先程も言ったように、祖母の死に際して母が決めないといけなかったのは、人の命の終わらせ方でした。これは、あまりにも大きくつらいものでした。だから私は母に、自分だったらどうしたいかを聞いて、母が決めていいんですよ、という気持ちだったんですが、同時に、いつか自分にもくる決断なんだなって思ったんですよ。
井上:同じことを、もし私が子供から聞かれたら何て言うかな、と今、考えていたんです。私は多分、意識がなくなったら、そのとき、そこにいる人がジャッジして、と言うような気がするんですよね。
その判断が、もう逝ってくださいでも、延命でも、文句は言いません、あなたたちのいいようにして、段取りのいいようにしてと。言われたほうはしんどいかもしれません。でも、死に逝く自分がジャッジするのは、そこでまた1つ、我を通して周りに迷惑をかけるような気がするんですよ。
迷惑をかけたくないから延命はしないで、とみんな言うけれども、私の義姉のように、その人がたとえ意識はなくても、生きてるだけでうれしいという気持ちも嘘じゃない。だから、好きにしていいよって。この頃、そう思うようになってきました。
撮影■矢口和也
※女性セブン2015年12月24日号