られる』とか教えていました。

 俳優というのは、背が高くて綺麗な二枚目がなると思われがちです。私は背が高くないというのを若い頃から分かっていました。それでも、背が低くてもやれる場所があるんじゃないかと思っていたんです。
 
 薩夫監督との関係もあり、俳優さんたちが正月に我が家に来ることもあって、彼らを見ているうちに『俳優というのは二枚目でなくても成り立つ』と思うようになりました。彼らを自分に引きつけて考えてみたら、『やれるかもしれない』と思えた。

 それでも、版画家になるか俳優になるかで悩んだことはあります。銅版画でも協会の展覧会で何度も入選していましたから。でも、ある展覧会に入選したというので見に行ったら、僕の作品は逆さまに掛かっていましたけどね……」

 本格的な映画デビュー作は薩夫監督による『乳房を抱く娘たち』(1962年)だった。

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